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2005年07月30日

日記: 7/30

・現実逃避

本当はやらなきゃいけない、それもけっこう抜き差しならない感じなのにまったく関係のない、それも今あえて読む必要のない漫画を読み始めてしまった。先が気になるから途中で止めることはできず、結局読み終えたら日付が変わっていた。その途端に現実に引き戻されて発作的に焦り、手足やわきの下に奇妙な汗をかいた。おしりの穴もきゅんとした。8月からはこういうことはやめようと誓った。
読了した漫画は
安野モヨコ『ハッピーマニア』全巻
魚喃キリコ『南瓜とマヨネーズ』『strawberry shortcakes』

・ダブルデート

ものすごい美男美女ゴージャスカップルと鰻を食べに行く。
自分(たち)がどれほどちんちくりんかを思い知り、俺には俺の道しかないことを再確認する夕べだった。美女を前にすると自分が女から男に変身していく感じがする。我がセクシュアリティーは一応男に収束しているはずだが、美女に対しては性的興味がわかなくもなく、一方美男にはわかないところが痛快です。美女とはそういう生き物。
鰻は大変美味しかったが、美男美女カップルはとても少食だったのでちんちくりんとしては小腹が減り、帰りに東急デパートで食料品を調達する。
成城のタイ料理屋なんたらのトムヤムクンとフランスパンとトマトやらを買って、家で強いお酒をちびちびなめながらいただいた。

・ビートルズ

カラオケに行ってビートルズの曲をたくさん歌う。いざ歌ってみると地味なメロディーラインに地味な音程。なのに聞くとあんなに華やかなのはなぜだろう、ビートルズの底力を実感した。
『when I'm 64』『michelle』『Oh!darling』『she loves you』
『get back』『back to the U.S.S.R』『Abbey Road B面メドレー』などを歌った。あとは I tried TLC in vain.(including dance)
カラオケは時折行くと本当に楽しい。そしてビートルズも大好きだ。

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2005年07月27日

日記: 7/27

本日の朝日新聞朝刊より

・「シャトル打ち上げ」

あなた、高等教育受けたんだよねえ?といぶかられるほど私の理科系知識は乏しく、宇宙へ飛び立つのがどれほどすごいことなのかはよくわかっていないのだが、それにしても野口さんは立派だと思う。子供三人もいながら重力に逆らって火を吹きながら地球を去っていったし、何しろ小学校一年からの夢を実現させる意志力がすごい。その頃の私の夢はイイダスーパーのレジを打つおばさんだったが、やはり諸々の事情で実現できなかった。
それに野口さんはあんなに狭苦しい箱の中で2週間も缶詰めになっても、平常心を保って仲間に笑顔で接せられるところも偉い。薄毛もチャームポイントになってしまうくらいあっけらかんと陽気で強気でいい。無事に帰ってきて欲しいと思う。
でも日本男児がみんなあんなふうだとつまらないだろうな。ぐじゅぐじゅして発酵しているような言動を眺めるのがおもしろいんだから、野口さんは2、3人いれば満腹だ。

・「トヨタ レクサス発表」

トヤタがBMWやメルセデスと肩を並べる高級車を売り出すという話。
徹頭徹尾高級感にこだわった作りになっていて、ドアの閉まる音もボムッといい塩梅だそうだ。実は先日家の近所でバブリーな博物館のような建築物を見かけたのだが、どうもそれがレクサス販売店だったようだ。大理石の床にイタリア製のソファ、一人一人のおもてなしがうんにゃらと書いてある。
地元民ならではの視点だが、そのあたりは買い物激選区で玉葱10個100円で叩き売りするビッグヨーサン、ダイクマにつるかめランド(どうですかこのネーミング)ジャスコにサイゼリア、ホテルワールドから雅から菊水の間から大奥の間からラブホテルだらけの地区だ。
ホントにレクサスは売れるのか?と疑うのだが、売れるのである。間違いない。フレンチの店は流行らないが、高級車と高級時計は売れる。ここらの人は目に見えないものを節約して目に見えるものをどかんと買うのだ。一億総成金化ですね。
こういうのは本当にげんなりしてくるのだけれど、識字率が100%なのにこの画一的な価値観。兵役に従事すればもれなくロレックスをプレゼント!などとアナウンスしたら案外憲法改正できちゃったりして。おおこわい。

・「マルボロメンソール ウルトラライト発売」

こっそり目を盗んで(誰の?)飲酒時喫煙を続行している私ですが、今の煙草はちょっときついなあとずっと思っていたので朗報です。タール4mgだそうで。
3日で一箱から一週間に一箱にペースダウンしたのだが、開封5日も過ぎればハッカ成分が劣化して煙草自体も湿気てしまうことに気づいたので、ジップロック保存を実践中。

・「スイスで地ビールが人気」

というニュースはどうでもいいのだが、その横に添付してある『ビールとワインの一人あたり年間消費量(単位は?)』という表が気になった。

国   ビール  ワイン
日   54.4    2.8
独   121.5   24.2
仏   34.8    56.0
スイス 55.5    41.8

となっている。この数字からあまりにもたくさんの現象が伺い知れて愉快になってしまうのだけれど、当たり前だがドイツ人はビールを飲みますねえ。確かにミュンヘンで飲んだビールジョッキは片手でうまく持ち上がらないくらい大きいのに、そこらの人はあれをがばがば滝のように流し込んでいて違う動物のようだったしなあ。でもドイツの生ビールは美味しかったです。
では我が酒量を算出してみることにする。一週間にビール2?ワイン2本の計算でいくと、

しおり 100    75

となって平均的日本人の2倍のビールと25倍のワインを飲み、その量は平均的フランス人をゆうに上回るということになる。ぎゃぼ〜(のだめ調)
しかし25人分を代表してワインを飲んでるとなると責任持って飲まないと、と身も引き締まる思いですね。
ちなみにこの資料はスイスアルコール防止研究所のものだそうだ。

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2005年07月23日

日記: 7/23

地震が起きたときにはパソコンを触っていたので、発作的に保存ボタンとシャットダウンボタンをクリックしてパソコンを抱きかかえようとした私・・・自分がパソコンに保存してあるものをどれくらい大切に思っているのかがわかった。ビデオテープがばらばら落下したり、CDが全体的に前のめりになったり、丹下段平のフィギュアが床に転げたりしたが(よく転げて苛々する)、それ以外は無事だったと思いきや、天井裏の配線がおかしくなったのか私の部屋の電灯がつかなくなってしまった。でも応急処置でなんとかなってしまったので、抜本的な工事はずるずると先延ばししそうな予感。業者さんとのやり取りって面倒で嫌いだ。それに謎の価格設定。むこうの言い値を暴力的に払わされている気がする。そういうのを思うとブルーになる。そういうことも含めてわりと大きな地震だった。
エレベーターが5万基も止まった、というニュースを聞いて恐れおののいた。高層ビルの階と階の間に数時間閉じ込められた人もいるらしい。私は強度の高所恐怖と閉所恐怖(おまけにスピード恐怖、兎角にこの世は生きにくい)なので、もし自分だったらと想像するだけで気が遠くなる。普段からよほどのことがない限り高層ビルには上がらないし満員のエレベーターにも乗らないが、ふとした隙をつかれるともわからないので今後はいっさいエレベーターを使用しないことにした。
と声高に宣言したら「へ〜、ご苦労さん」と興味なさそうにあしらわれたが、私、本気です。

とはいえ大地震が来ちゃったらまあ仕方ないよなと観念しているところもある。おそらく多くの日本人がそうなんじゃないかと思うんだけど、欧米人からみるとそれは信じがたい光景のようだ。
「どうして大地震が起こるかもしれないような恐ろしい場所に住み続けるんだ?なぜ今すぐ引っ越さないのか?」
実際先日の津波におびえてあのあたりを引き払った欧米人は多いということだ。
その気持ちもわからないではないが、結局どんなに逃げ回ったところで逃げ切れるわけではない。地震は避けたがテロが起きるかもしれないし、竜巻きはやり過ごしたが肝臓がんにかかり、リストラは回避したものの妻には恋人がいたり、家庭内暴力は治まったが白アリが大発生したり、飛行機は墜落しなかったが勃起不全になったりするかもしれない。不幸と恐怖は常に想像の外からやって来るのだ。
だからこそどこかで観念しなければ生きていけないのだが、どのあたりで諦めるのかという感覚は個人というよりは民族性に依拠するような気がする。その土地の気候風土、歩んできた歴史によって変わるだろうし、日本みたいに災害は多いわ鎖国はするわ原爆は落とされるわ、特有のメンタリティーが形成されて当然でフランス人のそれと異なったとてなんの不思議もない。あちらが「なぜ引っ越さないのかわからない」ように、こちらも津波を理由に引っ越すのはよくわからない。
そのような断絶感ひとつとってみても、民族間の相互理解というのはなかなか難しい問題ですね。生死に対する執着やこだわり方となるとなおさら。という話を始めると長くなるので

夕方からサイクリングがてら買い物へ行く。
サッカーの試合と横浜アリーナのイベントが重なると、新横浜の人口は10倍以上にふくれ上がり大混雑になる。客層、男女比率、ファッション、萌え具合からアリーナのイベントを予想するのが楽しいのだが、今日はktmの文字が書かれたシャツをたくさん見かけたがわからず、わざわざ入口を見に行くとケツメイシだった。ああ菊間さんと酒を飲んでた、という枕詞も本人たちは不服だろうが、残念ながらそれ以上の情報は持ち合わせていない。音楽も聞いたことがないのだが、キッズたちをあれだけたくさん集めるのだから魅力のある人たちなんだろう。
成城石井でベーコンブロックと枝豆と鰻とチーズとトマトを買って帰る。おつまみ中心の手抜き夕食でビールやワインなど。

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2005年07月22日

日記: 7/22

前述の漫画『監督不行届』の中に紙袋を後生大事にとっておくカントクくんの姿が描かれていて、いたく共感した。
何を隠そう、私も紙袋が大好きなのだった。
日本は過剰包装の国、店でものを買えば必ず袋に入れてくれる。客に袋を持たせることで宣伝効果を狙っているから、袋のデザインは趣向を凝らしたものが多い。そのデザインを眺めるのもよし、この袋は何に使おうかと思案するもよし、どの棚に入れようかと迷うもよし。
そう、棚です。我が家はでっかい棚3段を袋入れ専用スペースとして使用している。数えたことはないが1000袋はゆうにあるだろうか。捨てるのがもったいなくて引越しの度にうずんで回っているのだ。買い物するスピードが袋を消費するスピードを常に上回っているので、必然的に袋は増え続けることになる。その棚の整理役を買って出ているのはもちろん私だ。
袋の材質、大小、用途別などにきちんと分類して、把手の方向が揃うように並べていく。私はこういう作業に没頭するタイプなので2時間なんてあっという間だ。そして美しく整列した袋たちを眺めて恍惚のため息をつく。
ハイルヒトラー。
しかし残念なことにそのような秩序は長続きしない。家人(女の方)がすべてのカテゴリーを無視したやり方で袋を突っ込むからだ。それも「だって袋の置き場所はここなんでしょ?」と言わんばかりのふてぶてしさ。「つるつるとがさがさは一緒にしないで!」とこちらの語気も荒くなる。しかしそんな願い虚しく、ある一定期間を経ると棚はカオスに成り果てて、棚を開けると、どさしゅるどさっと袋たちが雪崩のように滑り落ちる。やれやれ、そろそろ出番じゃのう。
というわけで私は3ヶ月に一度のペースで紙袋整理に励んでいる。でもですね、整理しとくと便利なのですよ。古新聞をまとめるならば三越の中サイズ紙袋2枚重ねで、とか、佐々木さんに薩摩揚げのお裾わけならば小サイズの保冷パックを林フルーツの袋に入れて、あ、2段目の右側ね、なんて具合にうっとりする手際の良さである。
でも断じて否定するが整理が好きなわけではない。袋の整理が好きなだけで、洋服ダンスや小物の引き出しなんかは終末感漂う散らかり様だ。
なぜそんなに袋が、とりわけ紙袋に執着するのか、話によれば昔からそうだったらしい。なんでも紙袋を一つ与えておけば一時間は一人で遊んでいたという。紙袋の中にそのへんにある胡椒のびんとかタオルとかを大事そうに入れて、おもむろに立ち上がり袋を抱えて3歩ほど歩んだと思えばまた座り込み、にこにこしながら紙袋の中を覗き込んでものをそっと袋から取り出す、という作業を延々繰り返していたそうだ。
今でこそそういう遊びは卒業したが、魅惑的にふくらんだフォルム、かさこそと鳴る悩ましげな音、心地よく引っ張る重力、中にどんないいもんが入っているんだろうと胸がときめく、その感覚は今でも健在だ。たとえば結婚式の引き出物なんかで立派にふくらんだ紙袋を頂いたひには、中身が気になってしかたない。でもすぐ開けるのも大人気ないのでその場はじっと我慢するが、披露宴と二次会の間には堪えきれずに開けてしまう。また、人の持っている紙袋も気になる。でも何が入っているのか聞くのもぶしつけなのでじっと堪える。詮なくあれこれ想像していると、その人の新たな一面が見えてくるようでちょっとどきどきする。
つまりですね、紙袋には夢が入っているのです☆
夢の器を愛するのは当然ですよ?
そんなわけで私は物心ついて以来せっせと紙袋をため込み、ことあるごとにばっちりの袋を選び出しては喜々として持ち歩いているのだった。
実は『監督不行届』では、黒の洋服にビックカメラの紙袋でキメたカントクくんの図に「紙袋・・・それはおたくのマストアイテム」とコメントされている。そう言われてもぎくっとはするがぴんとは来ないのが本音なのだが、そのあたりがすでに私もおたくなんだろうか。う〜ん。
ちなみに高級スーパー(紀伊国屋とかTHE GARDENとかikariとか)の紙袋は秀逸。頑丈だし、どのサイズも絶妙なフィット感あり。逆にダメなのはデパート(高島屋、東急、そごうなど)。デザインも古いままだし、何せすぐに破れる。把手の持ち心地もあまりよくない。バーニーズの紙袋はデザインはよいがすぐに底が抜けるし、たくさん入れるとフォルムがまずくなる。軽くて小さくて高価な商品用、ブルジョワ使用の紙袋か。

夜は近所にオープンしたばかりの鹿児島黒豚しゃぶしゃぶ屋へ。
まいう〜。しかもオープン記念とかで20%offでさらに機嫌をよくする。最後の、柚子胡椒入り豚スープですするうどんも美味しかった。
他にろくな店がないので、歩いて行ける美味しい店ランキングトップに躍り出た。とはいえ素材を切って出すだけ、コックの腕が不要の店が一位とは・・・
早くこのグルメ偏差値の低い地区を脱出したいものです。

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2005年07月20日

日記: 7/20

友人のSさんからメールアドレスが変わりましたメールが届いたので、彼女と私の関係についてしばらく考える。
友人、とはどういう人物を指すのかなどと徹底的に考え始めたら埒があかないのでここはひとつ「家族恋人仕事関係者以外で、自分に連絡をよこす人」と定義してみると、私は友人、特に女の友人が異常に少ない。携帯電話の着信履歴を見て我ながら愕然とするほどだ。
基本的に食事時にしか人間との接触は望んでいないし、だいたい女子のみで集うのはバチェラーパーティー以外は無益ですよ、と偏屈なことを言っているのがいけないんだけど。こういうのって女子校育ちの反動なんだろうか?だとすると学校選びは慎重に、ですね。
Sさんはそんな私の数少ない友人のひとりである。でも彼女との関係はちょっと変わっていて、

1、仲が良いわけではないし
2、再会はいつも突然に
3、でも要所要所は押さえている

のだった。知り合って十数年経つが、3日おきに会う時もあれば2年会わない時もあり、1時間で別れることもあれば家に泊まりに行くこともある。
「アボカドの美味しい店があるんですよ」とか
「結局やっちゃった?」とか
「やっと埋葬できました」とか
「24が!」とかなんとか、
いつも唐突な電話で会うことになるが、いざ会うと話が盛り上がって仕方ないなんてことはまずない。ぽつりぽつりと植物や景色なんかを眺めながら話すだけだ。でも観たり読んだり食べたりしているものが似通っているので話はよく通じる。彼女はゲージュツカなので自由な価値観を持っているし、変なふうに人に甘えたりしないので、私も安心して自分のことを話せる。
「実は選挙に出ようかと・・・」とか
「あの夜はやはりXさんにパンツを脱がされまして」とか
たとえばですよ、Sさんにはそういうことも話せてしまう。これはなかなか奇特なことだ。それでいて一年くらいは平気で音沙汰ない。それがかえっていいのだと思う。きっとこの先もお互いこれ以上近付く気も遠ざかる気もない線路のレールみたいな関係、そういう友人がいるのもいいものです。
今年に入ってまだ会っていないので、そろそろ連絡してみようかな。

夜になってM葉さんから「K太と飲むんだけど来ない?」とお誘いがあり、暇だったのでほいほいと自由が丘に出かける。
フリーダムの人の近況情報を交換したり、今だから明かせる秘話などを聞かせてもらった。(←気になるでしょ、この言い方、ふふふ)
M葉さんは淀みのない口調で淀みのある話をするところが素敵です。
K太さんは私の家のそばに住んでいることがわかった。近々結婚なさるそうでにこにこしていました。噂に聞く通り、熱い男だったっす。
また誘ってください。

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2005年07月14日

日記: 7/14

夕方から元町バーニーズのバーゲンへ。
この時期の戦略としてありがちなのがバーゲン品とセール対象外の品々を並べて陳列してどさくさにまぎれて買わせようというやつだが、愛するバーニーズはそんなせこい真似はしない。30%offといったら全品30%offなのだ。そこからさらに20%offになるので御来店ください、とハガキをもらったので、わ〜い、3+2=5だから半額?!と喜びいさんで駆けつけて2着ほど購入したのだが、帰り道ふと気づいた。
30%offの20%offは半額じゃない、半額より若干高い?
ちょっと損したようでがっかりしたが、そんな計算もできなくなっている我が頭脳にもっとがっかりした。
昔雑貨屋でアルバイトをしていた時ギャル系の新人女子に
「どうして消費税の計算する時1.05をかけるんですか?」
とベイシックな質問をされたので図を描いてこんこんと説明してあげたら彼女は「わかった!」と膝を打ったものの2時間後には「あれ?10.5をかけるんでしたっけ?」と言い出す始末で、そういう人のためにも電卓の税込ボタンは朗報だったなあと思い出すわけだが、今の私は彼女とたいして変わらないのだった。
夜、寝仕度の途中で祖母に「11+15は?」と聞くと「・・・」と黒目がちにフリーズしたので、ちょっとした優越感にひたることができた。ふっ。
寝支度というのは、目を覚ます、体を起こす、服を脱いでパジャマを着る、トイレをする、歯(5本しかない)を磨く、再び横になる、再び寝る、という一連の作業を指すのだが、へちゃもちゃへちゃもちゃしているのでおそろしく時間がかかる。服を脱ぎながらベッドに転げてみたり、パジャマのボタンをかけながら今し方みた夢の話をしたり、自由奔放である。ようやくすべての支度が整っていざ電気を消す段になると
「ああ、今日は終わった、全部おしまい。明日の太陽は手つかずじゃ、明日はいいことあるかやのう?」
と聞くので「あるある、明日は今日よりもっといい日だよ」と答えると、「ほうかや、じゃ、明日はお迎えが来ようじゃないか」とのことだった。
GOOD DAY GOOD DIE、か。曲が書けそうですね。
安野モヨコさんの『監督不行届』を読んでげらげら笑う。
動揺したカントクくんがワイングラスを激しく回す絵なんか大好きだった。世の中にはカップルの数だけ愛の形があると思うけれど、私の理想は「ホットな愛情とクールなつっこみ」なのでアンノご夫妻の愛の形にはかなり共感できた。

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2005年07月13日

日記: 7/13

出かける前に玄関で「今日は歩き回ることになるかも」と予感したので7センチヒールのサンダルを脱いでスニーカーで足元を固め直したのだが、実に先見の明があったのだった。
京橋に『ヴェラ・ドレイク』を観に行く。
同じ監督の『秘密と嘘』という映画がかなり好みだったので楽しみにしていた。ところが映画館の前は黒山の人だかりで、次回も次々回も満員とのことだった。首都圏各地からいか飯のように丸々肥えて前時代的な化粧をした更年期周辺のおばさんが集結していたのだ、なぜなら今日はレディースデイ(女性は千円で鑑賞可)、生理があがっていてもレディースデー。映画のあとは「おもしろかったわ〜」と差し障りのない感想を言いながら資生堂パーラーか銀座レカンかでケーキをむさぼり、松屋か三越でお惣菜を買ってかえるに違いない、資本主義の地縛霊どもが。
と自分のことはいっさいがっさい棚に上げて悪態をつき、とぼとぼその場を離れた。
小さいことに頑固で自分でも疲れてしまうんだけど、今日は映画を観ると決めていたのでやはり映画を観ることにする。とはいえ銀座界隈には観たい映画がなかったので場所を移動、上映時間ぎりぎりだったので疾風のごとく走った。スニーカーに感謝。

恵比寿で『さよなら、さよならハリウッド!』
あとで勘定してみたらウディ・アレンの作品を観るのはこれで20本目。彼が多作ということもあるが、もっとも本数を観ている監督である。しかし劇場での鑑賞は今回が初めてだった。
いくつか理由があるのだけれど、まず彼の作品はおしなべて短いので1800円が惜しい気がしてしまう。もちろん本も映画も長さと質はまったく関係ないのはわかっているが、85分でエンドロールが流れるとちょっと物足りない。また、基本的には言葉の冴えた群像劇なので画面いっぱいに広がる砂漠とかど迫力の銃撃戦とかは出て来ない。だからまあビデオでもいいかということになってしまう。そして何よりも彼の作品を観ると私はものすごく笑ってしまうので独りの方が気楽だ。こちらも心おきなく笑いたいし、あちらにしたらたいしておもしろくないのに大声で笑う他人てのは感興をそがれるものなのだ。
というわけで、ウディ・アレンの作品はもっぱらビデオ専門と決めてこんでいたが。
I made a mistake! I made a mistake!
というのは『ギター弾きの恋』でショーン・ペンがロンドンコーリングのジャケットよろしくギターを破壊する場面で叫ぶセリフなのだが、そこまで劇的ではないにしろ、わたくし間違えておりました。
当たり前だがウッディーの映画は実に映画然としていて、あの暗闇で息を潜めて画面を見入ると今までは気づかなかった味わいがあるのだった。今回の作品がとてもよかったというのもある。近年観た中では一番だった。
『ヴェラ・ドレイク』から私を締め出したいか飯おばさんたちに少しだけ感謝した。
恵比寿の三越で肉まんと冷麺と焼そばと油揚げを買い(祖母の土産)、麻布十番に移動。やたらとよく歩く日である。
その後の話は次回に続きます。

麻布十番で友人とイタリア料理を食べる。
彼女は最近年上のお金持ちと結婚したばかりなのだが、誕生日にもらったといって数十万のブルガリの時計を見せてくれた。そういうセレブグッズは普段ほとんど目にしないので興味深く拝見する。盤面のふちにぐるりと「ブ・ル・ガ・リ」と彫ってあって、これなら誰にでもブルガリだとわかるので安心ですね。だんなさんとペアウォッチだそうで、惚れ惚れするような財力である。
愛情を形で示せる財力って魅力的だ。相手が本当に喜ぶものを買ってあげられる幸せを私も一度でいいから味わってみたい。
とそこで振り返ってみると、私は「お金持ちになりたい」とか「狂おしいほど金が欲しい」とかいう欲求をもったことがないのに気づいた。これは別にふんだんにお金があるとかいう話ではなく、とはいえ私は月給取りの一人娘なのでお金に苦労したことはないし、就業年齢に達したのちも「実家にあるものは私のもの」というニート街道まっしぐらなので(そういうのはどうなのかという倫理的問題はおいておくとして)お金に困る機会がない程度にお金は持っているということだ。
しかし「お金に困る」とは食パンの耳と賞味期限の過ぎたミルクで3年しのいだという状況に適当な表現だとすると、そういう輩はテレビに出られる時代なわけで、たいていのニッポン人はそもそもは金に困っちゃいない。だから巨大な借金を背負って追われているようなファンタジックな人々は別にして我ら市井の小市民は、ワンランク上の生活がしたいとか、BEING RICHにまつわるあれこれを手に入れたいとか、猛烈に欲しいものがある場合に「お金が欲しいなあ」とつぶやくわけだ。生きるに必要なお金ではなく、あくまで個人の余剰なお金についての話です。
よく地団駄を踏んで泣き叫びモノを欲しがる子供を見かけるが(行かないであなた、とすがるのも、無駄だという点では同じですね)、私自身はそういった野性的な部分が欠落しているようで幼少より一貫して物欲にはクールだ。
これは助かる。例外的に欲しがるものは本とCDだが、貴金属を欲しがるのとはわけが違う。ブルガリの時計より『エロイカ』全巻の方が喜ぶなんて我ながら安上がりな女である。
また組織に属していないとよくも悪くも「平均」を意識する必要がないから「わたくしに何か問題でも?」と唯我独尊になる傾向がある。私も同じ年頃の女子と毎日顔を合わせていれば、化粧品やら洋服やら生活スタイルやらの向上に励み散財していたかもしれない。同僚が自分より給料やボーナスが多いことに嫉妬していたかもしれない。自分にはそういういやらしいところがあるから「お金持ちになってやる」と息巻いていたような気がする。幸いにも今の生活はそういった「格差」を意識したお金の使い方をしなくて済んでいる。(まあ定収入がない不安というのも相当なんですけど)
それにしても物欲と収入は鶏と卵だなあと思うのだけれど、私の収入が少ないから自己防衛的にモノを欲しがらないのか、モノを欲しがらない生活をしているから応じて収入が少ないのか、そのあたりはよくわからない。ブランドグッズ大好きだったら風俗で働いてがっぽりだったかもしれないし、宝くじがあたっていたら全身ブルガリ(?)だったかもしれない。人の一生なんて偶然によっていくらでも豹変しますねえ。おもしろい。
とそんなことを考えながら、カキだとかホワイトアスパラだとかを頂いた。トカイという美味しい白ワインを飲んで満足する。その後もカフェで飲んだりして少し度を過ぎたらしく、東横線の特急と各駅を乗り違えてずいぶん遠くまで行ってしまった。いつまでたっても目的地に着かなくて桃鉄のなんたらカードで邪魔されている気分だった。

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2005年07月11日

日記: 7/11

私のステップ(台を使ったエアロビクス)のT先生は多忙な人で、年に3、4回は海外のコンベンションに出かける。赴く場所は実に多彩で、ロサンジェルス、上海、ブエノスアイレス、モスクワ、先日はイスラエルにまで行ったらしい。なんでも中東はフィットネスが盛んで女性もあの黒い装束を脱ぎ捨ててナイキのウエアに身を包みエアロビクスに興じるのだそうだ。日々報道されるデインジャラスな雰囲気とにわかに合致しないのだが、戦争と健康は別腹ということなのだろうか。
というのはさておき、本日の話題はT先生のアシスタントについてである。T先生はインストラクターを育成するワークショップを開催したりビデオを発売したり、と日本のフィットネス界では有名な人なのでアシスタントなる人を抱えている。T先生の留守中には彼女がレッスンの代講にやって来る。
私と同じ年くらいの快活な彼女は教え方も上手だし、ステップの動きもなかなかセンスがいい。常にちょっとハイレベルの動きを強要するので、こっちも必死になってついていこうとがんばる。結果として充実感と満足感が得られる。何でもそうだが、育成のポイントは精確な目標設定に尽きますね。
ところが一つだけ問題がある。
動きが完成して最後に通してみましょうという段にかかる、いわばキメの音楽が問題なのである。普段はそのへんの適当なポップスなので聞き流しているが、そうやって油断していると痛い目に遭う。だしぬけに『ファイナルカウントダウン』がかかることもあるからだ。(数年前ここに書きましたね)そうなると「ん〜ぱららっぱ〜ぱらぱらら」に合わせて踊らなくてはいけない。笑ってしまってどうにもならないけれど、百歩譲ってこの曲を選ばんとする意味は理解できる。威勢がいいから踊りやすいのだ。
しかし今日、そのアシスタントがチョイスした音楽はこともあろうに『デスペラード ユーロビート版』なのだった。デスペラードですよ、哀愁溢れる男のバラードですよ。ちなみにエアロビクス使用の音楽は必ず16分表打ちのバスドラが入っている。あの名曲がどんな具合になるかというと、

「どどどどデ〜どどスペラアドどどど」

となってドン・ヘンリーも椅子から転げ落ちたという話だ。さらにBPMをいじっているので必要以上に声が高い。いわゆる昭和ラジオ声ってやつだ。
しかもである。そのアシスタントときたらやたらとかけ声を発するのだ。ライブなんかでかっこいい演奏をすると「ヒュ〜」とか「イエイ」とかかけ声をかける、まあ基本的にそれと同じなのだけどエアロビクスのはどうも恥ずかしくていけない。かけ声を意訳すると「あんた、かっこいいぜ」ではなく「アタシ、ていうかアタシたちイケてる?みたいな」となるわけで、そういう盲目的な一人称の世界に自分も組み込まれてるのかと思うとぞっとするのだがそんな思いは虚しく、アシスタントは幾度となく雄叫びをあげるのだった。『デスペラード』と雄叫びが出逢うと(まさに未知との遭遇だ)どんな塩梅かというと、

「どどどどデ〜どどスペラ〜ドFU〜U」(最後はしゃくる)

いや、正確にいえばその「FU〜U」に応じてそこらかしこの生徒たちが「FU〜U」としゃくり返すものだから

「どどFU〜Uデ〜どどスペラFU〜FU〜FU〜FU〜」(いちいちしゃくる)

となって平井堅もうっかりカミングアウトしてしまったという話だ。(何を?)
ともかくですね、踊れたもんじゃないです。頭がショートしてせっかく覚えた動きもすべてとんでしまった。汗をふくふりをしながら、タオルを顔に押し付けて痙攣笑いが治まるのを待つ羽目にあった。
選曲はともかくT先生はへんちくりんなかけ声をかけたりしないクールな感じなのに、そのあたりはのびのび教育なのだろうか。先生だからとはいえ「あなたのかけ声、寒いわよ」とはなかなか言いにくいものなんだろう。「口くさいよ?」と同じくらい難しいのかもしれない。
T先生とアシスタントの無言の攻防をあれこれ想像するうちに、今日のレッスンは終わった。ふう、疲れた。

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2005年07月09日

日記: 7/9

久々に都心でも散歩しようと意気込んで四ッ谷まで。
私は中高が麹町だったのであのあたりの地理に明るい。どこを歩こうかと楽しみにして駅を降りたら、唐突にざんざん降りだった。しかもかなり寒い。
散策はあきらめてイグナチオ教会を冷やかしに行く。建て替えて美しくなっていた。光が丸く回りこむような設計でどの席からも祭壇と十字架がよく見える。神様は平等ですよと囁やかれているような感じだった。
この教会と関口の東京カテドラル聖マリア教会はカトリックの総本山とも言われる教会なので、ミサをあずかりに多くの人が訪れる。日曜日などは5、6回ミサを行っているそうだ。私はクリスチャンではないけれど、礼拝というのは不思議と心がしんとして背筋がのびる気がする。そういうものを基盤にすえて生活する人たちが自分とかけ離れた存在とは思わない。むしろ生きる上での苦悩や憂鬱や不安をそういう形で取り除いていこうと考えるのは自然なことだと感じる。宗教であれ、非宗教であれ、人間が真摯なまなざしで何かを見つめている風景というのは勉強になる。

傘をさしてびしょびしょ濡れながら、紀尾井町のオーバカナルへ。
世の中でインチキカフェが多い中、ここは正真正銘のカフェだ。自家製パンと飲み物の美味しいことがその理由だ。場所柄外国人や芸能人や自分をヒップだと思う人々が多く集うけれど(女子の美人偏差値はかなり高い)そういう人を重宝がる感じもなく、誰でもが気兼ねなく楽しめる雰囲気がいい。それでいて店のレベルも落とさない。偉いと思う。
今日はやたらと寒いのでハイネケンを2杯飲んだあと、オニオングラタンスープとバンショー(ホット赤ワイン)を飲んだ。体があったまったのでグラスワインをさらに2杯飲む。フランスパンをほじほじしながらワインを飲むのは、パンとワイン好きにはたまらない至福なのだった。エシレの塩入りバターでもあれば昇天ですね。
ほろ酔いで家に帰り『24』の続きを観る。
もう何でもありというか、その場しのぎに脚本を考えているのがバレバレだ。実はこれは全部ジャックの夢だったとか、ジャックは実はA.I.だったとか、これは全部実話ですとか、それくらい何でもありの世界だ。とかいいつつ気になって観たくなるのがすごいですけど。今度のシーズン4は今まで一番の傑作だという話だが、うっかり信じそうな自分がいてちょっと恐い。きっと観てしまう気がする。なんか髪の毛のカラーリング地獄と似ている。

メルセデスの話ばかりしていたせいか、出かけるとメルセデスばかり目で追っている気がするのだが、今やメルセデスって大衆車なんですね!綱島のジャスコの駐車場にもばんばん止まっていてあたしゃ驚きましたよ。綱島のジャスコですよ?よく知らないけど、あの車高いんですよね?ベンツに乗ってタイムサービス、って自己矛盾をきたさないのでしょうか。
メルセデスは「名を存じていますがあっしにはとても・・・」という代物だという認識がどうやら間違っていたようだ。10年前とはいえアナクロでしたね、私の文章は。反省します。
もしかすると、皆さんの中にもメルセデスオーナーがいらっしゃるのでは?
名乗り出て下されば私の羨望を心の限り述べさせて頂きましょう。
でももしあなたが輝かしい富をあからさまにするのをためらう控えめな方ならば、どうかこっそり私をドライブに誘ってください。リモコンキーの感度を自慢したって構わないわ。山道を飛ばして、海の見えるあの丘で吉兆の特上幕の内弁当を頂きましょう。(費用はあなたもちで。なんといってもメルセデスをお持ちなんですから)メルセデスをしのぐほどの輝きを放つあなたにうっとりしてしまう私をお許しください。しなだれたら優しく肩を抱いてくださるかしら。私、決めたわ。今夜はあなたを奥さまのところには帰さない。むぎゅ。
メルセデスはそういう車のはずなんですがね・・・

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2005年07月08日

日記: 7/8

メルセデス初体験は荷物入れに膝を抱えて乗るという貧乏人のカルマを体現したようなドライブだったわけだが、その一週間後私はまたしてもメルセデスヒッチハイクに成功したのだった。しかも今回は後部座席。どうだ。
その日私は午後の便でインスブルックからパリへ向かう予定だった。しかし前述したように、チロルは寒村なので交通機関は凍結寸前。早朝と夕方の2本しかバスが運行していない。仕方がないのでタクシーを呼ぼうと村役場まで歩いていると、丘の向こうからメルセデスがやって来るではないか。私は迷うことなく手を挙げた。パブロフの犬である。そして巨大でぴかぴかのメルセデスが私の目の前で音もなく停車した。黒い窓ガラスがするすると下りて男の顔が覗く。
「どこまで行くの?」
高血圧で癇癪もちの工場長といった風体の男が聞いた。
「空港まで行きたいのですが、バスがなくって」と言うと、ちょうど街へ下りるところだから乗せてってやるよとのことだった。もしこれが東京ならばさすがの私をこんな危険な真似はしないが、ここはチロル、牛とだんご汁の村なのだ。それにこのおじさんも悪い人には見えない。ありがたく乗せてもらうことになった。私のサムソナイトをトランクに積んでくれたあと、おじさんはにやりとして言った。
「あんたはラッキーだぜ、俺の車は最高だからな」
その言葉の意味を嫌というほど知ったのは乗って間もなくのことだ。
「この車はメルセデスベンツ。知ってるだろ?」
「イエス、オフコース、ベリークール」
「実は2週間前に買ったばかりなんだ」
車内を見回すと、確かに真新しい感じだ。音も震動もほとんどなく滑るように山道を下っていく。なんでもそのおじさんはメルセデスの部品工場に30年間勤めているそうで、メルセデス貯金をこつこつためて今回晴れて従業員割引で購入したという。
「メルセデスは最高の車だよ、なんといっても俺が部品を作ってるんだからな」
おじさんはがははと笑う。「でも値段が高くてずっと指をくわえて見ているだけだったが、ようやく俺のものになったんだ」とハンドルを愛おしそうに撫でる。なんてったって最新モデルだしな、と後ろを振り返って私に相槌を求める。ワオ〜とかなんとか調子を合わせながら、前を見て運転しろと内心冷や冷やだ。
それからいつ終わるともないメルセデス品評会が始まった。
運転しながらの実演である。窓の開閉がどれくらいスムーズか、エアコンの効きがどれくらい素早いか(わざわざ一度止めて暖めた車内を急冷してみせた、ほんとに)、ラジオの音質チェック、シートのリクライニング具合などなど。むやみにワオ〜を連発する私。いちいち得意げなおじさん。困ったものである。
それが済むと今度はエンジン自慢である。
こんなにスピードが出るんだよ、とアクセルをぐぐっと踏み込む。メルセデスはアルプスの山道を文字通り転がり落ちていく。メーターをちらっとみると200キロ・・・私は軽く目眩がしてシートに沈みこんだ。
それからカーブをどれくらいスムーズに曲がれるかの実験。スピードを落とさずにカーブを曲がる。一瞬車がそのまま横滑りする感覚。これがもしやカーレースなんかのドリフトってやつか。だんだん気分が悪くなってきた。
私の反応も芳しくないし青白い顔でもしていたのだろう、おじさんも後ろを振り返って「ジョーク、ジョーク」と笑ってスピードを落とす。いいから前見て運転しろ。ヒッチハイクを後悔するがあとの祭りである。
窓の外を眺めると、おじさんのスピード自慢のかいあってだいぶ山を下ってきている。店や看板が増えてきてチロルより文明の匂いがする。と同時に車と人の量も増えてきて、信号待ちをするようになった。もう乱暴な運転はできまいと安堵したのも束の間、おじさんは突然空き地に車を止めた。私に車から降りて自分と一緒に来いという。わけもわからず車から10メートルほど離れた場所まで歩かされる私。一体何が・・・?!
神妙な顔で何やら黒いものを握りしめるおじさん。
「かちっ」
「き、聞こえたか?かちって聞こえただろう?」
「イ、イエス」
「こんなに離れていてもカギが開くんだよ!」
・・・こいつ、馬鹿だ。おじさんはリモコンキーの感度を自慢しているのだった。完敗だった。
車に戻った私はもうどうでもよくなり、すると妙にリラックスして鼻歌なんかを自然に口ずさむ雰囲気だ。するとおじさんは急に後ろを振り返って「ビートルズは好きか?」と聞く。(前を向けと念じながら)「好きですよ」と答えると、嬉しそうにビートルズのテープを探している。長かったメルセデス品評会もようやく一段落ついたようだ。本当によかった。
そしてビートルズ。
『GOOD DAY,SUNSHINE』『DRIVE MY CAR』『WHEN I'M 64』・・・
自分のフェイバリットテープに合わせて歌うおじさん。かなりひどい歌だったが、メルセデス品評会に比べれば何でもいい。私も調子に乗って歌い始めた。そして空港に着くまで、おじさんと私は合唱して楽しい時を過ごしたのだった。ようやく到着した空港ロビー、重々お礼をいって握手してお別れ。
とはいかないところがこのおじさんの特徴なのだった。離陸まで時間があるならコーヒーを飲もうというので、私たちはコーヒーを飲んだ。田舎の人の人なつこさ及びあつかましさは全世界共通なのだと感心する。車のこともあるしここは私が、と言うと「それはいけない」とおじさんはコーヒーをご馳走してくれた。基本的にものすごくいい人なのだ。
そして今度こそ本当に別れたあと、おじさんは見送りデッキに立って飛行機が離陸するまで手を振っていてくれた。ちょっとじんとした。そして私は無事にパリへと旅立った。
もう10年前のことだけれど、今でも『GOOD DAY,SUNSHINE』を聴くたびにあのメルセデスおじさんのことを思い出す。今でもあの車に乗っているのだろうか。あの時のように、元気に山道を飛ばしていればいいなと思う。
私は免許を持っていないし車にもあまり興味がないけれどもし車を買うことがあるなら、あのおじさんに感謝の意を表してメルセデスを買おうと思っている。

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2005年07月07日

日記: 7/7

私はメルセデスに2回乗ったことがある。
もはやこのような発言は「私は東横線に2回乗った」と同義になってしまったほど市井の人々が巨万の富を手にする時代なのだとしたら、さらに付け加えよう。
ヒッチハイクで乗ったのです。どうだ。
と威張ったついでに言えば、メルセデスを選ってヒッチハイクをしたわけではない。ヒッチハイクをしたらメルセデスが止まったのである。
あれは今から10年前のオーストリア。イタリア国境に近いインスブルック(昔冬季オリンピックが開催された)からバスで2時間ほど行ったところにチロルという村がある。そうです、チロルチョコのチロル。私はそこの貸別荘に滞在するという好機に恵まれた。何しろ本物のアルプスのお膝元である。景色はあらんばかりに美しく、星空は恐ろしいほど明るい。山の斜面の牧草地には牛が寝転び、その周辺をシェパード犬が駆け回る。色とりどりの花が咲き乱れ、心地よい風が吹き抜ける。最高である。
しかしそれ以外は何もない。とことん何もない。テレビもパブもない。英語の話せる人もいなければ、郵便屋さんも週に2回しか来ない。レストランにはだんご入りスープとアップルパイしか置いてない。でもそういう不便を好んで来ているわけだから滞在客も文句はいわない。
それでチロルで何をするかと言えば読書あるいは山登りだ。日本のちんけな山じゃない、世界のアルプスに登るのだ。と思えば足どりも幾分軽くなるというものだ。ドイツ系の人はとにかく山登りやバックパック旅行が好きなので、こんなへき地でもわりと賑わっている。しかし大柄な白人ばかりで私などはおこちゃまに見えるのだろう、「ヘイ、キッド、ホールドオン!」とはやされたりした。その頃の私はまだシャイで「アイムナットバージン」などと返せなくて今思えば口惜しい。
登頂すると山小屋で白ワインとにんにくスープなどを食べて汗を乾かす。見ず知らずの外人と身ぶり手ぶりで会話を交わす。自分がものすごくスペシャルに感じられて気分がいい。
唯一問題なのはバスの運行時間なのだった。登山口と村を結ぶバスが一日一本しかなく、乗り遅れると街灯もない山道を5時間くらいとぼとぼ歩くことになる。狼が出るとも聞いた。大変である。
それがこともあろうに、ある日その命綱のバスを逃してしまったのである。途中ではちみつ小屋を見学したのが敗因か、うんこにいきたくなって草むらでもそもそしたのが敗因か、とにかく途方に暮れた私たちはとりあえずとぼとぼと山道を下り始めた。日もそろそろ陰り始めてきている。狼の遠吠えも聞こえる(ような気がする)。
30分くらい歩いた頃だろうか、鬱々としていたとき遠くからエンジン音が近付いてきた。私たちは立ち止まって道の先を凝視する。もうトラックだろうがパトカーだろうがヒッチハイクしかない。
次の瞬間、神々しい輝きとともに現れたメルセデス。親指をぶんぶん振り回して合図すると、その車は救世主のように厳かに停車したのだった。
乗っていたのはウィーン在住の4人家族。こういう時に小さい子供がいると本当に安心する。首筋にばっちり墨の入ったお兄さんとかじゃなくてよかった。(びびりながら乗ったと思うけど)しかも彼らは本当にいい人たちで「カモン、カモン」と私たちを招き入れてくれた。ハプニングのときに度量の大きさを示すのが全世界共通かっこいいお父さんなのだ。奥さんも子供たちもにこにこしている。
乗る場所がないので子供たち(バージンじゃないのに私も)は荷物入れに膝を抱えて乗ることになった。小学校低学年の姉と弟は東洋人をみるのが初めてだったらしく、私の顔を穴のあくほど見つめている。二人とも天使みたいにかわいいので東洋人てブサイクでしょ〜と自虐的な気分になったが、相手もたかがチビ助なのでおしくらまんじゅうを仕掛けると歓声を上げながら押し返してきた。そんなふうにじゃれながらチロル村まで送り届けてもらう。
別れ際ハートフルな家族たちは窓から首を突き出して、笑いながら手を振ってくれる。外国で現地の人に優しくしてもらうと涙がにじむほど嬉しいものだ。私たちも車が見えなくなるまで手を振り続けた。
あの男の子は夏休み明けの学校で「僕、ニッポン人を車に乗せたんだぜ」とか自慢しただろうか。していたら嬉しいなと思う。
ところでそういえば、と感慨がこみ上げてきたのはしばらくたってからのことだ。私はメルセデスをヒッチハイクしたのだ。トヨタでも喜んで乗ったけれど、ベンツってとこがさらにいいじゃないですか。
確かに乗り心地は格別だった。というのは嘘で荷物入れはさすがのベンツもたいしたことはなかった。
真価を存分に味わうのはその一週間後のことだが、それはまた次回。

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2005年07月06日

日記: 7/6

親知らずの抜糸のため病院へ。
寅さんのように四角く腫れて黄ばんだ頬もすっかり元通りになり、痛みもほぼおさまった。体内の異物がとれてすっきりした感じがする。ついでに肩凝りとかも直ればいいのにと欲をかいているのだが、そうは問屋が卸すだろうか?
しかし病院というのは実に色んな形状の人が集合していてどきどきする。会計待ちをしているとき、前の人はせむしで右隣の人は両足がなくて左隣の人は顔が真っ黒だった(おそらく肝臓病)。申し訳ないけれど、やはり目が釘付けになってしまう。彼らはこうやって会う人全員の「ぎくっ」と「じろじろ」を背負わなきゃいけないのだから、難病指定の医療保険とか障害者年金とかをじゃんじゃんもらって当然だと思った。五体不満足なうえに貧困にあえぐだなんて、ふて寝ならぬふて死ししてしまいそうだ。
社会の成熟度は弱者に対するサポートシステムの優劣によって測れるそうだが、日本はまだまだだ。アメリカという国は悪いところやキモいところがたくさんあるけれど、その点に関しては本当にすごいなと感心する。
実情は知らないけれど、映画や本で見受ける限り弱者に対する姿勢がずいぶんナチュラルだ。たとえば『ギルバート・グレイプ』(ジュリエット・ルイスっていい女優だと思うんだけど、最近見かけませんね)みたいな嫌味のない障害者ものの映画は日本にはまだしばらく作れないと思う。(いしだ壱成もがんばってたけど生まれ変わってもディカプリオには追いつけないだろう、あのドラマの題名は何でしたっけ?野島しんじの)
アメリカは建国以来色んな差別や格差と戦ってきた経験がモノをいっているのだか、あるいは黒人とかヒスパニックとかアル中とかジャンキーとかエイズとか肥満とか兵役逃れとか被差別因子がてんこ盛りで、誰もがどれかに当てはまってしまい差別が自然淘汰されているのかもしれないですねえ。
そんなことを思いつつ、会計待ちの30分を過ごした。
夜は昨日のリベンジと称して祖母の好物のカレーを用意したら、辛すぎたようで2口食べて残していた。傷つきました。「ババア、おら、食え」とかもやはり言えず、しょんぼりして夜半まで過ごした。

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2005年07月05日

日記: 7/5

幻冬舎から創刊されたパピルスという雑誌を手に取る。
『亡国のイージス』とか『ローレライ』とかを書いた、今話題沸騰の福井晴敏の新作『インベーダー』という読みきり小説を読んでみた。
お笑い要素(あまり笑えない)と科学要素と社会的要素と人情要素がちょこっとずつつまみ食いされていて、安いクッキー缶のような小説だった。深いところで必然に多面的になるのと浅いところで意図的に多面性を演出するのはまったく別の話である。ビールと発泡酒くらい違う。どちらでも構わないんだけど、福井さんにはどちらの凄みも感じられなくて残念だった。頭がよくて器用な人は少し損するのかもしれない。
音楽のヒットチャートを観察していた時代に、日本で売れる曲は色んなジャンルをつまみ食いした小器用で安い歌なんだなあと思っていたけれど、本の世界でも同じなのだった。
本にしても歌にしても、創る方は策士なのだからこの程度餌をつけておけば食いつくと計算している。作家でなければ編集者が、歌手でなければディレクターが勘定している。それなのにカモられていることに気づかずまんまと引っ掛かるヌケサクな購買者ばかりで大丈夫なのかニッポン?オレンジレンジで大丈夫なのか?あいしあって〜けんかし〜て、に感動していいのか青少年?
としばらく悪態をついて過ごした。普段はそんな疑問を口にするのさえ時間の無駄なのでシカトしているが、時々こうやって発作的に文句を言いたくなる。とどのつまり、一人で噴火して一人で鎮火するだけなのだが。
今は好んで一人でいるけれど、バンドはそういう火を噴く感じを言葉にせずに共有できるところがよかったなあと今さらながら思ったりもする。この先もう一度やることはないような気がするけど。
ちなみにパピルス自体は悪い雑誌じゃないです。

今日は梅雨の晴れ間だったので洗濯機を3回まわした。嫌いな家事第2位なので苦痛だった。(一位は料理・・・)全部がタオルのように四角かったら楽なのに、とシャツを恨めしく握りしめた昼下がりだった。
夜は夜で決死の思いでトマトとベーコンのパスタを作ったら、祖母は2口食べただけで残していた。傷つきました。「ババア、おら、食え」とかも言えず、しょんぼりして夜半まで過ごした。

投稿者 shiori : 13:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年07月03日

日記: 7/3

ここのところ家人がみな出払っているため祖母と二人きりの蜜月、二人で繭の中に閉じこもって見つめ合っている感じだ。
何しろ彼女は一日のうちで接する人間は私だけなので、彼女の命は私の手中にある。私がもし飲みに出かけてしまったら彼女は夕飯にありつけないし、私が意地悪したら彼女はずっとうんこまみれで過ごすことになる。子供を産んだことがないので、そういう生きるも殺すも自分次第というぎりぎりの人間関係は新鮮だ。
祖母の世話といっても掃除洗濯、三食の飯炊きに下の世話、時折話相手くらいのことで子なし主婦+αの仕事量なのだが、なにぶん要領が悪く時間がかかってしかたない。近所に買い物に行く以外に外出できないのも痛い。2時間以上一人っきりだと不安になるのか、よろよろ歩き回って危ないのでこちらとしても気になってゆっくりできない。
私は今わりと元気なので自由時間が少ないのを祖母のせいにして苛ついたりぎすぎすしたりはしないけれど、余裕のない時だと自信ない。祖母が困っているのを無視したり、わざときつい言い方をしてしまうかもしれない。
老人の面倒を看ていれば楽しみしていることややりたかったことを犠牲にしなきゃいけない場面は必ずある。育児でも同じだと思うけれど、老人は子供と違って自分が能動的に製造したわけではないのでこちらの包容力や優しさや責任感は激減して当然だ。だいたい老人なんて大人のくせにトイレも自分でできないし、プライドばかり高くて偉そうにするし、全然可愛くない。ましてや旦那の母の介護が楽しくてウキウキするわけもない。
そのかわりお金というマジックパワーが有効だ。無理だと思えば姥捨て山(老人ホーム)に捨てに行けばいいし、ヘルパーさんでも何でも雇って補えばいい。お金がなければ自宅で死なない程度の介護をしておけばいい。そのことは社会的にコレクトだと認識されているし、憂き目に遭っている老人の人権を声高に叫ぶ人も少ない。だいたい相手もぼけてるし早々に死んだりするから捨てられようが虐待されようがうやむやになってしまう。
それでも私は思うんだけれど、人が人に苛ついたり意地悪する場合はその相手が子供であれ老人であれ同僚であれ、加害者の心のダメージは同じなんじゃないか。夜泣きを止めない子供を殴る母親と徘徊する母を柱にくくりつけて蹴る娘は同じくらい苦しいように思う。幼児虐待のように他人から猛烈に非難されることもなく少々の手荒な真似が黙認されていることが、かえって当人の自責の念を駆り立てるような気もする。
ケアマネージャーの人に聞いたのだけど、明らかに家族から疎んじられている老人はけっこう多く、そういう人は一様に怯えたような顔つきでおむつも常に悪臭が漂っているそうだ。
老人ホームにしたところで入居以来一度も家族が見舞いに来ない人などはざらだ。でも毎日入口に座って誰か来るのを待っていたりする。捨てられた人がいるんだから捨てた人はいるわけで、彼らも捨てたことを忘れることはないわけで、そういうのを考えるとたまらなくなる。
介護のダークサイドは私が想像するよりずっと暗澹たるものなんだろう。私も自分の祖母くらいはきちんと面倒をみて、生きててよかったと最後まで思えるようにしてあげたいと思う。

今日はミックが家に遊びに来てくれた。とり肉とカシューナッツの炒めものと海老のチリソースを作って3人で食べる。中華といえば、それとチンジャオロースーが好物ベスト3なのだが、どれにしてもどこかで誰かが作ってくれる料理で自分で調理するものとは思っていなかった。油通しの加減がよくわからなくて85%の出来だったがかなり美味しくて感動した。今度はもっと美味しいはずだ。
昼間、隣の部屋に越して来た住人が挨拶に来た。感じのいい老夫婦だったが、おもむろに男の方が私の顔をみて言った。
「お子さんは何人いらっしゃるんですか?」
「私が子供なんです・・・」
ブユウデンブユウデン、デンデンデデッデンッ、ゥレッツゴウ!
粗品はモロゾフのクッキー小缶。少ないぜ、おっさん!

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