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2007年02月28日

日記: 奇遇

 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070228i307.htm

とあるように、今日この事件の判決が言い渡されたわけだが、そのニュースを見ていた岩見家の面々は口をあんぐりと開けることになった。なんと被告の医師が祖母の主治医だったからである。二週間に一度祖母を診察しに来てくれる先生が時の人だったとは、祖母までがTVを見て「あうあう」と言ったそうな、まったく驚いちゃったんである。
 えげつない言い方をすれば、先生は殺人犯である。しかしまあだからといってどうということもなく、きっぷがよくさっぱりとしていて、困った時にきちんと助けてくれる頼りがいのある医者であることに変わりない。「だったら延命はしないよね」とかえって親族の評判はあがったほどである。
 ただこの一年、先生と看護士のやりとりを耳にする中でなんか妙だと感じることがいくつかあって、それが今回の件で辻褄が合った。やはりどんなケースであっても前科がつくと想像を超えるような困難があるのだろう。よくも悪くもそれが社会であり、また事件の重みなのだと思う。

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カタカナ: アボカド

 世に出回っていても家人が買わないケースもあるので定かではないが、アボカドやパプリカ、チコリ、各種ハーブやなんかの野菜が食卓に並ぶようになったのはここ10年ではないか。最初はマグロの味がすると言われて醤油をつけて食べた記憶がある。すごく美味しかった。森のチーズという異名の通りビタミンEなどの栄養価が高いし、さほど我の強い味ではないので他の食材との相性が良くそのうえ色もお洒落、一時期は品書きにアボカドの文字(温泉卵もね)のない店はないほどの人気だった。
 そもそも熱帯の植物なので日本では育たず98%はメキシコからの輸入である。一個100円とナイスコストパフォーマンスなので、私も最低週に一度は買っている。海老や胡瓜とあえてサラダにするか、玉葱のみじん切りとあわせてディップにするか、スモークサーモンに巻き込んで食べるか、そのままいくか、まあそんなところである。よい食べ方を知る方は是非教えて頂きたい。
 実ばなれがよいところも好きだ。同じ熱帯植物マンゴーなどはそこまで種を守りたいのかと溜息がもれるほど頑固だが、アボカドはまるでマウスの後ろに入ってる玉みたいにぽこっと外れて気分もすっきりする。種のフォルムも完璧な球体に近く、愛らしい。その種を水洗いして土に埋めておけば半年で50センチほどの大きさに育ち、立派な観葉植物として楽しめるというのだから素敵じゃないですか。

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2007年02月26日

日記: チエちゃんと私

 祖母のおむつを替えていたら、ぶほ〜っと身体が浮きそうなくらい大きなおならをしたので、「今、あなた、力強いおならをしましたね」と祖母に迫ると「うん……」と恥ずかしそうに頷く。だから「よっしゃ、あたしも真似しよう」と宣言をしてから、ぶほほほ〜っと百年の恋もさめるような大きな屁をこいてやったら祖母の笑いが止まらなくなって、二人でげらげら笑った。幸せでちょっと泣いた。
 ここ数日かけてばななさんの『チエちゃんと私』という本を読んだ。もう本当に素晴らしいの一言。彼女と同時代を過ごせて幸せだ。一行読み進むごとに世界がぐんぐん深くなって、本を読み終わった時には前の自分はもういないような気になる。筋を追って頁をめくるのが愉しい小説もあるけれど、この本のように立ち止まって言葉の向こう側を旅しながら読むのがいいものもある。
 読み終わって哲学と文学の違いって何だろうとひとしきり考えて、ポイントは例示(instantiation)なのではないかとひらめいたが、本当だろうか。と判然としないことも書けてしまうのはこれが無料ブログだからです。

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カタカナ: アンコール

 袖に引っ込んだ音楽家を拍手でもって再び舞台に呼び込むあれである。encore(再び)という仏語に由来しているが、実はフランスでは「アンコール!」とは言わずにbis(繰り返し)という言葉を使う。ちなみにスタジオでは楽譜の繰り返し記号をビス、小節を繰り返すことをビスすると言う。
 ジャンルを問わず今やアンコールのない演奏会はほとんどない。聴衆側もアンコールはするものだと決めているし、演奏者側もアンコールされるつもりでセットリストを作る。予定調和度でいったら結婚式のスピーチといいとこ勝負である。
 そんなものはやめちまえ、とちょっと前なら吠えていたかしれないが、私も歳をとってぼやきたガールにトーンダウンしていることもあり、予定調和も悪くないと思っている(結婚式のほめほめスピーチも嬉しかった)。ただ、演奏のよくなかった日にはアンコールをしない応えないという意志は持ちたいものである。お互い甘やかしあったところでいいことはない。アンコ−ルは応えないのがクールだの二回以上応えるのは野暮だの色々いう人があるが、本編が良ければなんでもいいようなものだと私は思う、たかがアンコールですからね。
 そういえば8回アンコールに応えた人を見たことがある。ロシアの若いピアニストで、確かにその日の演奏はよかったけれど、3回目くらいから私は飽きてきて、おそらく本人も飽きていて、でも拍手が止まないのでその都度登場して小曲を披露する。また拍手する。登場する。そのうち「また出て来た」という意の失笑が漏れるようになり、彼のほうもやけくそになって馬鹿みたいに速いスピードで10秒ほど弾いては引っ込み、次は5秒になり、最後は「ラ」という一音を叩いて去って行った。会場は爆笑だった。そういうアンコールもある。

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2007年02月24日

日記: おそろ

 二日酔いと寝不足でうすぼんやり過ごす。貧乏と鬱屈みたいなもんで、私の場合ふたつは必ず徒党を組んでやってくる。hand in handというやつだ。頭痛と吐き気と倦怠感の三点セットに加え、思考力と判断力の低下、被害妄想や自信喪失、感情の乱れに性格の悪化など、おまえはもう死んでいると宣告されても仕方のない有様で、まあ今日はそこまでひどくはなかったけれど、たった二本のDVDを選びきれずビデオ屋店内を一時間もうろついたところをみると、やはり不調のようだった。といいつつ晩酌してしまうのはなんでだろ〜
 TSUTAYAでは借りたDVDは把手のついた黒い小袋に入れて渡されるのだけれど、自前の鞄を持っていない時はその小袋をぷらぷらさせて歩くことになる。これが異様に恥ずかしい。やけにファンシィな小袋だからともいえるが、そもそも揃いのものを持たされることにひどく抵抗があって、今すぐおうちに帰りたくなる。バイトで被らされた帽子とか変な店の変な紙袋とか、学生時代であれば制服とかバッジとか、転じてブランドバッグとかストーンズのベロプリントとか。軍国主義への潜在的なレジスタンス、だかなんだか知らないが、とにかくオソロは苦手。日能研のNかばんを見るだけでぞっとする。もちろんペアルックもね!

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カタカナ: エリート

 少々前置きを。見知らぬ言葉に出会えば辞書をひくわけだが、英語の場合だと私はリーダーズ英和辞典(研究社)と新英和大辞典(研究社)を併用している。前者は学生時代から使っている馴染み深いもので(現在は電子版)たいていはこれ一冊で事足りるとても優秀な辞書である。しかし語源を詳しく知りたい時などは後者が必要になる。私はもう学問をしていないのでそういう機会も減ってしまったけれど、言葉の語源をたどるのはおもしろい。
 例えばファンタジー(fantasy)という言葉がある。意味は「とりとめもない想像、気まぐれ、空想的作品」、phantom(幽霊)やphantasm(幻)と同語源だと書かれている。それでphantasmを調べると、それは「輝くこと、現れること、目に見えること」というギリシャ語から派生しているのがわかる。ふむふむ。なんてやっているとあっという間に日が暮れてこの穀潰しなどと罵られるので、お遊びもほどほどにしなくてはいけない。

 それでエリート(elite)である。
 前述の要領で辞典を引くと、古仏語の「選ぶ」という動詞から派生した言葉であり、意は「社会的、知的、職業的に選ばれた者、精鋭」となっているのだが、おもしろいのは(しばしばけなして)と注意書きしてある点である。
 確かに「あいつはエリートだから」というセリフには羨望とやっかみと侮蔑がたっぷり込められていて、親愛の情に満ちた言い方とはいえないだろう。しかし考えてみたら気の毒な話である、人の何倍も能力があって努力もしていて社会の中枢を担う精鋭だというのになぜけなされる、むしろ尊敬してほしいくらいだ、というその発想がさらなるやっかみをあおるので穏やかに密やかに、エリートなのにエリートではないふりをしなくてはいけない。エリートは大変なんである。
 ちなみに東大卒高級官僚である父に「自分をエリートだと思うか」と聞いたところ「僕がエリートでなきゃ誰がエリートなんだ」とにっこり笑ってピースサインをするので、黙ってたらわからないから「E・L・I・T・E」と背中に墨でも入れれば、と助言しておいた。自分をエリートだと公言する時点で、その人はエリートではないという話もある。かくいう私はもちろんエリートではない。

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2007年02月23日

日記: 朝帰り

 いつものメンバの新年会。仕事やバンドや育児や介護で以前ほど容易く集合できなくなった私たちだが、多少無理してでも会いたいというピュアな友情はきっと死ぬまで続く気がする。会ったところで何を話すわけでもなく、チェーンの居酒屋で不味いビールをだらだら飲むだけなんだけど、あの幸福感はちょっとない。話に花が咲いたこともあって、久々に朝まで飲んだ。
 土曜早朝のマクドナルドは若い人で満員、都会の凄みを思い出した。週に数回朝帰りをするような生活は二度とご免だけれど、二十代できちんと遊んで色々な感情を知ったのは無駄ではなかった気がする。酒と煙草でぐだぐだで孤独すぎて自暴自棄なんだけど妙に体力があるので暗い道を延々歩いてしまう感じ、そんなものを味わったほうがいいとは決して思わないが(朝帰りって一回ごとに二週間ほど寿命が縮まる気がする)、知りたくなかったとも思わないのだなあ。

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カタカナ: 『カタカナ☆スナイパー』

 次回より新しいコーナーが始まります。
 題して『カタカナ☆スナイパー』
 世界各国より伝来し今や母語のごとく自然に使われているカタカナ言葉を毎回ひとつ取り上げて、短いエッセイを書きます。多少の客観性は盛り込むつもりですが、語り口としてはいつもの日記の延長です。それに伴い日記本編は若干スリムになりますが、このまま継続します。
 どうぞよろしくお願いします。
 迅速にページの仕様変更を行ってくれたK氏に感謝。

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2007年02月20日

日記: アジャスト

 S氏と面談。今後のことについて貴重な助言を頂いた。物事を進めていくうえで理想と現実のバランスをとるのは大事なことだ。どれだけ気をつけているつもりでも自分の実力を過信して、高すぎるハードルの前でなす術を持たずに途方に暮れていたりする。二十歳ならともかくこの期に及んでそういう無駄な時間は一秒も許されていないのであって、正確な目標設定をし直す意味でも今日のアジャストは有意義だった。色々と耳の痛いことも言われたが、感傷を持て余す暇があれば身体を動かせ、とイチローとかナカタとかが言っていたので私も真似ることにしよう。それはそうと、最近の会社の厳重なセキュリティチェックには驚いた。業種にもよるかしらないが、数年前のワーナーなんて本当に誰でも入れたのにな。
 夜は義兄1号が遊びに来たので、酒と肉とパンでおもてなし。彼が時折「ハルキも言ってた」とか「ハルキも好きだって」とか言うので、まさかとは思ったがやはり彼も熱心なハルキムラカミのファンなのだった。かといってハルキに関して話し合うべきことはないのは義兄と私の関係性ではなくハルキ側の問題なのだと思われる。そのハルキも好きだという『pet sounds』を久しぶりに聴きながら、ビーチ・ボーイズというバンド名は失敗だったよねなどと言い合った。

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2007年02月17日

日記: in season

 今はもう夏野菜も冬野菜もない時代なので、マーケットの野菜棚は一年を通じて大幅に変わることはない。冬でも真っ赤なトマトがあるし、夏でも蕪を食べられる。それでも例えば菜の花だとか空豆だとかいうマイナー野菜はハウス栽培をしないのだろう、この時節にならないと店頭には並ばない。魚でも野菜でも旬のものがいち贅沢だという頭があるので、少々値が張っても食指が動く。そういえば先日太刀魚のソテーを食べたけれど、肉厚で脂がのっていて本当に美味しかった。熟れて甘いトマトが一年中食べられるのも嬉しいが、ある時期だけ味わえる美味があるのはさらに嬉しい。一昔前と価値が逆さになったようである。
 スナップエンドウという春野菜がある。さやごと食べられる肉厚の絹さやなのだが(砂糖さやと表記されていることもある)、甘くてみずみずして私はこれで酒が飲めるくらい好きだ。10本で250円、と野菜のくせにお高いのが玉に瑕だがまあ美味しいので許そう。今日はスナップエンドウとアスパラガスと海老の塩炒めを食べた。うふふ。
 家人の寝言の話ばかりしているが、今日のはすごかった。むふと不敵に笑ったのちにひとつ咳払いをして「GIRL!」と叫んだのである。おそらく英語の「R」発音が本物に近いのは誰?みたいな競争をしていているのだと思う。確かになかなか綺麗な発音ではあったが、36にもなって大丈夫なのかという不安は残る。かくいう私は、十数人を相手に「モナドの概念を実用化したのはニトベイナゾウです」と説明して(意味不明)お土産にもらった茶色の子犬を「どんべえ」と名付けて可愛がる、という夢を見た。どん!と呼ぶとちょこちょこ寄って来て非常に愛らしかった。ちなみに私は同名のカップ麺を食べたことがない。

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2007年02月16日

日記: オイハギ

 確定申告の季節である。私のような業務形態の者にとっては踏ん張りどころ、払い過ぎた税金を是が非でも取り返さなくてはいけない。
 ある仕事を請け負ったとしよう。「ギャラは5並びでお願いします」と言われれば紙に¥55,555と記載して請求をたてる。それなのに実際の送金額は¥50,000、¥5,555が忽然と消えているのである。なぜか。
 お金の運搬中オギヤハギ、ではなくオイハギに遭い、総額の10%をよこせと脅されて差し出してしまったのである。それでもオイハギも人の子、春が近づくと悔悛の心が芽生えるのだろう、お前がどれだけ窮しているのか詳らかに述べればお金を返してやってもよいという。
 それで私は涙ながらに訴える、ああ、どうぞ聞いてやってくださいまし、ステージに立つためにこれだけの服飾代がかかりました、歌詞を考えるためにこれだけの書籍を購入し、執筆するための文房具代がこちら、電気をつけないと字も書けないので光熱費がこんなにかかってしまいました、いえ、今回の作品は大作なんですよ、歌の練習のためにピアノも買いました、歌い過ぎて喉を壊してかかった医療費がこれくらい、嘘じゃありません、ほらこのレシートの山をご覧ください、ね、まったくこんなに経費がかさんでしまって歌なんか歌ったって貧乏するばかりです、見てくださいこのほつれた髪にこけた頬、ああ、旦那様、ここはひとつお金を返してはくれませんか。
 するとオイハギも目に涙をためて、そなたのような貧乏人から金を奪ったりして悪かった、と土下座して¥5,555を返してくれるのである。土下座するわりには財布の紐が固く多めに返してくれるようなことはないが、ケチは死ぬまでケチというので仕方がないのだろう、私も返金を素直に喜んでまた一年がんばろうと思いも新たにしたところで一件落着である。
 くだらない寸劇に飽き飽きして確定申告を怠るとオイハギの一人勝ち、年収が200万円あったとしたら20万円をふいにすることになるので、毎年がんばらなくてはいけないのである。
 前置きが長くなったが、今日はそんなわけで税務署に行ってきた。書類が足りなくて提出できず。相当めげそうになったが、葡萄酒何本分に相当するかをイメトレして再び臨む所存である。

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2007年02月13日

日記: ミミクリン

 祖母の耳がひどく汚れていたので、慌てて掃除するのだけれど、こびりついてしまって普通の耳かきやなんかでは埒が開かない。それで薬局に行って『ミミクリン』という道具を買って来た。
http://www.kobayashi.co.jp/seihin/mmk/index.html
まあこんなものを考案するのは小林製薬しかないのだが、これがまあ取れること取れること、おばあちゃん、す、すごい、と声もうわずり夢中で掃除した。
 可笑しかったのは祖母の様子、普段はびくともしないくせに、耳の穴に綿棒を射し込むとさすがにくすぐったいのだろう、むふんとうなって手足をばたつかせ、身体をよじってもだえるのだが、なにせその動きがのろいのなんの、爆発で吹き飛ばされる人のスローモーションを見ているようだった。それでも気持よかったのでしょう、祖母はとても満足げだった。この一週間泊まり込みで祖母の介護をしていたが、明日ようやく解放される。さっそくどこかへ飲みに行くとしよう。
 またまた映画の話を。『ライフ・イズ・ミラクル』という映画を観た。この監督(『アンダーグラウンド』とか『パパは出張中!』とか)はユーゴスラビアの人で、内戦で憂き目に遭う市民の生活をブラックユーモアたっぷりに描くという作風なのだけれど、なかなか見応えがあっておもしろい。
 今回のはとにかく動物が最高だった。猫は演技をしないだろうにあんな絵をどうやって撮ったのだろう。ドクタードリトルとかベートーベンとか、動物が人間のように振る舞う映画は好きではないけれど、この映画のように人間と共存する動物の姿を撮ったものは自然に笑みがこぼれる。猫が食パンをむしゃむしゃ食べていたが、猫の嗜好もお国柄で、イタリアの猫はパスタを食べたりするんだろうか。

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2007年02月10日

日記: young for his age

 朝、寝床に入ったまま昨晩見た夢の話をするのが好きだ。私はカラー映像のやたら具体的な夢を見るたちで、昨晩は妊娠した友人Kちゃんのお腹を白いマタニティの上から触らせてもらったのちに、アパートの住人相手にぼろい商売(一本360円でカセットテープをCD-Rに焼いてあげる)を始め、大家の警告を受けるという内容だった。360円はちょっと高すぎた、と目覚めた瞬間に反省した。
 ところで君はどんな夢を見ましたか、と家人に問うたには理由があって、昨晩彼は例のごとく「あ〜、気持いいっ、気持いいや」などと高らかに寝言をのたもうていたのである。すると、そんな夢じゃなかったけどな、と首をひねる。聞くと、でっかい怪獣が家の周りを火を吹きながらのし歩いている夢でね、いやあ怖かった、と興奮気味に話していた。36にもなって大丈夫なんだろうか。
 夜、来客あり。桃太郎電鉄で日本全国を行脚。

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2007年02月09日

日記: 七味をかけたほうが旨い

 たまには男と女の話でも書こう。
 まだ出会って間もなく燃えさかる火のごとく愛し合う恋人たちがいたとして、それが一瞬にしておじゃんになることはよくある。彼らは熱病を患っているので、お互いのある側面ばかりを偏愛してのめり込み、運命の人に出会ったかのような錯覚をするのだけれど、まあ熱なんてものは必ず醒めるのであって、冷静を取り戻してあたりを眺めてみると、なんであの人に入れ込んだのか、自分の馬鹿さに対する腹立ちを手伝って、あれはなかったことにしましょうと互いに素知らぬ顔をする。
 では何がきっかけでおじゃんになるのかというと、得てしてつまらないことだ。寝顔がだらしなかっただの、よく聞くと同じ話しかしていなかっただの、実はケチだっただの、そういう類いである。
 変わったところだと、阪神大震災のショックで彼女に対する一切の興味を失ったという友人がいた。彼は東灘区の出身で、故郷が破壊されてしまったのである。これはよくわかる。彼女のほうは何が何だかわからないと肩を落としていたけれど、世の中にはそういう理不尽がままあるものだ。
 スペインに旅行中の彼女から電話で別れを告げられた友人もいた。何かあったのかと問うと、何もないけど急に嫌になった、と言われたらしい。同情はするが、これもわからなくはない。
 南米に二週間行くというので見送ったら、戻ってきて突然ふられた人もいた、というのは何を隠そう私の話なのだけれど、駅のホームで抱擁を交わし離陸直前まで電話で話して別れを惜しんだはずなのだが、帰国した彼はずいぶんと素っ気なくなっていた。残念だったけれど、気持はよくわかった。
 いずれにせよ、短期間で不意に終わってしまう関係というのはその程度の縁ということだ。そういう経験は滑稽で少しもの哀しいけれど、悪くはない。カツ丼にかける七味のように、人生の彩りみたいなものだと考えている。

投稿者 shiori : 12:39 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年02月07日

日記: フィフティーン

 調べたいことがあって15歳当時の日記を繰っていたら「伝説の少女になりたい」などと書いてあって大笑いした。「野球部のマネージャになりたい、できれば早稲田の」とか「今日はYちゃんと将来の子育てについて話し合った」とか「明日私は脱色してみせます」とか、どんなに月並みな人間でも思春期は愉快である。
 夏休みに読んだ本、という欄もなかなか笑える。筒井康隆『くたばれPTA』、沢木耕太郎『バーボンストリート』、河井隼雄『コンプレックス』、吉村昭『冷たい夏と熱い夏』、椎名誠『蚊』、千葉敦子『乳ガンなんかに負けられない』、井上やすし『日本亭主図鑑』……などとあっていやあ愉快愉快、伝説の少女にはいささか不向きな選書なのだった。ちなみにその日記帳は「たとえ頭が悪くても人には生きていく義務がある」という言葉で締めくくられていた。
 15歳ってなかなか素敵である。
 夜は渋谷でイタリアン。ピザが美味。紀伊国屋でパンを買って帰る。

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2007年02月05日

日記: しおりの謎

 朝出がけのことである。家人が私の本棚を物色している。電車で読むための薄くておもしろい文庫本(小説に限る)を探していたようで、村上龍も中島らもも読んじゃったしなあ、と困った様子である。趣味が重なる領域は極めて狭いので仕方ないのだけれど、じゃあ村上春樹でも読んでみるかと呟くのを聞いて、私は慌てて「いや、止めたほうがいいと思う」と言った。理由はよくわからないが、想像したらこそばゆかったのである。それで私が「ほら、これにすれば」と押し付けたのは太宰の『ヴィヨンの妻』、家人は本をしげしげと眺めて「しおりがついてるからむつかしい本だね」と言った。
 なんだ、その因果関係は。と首をひねって、ああそうか、しおりがついているのは新潮文庫だけなのだ、と思い当たり、実際に本棚を調べるとその通りだった。
http://www.1101.com/shincho/05-04-18.html
とネットにもあった。
 ちなみに私の本棚で圧倒的に多いのがこの新潮文庫、全体の約6割を占めていて、二番手に講談社文庫と文春文庫、そして岩波文庫と続いている。家人の本棚をのぞくと集英社文庫の多さが目を引くが、これはひとえに北方謙三の本を買い集めていることに起因している。
 今日はそのコレクションに花を添えるべく、北方水滸伝全19巻+読本+地図+北方直筆サイン色紙セット(集英社)をプレゼントした。素頓狂な声をあげて喜んでおられた。少し早いが、誕生祝いである。

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2007年02月02日

日記: ああ、ハリウッド

 書き込みが激増して胸のときめく昨今なのですが、映画というのはひとたび観るとまたすぐに次が欲しくなる麻薬のようなもので、アディクションリストをこれ以上増やしたくないと憂鬱になりながらも(酒だけでも充分手こずっているのです)、今週は3本の映画を鑑賞しました。
『ライフ・アクアティック』『ヴェラ・ドレイク』『レナードの朝』と節操のないラインナップではありましたがそれぞれそれなりに興味深く、とはいえ『レナードの朝』は当時から敬遠していただけのことあって、やはりあの手はそりが合わないと再確認するならなぜ観たのだという疑問は当然で、90年代以降のハリウッドメジャ映画に通じて言えるのだけれど、多分好きではないけれどひょっとして好きだったら損だなという気持があって、思い切って観て、そして溜息をつく。そんなふうにして『レインマン』も『ラストオブモヒカン』も『フィラデルフィア』も『グッドウィルハンティング』も、結局私はかなりの数のクサい映画を観てしまっていて、ハリウッドはやはりすごいと感心するのでした。
 それにしてもビル・マーレイという俳優はもうそこに立っているだけでフィクションみたいな人で、画面に映った瞬間からすでに物語が始まっている。ジム・ジャームッシュしかりウェス・アンダーソンしかり、おそらく彼を主人公に起用すると決めて脚本を書いているのだろう。そうでないと作品の辻褄が合わなくなるくらいビルは濃度の濃い俳優、生かすも殺すもという感じが監督心をそそってやまないのだと思う。

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