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2007年01月31日

日記: ハケンの品格

『ハケンの品格』というテレビドラマを観ている。連続ドラマを欠かさず観るなんて何年ぶりのことだろうか、観たら観たで悪くはないけれど、やはり観なくても済むものだと再認識している。今回は最後まで観るつもりだけど。
 それでなぜ観ているかというと、ギタリストの友人P氏が出演しているからである。派遣社員とフラメンコダンサーを兼ねる主人公の後ろでギターを弾いていて、毎回3秒くらい映る。「あ、いたいたいた」と画面を指差すうちにフレームアウトしてしまうのだけれど、音はすべてP氏の演奏だそうで、そういう諸々を確認するのは愉しい。P氏から現場の話を聞くのも愉しい。大泉洋がよく話しかけてくると言っていた。可笑しい。打ち上げに一緒に連れていってほしい。
 ドラマの中で派遣社員が雑用を引き受けるかどうかが問題になっていた。正社員と派遣で仕事内容がどの程度違うのか私にはわからないけれど、給与形態と雇用主が異なる人が同じ格好をしているから話がややこしいのではないか。少なくとも同じフロアで働いている掃除のおばさんに焼きそばパンを買って来いと頼む人はいないのであって、派遣社員も帽子をかぶるなりすればいいのではないかと思うけれど、胸を張って帽子をかぶけるほど専門的スキルもプライドもない派遣社員が多いのが問題なのでしょう。

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2007年01月29日

日記: すみません、それは私の

 久々に恥ずかしいことがあった。
 ジムに通い始めて6年目になるのだけれど、ずっと愛用している靴がある。NIKEの変哲ないスニーカー、踵に適量の空気が入っていて脚にかかる負担を和らげてくれる靴である。デザインは決していかしているとは言えないが、本当に履きやすくて重宝している。街中をかつんかつんといい気になって歩く靴はともかく、運動するにはなんといっても履き心地が一番なのだ。
 それで今日もビートに合わせてシェイクシェイク、ご機嫌にダンスしていたところ、ちょっとした異変に気付いた。右足を踏み込むたびに、靴が妙な具合なのである。靴底がぺこぺこしている気がする。休憩の時にそっと足裏を返して見ると、なんと土踏まずの上あたりでソールが横にぶっつり割れているではないか。しかも、自分の周りにはソールの黒いカスが大量に散らばっている。
「何かしら、床が汚いわね」とどこかのおばさんの囁き声が聞こえた。厚顔無恥と風評のある私だが、さすがに「すみません、それは私の靴底です」とはなかなか言えず、素知らぬ顔をして運動を続けた。すると今度は、手の親指くらいの黒い塊がふたつ、ひゅんひゅんと飛んで行った。どこかのおばさんがゴキブリを見たような恐ろしげな顔をして、塊を見つめている。「すみません、それは私の靴底です」とはやはり言い出せなかった。みすぼらしい弁当を蓋で隠して食べる子の気持がわかったような気がした。
 それでも私はしれっとして運動を続けた。すると今度は靴底がべろんべろんしている気がする。再び休憩の時に返してみると、なんと今度は布地と靴底が根本的に剥がれかかっていて、いわゆるスリッパ状態といえば伝わるだろうか、これほどまでの靴の崩壊を目の当たりにしたのは初めてのことだった。
 分厚い靴底が宙に舞うのも時間の問題、そう思ったらダンスどころではなくなってしまった。いきおい振り付けは乱れるわへっぴり腰になるわ、靴底が飛ばぬように擦り足で踊る私はタコのようだったと思う。ほうほうのていでレッスンを終えた私は、雑巾で靴のかすを拭き取って、逃げるようにジムを後にした。帰宅して一番にしたのは靴をゴミ箱に捨てたこと。
 意外なものが壊れると意外とダメージが大きいことを学んだ一日だった。

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2007年01月28日

日記: 盗人タケダケシ

 本当に信じられないことだが、母がガスをつけっぱなしで外出していた。私が実家に行った時にはすでに二時間が経過していて、豚汁はすべて水分が蒸発して煤けた具だけの状態、家中に焦げた匂いが充満していた。
 実はこれが初めてではない、というのがさらに恐ろしいのだけれど、とろ火をつけっぱなしで鍋を焦げ付かせたり、消し忘れて安全装置が作動したり、片手で足りる話ではない。その都度いい加減にしろと怒ってきたけれど、結局こういうことは本人が心を入れ替えない限り周囲が何を言っても無駄なのであって、やはり今回のような事態になってしまった。中火で鍋を燃したまま出かけるなんて、本当に救いようがない。
 どんなことでもそうだけれど、ミスをするのは仕方がない。そこは互いに寛容でありたい。しかしその後ミスの原因を認識して修正する努力を怠るのはいけない。あるいはそういう努力のできない体質ならば、人に委ねる謙虚さを持たなくてはいけない。そこで妙な負けん気を出されても話はどんどんややこしくなる一方で、ミスはいつまでも繰り返されるままだ。
 私がこういうことを言い出すと潔癖だの神経症的だの優しくないだのと非難されることになっていて、本人が一番堪えているのだからとなだめられたりする。確かに私もついかっとなって語気が荒くなるのは申し訳なく思うのだけれど、本当に堪えている人が同じミスを何度も繰り返すだろうかという疑問もあって、目下火事を回避するという最重要課題を前にしてそんな文句を言う前に「IHヒータに替える」とかいう案を検討する頭はないのかねと言うと、人を欠陥人間みたいに言うなと抜かす始末、日々世の会社で行われていそうなやりとりだと思ったら何だか可笑しくなって、「だって欠陥人間じゃなかったの」と笑いながら問い返すと、「まあ欠陥人間だけどさ」と母も笑っていた。
 父は、とりあえず、と言いながら「ガスの火を止めたか」という大きな看板を拵えて、玄関に吊るしていた。それを見た母は、これでもう消し忘れない、と喜んだ。絶対にまた忘れる、と思ったけれど今日のところは勘弁してやった。必ずIHヒータ導入を説得してみせると心に誓いながら。

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2007年01月25日

日記: broken flowers

 ジム・ジャームッシュ『ブロークン・フラワーズ』という映画を鑑賞。これだからまた映画を見たくなってしまう、という作品だった。実のところ今までこの監督にはさほど興味がなくて、というのも『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ナイト・オン・ザ・プラネット』『イヤー・オブ・ザ・ホース』(ニール・ヤングの映画)を観て、それぞれ一作品としてはおもしろいのだけれど、この人の作品をまた観ようと気にならなかった。刺激が頭止まりで身体にまで行き渡らない感じ、と言えばよいだろうか。
 でもこの作品は身体にじんじんきた。興行的にはまずふるわないだろうし、結局何なのよと不満を感じる人も多いことだろう。でもこういう人生に正直な映画を作るのは、大ヒット映画を作るのと同じくらい難しいかもしれない。作り手の深い洞察にしびれる映画だった。
 最近の映画は原作ありきの傾向にあって、それはそれで他人の曲を自分流に歌いこなす手腕が問われるから大変なのだろうが、やはり私は監督が脚本を書いている映画が好きだ。原作があるならわざわざ映像化しなくても本を読めばいいのだし、その人の持つ言葉やイメージがどんな映像になるのか知りたくて映画を見ているからだ。
 もし映画監督だったら全部自分でやりたいと思うだろうに、あるいは脚本を書いてもいいとされるのは一握りの人だけなんだろうか。そのあたりの事情はわからないがとにかく、ジム・ジャームッシュは脚本も素晴らしかった。そういえば作品はまだ見ていないのだけれど、自作の脚本を監督している西川美和さんにも期待している。私と同じ年の美人監督、ソフィア・コッポラを押しのけてのしあがって欲しい。

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2007年01月23日

日記: suspended

 私はそもそも思い悩んだりすることの少ない人間で、その傾向は年を追うごとに強まるように感じているけれど、生きていれば色々とあるのは自然なこと、これはどうしたものかと首をかしげる場合がないわけではない。実はここのところ少々気にかかることがあり、この感じって何だっけ?と記憶を辿ってはたと思い出した。意中の人からの電話を待っている感じなのである。

1.現状認識

 確かに彼は「また連絡するよ」と言ったのだ。それなのに待てど暮らせど連絡はない。どうしてなんだろう。忙しいのかもしれない。急に舞い込んだ仕事に手をとられて、電話をかける暇がないのかもしれない。でも最後に話したのは20日前、となれば週末を二回挟んでいるわけで、日曜の昼間まで忙しいというのはちょっと考えにくい。つまりですね、こほん、哀しいけれど認める勇気を持とう、彼は私に「進んで連絡したい」わけではないのだ。ふられてしまった、のである。

2.分析と自己嫌悪

 先日のデートの時、どんな映画が好きと聞かれて「スプラッターもの」と答えたのがいけなかったか。牛もつの煮込みに七味をかけ過ぎたのもまずかったかもしれない。あらいぐまの帽子をかぶっていったのも失敗だったか。私はいつもこうだ。ここぞという機会をみすみす逃してしまう。まず顔が、ほら、こんなに不細工だもの。これじゃあ、嫌われるよね。お嫁さんにはなれないよね。むしろ死にたいよね。おら。死ね。死ね。

3.ケツをまくる、未来へ

 しかしひどい話である。だって「次は中華でも食べに行きますか」って言ったべ?「あ、ごみが」って肩に手をおいて私の髪に優しく触れたべ?私に気があるのかしらと浮き足立って当然だべ?純な乙女をたぶらかしたりしてとんでもねえ奴だ、だいたいあの男、そういう柄でもないくせに何を偉そうに。ああ〜っ、むかついてきた。いい男ぶるなってんだよ、そんなのはね、もうこっちから願い下げ、即刻スプラッタスプラッタ。私はね、三ヶ月以内にあんたよりずっといい男を見つけてやるから。見ておれ、このハゲ。

4.そして再び

 ……それにしても電話がかかってこない。どうしてなんだろう。

 というようなことを連綿と考えるのは明らかに時間の無駄なので、そろそろ止めたいのだけれど、無駄だからといってすぱっと止められる人間ではないゆえにこういった調子なのである。中田選手のようにすぱっとはいかない。だから自分探しの旅に出なくて済んでいるという話もある。わざわざ探さなくても知っているからだ。いずれにしてもあと二日経てば、私はこの案件に興味を失っている。そういうのは勘でわかる。

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2007年01月20日

日記: 今日も一日暮れた

 朝、粉雪が舞った。
 昼、資生堂パーラーでランチ。
 喪服を買う。死の祭典準備、残すは遺影だけなのだが、おかしな帽子をかぶせて撮ったのとか鶏肉を頬張っているのとか、そんなろくでもない写真ばかりで埒があかない。なんとかしなくてはと気がかりなのだが、肌の艶や血色もすこぶる良好なのでまだ大丈夫と胡座をかいてみたり、遺影問題は未解決のまま。遺影でイエイ。
 夜、名もなきスープをこしらえる。
 粗みじんにした玉葱を飽きるまで炒めて、さいの目ベーコンと乱切りきのこを加えてさらに炒め、水をジャアッと注いだところにパプリカとズッキーニのさいの目を投入、コーン缶とビーンズ缶をざばっと開けて、乱切りトマトとさいの目イモも放り込んで、つまりですね、そこらにあるものをじゃんじゃん投げ入れてマギーブイヨンで煮込めばよい、すると食材の多数性が味つけうんぬんを凌駕して、なんだか美味しいような、期せずして得したような気になる、三田祭の打ち上げのようなスープ。

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2007年01月17日

日記: extravagant

 一月もすでに半ば過ぎですか……
「……」に込められた思いについて敢えて語る野暮はよしておくとして、バーゲンの季節である。何か買わなくてはいけないという強迫観念に襲われて、ここのところよく出歩いている。そして取り立てて必要ないものやさほど欲しいわけではないものを買ったりしている。世に言う、無駄遣いである。これはもうある種の病だと思うのだけれど、欲しいものがあるから買うのが通常のところ、とにかく何かが買いたいという理由で買い物をするとこうなる。一般的なところでいうと、酔っぱらいたくて酒を飲むようなものだろうか。
 しかしながら幸いなことに、この不条理な欲求も永遠に続くものではない。ある程度買えば自然と治まる。パウル・クレーのカレンダー、モールスキンの手帳、植物図鑑、CD、pumaの靴、シャツ、リーバイス、台所マット、フォションのバゲット、鯖の粕漬け、blablablablabla
 そろそろ治まってほしい頃である。

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2007年01月15日

日記: インソムニア

 夜中の3時過ぎに地震があった。遠くから寄せてくる地鳴りで目が覚めて、ああ来るな、と身構えると、がたがたと揺れ始めて10秒ほどで収まった。とりたてて言うこともない月並みな地震だった。しかしどういうわけかその後眠れなくなって、いきおい朝の6時までまんじりとせず過ごす羽目に合った。一年に一回くらい、こういうことがある。
 一ヶ月ぶりにジムへ行き激しい運動をしたので、足が重かったのもある。ひきつるような、のされるような、そんな痛みだ。全身が妙に火照っていて頭も冴え冴え、冷たい場所を求めて手足をもぞもぞ動かし、忌々しくなって5分置きに体位を変える。
 地震に嫌気がさしたのもあった。いつもそうなのだけれど、とうとうでかいのがきたか、と一瞬覚悟して、意外にも小さな揺れに安堵すると同時に肩透かしにあった気分になる。断じて言うが、名前のつくような記念碑的な地震を待ち望んでいるわけではない。家が焼けたり人が死んだり、はっきりいって、あれはこの世の地獄である。それでもおかしな話だが、プチ地震が来るたびに小便を我慢しているような心地になって、いっそのことじゃああっと放尿してしまえばどれだけ気持がいいだろう、などと想像してしまうのである。しかし、震度2程度ではそういう快感を得ることはもちろん、恐怖からの解放感を味わうこともできない。不安が鬱積するだけだ。執拗になぶられるようで、地震は本当に疎ましい。
 私は基本的に楽観的な人間だが、さすがにこういう夜はものを憂うところもあり、地震につられるようにして、いくつかの個人的案件について考え始めたらとても眠れなくなった。どしどしと新聞配達の人が階段を上る音が聞こえる。今日はいくつか予定もあって一日しんどいのだろう、憂鬱きわまりない。しかしそのうちにそんな物思いにも疲れてしまって、すると身体の緊張がほどけて少し楽になり、ようやく眠れそうだと安堵してまどろみかけたその時、悪魔の高笑いのような音を立てて目覚まし時計が鳴った。私はぬおおおおっと叫んで、頭のてっぺんまで布団を引っ張りあげるのだった。

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2007年01月13日

日記: コンビニエンス

 私たちが大学に入学した当時は、誰もマイコンピュータなんか持っていなくて、知りたいことがある時は図書館へ行って、目録を繰って番号を控え、書架の列を右往左往してようやく所望の本を見つけ出し、しかしいざ読んでみると内容が微妙にずれていて、これは使えないと再び目録に戻ってカードを繰る、なんてことをやっているうちに、実のところさほど知りたいわけではないのだと初心を疑い始め、あ〜あ止めて帰ろかしらんと気もそぞろ、運悪く友人なんかに会ってしまったら最後、すたこらと図書館をあとにすることになる。もちろん知りたいことは知らぬままである。
 昔は賢くなるためには努力が必要だった。それが今はほら、見てください、例えばあなたが「徴兵制」について興味を持ったとしよう、コンピュータを開いて空欄に、徴兵制、と入力してエンターキーをぽんと押すだけで、北朝鮮の兵役は10年だのドイツは良心的兵役拒否が合法だのいう情報を得ることができる。実にイージーである。人類はもう賢くなるいっぽうじゃないですか。と思いきや、そうでもないところがやはり人類なのだった。
 便利になった、とは時間を短縮できたという意味だ。月曜を待たずに預金を引き出せたり、大阪まで二時間半足らずで到着できたり、それは喜ばしいのだけれど、ところでその節減された時間はどこへ行くのだろうか。ゆとりができたという記憶もない。結局のところ、日々の暮らしに飲み込まれて、新たな不便を生み出すだけなのだと思う。
 しかし、この利便追求の流れは止まらないだろう。なんとなれば多くの人が貪欲なまでに便利性を望んでいるからだ。私はそのことがいいとも悪いとも思わない。しれっとして恩恵に被るだけである。ただひとつだけ確かなのは、利便をどれだけ追求したところで私たちは賢くなるわけではない、ということだ。その高みに達するためには、まったく別のアプローチが必要なことを、世の人はわかっていない気がしてならない。

投稿者 shiori : 11:44 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年01月11日

日記: 寝歌

 旦那を葡萄酒の瓶で殴り殺して、遺体をのこぎりで切断した挙句、ほうぼうに捨てて回ったんだってこのお姉さん、と祖母に説明すると、無言のまま目をひんむいていた。喋れないだけで、こちらの言葉はきちんと理解している。ひもすがら天井を見上げて寝ているだけなのに、よくくるくるぱあにならないものだと感心する。母の話によれば、夜中にこっそり様子を覗くと、暗闇の中ぱっちりと目を開けていることもあるそうで、いったい何を考えているか、こちらが知る由もないのだけれど、まあ愉快痛快というわけにはいかないだろう。どうしてあげることもできない。切ない。
 そういえば今日、おもしろいものを耳にした。家人が寝言ならぬ寝歌を歌っていたのである。はあにほえああんあ〜っ、はしゅにょんほ〜、とかなんとか景気よくやっていて、音階が上昇するにつれて声量も大きくなり、まあ眉根にしわを寄せちゃって(予想)、さっすが生まれながらのロック歌手で結構なことなんだけれど問題はひとつ、すさまじく音痴なのだった。ひとしきり笑った。

投稿者 shiori : 10:28 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年01月09日

日記: どんぴしゃ

 この冬は来る日も来る日も湯豆腐を食べているわけだが、少々困ったことがあって、適切な器がないのである。小振りのサラダボウル、あるいは大振りの小鉢、のようなものでしのいでいて、盛付けも美しくないし、何より冷めやすい。何かこう深さがあって、味噌汁用のお椀よりは体積が大きく、両手で持った時にしっくりきて、縁に口をつけてもよいような器はないかしら、と足掛け半年くらい探していた。
 あればよいがなくても困りはしないものを探すのは愉しい。なにも慌てることはないという余裕がリッチで、ふふふんと鼻歌でも歌いたい感じだ。それで今日もふふふんと腰をふりふりぶらぶらしていたら、イエスイッツユー、望み通りのものに出会った。加えてバーゲン期間、黄色と群青色、合わせて5鉢をお値打ち価格で求めることができた。ふふふんふん。早速、湯豆腐を食して満ち足りる。
 ところで先日のことだけれど、このページが携帯電話からも見られることに気付いた。……それだけです。

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2007年01月08日

日記: 温暖湿潤の女

 それでガルシア・マルケスの新作はそりゃもうすごい本だった。筋書きはとりあえず、というか相当ろくでもないのだが、文章が素晴らしくて、私は彼の紡ぐ物語の中に身体ごとすっぽり入ってしまった。その証拠に、途中うたた寝すると、物語を後追いする夢を見た。そういう体験は初めてかもしれない。
 サッカーでも音楽でもそうだが、南米に触れるといつも人間にとって風土がいかに重要なものかを痛感することになる。半ばやけくそともとれるようなあの陽気さには最後まで違和を覚える。それはむろん心地よい感情なのだけれど、一抹の淋しさは禁じ得ない。こっちの水は甘いぞと誘われても、そっちには行けないのですよ、なぜなら私は温暖湿潤の女なのですから。
 そしてついに『百年の孤独』の一頁を開いた。確実におもしろいのはわかっていて、それゆえにもったいなくて読めなかった小説のひとつである。案に違わず、最高。分厚い本なので、少々読み進めたくらいでは減らないのがよろしい。

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2007年01月07日

日記: wander about midnight

 発情期があるのはメス猫だけだと知った。オスはメスの狂乱ぶりに感化されて随時発情する仕組みになっていて、つまり、メスありきなのだった。ということは、この二週間というもの朝な夕なとしじまをつんざく声をあげて界隈を往来する、ふとっちょののらは女、ほし〜のほし〜のと尻をふりふり、まったくこちらが赤面してしまうほどのヒートアップである。
 ものの本によれば、一度交尾すれば治まるが、機会に恵まれないとおよそ一ヶ月は狂ったままということ、実に気の毒である。あの声色を耳にすればわかるけれど、彼女自身相当つらいのだと思う。太っていて顔も可愛くないので、男に邪険にされているのかもしれない。行き場のない性欲を抱えて、身体は切なく心は哀しく、世の不条理を呪っていることだろう。
 などと考え始めると眠れなくなるので、枕に耳を押し付けて布団をかぶる。時計を見ると、午前3時。……がんばるにゃあ。

投稿者 shiori : 10:50 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年01月06日

日記: too much

 雨が降っていたこともあるけれど、近所が閑散としていてどこか遠慮がち、正月気分が抜けない。テレビは特番ばかりでつまらない。早く日常に戻ってほしい。会社とか学校とか、さっさと始まってほしい。おっと、語るに落ちたところで、今日は『メリンダとメリンダ』というウディ・アレンの映画を観たなりよ。開高健の『裸の王様』ていう小説も読んだなりよ。夕飯にはブロッコリとドライトマトのパスタを食べたなりよ。麺はやはりディチェコに限るなりよ。明日は『父、帰る』というロシア映画をミレナリオ。ガルシア・マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』ていう本もヨミウリランド。といった、どれそれを観た読んだ食べた聴いたと固有名を連ねるような嫌らしい日記はそろそろ卒業したいものです。

投稿者 shiori : 09:18 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年01月05日

日記: シネマ〜ックス!(あづま仕様)

 今年は映画を解禁しようと決めた。
 2000年から2004年までは年間100本ペースで映画を観ていて、そーゆー生活はどうなのかと懸念を示す声もあり、よし、それでは、と思い立って映画を観るのをやめた。いきおい一昨年は劇場に数回赴いただけだったし、昨年にいたっては見事に一本も観なかった。その替わりに、この二年は年間100冊ペースで本を読んだ。
 となるともはや、そーゆー生活がどうこういう話ではないのであって、ならば好きなものを好きなだけ食べようじゃないかと思ったらなんだか嬉しくなって、さっそくビデオ屋の会員になり、『The School of Rock』を観た。わはは、最高。

投稿者 shiori : 08:07 | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年01月02日

日記: two mothers

 昨日は家人の実家でしちならべをした。義母がパスの回数をごまかしていて、笑いをかみ殺すのに苦労した。おら、ずるするんじゃねえぞ、とたしなめるほど、彼女と私はまだ親しくない。
 今日は私の実家で麻雀をした。母がソウズの6と9を見誤ってリーチをかけたり、15牌並べたままでぽけっとしていたり、苛々を抑えるのに苦労した。おら、ぼやぼやするんじゃねえぞ、と忌憚なくたしなめた。
 まあ、そういうものだと思う。
 おせちとローストビーフを肴に、麦酒とシャンパンと赤ワインをしこたま頂き、気分もよくなったところで家人がとんでもないものを紛失、言葉少なに床を並べ、背を向けて寝る新年の夜。

投稿者 shiori : 11:50 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年01月01日

日記: 吠え初め

あけましておめでとうございます
いつも申していることですが
当欄を読んでくださって本当に有り難く思います
掲示板仕様の時代も含めますと6年目の吠えたガール
変わるところは変わり、変わらないところは変わらない
のは何も私に限ったことではないのでしょうが
月日の流れとは興味深いもので
古い日記帳を繰ってみると
冒頭に「序文」とあって

   *

岩見しおり(27歳、独身、カジテツ)の自己満足ページです。
自分のことおもしろいとか思ちゃってるわけ?とか
いい歳こいて調子に乗るな、とか
そういう反応、十分、アリ、みたいな。
でも気にせず勤勉に更新していくぞい。
ちっこいことを積み上げたい気分。
では、よろしこー

   *

と、高らかに開欄宣言をしていて
この直視に耐えない感じを
くくくと腹を震わせ直視できてしまうのは
歳をとった証拠なのでしょうが
小さいことを積み上げたい気持は
今なお色褪せていないように思います
今年もどうぞよろしくお願いします

投稿者 shiori : 13:13 | コメント (0) | トラックバック (0)