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2005年05月31日

日記: 5/31

祖母の体が不自由になって、私の生活は若干のモデルチェンジをした。一番大きな変化は、家にいるのに化粧をして服装を整え、掃除をこまめにするようになったことだ。というのも、来客がやたらめたら増えたのである。
週2回のお風呂サービス、週1回の理学療法士によるリハビリ、月2回の訪問看護に月1回の往診、知人の見舞いに親戚の訪問、と挙げればきりがないが、中でもお風呂サービスが手ごわい。
力持ちの男性+看護士+介護ヘルパーという3人組が半分に割れた風呂桶をかついでやってくると、リビングに防水シートを敷き2mの風呂桶を設置して、家の風呂からポンプでお湯を移していく。準備が整うと、祖母が登場し、つるっと服を脱がされ、さっと抱きかかえられ、じゃぼんと湯舟に浮かべられる。ほんの2秒の出来事。
2人がかりで頭から足の爪先まで首尾よく洗ったかと思うと、お風呂の湯を抜きながらシャワーで石鹸を洗い流して、タオルで水気を拭き取り、気が付くとバスタオルを巻いた祖母が頬を少し赤らませて座っている。
着替え、爪切り、ドライヤー。その間に風呂桶は再び解体され、シートは畳まれ、家具は元の位置に戻される。そして、お風呂隊は大きい声で挨拶して帰って行く。所要時間45分。拍手喝采。
すさまじい連係プレーだ。日本代表もこれくらいできればドイツ、はおろかW杯優勝を狙えるかもしれない。
しかしそんなお風呂隊を迎えるためには、リビングのスペース確保(わりと至難)と風呂場および排水溝の掃除、祖母の着替え準備、とそうたいしたことはないのだが、週2回となると少し面倒なのが本音です。

ということで掃除少々。お風呂隊はこちらの手を一切煩わせないものの、横で歌の練習をするわけにもいかないので、何とはなしに見る羽目になる。私は自室というものをもたないゆえ。
それでも今日はそれ以外は自分の作業に集中できた。
夕食は鯖の塩焼き、麻婆豆腐、南瓜の煮付けなど。ビール1缶。
『みなさん、さようなら』を観る。
低予算だが高品質な映画だった。死に方、つまりは生き方の話。
民族的な特徴なのか、個人的な特徴なのか、主人公は賑やかに死際を迎えたが、私はああいうのは嫌だ。死ぬときは猫のようにひっそりと森の中に入って静かに目を閉じたい(イメージです)と思う。
賑やかだろうがひっそりだろうが、死際の不安や諦観や幸福感は誰でも同じだとは思うのですが。好みの問題ですね。
それにしても自分のフランス語リスニング能力がいかにPOORなのか、身にしみた。字幕がなかったら、ジャンルの区別もつかないと思う。うっかりスプラッターものとか言ってしまいそうな感じだ。
(正しくは、TSUTAYA的にいうとヒューマンドラマ泣ける一本みたいな。泣けませんけど。というか泣ける一本で泣けたことないんですけど。TSUTAYAも私も両方悪いとは思うんですけど)
山田詠美の新刊『風味絶佳』を半分読む。
文体があまり馴染まないのだけど、考えていることはおそろしいほどよくわかった。そういえば昔、顔が似ていると言われたことがある。(?)
午前1時、気絶。

投稿者 shiori : 14:40 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年05月30日

日記: 5/30

朝からじゃんじゃん降り。めげそうになりながらどうにかジムへ行く。
スタジオの扉を開けた途端、おばさんたちに拍手で迎えられる。
雨のせいで人数が少なくて淋しかった、のだそうだ。こっちこっち、と手招きされた方に目をやると、すでに私のステップ台が用意されていた。世代ひとつ若いという理由で、遊ばれ気味の私なのだった。
それでも間もなくジムを変えるので、おばさんたちともお別れだ。少し名残惜しい。
『ミリオンダラー・ベイビー』を観に行く。
連れのミックはチケット売場で「ミリオンダラーベイベー、一枚」と言っていた。さすがミック・・・
映画は期待したほどではなかったが、好きだ。それはもう色々とベタなのだが、それがベタベタせずにさらっとしているところがいい。恋愛の描き方もなかなかよかった。「いい人生」>「幸福な人生」という考え方も共感できた。
映画が終わったあともフランキーのことが頭に残った。
クリント・イーストウッド監督の作品は倫理や道徳が絡む場合が多いけれど、説教臭くなくて淡々としている。そのクールな距離感が今回も健在だった。おそらく私はそこが好きなのだと思う。
もう少しギャグが欲しい気もするが、まあ男前だから許そう。
それにしてもやっぱりいいもんの黒人はモーガン・フリーマン・・・他におらんのかいや。
ビールを軽く飲んだあと、ミックと別れて、私は買い物へ。
デパートで化粧品を購入。私は美容偏差値がかなり低いうえに、美容部員が苦手。うつむき加減で目を合わさずにささっと選ぶ。ヘレナルービンシュタイン(読み方合ってる?)というメーカーのマスカラを初めて買ってみた。
それからそそくさと馴染みのデパ地下に下りて、背筋をのばしてあれこれ購入。菜の花のペペロンチーニとかいう、よく考えたら貧乏くさい惣菜など。
帰宅すると祖母は「あや、しおぅ〜りさん、お久しいこと、何年ぶりかしらん」と感動した様子だった。ははは。
私を愛してくれる人々は、私の名前を呼ぶとき「しおり」の「お」の部分がへんちくりんになる。しよりちゃんだとか、しょーりさんだとか、おしりだとか。だから「お」が変化してくると、あら、あなた、私に情が移りましたね、とほくそ笑むことにしている。
そんなことを考えながら、赤ワインを数杯飲んだ。
先日読んだ川上弘美さんの『古道具 中野商店』という本がおもしろかったので、彼女の随筆集をめくるうちに午前2時をまわってしまった。
雨はまだ止みそうにない。

投稿者 shiori : 14:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年05月29日

日記: 5/29

最近セブンイレブンはくじ引きを実施していてものを買うとものが当たる場合があるのだけれど、先日は期せずしてモルツを1缶獲得して文字通り破顔の笑みで小躍りした。味をしめてわざわざセブンイレブンで買い物をしたら、今日はグレープフルーツジュースをもらった。ジュースか・・・と舌打ちしつつも、ふふんとほくそ笑んだ。なかなか率のいいくじですね。
その賭け金ともいえる、冷凍鍋焼きうどんを祖母と二人で食べる。
「あたし、最近餓鬼になってしもてね」と本人が言うだけのことはあり、食べ物を目にした彼女は獲物を追う動物のようだ。日曜の昼下がり、黙々と激しくうどんをすする祖母であった。
午後から来客があり、準備と接待に追われる。何度もお茶を入れ替えて、相槌ばかり打っていた。
昨日は飲み過ぎたらしく、ひねもす体がだるく頭が重い。その後、集中力もないままだらだらと作業をして、結局何もはかどらなかった。
夕食はアスパラの豚肉巻き、焼きなす、冷ややっこ、白えびの刺身。ビールは200ccほどでギブアップ。さすがに飲めなかった。
食後も眠いのに未練たらしくパソコンをいじったりして、寝たのは1時半。
つじつま合わせの一日だった。

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2005年05月28日

日記: 5/28

地道にフランス語の発音練習をする。
Rから始まる単語が曲者で痰が飛び散りそうな勢いだったが、お昼前には少し本物ぽくなったので「行動する前によく考えなさい」とか「彼は一日中テレビを観ている」とかいう文章を得意げに声高に繰り返した。周囲は少し迷惑そうだった。
日中はお菓子を買いに行ったり、お笑い番組を観て過ごす。
お笑いはあまり詳しくないし、今後詳しくなる気もないのだけれど、ヒロシが抜きん出ていると思った。芸人ならばすけべ心はあって当然だが、それを感じさせないところがスマートでいい。
「リンスをお湯で溶く時代に生まれたとです・・・」と聞いて、緑の液体が無方向的に溶けてゆく図を思い浮かべ、ノスタルジックな気分になった。
広尾のレストランにフラメンコのショーを見に行く。
友人に渡そうとバラの花束を購入したが、店も店のばばあも花束もすべてしょぼくれているくせに値段が高く、後悔のあまり20分くらい愚痴が止まらなかった。友人は喜んでくれたのでよかったけど。
レストランで久しぶりな人に会った。ものすごい美人さんで、前よりいっそう艶っぽくなっていて、田舎のチューボーみたいにぼうっと見とれてしまった。女は30からよ、うふふ、とふくよかな唇を色っぽく動かすので、どぎまぎした。
ショーはなかなかおもしろかった。何よりも友人のギターがすごく良かった。彼の生きざまが伝わる演奏で、そんなことが出来てしまうくらい努力をしたんだと思うとけっこう胸が熱くなった。
そのあと6人で恵比寿で飲んだのだが、そんな彼の勇姿に触発されて今まで心に秘めていたどでかい夢を思い切って打ち明けてみた。口にしたことで私の中の本気具合がアップし、みんなにがんばれと言われて馬力も出た。
隣でミックも壮大な夢を語っていて、スロースターターというべきか、夢見がちというべきか、いずれにしてもやりたいことをやりたいと言える自由な感じがいいなと思った。
今はすべてうまくいくと信じることができる。それがスタート地点に立つということだ。
そんなこんなで飲み過ぎた。焼酎ロック一杯分余計だった。
朦朧としながら帰る。家に着いたら午前2時。

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2005年05月25日

日記: サトルとマモル

記憶喪失、アルツハイマー、認知症など各種記憶障害
というのは古今東西フィクションのかっこうのネタですが
確かにその悲喜こもごもたるやネタになるだけのことはあると実感します。
人間の脳とは実に不思議なもので、そこに1ミリに満たない傷がついただけで突然計算ができなくなったり、さらには傷も見当たらないのに1時間前のことが記憶できなくなる。愛するあなたが見知らぬ誰かになってしまう。
そう考えると、今かろうじてこのようにものを言えることが奇跡のようであり、逆にいえばいつ言えなくなってもおかしくないわけで
ずいぶんとギリギリなんです、私たち。
そのひたひたと迫る恐怖感は自己存在の不安定さに対するそれであり、死に対するそれでもあり、つまり、今この瞬間に、宇宙、とかいうわけのわからない暗澹たる空間にぽっかりと浮いた星の、これまたぽっかりと浮いた島の上で、いつもの赤い椅子に腰かけて、少し腹が減ったななどと思いながらキーボードをぱたぱた打つ私って、え?あってる?本当にここにいるんだよね、私って?
と一瞬前後不覚になりぞっとしてしまうような時
名前も言えるし住所もわかる、昨日は飲み過ぎて確かに頭痛がする、そろそろサトルが訪問してくる予定、10日ほど前にはマモルとセックスしたんだっけ、そうそう前戯が長くて退屈だった、そういえば遠足の日運動靴に画鋲をしこんだのはサトルの方だおそらく、死んだ魚の目をしていたもの、ニースのブイヤベースをまた食べたいキリキリの白ワインで・・・
という具合に記憶を辿っていくと、先ほどの恐怖感はいくぶん薄れる。
ああ、確かに私はこの世に存在していた、今も5分前も20年前も。よかったよかった、と安堵の溜息をつくわけです。
(実のところあくまで恐怖感が拭われるというだけで、自身の記憶が自身の存在を証明できるわけではない、記憶は十分誤りうるからです。なので論理ではなく感情レベルの解決にすぎない)※
ところが記憶喪失やアルツハイマーの場合には、振り返っても自分の足跡が見当たらない、消しゴムか何かできれいさっぱり消されてしまった。どこから来たのかわからない、だからどこへ行けばいいのかわからない。ああ、おそろしい。
海辺のピアニストの極度におびえた表情やアルツハイマー患者がうつ病を併発しやすい事実もうなずけます。そりゃ、不安でしょうよ。

記憶障害にはこれといった治療法がない、というのが現状のようです。
基本的には肝臓がんや前立腺肥大症や虫歯と同じ「ビョーキ」のはずですが、その事実に患者と家族が馴染みにくいのもこの病の特徴でしょう。
「あなた、どなた?」と母親に尋ねられたとしよう。
「ああ、息子のサトルだよ、母さん僕を忘れちゃったの?あんなにサトルサトルって言ってたじゃないか、最近だってちょくちょく菓子折り持って実家に帰ってたじゃないか、いくら病気だからってあんまりだよ、3年も会っていないマモル兄さんのことは覚えていて、僕を忘れるなんて。母さんは昔からそうだ、僕がいくら優しくしたって結局は兄さんがかわいいんだ。僕が誰かわからないような人の面倒は看れない(きっぱり)、兄さんに看てもらうか老人ホームに入るか好きにするといいや、とはいえ僕も息子だから金は出すよ、時々見舞いにも来るさ柏餅でも持ってね」
というわけです。
結局、人は「忘れられる=軽視されている=傷つく」という刷り込みを捨てきれないし、ひとたび自分の親切を忘れられると二回目の親切は腰が重くなる。「ビョーキ」だと割り切るのはなかなかむつかしいわけです。
そのあたりが癌とは違う、しかも体は健康だから生きますしね。
頭くるくる、からだ元気。

そんな特徴を合わせて思うとボケたくはないものだと溜息が出そうですが、切ないだ、かわいそうだ、みじめだ、と騒ぎ立てるのは往々にしてボケてない方の人々です。
何事でもそうですが、人はものの正しいあり方を決めがちです。記憶に関してもどこかで「正しく優秀な記憶のあり方」をイメージしている。それに対して、私は1割減、あの人は4割減、といったふうに点数方式で認識してしまう。アルツハイマーなんて即刻赤点ですよ。
でも、ところで優秀な記憶って何だ?それによって描き出される世界が正しいのか?と疑問が湧きます。
これは私の考えですが
世界というのは上野公園の西郷どんの銅像のように「ごらんなさい、あれが世界ですよ」と人々が右から左から指さしてうなずくようなものではないように思います。
だから「西郷どんの連れている犬はサトルみたいでかわいくないな」とマモルが言えば「兄さん、西郷どんが犬を連れてるなんて頭がどうかしちゃってるよ、ほら犬なんか連れてないじゃないか」とサトルが答える。
二人とも正しいのです。
おかしな言い方だけれど、西郷どんは犬を連れていると同時に犬を連れていないのですから。
というのも、世界は個人の認識システムに依拠して構築される、だからサトルとマモルは同じ時空にいながら二人の世界は全く別のものであり、またサトルの世界はハタチとミソジで大きく変化し、サトル次第で世界の限界は縮んだり拡がったりするが、サトルが死ぬとその世界は終わる。ジ・エンド。
世界とはそのように個人的なもので、銅像のように指差せるような実体ではないと思うのです。
となれば、人が他人の世界を認識することは論理的に不可能だし(鏡を見るような状態ですね、対象は永遠に鏡の外に出ていくことはない)、ということは他人との客観的な比較もできなければ価値判断もできない。
そのように考えると、記憶障害の人が認識する世界とそうでない人が認識する世界、どちらが正しい?だのいう話は馬鹿げているし、ボケようがボケまいが同じ、ということなのです。
根源的にすべて同等なのです。
そんなご託を並べたところでボケたばあさんのうんこは片付かないぜ、とマモルが怒鳴ったり、ボケちゃってみじめだぜというサトルが舌打ちするのも理解できますが、形而上と形而下、つまりは哲学と日常を分離してみると、自分の中に秘かに根付く傲慢で差別的な感情に気づくこともあり、同時にボケようがブスだろうが包茎だろうがリストラだろうが、堂々としていなさいと思う。優劣なんてものは亡霊に過ぎないのですから取り越し苦労ってもんです。
まあ、ボケている人に限っていえば、自分がボケていることがわからないからいたってのんきなもので絶望感はありません。毎日にこにこです。そういうのっていいね!
記憶障害の人々を見ていると、そんなことを考えます。

※記憶だって十分に間違え得るし、今あるこの現実が夢じゃないとは言い切れないし、感覚はもちろん錯覚の可能性があるから信じられないし、1+1=2とかいう数学的真実は確かに信じられそうだけど、神様が人間をあざむいて理性全体を狂っている可能性もあるし・・・
そうか!
今こんなことを考えている僕がここにいるってことは疑い得ないじゃないか!
とデカルトは膝をぽんと叩いて
「我思うゆえに、我あり」と言ったのだった。
何と言うか、男子はやはり勇気があるというか、神様があざむく可能性まで考えたら恐ろしくて外出もできなくなりそうです。

投稿者 shiori : 14:44 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年05月20日

日記: オダ

1、気が付けば12日間連続で外食をしているのだった。
表参道のスペイン料理、大倉山の焼鳥、新横浜の居酒屋、大井町のカレーうどん、大井競馬場の定食屋、新横浜のフレンチ、綱島の焼鳥、友人宅のパエリア、自由が丘の沖縄料理、大倉山のお好み焼き、新横浜の地中海料理、大倉山の居酒屋、菊名のフレンチ・・・あと2日は外食行脚が続く予定・・・
はっきりいって飽きました。

2、祖母が長期にわたり入院している
というのが、細かい因果関係は省くとして、その主な原因なのだが
その祖母もようやく明日退院することになった。
どんな愛想を振りまいているのか知らないが、彼女は病院で人気者のようで、看護婦さんに「かわい〜」とか何とか言われて優しくしてもらっている。
若い男の医者には、円満な結婚生活を送る秘訣などを自分の経験談を交えて伝授しているらしいのだが、その経験談がうそ八百すぎて爆笑した。
「22才の時に郵便局員だった男性と恋に落ちて結婚したのだが実は20才で子供を一人産んでいる」
と語ったらしいのだが、正しくは
「30才の時に戦争から帰って来た農民の男性と見合い結婚して、32才で一人目を産んだ」
どうなのさ、その二枚舌。

3、おむつ替えの時に拝見させて頂くおばあちゃんのお尻
というかあのあたりは象みたいだ、とかねがね思っていたが
先日の織田裕二の番組を観ていて確認がとれました。
くりそつっす。ちなみに本人のプライドのために補足すると
質感じゃなくて形状が、です。
番組というのは、彼がアフリカの大地を訪れて象と戯れてみせる
という織田裕二のキャラを存分に生かした内容だった。
・「ハウ、ロング、イート、ビフォア・・・」
こちらが赤面するくらいつたない英語を恥ずかしげもなく使う潔さ
・その語学能力を補ってあまりある、というか相手の外人もひかせてしまうほどのオーバーアクション
・と思いきや、意外に女性が苦手なのか、ハグできずに迷ったように肩に手をおくだけで済ませてしまう気の弱さ
・一方、動物や昆虫は得意なようで、象のタックルも受けてたつワイルドさ
・アフリカの大地に横たわってポーズをとり、虚空をにらんだりする頭の悪さ
と挙げていけばきりのないほど見どころ満載だったが、一番印象的だったのは、メスの象が彼の股間に鼻を吸い付けて離さなかったシーン。
「こいつもメスだから、オスの匂いに反応してます」
織田裕二はたじろぐことなく、さわやかな笑顔でカメラに向かってそう言っていた。なかなかいい感じだった。
ところでどんな匂いがするんだろう、と想像したのは、私だけだろうか。

4、織田裕二は適材適所な人選だったと納得したのだが
というのも同じオダでもオダギリジョーがアフリカで象と戯れたって仕方ないし、実際彼にはそんな能力はなさそうに見える。彼は女と戯れるのがよく似合う、トラウマかなんかで精神が屈折している感じの。
そういえば『血と骨』にも出てましたね、そんなふうな役で。

5、タケシはああいう演技をさせると、どうしてそんなに上手いのかしら。モダンチョキチョキズの濱田マリもなかなかの熱演だったが、やたらとカット数が多く、やたらとひきめな(映画用語はよく知らないが、カメラと被写体が妙に遠いという意)映画で、よく馴染めないままに終わってしまったのだった。私のせいか、映画のせいか、それはわからないが、その直前に観た『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の方がずっと好きです。

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2005年05月18日

日記: 魅惑のフレンチ

久々にきちんとしたフレンチを食べに行く。
その店はなかなか美味な料理を食べさせるのに、いつのぞいても人気はまばらで、採算が合うのか他人事ながら心配になる。その日も結局、ディナーを頂いたのは私たちを含め2組だった。
いつ来るやとも知れぬ客のために、仔羊やら仔猪やらの獣たちを下準備しておくというのもご苦労な話で、いやむしろ出番を迎えることなく冷蔵庫の隅で黒ずんでいくウサギちゃんを思うと胸が痛むほどだ。まあしかし、そのあたりは商売だから翌日のランチで安く売りさばいてしまうのだろうが。(その証拠にランチは毎日大入り)

メニューとワインを吟味する。
知り合いのおじさんで、気が遠くなるほどの時間をかけてメニューを選ぶフレンチ好きがいるのだけれど、ハタチの頃私は彼を見て、何とキザな!と舌打ちして、フォアグラのソテーをご馳走になりながら「ハンバーガーの方が美味しい」と吐き捨てていた。
とんだ皮かむり野郎であった。悦んだことのない女であった。
今やドレスアップの功罪(官能と憂鬱)を知っているので、フレンチの存在意義をすんなり理解できる。
よく考えてみれば、衣服や言葉遣いや話題や音楽や人間関係さらには人種までも指定できる料理(たとえばヤクザはフレンチを食べない、なぜならフォークとナイフを使えないから)、そういう形式や文脈をもつ食文化は他にはない。それが善であるわけではないが、その必要十分な在り方が素晴らしいと思う。(善悪の話をしだすと、途端に色気と毒気が消えるもの)
ということで、フレンチへの愛をこめてオーダーする。

ホワイトアスパラガスの温泉卵とキャビア添え 空豆のソース
フォアグラのソテー 季節の野菜のポトフ乗せ
金目鯛のオマール海老ソースの付け焼き 野菜のタルト添え
牛ヒレのソテー 山菜の素揚げ添え
ワインは白 サンセール

と書いているとまた食べたくなるほど、どの料理も美味だった。
しかし、オーダーをとってからすべてを作り始めるらしく、鴨の首をへし折って肝臓を取り出すところから始めているのかと思われるほど待たされ、おかげで本当にできたての皿に仕上がっていたものの、こちらはパンを食べ過ぎワインを飲み過ぎ、メインに辿り着く頃には寄り目の赤鬼のような私だった。
でもそこからさらにふんばって、チーズも食べる。
30種類ほどの腐敗物がワゴンに乗っておごそかに登場し、ああだこうだ説明を聞き、臭いやつベスト3を切ってもらう。
私の友人は、女性の股ぐらに顔を押し付けるようになって以来ようやく臭いチーズが好きになったと言っていたが、そのような刺激がなくても臭いチーズは美味しいです。
ものによっては、ワキガやおしっこの臭いがしますが美味しいです。ということは、ワキガやおしっこも美味しい・・・ことにはならずにすんでいる。嗅覚と味覚は別ですからね。そこを混同すると「なんだかこれマッチの味がする/食ったことあんのかよ」という不毛なやり取りをすることになる。
それでも地球生物は鼻と口が隣接していて幸運でした。香りを楽しめば料理は二度美味しいし、ニコちゃん大王(Dr.スランプに登場する、顔に足のついた宇宙人)のような悩みもない。彼らはおしりの近くに鼻がついているので「うかつにおならをすると、く、くさいのだ」そうだ。ははは。
話はフレンチに戻るのですが、チーズの後はデザート、プチフールにコーヒー、最後にはハーブティーまでサーブされた、さあ帰ろうとチェックをして店をあとにした帰り道。
「なんか妙に安かったね」「やっぱり?」
と、領収書を子細に見直すと、なんと、肉2皿分がついていなかったのだった。しめて7,000円。なんと間抜けな。私たちにも得した感はまったくない。とるものはきっちりとって、はらうものはきっちりはらってこその満足感が台なしだ。やはり流行っていない店というのは何かしら問題のあるものだと納得する結果となったのだった。あのギャルソンがこっぴどく怒られている図を想像すると、返しに行くかとも思ったが、行ったところで受け取らないはずだし、また食べに行けばよいというところで落ち着いた。
最後に味噌がついたものの、全体的にはいい店。
新横浜のHANZOYAというレストラン。

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2005年05月16日

日記: ジム

ジムへ行く。
マッチョな男子がものすごいうなり声で気張って、バーベルを担ぎ上げたところ、それを見かけたあるおばさんが
「男の子ですか〜女の子ですか〜」
と絶妙な合の手を入れると、マッチョな彼は思わず吹き出し、バーベルはむなしく床に落下するのだった。
男子<おばさん、あるいは、筋力<笑い。

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2005年05月15日

日記: チックコリア

1、チック・コリアは丸々と太っていた。
ずいぶん太ったね、と言いながら思ったのだが、ならば以前は痩せていたのかと言えばそれもよくわからない、顔さえもうろ覚え、彼の外見に注意を払った記憶がないのだった。
実際、どんな外見だろうが、別に構わないのですよ。
ジャズはロックと違って、プレイ以外の付加価値がつきにくいジャンルなのですよ。
ふとっちょチックのコンサートを3時間ほど堪能する。
百戦錬磨という言葉がぴったりで、何があっても最高の音楽を提供できる風格が漂っていた。
アンコールではかの有名な「スペイン」を演奏したわけだが、終盤にさしかかるとコール&レスポンスが始まったのには度胆を抜かれた。最後には、歌うにはあまりにもむつかしいリフを無理矢理歌わせていた。
あの手拍子の部分です。ううむ。

2、近所の居酒屋で夕食を食べる。
隅の席に50過ぎのしがない禿げおやじとむやみに化粧の濃いしわくちゃのおばさんが座っていて、明らかに夫婦ではなくて、何度も間違いが起こっていそうな様子で、それは興味津々でした。
韓国焼酎をボトルキープしていて美味しそうに飲んでいたが、値段を確認すると一本850円だった。ははは。
これから「ワールド」(近所のラブホ)に行くのか、それともすでに行ってきたのか、予想してみたが真実は薮の中。
そういう人々のまぐわいは想像するだけで体が火照ります、ライクアバージン。

投稿者 shiori : 14:50 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年05月14日

日記: ボケ三昧

1、鷺沼の老人ホームに住む、もうひとりの祖母モモちゃんを見舞う。
彼女はその昔、相当な美貌と頭脳を持ち合わせるたぐいまれな女子だった。だから、なのか、なのに、なのか、薄幸の人生だったが、今は完全ボケなので、すべてを忘れ去ってすごく幸せそうだ。
私の顔を見て「あら、奥さん、よう来てくれはったねえ」と笑った。
ボケたもん勝ちですよ、この世は。
「あれは100才コースだな・・・」
モモちゃんが杖なしですたすた階段を下りるのを眺めながら、母親に顔を忘れられた息子(私の父)が半笑いでつぶやいた。色んなものがぎゅっとつまっていて、なかなか笑える光景だった。
老人ホームは通奏低音のようにうんこが臭っていて、最初はううむと思うが、不思議なことにそのうち慣れる。
ボケにも慣れる。全部慣れる。やっほ〜。

2、ボケ率5割と数字をのばしつつある、入院中の祖母を見舞う。
来週あたりには退院できる、というのは喜ばしいのだが、歩けることはないそうで、毎日の下の世話を思うと頭がくらくらする。
ちょうど来ていた叔父(祖母の息子)が
「歩けないけどまだまだ生きるらしいけん、早いところボケてしもた方が楽やで、おそらく」
などとさわやかな笑顔で祖母を脅していた。
口をへの字に曲げた祖母の顔が漫画みたいで、笑い倍増だった。
生きていればこそ、のおかしみなのだった。

3、フィーリングカップルに参加したもう一人の女子がモデル体型のものすごい美人ちゃんで、男子がどよめていた。
「同じ生き物とは思えない・・・」と見比べられて、つぶやかれた。私も激しく同意見だった。
20代前半なら間違いなくやっかんでいじけていたはずだ。
というのも、その昔は自分がかわいい部類に入るのではないか、と早合点していたからだが、「かわいい」のではなく単に「若い」だけだったと若さを失ってから気づいた。30になった今は、自分の出しどころもわかってきて、肩の力も抜けていい感じだ。美人ちゃんにも、ライバル心を燃やす必要がないと思われるせいか、妙に好かれるようになった。
珍味系の余裕・・・
というわけで、和やかに食事を頂く。パエリアと生ハムが美味だった。

投稿者 shiori : 14:54 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年05月13日

日記: vacances a la maison

1、病院通いが続いています

徒歩40分、自転車20分、タクシー10分
祖母の病院はいくぶん不便な場所に位置するのですが
この時節柄なので散歩がてら徒歩で往復して→ビール
→焼酎あるいはワイン→酩酊しくじると二日酔い
そんな調子で一週間が過ぎ、祖母はみるみる間に復調して
ここ数日は自ら箸をもって肉をむさぼるようになりました。
彼女の夕食に付き合っていると夜遊びもままならないので
史上最強に地味なGWを過ごしています。
他の家族が出払っているため家事を軽めにこなしつつ
久々にスーファミのスイッチなどを押してレッツドンキーコング。
燃えちゃって、あたし。
十字キーとYボタンのいじりすぎで親指がひりひりするぜ。

2、音楽もたくさん聴きました

家で酒を飲みながらゆっくりと音楽を聴く場合
アルコール度数に合わせて音楽の濃度を変化させれば
なかなかグッドなトリップ感が得られると思うのですが
例えば
SERGIO MENDES &BRASIL'66で軽快にビールを飲んで
乗ってきたところで NEIL YOUNG『HARVEST』
その後 THE ROLLING STONES あるいは LITTLE FEAT のライブ
盛り上がったところでワインの栓を抜き
さっぱりと WES MONTGOMERY、音数多めに KEITH JARRETT
歌が恋しくなり ELLA FITZGELARD あるいは ANITA O'DAY
そうこうするうちにボトルは残りわずか、窓の外はすっかり真夜中
となれば JOHN COLTRANE の生々しい響きや
McCOY TYNER の分厚く重いコードがしっくりくるのです
さらに余裕があれば
GLENN GOULD のバッハですべてを浄化したいところですが
その頃にはすでにべろべろ
あたりにはむき出しのCDとケースが散乱して、食卓には汚れた食器が放置され、煙でくぐもる部屋、祭りのあとの光景をしばらく横目で眺めて、深く溜息をついたのでした。
音楽っていいな。

3、と、ここで立ち止まって

「ゲームをする」と「音楽を聴く」の根源的な違いについて考察したいのですが、最大のポイントはゲームをする方が圧倒的に楽だという点です。
なぜ楽なのかと言えば、想像しなくてよいからです。
例えば、あなたがキュートな小猿を器用に操り、タルを飛び移り、敵をかわして、念願のボーナスステージに辿り着いたとしよう、それはそれで喜ばしい出来事で、あなたは思わず歓喜の声をあげて達成感にひたるのかもしれない。
達成感、そう、これが曲者なんですよ。
実際、何も達成しちゃいないんですよ。
小猿になりすまして、どこかの誰かが創った冒険のストーリーをばか正直になぞっているだけのことで、へたな想像力はストーリーのさまたげになるばかり、要はゲームの忠実なしもべとなって、与えらえた仕事をこなせばよいのです。
奴隷は楽なんですよ・・・達成感というご褒美ももらえるし・・・
脳や精神がある種の疲れ方をしているときにゲームをすると非常に癒されるのは、その奴隷効果のゆえんだと思うわけです。
一方、音楽や読書というのは、受け手の想像力なしには醍醐味を味わうことのできない行為なので、しんどい時はしんどい。でも、おもしろい時はゲームなんかよりは格段におもしろい。
どう聴こうと自由だからおもしろい、と私は思うのだけれど、最近は世の中が奴隷的な音楽鑑賞や読書なるものを指向している気がして、なんというか、末期的です。

4、と、真面目なことを言っていると茶化したくなる

のが人情ってものですね。
そういえば、先日思い切ってジーコのもの真似をしてみたら
意外に受けました。
きっかけがなんであれ、友人たちが笑ってくれると幸せになります。

5、残りわずかの連休

明日はお見舞いをはしごして
夜は表参道のスペイン料理屋でフィーリングカップル(参加者4名)
明後日は日比谷野音でチック・コリアのライブ
皆様、よい週末を!

投稿者 shiori : 14:55 | コメント (0) | トラックバック (0)