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2007年07月29日

日記: 選挙と音楽

 最近の音楽事情には疎いし、一世代年下の人と話す機会もないし、すべては想像の域を出ないのだけど、ロックは昔ほど流行らないように見受けられる。今はラップというのか、むにゃむにゃ喋ってサビだけ突然晴れやかに歌い上げる曲が人気のようだ。歌詞も校歌的なものが多く、童謡のほうがよほど毒があるくらいで、まあなんというか、馴染まない。聞いているこっちの顔が赤くなるというものだ。ぎんぎんに尖った反抗期によくあんな歌詞に共感できるもんだと不思議になるが、あるいは最近の子供には反抗期がないのだろうか。よくわからない。
 選挙に行った。
 家人いわく、昔は皆が真面目だったからロック好きは不真面目だったけど、今は皆が不真面目だからロック好きは真面目なのだそうだ。「反抗」がロックの神髄であるからして。確かにラップ愛好家たちの投票率は低いかもしれない。彼らの歌詞の通り世の中が素晴らしいなら、変える必要なんてないものね。
 夕方から夜にかけて、爆音の雷が轟いて豪雨になった。家が揺れる、揺れる。昔近所の犬が雷に打たれて死んだのを思い出した。

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カタカナ: サイン sine

 三角比である。
 習ったのは確か高校一年の終わりだった。これが登場したあたりから群れからはぐれ、数学難民と化したのでよく覚えているのである。
 sin2α=2sinαcosα、なんて式を目にしただけで塩をかけられたナメクジの態であった。そんなふうに嫌々なものだから当時は思いもしなかったけれど、実は三角比というのはなかなか便利である。
 例えば、8mのビルの屋上に上がりたいんだけど、角度は50°つけるとして何mのはしごを持ってくれば足りるかしら、なんて問いに答えることができる。(sin50°を使って計算すると10.5mのはしごで足りることになる)
 つまり直角三角形だと一辺の長さと一つの角度がわかっていれば残りの二辺の長さを求めることができるわけだ。直角三角形でないとしても、三つの辺と三つの角のうちいくつかの数値がわかれば残りを求めることができる。もちろん面積も割り出せるし、四角形、五角形にも応用できる。
 世界最古の三角比の表は古代ギリシャの天文学者プトレイマイオスが作ったと言われている。当時から土地の測量や天体観測に使用されていたようだ。その後中世のアラビアを経て、再びヨーロッパに伝わり、現在のような三角関数の公式が整備されたのは18世紀に入ってからのことである。
 語源をいうと、サイン(sine)はラテン語のsinus(湾)からきている。コサイン(cosine)はco-sine、サインを補うものという意味。タンジェント(tangent)はラテン語で「触れる」という動詞tangereに由来している。日本語だと、正弦、余弦、正接、になる。

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2007年07月26日

日記: フジイ

 住んでいるアパートの修繕工事が始まってしまってもう煩いのなんの、これから四、五日続くのだそうで、ぐうたら主婦には堪えるのだった。ただ工事の音は間断なく鳴っていれば耳慣れるものだが、あの「フジイ、梯子持って来て」だのいう職人さんのかけ声がいけない。またこのフジイがとろいんだ。あるいは頭領がいらちなのか、とにかくフジイフジイ煩くてかなわない。フジイさんの明日以降の働きに期待したい。
 夜は近所に新しくオープンしたフランス料理屋へ。壁に数カ所ビートルズのポスターが貼ってあって危険な香りがしたが(ビートルズは好きなんだよ)、味は無難だった。ベッドタウン飲食店の不治の病である「あかぬけなさ」は顕著だったものの。シャブリを一本あけた。
 脇から色々と頂き物。名古屋名物『風来坊』の鶏手羽と重慶飯店の点心セットなど。

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カタカナ: ラテン Latin

 ラテンの原義は「イタリアの古代国家Latium(現Latio州)に所属する」であり、その土地の人をラテン人、彼らの言語をラテン語と呼んでいたのだが、ローマ帝国が建国されてラテン語が公用語になると、国家勢力の拡大とともに広く波及することになった。
 ローマ帝国が崩壊の途を辿るにつれて、支配下にあった地方にはラテン語を祖とする新たな言語が使われるようになる。それらをロマンス諸語と呼び、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語などはそのカテゴリに入る。当然ながら文法や発音、語彙は似通っている。
 言語体系でいうと、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属し、同じ語族でもゲルマン語派とは一線を画す。こちらに属するのは北欧系言語、英語、ドイツ語、オランダ語など。
 そして時は大航海時代、スペインやポルトガルがこぞって海外進出をして今でいう南アメリカに植民地を持つようになると、原住民たちは宗主国の言語を使用を強いられ、ラテンという形容詞が冠されるようになった。ラテンアメリカとかラテン音楽とか呼ばれるのはその所以である。
 現在ラテン語を話すのはカトリック教会の典礼時のみであり、日常的に使う人はいない。しかし学術系(医学、法学、生物学など)の専門用語はラテン語が多いし、我々が普段使う言葉も遡ればラテン語派生のものがたくさんあり、死語というわけでない。

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2007年07月25日

日記: 負けです

 鼻の穴に煮えた油がぴっと飛んで大変痛うございました。別にうんと押し広げて料理してるわけではないのだが。
 サウジアラビア戦。より勝ちたいほうが勝ったという感じ。サウジの気迫は砂埃がたつようでなかなかの見物だった。しょってるな、と思った。日本はオーストラリアに勝った時点で覇気が20%ダウンして、今日の3点目のシュートを決められた時点でさらに30%ダウンして、残り5分でミドルをみだれ撃ちしても遅いのだった。セットプレイからの失点はともかく、あんなふうにつっかけられてひっぺがされて「ずば」と決められるのは辛い。W杯は遠いのう……。
 正直、日本戦を観るのはしんどい。こちらがいくら心を熱くして応援したところで点が入るわけではなく、まるで恋人が悪党どもに殴られるのをなす術なく見つめている感じである。じゃあ観るなという話もあるが、いじらしい男はなかなか放っておけないもの、つまり私は母性でもって日本戦を観ているのだな。

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カタカナ: フェロモン pheromon

 フェロモンの出ている人というと異性がついその気になってしまう肉感的な人を指すようだが、実はフェロモンとは昆虫用語である。
 前回の項でホルモンは一個体の中でやりとりされる物質だという話をしたが、フェロモンは同種の異なる個体でやりとりされる物質である。昔はエクトホルモンと呼ばれていた。エクト(ecto)とは「外の」という意の接頭語。外に向けたホルモンというわけだ。ギリシャ語のpherein(運ぶ)と hormao(刺激する)を合成してフェロモン(刺激を運ぶもの)と名付けられたのは今から50年ほど前のことだ。
 フェロモンにはいくつかの種類があって、交尾をするために出すフェロモン、餌の在処を知らせるフェロモン、敵の危険を知らせるフェロモンなど、いずれも虫たちが種を保存するために出す物質である。
 ホルモンやフェロモンは非常に量が少なく濃度も低いため、採取して分析するのに難儀する。ゴキブリ50万匹をすりつぶしても得られるフェロモンは1mgに満たないのだそうで、なんというか、あまりぞっとしない話ではあるが、蛾などは数キロ先からでもフェロモンを嗅ぎ分けて飛んで来るとか、微量なれどフェロモンの威力は絶大である。
 では哺乳類にフェロモンはあるのかというと、象や豚には存在することが発見されている。となると我々ヒト科はどうなのかと気になるが、残念なことに科学的に実証されていないのが実情である。
 女をメロメロにするエキスを買って(数万円)熱心に身体に擦り込んでいる愉快な友人がいて、まあそれなりの発展もあるようで結構なことなのだが、それはおそらく「俺は色男だ」という自信のみなぎりのなせる技というのか、鰯の頭も信心からというのか。

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2007年07月22日

日記: 田辺聖子

 田辺聖子にお熱である。大きなスヌーピーを抱いてさわさわと話す姿は知っていたし、『芋たこなんきん』も大好きで欠かさず観たけれど、きちんと本を読んだことはなかった。それで最近『言い寄る』という本が店頭に並んでいて、ぱらぱらめくるといい感じだったので読んだのである。洒脱とはこれを言うのだなあと惚れ惚れするような小説だった。30年以上前に書かれたものなのにちっとも古くない。
 及里子というちょっといい女が男をつまんだりつまめなかったりする話で、『私的生活』と『苺をつぶしながら』という続編もあり、早速図書館で全集を借りて読んだ。もっと色んな男性とあれこれしといたらよかった、というか、今からでもあれこれしたいなあ、という欲望がぶんぶんに膨らむ危険な本だった。
 今日は『ジョゼと虎と魚たち』という映画も観た。これは同名小説の映画化である。本を先に読んでいて、しかもその本が好きとなると、映画は難しい。あの淡々としたとこがよかったのに、とか、ジョゼはこんなこと言わんよ、とか、どうしても違いばかりが目について映画を楽しめない。映画として悪いことはないのだけれど。
 池脇千鶴がぺろっと脱いでいたが、別に大した感興も得られず、まあそこがいいのかもしれないなと思った。脱いだ!という感じだとストーリーに差し支えるからね。

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カタカナ: ホルモン hormon

 hormao(刺激する)というギリシャ語由来の言葉である。ホルモンと聞くと何やら性的なイメージを持つ人が多いようだが、その認識は不完全である。言うなれば男性ならメカに強いと思うようなもの、メカに弱い男性はごまんといるように、性に関係ないホルモンもたくさんある。
 ホルモンとは生物の体内で作られて分泌され、体液を通じて別の器官に達し、効果を及ぼす化学物質のことである。わかりやすく言うと、私たちの体内には通信網が張られていて、発信元(製造元)から受信先に随時情報(ホルモン)が伝達されている。生まれる前からの許嫁みたいなもので、発信元と受信先の組み合わせは不変である。そしてAからBに正常に情報が届くと陰毛がぼうぼう生えたり、CからDに届くと血糖値が適正数値に保たれたりする。その通信網に支障をきたすと、月経が不規則になったりやる気や自信を喪失したり、ホルモン異常が私たちの心身に与える影響は計り知れない。
 アドレナリンもホルモンの一種である。これは副腎といって腎臓に接する器官で作られて、心臓や血管に伝達される。闘争や防衛に際して興奮状態を作ることで有名だ。つまり敵から身を守ったり獲物を捕獲したりするには普段のようにぼうっとしていてはいけないわけで、例えばステージに上がる前には心臓はばくばくするわ呼吸は荒くなるわ風景はぎらぎらするし空腹なんか感じやしない、という状態になるが、これはアドレナリンがじゃんじゃん放出されている証拠である。この性質を利用して心停止した人への治療薬としても使用することもある。
 ところでホルモン焼きのホルモンは「ほおるもん(捨てるもん)」だとか「精力アップをイメージしてホルモン」だとか諸説あるようだ。ホルモン焼きって美味しいんだろうか、私は未だ食べたことがない。そういえばじゃりン子チエの家はホルモン焼き屋だったなあ。

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2007年07月21日

日記: ブラザー&シスター

 アークヒルズで義兄2号の結婚式。
 義兄が槍のように長いチャッカマンをぼうぼう燃やしながらテーブルを練り歩いてキャンドルを灯していたのが印象的だった。彼は家人三兄弟の中で社会的には一番まとも(定職についているという意)なのだが、一番変人、というかちょっとしたキチガイである。でも義姉はそうは思っていないようで、それは別に義姉も同類だと言っているのではなく、そういうカテゴリでものを見ない人という意味だが、やはり人は出会うべき人に出会うものだと感じるのは彼らがナイスカップルだからだろう。お互い離婚せずに死ぬまで交われればこれ幸い。
 二次会まで出席して帰宅するとちょうど延長戦に入ったところだった。アジアカップである。オシムじゃないが、PK戦は身体に悪い。はっきり言ってちっとも愉しくない。あのドキドキがいいとかいう人は私に言わせりゃ野蛮である。こういう大会で勝ち上がるためには一度はPKをしのがなくてはいけないものだけど。
 リプレイでしか見ていないが、高原がまた素晴らしいゴールを決めていた。オーストラリアには負けないけど勝てないといったところか。勝つためには高原クラスのFWがもう一枚必要なんだと思う。それから中澤だが、やはりW杯で辛酸をなめただけに「わかってるな」という老練感があった。あんなふうに身体にむち打って駆け上がらないと状況は打破できないのである。特にサイドの二人には頑張ってほしい。

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カタカナ: ビュッフェ buffet

 もともとは駅や列車内に設けられた簡易食堂を指す言葉だが、現在は多数並べられた料理から任意のものを自分でよそって食べる形式をいう。フランス語で食器棚のこと。本来はビュフェだが、日本では「ッ」を入れて発音されることが多い。
 ホテルの朝食はビュッフェ形式が多い。経験によると85%くらい。安いホテルだとビュッフェという通説があるようだけど、一概にそうとも言えない気がする。ホテルオークラはビュッフェだったし、鹿児島の安ホテルは座るなり黒豚御膳みたいなのが運ばれて来た。ホテルに泊まる時はたいてい二日酔いなので黒豚はちょっと厳しい。そういう与太者にはフルーツばかり食べても許されるビュッフェのほうが有り難い。
 洋食のビュッフェには必ず卵と肉(ベーコンやソーセージ類)があるが、パンやフルーツに加えてこういう温かい料理を頂くのがイングリッシュブレックファストである。もちろんロンドンのホテルもそうだった。これがユーラシア大陸に渡ると卵と肉は消えて、ロウカロリーの冷えた朝食になる。これがコンティネンタルブレックファストである。イングリッシュ風に慣れていると物足りなく感じるかもしれないが、あちらの人々は夕食に大量のカロリーを摂取するのでうまくバランスがとれているのである。それにフランスなんかだとべらぼうにパンが美味しいのでかえって肉が邪魔。私は前世がフランス貴族なので余計にそう感じる(きゃっ)。
 ちなみにビュッフェをバイキングと呼ぶのは日本だけである。考案者は帝国ホテルの支配人。北欧に出かけた時に客が好きなものを好きなだけ食べる形式(スモーガスボード)に出会って日本に持ち込んだ。その当時上映されていた『ヴァイキング』という映画からその名前をとったのだそうだ。イタリアンとか焼肉とか鮨とかケーキとか、各種ヴァイキングが人気のようだけれど、私は人の食欲にあてられるとげんなりするので一度も出かけたことはない。やはり前世が……

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2007年07月20日

日記: ぽつん

 最寄り駅の改札を出たすぐのところに東急ストアがあって、普段はあまり使わないのだけれど、今日ちょっと寄ってみたら夜8時という時間のせいかお惣菜コーナーがものすごく賑わっていて驚いた。老若男女皆慣れた手つきでパックをかごに入れていて、働きながら料理するのは大変なんですな。わかる、わかる。働いてなくても大変だからな。私もつられて鶏の唐揚げを買ってしまいましたよ。
 それでレジに並んでいる時に前の男性(30代)のかごを覗いたら、鮭弁当と鮭おにぎりと枝豆と焼きトウモロコシと肉団子が入っていて、おそらく彼はテレビをつけてビールを飲みながらこれを平らげるつもりなのであって、ラップのかかったトウモロコシのつぶつぶをじっと見ていたらなんだか哀しくなった。女にきちんと可愛がってもらいなさい、と思った。
 今は男も女も自分の生き方があって、それにしっくりくる相手がいないなら一人で構わない、実際一人で十分愉しい、という風潮なのだろう。もちろん色んな生き方があっていいし、それを受け入れる自由な社会もある。でもだからといってぽつんとした男の人を見ていたたまれなくなる気持はなくならない。生物として自然な感覚なのだと思う。

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カタカナ: ミネラルウォータ mineral water

 今でこそ水を買うのはめずらしくなくなったが、その昔は蛇口をひねれば出るものをわざわざ買うのは非常に抵抗があった。今でも抵抗がないわけではない。ただのもんを買う、というのはいうなれば夫婦間のセックスが有料になるくらいの衝撃であって、水の売買によって時代の潮流が変わったといっても過言ではないと思う。
 確かに比べると水道水はまずい。知らぬが仏だったと思う。塩素に加えて近年ではトリハロメタンという有害物質も指摘されていて、飲料水を買う人は今後ますます増えるだろう。(私はサミットの提供する無料の天然水を愛用、4リットルのタンク二つ持って週に3往復します、タダなら頑張れる)
 ミネラルとはカルシウムや鉄分、亜鉛などの総称。minera(鉱山)というラテン語から派生している。タンパク質やビタミンと並んで人間に不可欠な栄養素のひとつであり、貝や海藻、レバー、牛乳に多く含まれもっとも摂取が難しいとされているのだが、このミネラル補給にミネラルウォータ、特に硬水が最適なのだという。
 硬水と軟水という言葉をよく聞くが、これはカルシウムとマグネシウムの含有量によって分類されている。100ml中300mg以上なら硬水、100mg以下なら軟水である。日本の水は圧倒的に軟水が多い。硬水に比べるとまろやかで飲みやすく、料理に適している。一方、ヨーロッパはほとんどが硬水である。日本よりも石灰岩が多く、雨水や雪解け水が地中に留まる時間が長いためと言われている。こちらはミネラルが多いぶんきつい口当たりをしているので、料理には向かない。前回(ソテの欄)触れたが、フレンチの調理法、特に焼き方の種類が多いのは「蒸す」や「煮る」に難があるからだ。
 例えばヴォルヴィック(硬度60、日本の水に極めて近い)がカルシウム1mgなのに対して、エヴィアン(硬度290)は8mg、ペリエ(硬度400)は14mg、コントレックス(硬度1550)にいたっては48mgもある。カルシウムが激減する妊婦さんはコントレックスを飲むといいそうだ。マグネシウムには便秘解消の効果もあり、肌の保湿も含めて美人さんたちが水をがぶ飲みしているのは一応理にかなっている。

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2007年07月16日

日記: 雨あがって右足

 長いこと降り続いた雨もようやく止んだ。昨日一昨日と本当に一秒も途切れることなくずうっと降っていて、増水してとぐろを巻く河川を見に行きたいような面倒なような、そんな週末でしたよ。
 さて今日は家人の実家に行ってお稽古。週末に行われる義兄2号の結婚式の余興練習である。私はちょろっとピアノを弾くだけ。冠婚葬祭ピアニスト。蚊に5ヶ所刺されて帰って来た。
 義母に頂いたトマトでトマトソースを拵えた。皮も種も除かずに煮るのがよいようだ。甘みが増すように思う。鶏肉のソテにかけて食べ、残りは明日のパスタ用に保存。かなりの料理好きに響くかしらないが、それはそう響かせるべく書いているためである。
 サッカーも観た。ベトナムの男子たちは目がきらきらしていて好ましかった。四月の新芽みたいな初々しさがある。日本とは歴然とした実力差があったものの。先日の試合を観て、やはり中村と遠藤がもっと貪欲にゴールを狙うべきだ(カカーのように)と思っていたが、今日はそれがきちんと改善されていて、しかも中村の右足というのは見事であった。持ち替えずに打てれば鬼に金棒だ。

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カタカナ: アルバトロス albatross

 アルバトロスとはアホウドリ(信天翁)のことである。体長1m、翼を広げると横幅が2.5mにもなる大きな海鳥で、海面をゆったりと飛翔する姿が有名である。はばたくのは苦手で、ちょうどグライダーのように滑空する。現在では絶滅の危機に瀕して、天然記念物に指定されている。
 なぜアホかというと、陸にあがると鈍重で、たくさん助走をつけないと飛べずにすぐに捕まるので、アホな鳥、ということになったらしい。中国でも他の海鳥が落とした魚を獲って生活していると考えられていたため、天から魚が降ってくるのを信じるお馬鹿さんということで、信天翁、と呼ばれた。ウドの大木なんかもそうだが、人は大きいものを馬鹿にする傾向があるようだ。気の毒ではあるが、ちょっとうすのろに見える気持もわからなくはない。そういえば巨乳は知能が低いみたいな話があったなあ。皆好きなくせになあ。いや、好きだからか。
 それはそうとゴルフでアルバトロスといえば大変な偉業である。これはパーより3打少ない打数で入れること。つまり、ロングホール(5打数がパー)を2打で決めるか、ミドルホール(4打数がパー)をホールインワンするか、ということになる。明らかにショートホール(3打数がパー)のホールインワンより難易度が高い。ものの本によると日本男子ではこの20年に25回という公式記録で、これは野球のノーヒットノーラン(70年間で84回)とほぼ同じ頻度といえよう。
 パーより二打少ないのはイーグル(eagle)、一打少ないのはバーディー(birdie)、と鳥の名前が続くわけだが、これはゴルフボールが鮮やかに飛んでホールインするのを見て「like a birdie!」と誰かが叫んだことに由来している。難易度が上がるにつれて鳥のサイズが大きくなる。ほぼあり得ないが、ロングホールをホールインワンするのはコンドルという。

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2007年07月13日

日記: ばける

 スーパーマーケットのポイントカードが10,000ptになったので、封筒に入った現金1万円を進呈された。100円で1ptだから単純計算すると100万円買い物したことになる。ポイント5倍の日を狙い撃ちして買っているので実際は90万くらいだろうが、それにしてもぎょうさん遣ったもんだ。ここまでじっくりポイントを貯める人もめずらしいのか、店員が「おめでとうございます!」とそこらに響き渡る声で祝辞を述べたのでちょっと恥ずかしかった。やめんかい、皆が見るでないか。
 今日はそのお金でイタリア料理を食べに行った。スプマンテ(フェッラーリ)を飲み、ホウボウ、カツオ、サンマなど。西洋料理は魚介が好みだ。もっと若い頃でもメインで肉をとることはあまりなかった。オードブルとパンとシャンパン、というのが理想の食事だったりする。つまり飲みすけということだな。
 帰宅してアジアカップ。高原はばけた。技術が向上したわけではない。ゴール前で慌てない精神力がついたのだと思う。もう少し言うと、練習でできることを本番でも行える確率がアップしたということ。羽生も橋本も山岸も、練習ならゴールできたはずだし、さすがの柳沢だって練習ならあんな目をひんむくようなシュートミスは犯さないだろう(2006W杯、私もしつこい)。高原はゴールすることは昨日から決まっているという態でシュートしていたが、やはり蹴れば「決まる」という自信あっての冷静さということだろう。別にサッカーに限った話ではない。「決まる」かどうか本人も疑っている限り得点は難しい。

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カタカナ: ソテ sauter

 鶏胸肉のソテ シャンピニョン添え
 スズキのポワレ 葱ソース
 時鮭のムニエル タルタルソース 
 ほろほろ鳥のロティ シャルトルーズ風

 といったように料理名には食材とその調理法が記されていて、私たちはその情報をもとに注文する皿を選ぶわけだが、フランス料理の場合はなにぶん横文字が多いので解読するのが一苦労だ。店員に質問しないことのほうが少ない気がする。食材のヴァリエイションは和食のほうが豊かに感じるが、調理法は圧倒的にフレンチのほうが多い。あるいは厳密に分類されているというべきかもしれない。今回はそのいくつかについて。
 ソテ(sauter)とは「跳ねる」という意味。小さめに切った食材がフライパンの中で跳ねることからその名がついた。つまり鍋をゆすりながら強火で蓋をせずに焼くことを指す。意味合いとしては「炒める」に近いが、通例ではその後ワインやフォン(出汁)などの水分を加えて蓋をして蒸し焼きにする行程までをソテと呼ぶ。
 強火で焼き色をつけるのはリソレ(rissoler)という。表面をコーティングすることで食材の汁を逃がさないする。ローストビーフなんかの時には事前にリソレしたものをオーブンに入れると旨味が逃げないというわけだ。ソテ=リソレ+蒸し焼き、とも言える。
 ではポワレ(poeler)とは何か。大まかに言えばソテと同義だが、蓋をしてゆっくりと加熱する場合に特にポワレと呼ぶ。ソテとは違って「煮込む」といったニュアンスが加わる。しかし実のところそれも昔の話で、一部の老舗店舗を除けばソテとポワレの使い分けがアバウトになっているのが現状のようだ。
 ムニエル(meuniere)とはソテの一種、魚のフィレに小麦粉をまぶしてバターで焼いたものを指す。もともとは「風車小屋の粉挽き職人」のこと。ロティ(roti)は直火あるいはオーブンで焼いた肉を指す。網焼きの場合はグリエ(griller)。ブレゼ(braiser)といって蓋をした鍋ごとオーブンに入れて煮込む調理法もある。

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2007年07月10日

日記: 夢のあとさき

 ちょっといい夢を見た。
 小学校の時に好きだった男子と再会する夢である。
 A君は学校で一番足が速くて、お勉強もできて、女子にはぶっきらぼうで、ちょっといい感じの男子だった。ろくに口をきいたこともないのに私はぼうっとなっていて、遠くからじっとり見つめては「むふ」と胸を躍らせていた。そういう妄想的傾向は今も昔も変わらない。
 だからある時母から「A君ね、家であんたの話ばっかりしてるってお母さんが言ってたわよ、いひひ」と聞かされた時には嬉しくて失神しそうになった。軽く鼻血を垂らしていたかもしれない。12歳の時だ。
 まあしかしだからといって何をするわけでもなく、彼の出場するサッカーの試合をどこか遠くまで応援しに行ってその帰りに「ありがとう」「さようなら」と挨拶したのが唯一の思い出で、あれから20年、会うこともなければ思い出すことさえなかったのに、夢というのは奇妙なものだ。夢の中の彼は体格のいい精悍な顔の青年になっていて、私たちは夜の公園を並んで歩いていた。何を話したのかは覚えていない。
 私は助平なので、起きてすぐに彼の名前を検索した。某有名大学のアメフトのコーチをしていることがわかった。アメフトってところが実にいい。そそる。私は売れないジャズピアニスト。酒乱の夫にDVを受けて人生に嫌気がさしている。そんな二人が偶然街で出会って、再び恋に落ちて、ほっとけないよみたいなことになって……というお話でも書いたら売れるだろうか。昼メロっぽいやつ。

投稿者 shiori : 17:17 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: ビデ bidet

 ヨーロッパのバスルームには相似形の便器が二つ並んでいて、私も初めて見た時、この便座のない小さいほうは何でしょう、と首をひねったものだ。多くの日本人が使い方のわからぬまま足を洗ったり、果物を冷やしたり、中には口をすすいだりした(ぎゃぼ……)人もいたという話だが、まあ習慣の違いとそういうものである。
 ビデは女性の陰部を洗浄する器具のこと。ヨーロッパではウォッシュレットが普及していないため(排泄と洗浄を一カ所で済ませるというのが生理的に受け付けないと聞いたことがある)今も昔もくだんの便器を使用している。ぬるま湯を溜めたビデ便器に用を足す時とは逆向きにまたがって手でぴちゃぴちゃとすすぐ、というのが正式な使い方である。ビデとはフランス語で乗馬用の子馬のこと。馬に乗るようにまたがることからその名がついたのだそうだ。
 郷に入りては郷に従えというのでもちろん私も使った。ビデ用のタオルなんかも用意されていて、衛生面が気になるもののバスタオルと大差ないと思い直してしっかり使った。とても気持よかった。ただ問題は一連の作業にえらく時間がかかること。朝の出がけにあんなことをしている暇はない、と考えるのはウォッシュレットの国、日本人の発想なのだろうか。
 日常的にウォッシュレットを使うようになってまだ10年にも満たないけれど、もうあれなしには暮らせない感じになってしまった。噴射する水に驚いて人の家の便所を水浸しにした日が懐かしい。最近では商業施設なんかにも設置されていて、まあ外で使うことはあまりないけれど、冬場に便座が温かいのはいいですね。
 そういえば不思議に思うことがある。外のウォッシュレットは9割の確率でシャワーの強さが最大になっているのだが、世の人はそんなに強い刺激を欲しているのだろうか。あんなに強う噴いたらもひとつ穴が空いてしまわへんやろか。

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2007年07月07日

日記: 読み逃げ厳禁

 昨晩ジェラール・ドパルドューの映画を観ていて、私も鼻には定評のあるほうだが、この鼻には負けた、と思った。あれに比べたら私のなんか凡庸で退屈の極みである。まあなんといってもシラノ・ド・ベルジュラックを演じた男だからね。彼はマッチョな身体とは裏腹にとても繊細で情感豊かな演技をする。観ていてわくわくする。鼻と関係があるかしらないが、とてもセクシーなのも魅力だ。あんな調子じゃ女がわんさか寄ってきて仕方なかったんじゃないだろうか。家人共々、ドパルドュー贔屓である。
 ミクシィで日記を書いている人が読み逃げの多いことに腹を立て「読み逃げ厳禁」と明記したら確かにコメントは増えたんだけど「へー」という小馬鹿にしたコメントがずらっと並んでいたことに再び腹を立ててついには暴行に及んで逮捕された、という話を聞いた。
 末期的。より厳密に言うと、末期の序章的。なわけだが、ミクシィの「あしあと」機能がある時点で予測可能な事態だったとは思う。立候補者が記名入りの投票を強いるようなもので、てめえ、俺に投票しなかったのかよ、もう絶交だな、と逆切れする人がいても不思議はないということだ。あの機能のおかげでミクシィ加入者は激増したのだろうけど、人知れず振り回されている人も少なくないのでは。
 それにしても「読み逃げ厳禁」だなんてずいぶんさもしい発想である。何か幼少期につらいことでもあったんだろうか。

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カタカナ: テニス tennis

 フランス語にtenir(hold,keep)という動詞があって、命令形はtenez(テネ)となるのだが、18世紀にフランス貴族の間でラケットを使った玉の打ち合いが流行って「tenez!(取って〜!)」と叫びながら興じたことからテニスと呼ばれるようになった。ちなみにラケット(racket)はアラビア語で手の平という意味。
 ウィンブルドンが幅を利かせているのでイギリスの競技だと思っている人が多いようだが、実はテニスはフランス発祥のスポーツである。例えばスコアのゼロをラブというが、あれはゼロのフォルムが卵形なのでl'oeuf(仏語で卵:ルフ)と呼ばれ、英語に訛ってラブと発音されるようになった。
 また「0,15,30,40」という謎のカウントも当時のフランスが60進法を採用していたことに由来している。ならば45のはずだが、quarante-cinq(45)が長くて言いにくいので40になったのだそうだ。両者同点を示すデュース(deuce)も「a deux le jeu(to both is the game):アドュルジュ」が語源である。
 さすが発祥の国だけあってフランスはテニスが盛んだ。ローランギャロスもあるし、四大会で優勝する選手もたくさんいる。テニスプレイヤーの社会的地位みたいなものも日本とはずいぶん違う気がする。日本は腐るほどテニスサークルはあるのにまだまだテニス後進国である。伝統>競技人口ということだろうか。
 私の好きなテニスプレイヤーはナブラチロワ。眼鏡がぐっとくる。

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2007年07月05日

日記: 邪魔が嫌い

 今週は介護週間。祖母のベッド脇に布団を敷いて仲良く寝ている。石臼を挽くようないびきをかくのが彼女のチャームポイント。鼻孔を震わす渾身のいびきである。
 今日は電話と宅配便がやたら多い日でうんざりだった。階段を何往復したかわからない。堺正章の元妻が離婚の原因について「宅配便が多くて気が狂いそうだった」みたいなことを言っていたが、わからないでもない。居留守を使えばいいのだが、あれも何となく息をひそめたりして無意味に疲れるし、あとあと面倒なのでやむなく出ることになる。その都度作業を中断しなければならず、苛々するうちに一日が終わってしまった。
 オフィスに勤める人は皆そうなんだろうけど、電話や来客の応対をしながらものを書いたり考えたり話したりするのって大変だろうなと思う。馴れもあるんだろうか。封書の宛名書きくらいだったらできそうだが、たとえばこんな適当な日記でも邪魔が入ると非常に苛々する。ものすごく身勝手な話だが、やろうと思っていることが阻害されるのが嫌でたまらないんですな。もうそういう奴は子供を産んでさんざん邪魔されて思い通りにならない世の中を思い知ればいい、と思ったり。
 憂さ晴らしに月光の三楽章をがんがん弾いた。これくらい騒々しい曲もそうない。案の定、祖母の小さい目がまんまるになっていた。祖母はピアノのすぐ脇で寝ているのだった。ぼけ老人には多少刺激があったほうがベター。

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カタカナ: ショート short

 野球である。ショートといえばヤクルトの池山とか巨人の川相とか(古いね)、ばしっと飛びついて起き上がりざまにじゃっと投げたり、振り向きざまにジャンプしながら投げたり、派手なパフォーマンスが印象的だ。チームの中でも強肩で機敏な人がつとめる、いわば花形ポジションである。キューバなんかだとショート4番はエース4番よりも評価が高いようだ。
 それでショートはなぜショートなのかという話だが、ショートはショートストップの略である。今でこそショートは二塁と三塁の間、二塁手は一塁と二塁の間を守っているけれど、野球創世期には二塁手は二塁に張り付き、ショートは二塁と投手の間に立って内野ゴロを拾う役目だった。粗悪なバットやボールのせいでぼてぼてのゴロが多かったと予想される。ゆえに短く止める人、ということでショートという名がついた。
 遊撃手、という訳語をつけたのは正岡子規か中馬庚(ベースボールを野球と名付けた人)か諸説あるようだが、いずれにしてもナイスネーミングである。戦況に応じて敵を攻撃したり味方を助けたり、主力から独立して行動する人という意味だ。サッカーでいうところのスイーパー、リベロみたいなものか。まあしかし現在は遊撃手にしてもリベロにしても本来の意味は失われつつあるようだ。
 追記。遊撃戦といえばゲリラ(guerrilla:スペイン語源)のこと。戦線から外れて奇襲や待ち伏せをしかけて敵をかく乱する。毛沢東の農村ゲリラなんかが有名だ。そういえばゲリラライブなんてものがあるけれど、だとすれば彼らは一体何と戦っているんだろうか。謎。

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2007年07月02日

日記: グルテンミート

 テレビで『ダイ・ハード3』をやっていたのでなんとなく最後まで観てしまったのだけど、ああいう映画を観ていていつも感心するのは、あんな事件ひとつも起きていないのに俳優さんはよくその気になってそれっぽく振る舞えるもんだ、ということだ。敵のアジトに侵入しようと銃を構えて緊迫した表情を浮かべているが、あれは嘘だ。本当は敵なんかいないのである。
 それを言うならすべてのドラマはフィクションなのだから、ブルース・ウィリスばかりを馬鹿みたい言っては気の毒だけれど、ああいう類いの映画には気負いというか「これが現実だ!どうする!」とにじり寄る感じがあるのだ。ちょうど肉を模したグルテンミートと同じで、にじり寄るほどリアリティは遠のいていく。「私たちはフィクションですから」と肩の力が抜いていたほうがよほど現実味があったりする。
 むろんそういう可笑しみも含めてアクション映画は嫌いではない。ブルース・ウィリスのこともわりと応援している。

投稿者 shiori : 14:23 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: トング tongs

 確か小学校の低学年の頃だったと思う。社会科の教科書に人々の様々な暮らしを写真で紹介するページがあって、私はそのひとつ、乾物屋(今風にいえばグロッサリー)の光景に目を奪われた。軒先に据えられたショーケースや棚に並んだ瓶の中には干し椎茸、昆布、大豆やなんかが詰まっていて、不機嫌そうなおばちゃんが客の注文を受けて紙の袋に商品を入れている。台の上には秤、彼女の手にはトング。
 刹那、私はこのおばちゃんになりたいと思った。あのトングで、つかんで、つかんで、つかみまくるのだ。家に帰るとさっそく母に「あのつかむやつ買ってお願い」とねだってマイトングを手に入れた。家中のものをつかみまくったのは言うまでもない。至福の時間だった。
 そのトングだが、響きから中国語かと思っていたら語源は英語だった。古英語でtang(はさむ道具)の複数形tanganがtongsと変化したのだそうだ。tong(つかむ)という動詞もある。
 同じく「つかむ、はさむ」道具といえばペンチやニッパがある。でもこちらはホールドしたり切断したりという動作もできるのでトングとは印象が異なる。だいぶ重量感がある。ピンセットのほうがよりトング寄りかもしれない。「つかむ」というよりは「つまむ」だが、あのつまみ出す感触はけっこうぞくぞくする。祖母にはいい迷惑だろうけど、彼女の鼻を見るとピンセットを差し込みたくてたまらなくなる。三つ子の魂百までというか、そういうマインドって変わらないのだな。

投稿者 shiori : 14:22 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年07月01日

日記: リフティング

 YouTubeでマラドーナの画像を観ていて、ふとひらめいてしまった。
 そうだ、リフティングをしよう!
 腿の上げ下げが多いからヒップアップにもなるし、身体のバランスをとるために全身の筋肉をまんべんなく使うし、少なくともブートキャンプよりは愉しいのではないか。
 ということでサッカーボールを買いに行った。本物のボールと空気を入れて膨らます室内用ボールと合わせて2,000円しなかった。家に帰って早速チャレンジ。しかし残念ながら3回と続かない。むきになってやったらお茶をこぼすわ電灯にあたって埃が舞うわパソコンに激突するわ、やはりある程度の技術がないとインドアトレーニングは厳しいことがわかった。
 そこで近所の公園に出かけた。本物のサッカーボールを蹴るのは実に小学生以来である。今日はインフロントキックの練習をした。狙ったところに蹴り返すのが難しい。足首のぶれと軸足の位置の問題ということだ。次回修正して臨みたい。
 しかし気分はもうはっきりいってJリーガーである。初めての楽器を触って音を出す時もかなり感動するけれど、あれと同じような感覚で相当興奮した。どこかの子供に「へたくそな人さようなら〜」と挨拶されて、自分のことだと気付いた時には子供はもうとっくにいなかった。むむ。

投稿者 shiori : 11:55 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: ドレミ DoReMi

 初めて本物のドレミの歌(映画『サウンド・オブ・ミュージック』挿入歌)を聴いた時、外国でもドレミって言うんだとえらく驚いた記憶があるが、実はドレミはラテン語である。
 グレゴリオ聖歌の中に「ドレミの歌」的なものがあって、というのはつまり、フレーズ冒頭の音がCから一音ずつ上がっていくメロディに「どんなときも/レイオフを恐れず/見返りも求めず/ファインプレー/その男の名は……」というような歌詞(例えば、です)の曲だったので、その頭文字をとって音階をドレミファと呼ぼうと決めたのだった。まあいい加減と言えばいい加減である。11cのことだ。
 しかしドレミというのはあくまで音の名であって和音や調を表すことはできないので、音楽の現場で使用するのはクラシックであればツェーデーエーエフというドイツ音階、ポップスなんかだとCDEというアルファベット音階ということになる。ただ、口頭で伝える時はDやEやGは聞き違えることが多いので、確認の意味でレとかソとか言い直すことが多い。
 ハニホヘトという和名の音階もあるが、メインで使用する人はもうほとんどいないのではないか。でも音源や公演プログラムにはいまだに「ピアノ・ソナタ第16番 変ロ長調」と表記することになっているようで、ああ、B♭か、とわかるのに5秒くらいかかる。西暦と元号換算と同じくらい面倒である。
 ところで日本語版「ドレミの歌」だが、訳詩としてはかなり健闘していると思う。原詩では「Doe,a deer,a female deer/Ray,a drop of golden sun」というふうになっているが、日本語には英語のように一音で意味のある言葉が極めて少ない。でもそこを「ドはドーナツのド」とねじ伏せたところがブラボーである。「ソは青いそら」という外し方も憎い。誰が作ったのかと思ったらペギー葉山さんだった。

投稿者 shiori : 11:54 | コメント (0) | トラックバック (0)