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2005年11月29日

日記: 11/29

夜の8時過ぎにインタホーンが鳴ったので、新聞あるいは換気扇フィルターの勧誘かと眉をひそめながら受話器を取ると「明治乳業です、牛乳などを置いておくので飲んで下さい、では」と男の声が言った。まず「など」というのも気になるし、飲んで下さいといってうっかり飲んだらお金を払わされる場合もあるし、昨今は明治乳業の名を語り妙なものを置かれる場合もあるし、確認のためそっと玄関に降りてみた。すると、かちゃかちゃと瓶のぶつかる懐かしい音がする。確かに牛乳屋のようだ。さらにそっとドアを開けてみると、玄関先には牛乳瓶らしきものが4本と紙切れ(説明書きおよび注文書)が置いてあり、首を突き出すとお隣さんの玄関に瓶を並べるおじさんの姿があった。
「これはプレゼントなのですか」と聞くと「そうそう、プレゼント。お試しセット。このマンションとってる人多いし、奥さんもどう?」と言った。「奥さん」という言葉にひっかかりながらも「では飲んでみて検討します」と事務的に答えてドアを閉めようとすると、「あ、そうそう、奥さん」とおじさんが声を張って呼び止めた。「そのコエンザイムってのを飲むと、奥さん20代に戻れるよ、お肌ぴかぴか」
・・・ファック。
それ以前にそもそも牛乳をあまり好まない私が頼むはずがないのだが、世の中色んな人がいるものだと感じ入ったには翌朝、マンションのエントランスホールに「明治乳業の牛乳は飲みませんので、持って帰ってください」とメモが貼られた牛乳瓶が放置されていたのだ。森永なら飲むということなのか、お試しセットの類いは飲まないというのか、いずれにしてもそこには殺伐とした攻防のようなものがあって、たかが牛乳とは言われないのである。
私は基本的に「ただ」のものは好きではなく、きちんとお金を払って欲しいものを手に入れたいと思うけれど、うちの母なんかのように「あら、嬉しい、どれ飲もうかしら」と風呂上がりにうきうきする人もいるので、明治乳業の無作為サンプル配布戦法はあながち間違いではないのかしれない。とかいっちゃって、これが牛乳ではなくビールなら飛びつくわけで、あたしもどんぶり勘定よねえ。
そういえば昼間、宍戸開が料理番組に出ているのを見た母が
「あら、この人『ごちそうさん!』もやってたし、料理好きなのね」と言った。徹頭徹尾間違いだらけなのだが、彼女が何を勘違いしているがためにこのようなカオス的発言に到っているか、もちろん私は手にとるようにわかる。あまりの平易さ加減に萎えてしまって正す気も起きないほどだ。こういうのって長年一緒に暮らしているからわかる、だとかいう情緒的な話ではなくって、いい加減な人間(特に団塊世代)が陥りやすいステレオタイプな誤謬だと認識しているのだけれど、どうなんでしょう。
ちなみに
・『ごちそうさん!』→正しくは『食いしん坊!万歳』
・「宍戸開」→辰巳啄郎の普通っぽさと松岡修造のスポーツマン特有の精神健康性を好きなように混ぜてこねてちぎった状態

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2005年11月26日

日記: 11/26

ここのところ少々多忙につき睡眠不足が続いていて体調が芳しくないと自覚していたものの、美味しい酒と食事があればそんなものは治ってしまうと信じているし、実のところたいていは治ってしまうのだし、だから昨晩は赤ワインを開けてエスカルゴやら生ハムやらを威勢よく食べたのだ。それが大きな過ちだったと気付いたのは今朝の9時くらいのことで、以来日が暮れるまで再三吐き続けるというどえらい目にあったのだった。確かに昨晩はいつもほど酒が進まなかったし、料理もすべて脂っこく感じたし、そういえばエスカルゴもなんとなく気持ち悪かった、と思い起こしてはまた吐いた。エスカルゴはもう食べられないかもしれない。同じような経緯で、ぶりかまとミートソースが食べられなくなったのだ。そんなふうにして好きな食べ物を喪失していくだなんてなんて殺生な。悲しくなった。
年に一度くらいこういうことが起こる。風邪でも二日酔いでもつわりでもないのに、延々と吐く。下痢をする。熱も出す。もう何も出るもんがねえっすという段になってようやく折り返し地点、完全復調には丸二日はかかるだろうか。いわゆる自家中毒であり、遺伝的なものなので心配には及ばないのだけれど、それにしても吐くのはしんどい。2回目くらいまではまだ余裕があるのだけれど、回数を重ねるごとに吐くものも胃液に近くなるのでしんどさ倍増、絶望的な気分になってくる。死にたい、と明確に思う。しかしいったん吐いてしまうと束の間の幸せと安眠が訪れ、ああ助かったと安堵する。でもそれは文字通り束の間なので、再び便器を抱えながら死にたいと呻くことになる。
「この家には深手の獣がいる・・・」
とミックが呟くので笑ってしまうのだけれど、出ちまうんだよ、「お」に濁音表記の音がよ。用事が山積みの週末だったのに、すべてがおじゃんおじゃんおじゃ〜ん。健康第一。

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2005年11月24日

日記: 11/24

上記の車海老たちを、今度は全身塩炙りで食べた。上記の車海老たちを、今度は天ぷらにして食べるつもりだ。(不敵の笑み)

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2005年11月23日

日記: 11/23

西の遠方よりおがくずに埋もれた車海老たちが届く。胴体は刺身で、頭は塩炙りで食べた。両拳を天高く突き上げたのちに、阿波踊りで食卓を一周。

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2005年11月22日

日記: 11/22

現在使用中の眼鏡は11才の時に作ったもので様々な苦境を共に乗り越えてきた戦友なのだが、これがひどく見映えの悪い奴で装着した私の顔ときたら。こんな顔をお見せするくらいならいっそ股を開いてしまった方が、と思いつめてしまうほどのブサイク眼鏡なのである。実際の話、私の眼鏡ルックを目撃した人々は百発百中腹を抱えた。そんなギャグ、そうそう言えるものではない。でも私はギャグのために生きているわけではないし、年中玉がぼろりと外れて手元もぼやけるようなボロ眼鏡に愛着を抱く筋合いはないとはたと気付いて、あっさりと買い替えることにした。
ポール・スミスのフレームにプラスチックのわん曲防止レンズ、視力もばっちり矯正してうきうき、だれかれとなく股を開いてちゃこちらの身が持ちませんわおほほ、私は生まれかわるのよ〜ん、ではお会計はこちらになります、と提示された数字は、\82,000 だった。(絶叫)
あまりの衝撃に、一日ひっそりと過ごして早めに床につく。

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2005年11月20日

日記: 11/20

みなとみらいで激辛麻婆豆腐。高橋選手の勇姿に感動したんだけれど、走行後に自己啓発系演説をするなんてやはりセンスがどうかしてる、と所感を述べるとミックが「そもそもセンスが悪くないとマラソンで金なんかとれませんよ」ともっともなことを言ったので納得した。ダーツに興じる。その下手さ加減ときたら目玉ぼ〜んなのだが、めくら滅法に投てきしても絶対に負けない不思議な力が、私には、あるの。

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2005年11月16日

日記: 11/16

めっきり冷え込んでしまい、こんなことでは年明け以降の大寒を迎え撃つ衣服がなくなってしまうと不安になり、新たな防寒グッズを買い揃えることにした。その名も『フレームレス防寒耳カバー EARLUX』、読んで字の通りなのだが、左右別々の小さなシャワーキャップ(うさぎの毛製)のようなものを耳にひっかけてそん中に耳を押し込むという代物。耳というのは実に不思議で、最近はとんと見かけないがその昔鉛筆をはさむ小売店のおじさんがよくいたように、ものをひっかけても意外に落ちないし、軟骨という特性上しっかりしているのにぐにゃぐにゃ曲げても痛くないという点を大いに生かしたグッズなのだ。
確かに見目が麗しいわけではないが見苦しいということもなく、手軽なうえに自転車を漕ぐ時のあのちぎれそうな痛みは十分に回避できるし、なかなかの優れものだと思う。三越の通信販売で買いました。
それにしても年を重ねるにつれて寒さがこたえるようになってきた。例えば、おととしまでは家では靴下いらずだったのに今は二枚くらい重ねたい感じだし、シャツはしっかりズボンの中におさめたい。外出の際にはパンツも重ねたい。というよりもまずうかつに外に出たくない。布団から出たくない。むしろとっとと死んでしまいたい。
と欲望をあらわにして祖母のように一日寝て暮らすのも悪くはないが、社会人のはしくれとしてはそういうわけにもいかないので様々なものを重ねに重ねてなんとか耐えている現状、ああ、夏が恋しい。
さて、くだんの液晶テレビだが、無事に設置も終わり(配送の人は当たり前のようにリビングまで運び上げてくれたLOVE)予想以上の高画質大画面に歓声のあがる毎日だ。とはいえ液晶で地上波を観るとおぞましく汚いので、常にデジタルで観たいのだがそうなるとリモコンを2つ携えて計10回くらいボタンを押さないと『元祖でぶや』には辿り着かないし、WOWOWでクイーン+ポール・ロジャースライブを観たいなら15回は押さないと「LOVE OF MY LIFE」は聴けない。諸々の設定上仕方のないことらしいのだが、便利さがまた別の不便さを生むのだなあと思った。
それにしても、ポール・ロジャースはテラオアキラ(ルビーの)に感じが似ていたなあ。だからどうというわけでもないんだけど。

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2005年11月13日

日記: 11/13

少し前から祖母のテレビが壊れていて、画面は常時パープル、輪郭はぼやけ6chは映らない状態、でも本人が壊れたのに気付いていないので放っておいたところ、アナウンサーを指差して「あれはお餅かな?」とかボクシングの試合を見て「もうすぐ春じゃあなあ」とか変なことを言うようになった。テレビのせいばかりではないのは百も承知だが、ここはいっちょ買い替えてやろうかという話になり、ビックカメラに。
ひいきなわけではなくむしろ店員に好印象を抱いたことは一度だってないのに電化製品のほとんどをここで購入するのは、ポイント還元の連鎖にはまって今さら他店舗に行く気がしないからだ。だって冷蔵庫なんかを買おうものなら掃除機がついてくるなんてすごい、と素直に感心する私は上客♪
というのはさておき、いざテレビ売場に行ってみると、今や液晶テレビしか売ってない!しかもサイズの大きいものばかり!今や市井の人々はこんなに富んでいるのか!
と3回驚いてしまった。6畳でも40インチ画面が観られます、などと推奨されていたが、そんなことする人が本当にいるのだろうか。下着だけゴージャスな女とか学歴だけ立派な男とかを連想しながら40インチコーナーをあとにした。
うちは32インチでじゅうぶんですでもこんなものをおばあちゃんに買い与える必要はないわよだって豚に真珠スペインでは豚にマーガレットと言うらしいわよとにかくリビングのテレビをおばあちゃんの部屋に置いて私たちが液晶テレビを使いましょうよ、あ、もちろんおばあちゃんの貯金から買うに決まってるじゃないそれくらいかまやしないってだってうんこの世話してるんだも〜ん
ということで明らかに画像が綺麗だったSONY BRAVIAという商品を買った。配送の手続きの段になって、壊れた祖母のテレビの回収代が3000円、これは仕方ないにしてもテレビの設置には2000円ビデオデッキ等の接続は一台につき1000円、などとあこぎなことを次々言われたので「自分でやります」と即答した。「でも住居スペースが二階なので運んでもらえますよね?」と聞くと「階段は上れません」とほざく。「だって回収するテレビは二階にあるんですよ」と言えば「その場合は上ります」と言った。「じゃあ何ですか、玄関に新しいテレビを置いたまま手ぶらで階段を上ってテレビを回収するんですか、まあいじわる」とにじり寄ると「・・・ということになりますでしょうか、でも2000円で階段も上るし設置もしますよ?」と食い下がる店員であった。
私はそういうマニュアル通りのケチケチな感じが大嫌いでむかっとしてしまう。割り勘の時に一円単位まで割る感じというのだろうか。だいたいあんたの店で20万以上買い物してんだぞ階段ぐらい上れおらおら、と思うのだけれど、ビックカメラと配送会社が別会社なので妙な融通を利かせると面倒くさいことになるのだろう、でもそれはそっちの都合だろうに、ぶつぶつ。
「玄関にものをいっぱい並べてテレビをおけないようにしとけば上げてくれるんじゃない?」と父は言い「身体が悪くて持てないことにしたら?」と母は言い、私も配送業者に直接アピールする方向で合意した。
というようにビックカメラのサービスにはいささか問題があるのだが、購入したテレビに関して言えば他店舗より少なくとも4万は安く買えてしまった。私のようにサービスより安値を取る人が多いから、こんなにせせこましい社会なんだろうなあ、結局のところ。
何はともあれ、液晶テレビが楽しみです。

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2005年11月11日

日記: 11/11

恵比寿に念願のフレンチを食べに行く。
ここのところしわくちゃのばあさんいじりに忙しくて都内のおしゃれエリアから遠ざかっていたので、道ゆくおしゃれで美人な女子たちや横文字の看板に胸が高鳴った。フォアグラのソテー、リ・ド・ボー(仔牛胸腺肉)セップ茸添え、いいだこのトマトソース煮、野菜のポトフなど。パンがライ麦パンだったことやソースの残っている皿をさっさと下げようとしたりワインサーブがのろまなのが気にくわなかったけれど、味はまあまあ美味しかった。生のセップ茸を食べたのは初めてだったがあれはいいですね。苦味と香りが豊かでポルチーニ茸よりも野性的な感じ、ブルゴーニュの白とよく合ってぱくぱく食べながら、私はやっぱりフレンチが好きだなあとしみじみ思った。誕生祝いとかですっかりご馳走になり、ほくほく顔。

その後ミックと合流して、知人とその会社の仲間たちの飲み会に飛び入り参加する。指定された店は人形町のバーだったが、内実ははじっこにカラオケの機械が置いてあって女の人がお酒を注いでくれるような店で、周りには接待の団体なんかもいてきょろきょろしっぱなしだった。
不特定多数の前で歌を歌うのはライブぐらいだと思っていたけれど、こういう状況もあり得るわけで、そういえばその昔カラオケボックスがあまり普及していなかった時代に歌舞伎町のカラオケスナックで松田聖子を歌ったのを思い出した(渋カジ全盛期につきポロシャツの襟を立てながら・恥)。
観察しているとどの団体にも頻繁に歌う人がいて、彼に対して便宜的に拍手とかけ声を送る人々がいて、その合間にウイスキーを飲んだりしてウゾームゾー、しかし接待というのはずいぶんな苦行のように見えるけれど実は想像力いらずのロールプレイなので案外楽かもしれないとも思った。
そこは中国人の経営する店で自家製紹興酒がとても美味、ぐいぐい飲むうちにふと気付いたら隣の団体と合体した飲み会になっていた。「ボーナスの査定に関わる重要な接待なので力を貸してほしい」と青年が懇願するので「センム」と呼ばれるおじさんの歌に「センムフォ〜」とか「ばっちこ〜い」とか振り付きで連発するミックと私であった。けっこう盛り上がり、HGはすごいと改めて思った。
さんざ飲んだのに、知人がこれまたご馳走してくれて今日はなんだか申し訳ない日だった。今度お礼をしなくては。帰宅したら午前3時、明日は1000%二日酔いフォ〜

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2005年11月10日

日記: 11/10

夕方ふと気がつくと、救急車やら消防車やらのサイレンがけたたましく響いていたが私の家は消防署の向かいにあるのでめずらしくもなんともなく、冬になると火事が増えるんだなと0.5秒くらい思っただけでやり過ごしていたのだけれど、買い物から帰った母が「大倉山の駅前に消防車が8台も止まっていたけど火事かしら、行って見てらっしゃい」と言うので、のこのこ見に行くことにした。
すると確かにおかしなことになっていて、綱島街道を菊名から日吉方面に列をなして歩く人多数、駅前に折れる道は車両通行止め、そこらかしこに警官が出動していて騒然とした雰囲気である。駅前には消防車やら救急車やらが連なっていて、通行人は立ち止まって不安そうに様子を窺っている。少しどきどきしながら駅の人だかりをかきわけて構内に入っていくと、人身事故があったので東横線の運転を見合わせている旨のテロップが流れていた。
な〜んだ、と拍子抜けしたのは私だけではないと思うのだけれど、ではなぜ消防車が?と疑問を持つのも私だけではないはずで、そのへんの人をつかまえて質問してみたが誰もその訳を知らないようだった。
折りしも通勤帰りの時間だったので皆疲れて苛立っている様子で、携帯片手に自分がいかに大変な目にあっているかを声高に訴えていた。「死にたいなら迷惑かけずに死ね」と文句を言う人もいた。眺めていても何も起こらず退屈になったので引き揚げてしまったけれど、結局東横線は3時間近く止まっていたらしい。おおごとである。
それにしても最近飛び込み自殺があまりにも多く、毎日どこかの電車が止まっている気がする。被害が大きいので遺族が多額の賠償金を払わされると聞いたことがあるのだが、実はわりと最近知り合いが飛び込み自殺をして多くの哀しみと謎と借金を残して逝ってしまったのだけれど、賠償金の話は聞かなかった。あるいは路線によるのだろうか。JRは賠償させられるけれど、京浜急行はさせられないとか。ありえそうでちょっと恐い。
帰宅して状況報告後「自殺の方法として飛び込み自殺はどうなんだろうか」と尋ねると、祖母が「はやく見つけてほしい人がするんよ、見つかりとうなかったら樹海にでも行くじゃろ?」と興味深いことを言っていた。なるほど。

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2005年11月03日

日記: 11/3

散歩がないぶん犬より楽かと思いきや実はそうでもない、というのはもちろん祖母の話なのだが、最近特に煩わしいのは彼女の偏食癖である。
好きなものが圧倒的に少ないし、嫌いなものは絶対に食べない。餓死しても結構ですといわんばかりに箸もつけない。せっかく時間をかけて作ったのに、などと考え始めるとろくなことにならないので、ここはひとつ「もうすぐ死ぬんだし」とおもんぱかって(なかなか死なないけど)わがままを受け入れて好物ばかりを食卓に並べる。すると、
「あたしは好き嫌いはいっこもないのよ、何でも食べる、何でも美味しい」
と誇らしげに叫んでもりもり食べる。
(おめえの好物しか出してねえんだよ)
とつっこみたいのはやまやまだが、もうすぐ死ぬので大目に見ている(なかなか死なないけど)。
では、具体的にどういう食卓かといえば、

カレーうどん、焼鳥、焼そば、鶏の唐揚げ、焼き芋、たこ焼き、海老の天ぷら、おにぎり、いちじく、カレーうどん、焼鳥、焼そば・・・

というメビウスの輪をなぞることになる。それにしてもずいぶんヤングな味覚、私だって嫌いじゃないけれど焼き芋やおにぎりで夕食を済ますのは意にそぐわない(そんなもので酒が飲めるかぼけ)、でも2種類の食卓を用意するほど暇ではないので私も一緒にメビウスの輪をぐるぐるぐるぐる・・・
来週は街にフレンチを食べに行くと決めた。

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2005年11月01日

日記: 11/1

思わず顔もほころぶような上天気に誘われて、浅草に洋服を買いに行く。
知り合いの経営する店なのでまけにまけてもらえるのがよい。着るのに少し勇気のいるのとか、同じようなものを持っていた気のするのとかを買った。あまりにも安いとたいして欲しくないものまで買って、結局着なかったりして、そういうのをシビアにいけばよいのにいざとなるとどうでもよくなってしまう。これはもう不治の病のようなものだと思う。
料理を作っていてもそうだ。調味料を入れる段になって細かい調整が面倒になってやっつけてしまう。だから私の料理はあまり美味しくない。あなたとどうこうなりたいわけじゃないんですけど、という男性とへちゃもちゃ言っているうちにこれまたどうでもよくなって・・・こともある。だから不快な思い出をかかえることになる。
その程度で済んでいるうちはいいけれど「どうでもよくなっちゃった、死のうかな」などと思う可能性がないわけではないところがこの病の恐ろしいところだ。一見平穏無事な日常でも、実はそこらかしこに暗澹たる穴ぼこが空いていて、いつ落ちても不思議はない。(村上春樹はそのあたりのそら恐ろしさを描くのがとても上手な作家だと思う)だから逆に言えば、どうでもよくならずに生きるのはずいぶん疲れる作業なのだと思う。
例えば、
安物買いの銭失い、と戒めて財布の紐をきつく締め、何度も味見を重ねて適確な調味料を投入、いつも心に貞操帯を!、僕は絶対に死にましぇ〜ん・・・
なんてのは想像するだけでしんどくて窮屈、どうでもよくなってもどうでもいいんじゃないの、というのがどうでもよくなった私の結論。
その後、銀座三越で道草、JOHANで買った明太子フランスパンが美味。

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