« 2005年09月 | ホーム | 2005年11月 »

2005年10月30日

日記: 10/30

肉体であれ精神であれ、自分の痛みを人に説明するのはとても難しくて、という以前にどんなに首尾よく説明したところで「あなたと私は別個の人間」である限り完璧な理解というのはありえないわけで、こんなに辛いんですと陳情するのもあさはかだし、痛みに苦しむ相手に痛みの質や量を理解した気になって慰めるのもうすっぺらい。本物の優しさっていうのは相手の幸せを本気で祈りながら自分は自分のことをしっかりやるってことなのだ。そのことをよくわかってないテキトーな人がたくさんいて、時々腹立たしくなる。
という基本事項を了解したうえで、痛みについておしゃべりするのは楽しい。過ぎ去ってきちんと消化された精神的苦痛や命に別条のない肉体的苦痛は格好の笑いネタともいえるわけで、なかなか盛り上がるのだった。

ちなみに男性相手に生理の話をするのも好きである(←悪趣味)。なにせ全く理解できないけれど興味がなくはないという姿勢がなんともいい。
「腰が割れるように痛いの」
「割れるように、へ〜」
「血もたくさん出るよ、だから貧血っぽくて眠いし」
「たくさん、てどれくらい?」
「もうそりゃたくさんだよ、あ、今度見る?」
「・・・」
という具合に調子づくことになる。妊娠、出産なんて経験したひにはどれだけのことを話せばいいのか、想像するだけでわくわくする。でも残念ながらこちらがわくわくするほど、男性は興味がないのも知っている。私がもし男なら出産現場は土下座してでも見せてほしいけれど世の男性は女性から頼まれて立ち会うケースが多いらしいし、色々と変化の多いぶん男性より余計に身体に興味があるのだろうと思う。
生理は痛いし面倒だし頭にくることもあるけれど、月経とはよく言ったものでひと月かけてさりげなく身体が変化して生理になって一区切り、生まれ変わるような感覚がとてもいい。そういうゆったりとしたリズムを感じて生きているんだなあと思う。
そこが男性と大きく違うところだ。マラソンに例えるなら、女性は今自分がどのあたりを走っているのか何も見なくても見当がつくけれど、男性はそういうわけにはいかないので時計や風景を見たり人に聞いたり「社会的な」動きをして位置確認をするんじゃないだろうか。男ってずいぶん不安な生き物だな・・・それでも今度生まれたら男をやってみたいなあ。

投稿者 shiori : 11:17 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月26日

日記: 10/26

今日、本屋でおもしろい人を見かけた。
漫画買っちゃおうかなあとコミック棚でめぼしいものを探していたら、奥の方から何やら声が聞こえて来る。耳をそばだてると、どうやら男性社員が新入りバイトに仕事を教えているようだった。奇妙に人を苛立たせる声色で私は不愉快になると同時に声の主はどんな顔をしているのかと好奇心がわいて、声のする方へわざと近付いた。
その男はおばさんと女子学生を相手に、返本のダンボール詰めの方法を教えているようだった。男は話に夢中で、私が至近距離1mのところまで近寄っても気付く気配はない。口角に泡をためて、まくしたてたままだ。一方、私に気付いた女性二人は男を一瞥したあと、困ったように私を見た。
(すいません、私たちも困ってるんですよ)
(でしょうねえ、いますよねえこういうヤカラ、ご愁傷様です)
という会話を目で交わす。
私は男の顔をまじまじと眺めた。30代半ば(実齢はもっと若いかも)、電気の実験をするでんじろう先生をぐっと貧弱にして、大人にきびで肌を凸凹にした感じの男である。あまりにもそのまんまなので思わずにんまりしそうになったところ、視線に気付いたのか、男はおもむろに私を見た。そして、やはりというべきか事もあろうにというべきか、男は得意げな視線を投げてよこし、一段と声高らかに話し始めたのである。
ああ、なんたる小市民!神様、お許しを!
思わず人間の浅はかさを恥じた私は本棚の陰に身をひそめた。
「だんボールをむだづかいしたくないんだつまりアタマ、をつかえばこれくらいのりょうははいるはずさいしょはなにもかんがえずこうやっていれていくアタマ、はいらないそれでここにカブトムシ3びきのすきまができたさてどうする、ってハナシなんだけどほらこうやって、い、れ、れ、ば、のこりカブトムシいっぴきこおおおおおおやってアタマ、つかえばほらできあがり!」
なにしろ早口なのである。カ、カブトムシ?!という私の驚愕もなぎ倒してしまうくらい早口なのだ。しかも劇団四季もたじたじの活舌の良さ、呪文をかけられているような気分になってくる。こっそり盗み見ると、バイトの女性たちもそろって遠い目をしている。こりゃジョウモノだ、と身を乗り出そうとしたその時、おもむろに天の声が響いた。
「レジお願いしま〜す」
彼の口上はやむなく打切られて彼女たちは九死に一生を得た格好、私は、といえば無念な表情で店をあとにしたのだった。
カブトムシって?
というのが最大の謎なのだが、そういう本屋専門裏用語が存在するのか、はたまた彼独特の単位表現なのか、もしやアイツはブリーダー?
などという香ばしい疑問が浮かんでは消え。あの店でバイトしたら謎は解決するんだろうなあ・・・ん?それも悪くない・・・
おっと、うっかり悪魔にそそのかされるところであった。あぶない、あぶない。

投稿者 shiori : 11:18 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月23日

日記: 10/23

快晴、富士山丸見え→気分爽快→模様替え
押し入れに無節操に詰め込まれていた大量の書籍をなんとかするために、本棚増築+整理を行う。スペース節約を心がけ過ぎてすかすかの本棚に仕上がった。これでまた心置きなく本が買えるというものだ。
合間をぬって内田春菊『怒りと共にイキまくれ』を読む。ちょっとした会話とか仕種がはっとするくらい真実をついていてすごいなあといつも感心する。そういえば少し前にテレビで彼女がカルロス・ジョビンの『ディサフィナード』を見事に歌いこなしていて(音痴でもハートはあるという曲で、わざと音痴仕様なのでピッチをとるのがめっちゃ難しい曲)素敵だった。漫画も描けて歌も歌えるなんてすごいと素直に思った。

晩は家族で伊勢海老を食べに行くことになった。と一口にいっても、ほぼ歩けない人をおんぶして階段を降りるところから始まるので伊勢海老はなかなか遠いのだった。事ある度に私は祖母を背負っているけれど啄木じゃなくてもあまりの軽さに驚いてしまう。クララを背負ったあの少年のように山のお花畑に連れて行ってあげれそうな気さえする。でも今はタクシーという便利なものがあるので祖母を押し込んで新横浜まで。
「うず潮」という海鮮居酒屋で伊勢海老の活き造りが食べられると聞いて行ってみると、客はほとんどおらず50人収容の宴会場に通されてはじっこに4人でぽつんと座った。
肝心の活き造りは一匹\4,000もするのにちょっとしかなくて、「もうすぐ死ぬんだから食べれば」と勧めると祖母が8割方平らげたので他の人は不完全燃焼だった。
その後も祖母はいか下足揚げとポテトフライとしまあじとうにの刺身とにぎり鮨各種を頬張り、途中でもよおしてトイレに行ってから伊勢海老の味噌汁を飲んですうすうと眠った。幸せな人・・・
しかし魚貝のあら汁ってなんて美味なんでしょう、あさりでもしじみでも海老でも鯛でも。ニースで食べたブイヤベースも最高だったしなあ。
VIVA☆DASHI
と確認したところでタクシーに乗り込み、再び祖母を背負って階段を上った。明らかにさっきより重くなっていた。お花畑はムリっしょと思った。
その後うっかりワインを空けてしまい久々に頭がぐらぐら。二日酔いにならないことを祈りながら眠る。

投稿者 shiori : 11:19 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月21日

日記: 10/21

何の脈絡もなく今朝不意にKくんのことを思い出した。実は私にはそういうことがよくあり、自分は頭の片隅に鳥を飼っているんだなと思うことにしている。目の前の作業や会話に集中している間もその鳥はぱたぱたとはばたいて私の来し方行く末4次元世界をいとも軽やかに飛び回り、時折下降しては「なんでまた」というようなものをついばんで運んでいる。それが今朝はKくんだったわけだ。
彼は哲学科のクラスメイトで、多くの同じ授業を受講していた私たちは一緒に移動してお昼を食べてだらだら話してそのまま飲みに行ったりする仲だった。哲学科という魑魅魍魎の集いにあって私たちは奇跡的に気が合いお互いを必要としていた、などというと男女の仲のように聞こえるけれどそんなことはまったくなく(実際お互い恋人がいた)「あの人の髪型やばくない?」とか「この論理式は・・・」とか「コーネリアスはいいよね」とか、実に他愛ないものでキャンパスライフを鮮やかに彩る良き友だったのだが、ある日のこと。
いつものように三田のととやだか通りゃんせだかで飲んでいた私たちはその日どんな会話をしたのか今となっては覚えていないのだけれど、確かそれは金曜の夜、大きな発表を終えた後で打ち上がっていたのだ。三田ではしごをしてかなり酔ったまま東海道線で横浜まで行き(彼の家は根岸線沿線だった)二人とも乗り換えるために下車したところ、私はいつもの悪い癖でもうちょっと飲みたくなってしまって、しかもKくんも誘えば乗ってくれそうな気軽さがあったので
「いく?」
と誘ったのだ。するとKくんは
「いやそうしたいのはやまやまなんだけど、俺はやっぱりどうあがいても羊なんだな、羊の皮をかぶった狼にはなれないんだよなあ、岩見さんごめん」
と申し訳なさそうに言った。「は?」と思ったのは0.5秒くらいのことですぐに何がどうなってしまって今こうやってKくんに謝られているのか悟ったのだが、私は「いやいや、そうじゃなくて」とはどうしても言い出せず、というのはKくんに恥をかかす格好になるのが目に見えていたし、まあそういうビッチキャラもなかなか悪くないなどと悠長なことを考えていたからで
「そっか」
と私はにっこり笑ってじゃあまた来週、とさわやかに手を振ってKくんと別れたのだった。
この出来事から推測するにその日の私はKくんを勘違いさせるような物質を放出していたのだろう、しかし少なくとも私はKくんと寝たいと思ったことは一度もないし、かどわかしてやりたいなどという小悪魔的着想もなかったはずなのに、と思わないでもないがあとの祭りである。
思い返してみるとそれ以降気まずかった記憶もなく引き続きKくんとつるんでいたのでその件は「ご酔狂」ということでお互い不問に付したのだと思う。卒業後も飲みに行ったりしていたのだが、ここ5,6年は会っていないし、なんとなくだけれど今後も会うことはないような気がする。でもKくんはきっと私のことをしっかり覚えていて、駅のホームでラブホテルに誘われたことも忘れていないだろう。今朝の私のように不意に思い出して、あの時うっかり寝なくて本当に良かった、と苦笑することもあるかもしれない。
多かれ少なかれものの認識とは誤解の総体と言えるわけで、すべてを正して回るわけにもいかないし(果たして正しい認識なんて存在しうるのか?都合のいい認識ではなくて?)必ず正されるべき誤解というのは実はさほど多くないことに気付く。往々にして「いや、違うんですよ、私の言っているのは」と人さし指を立てて訂正するのは当人の精神衛生の問題だから訂正された側にしてみれば「さっきと何が違うんだ?」首をひねることも多い。
「セックスを断られた女子」に仕立て上げられたことが是が非でも正すべき誤解であるかどうかは人によるのだろうけれど、今改めて考えても訂正するなんて野暮をするくらいなら「岩見さんは俺と寝たかったんだなあ」と彼に思ってもらって何の不都合もない。結局Kくんと私の関係においてそんなことはトリヴィアルな事柄、あれはあれでよかったのだ。
というところまで辿り着くと私の思考は一段落し、と同時に鳥は短く鳴いて再びどことも知らぬ場所へ勢いよく飛び立っていく。

投稿者 shiori : 11:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月18日

日記: 10/18

こんなに雨ばかり降ってしまって。
山盛りの洗濯かごを見るとさらに憂鬱になってくる。まあそのせいにするつもりはないが、ほとんど無気力に一日を過ごしてしまった。

・眼鏡のねじ締め(唐突に眼鏡の玉がぼこっと外れた)
・サントリーモルツご馳走プレゼントのハガキ作成(黒豚希望)
・祖母が上沼恵美子の物まねをしたので大笑い
・たまっている洗濯済みの衣服を収納(←苦手)
・パソコンの壁紙の色を変える(美味しそうな柿色)

というのがかろうじて積極性を伴った事柄だった。
最近睡眠状況が芳しくない。朝までぐっすり眠れず、細切れに目が覚める。ものすごくドラマチックな夢を見てお話が終わると目が覚めてトイレ休憩、再び寝るとまた別の夢が始まり終了すると目覚めてトイレ休憩(しなくてもいいけれど一応行く)、というのを3〜4セット繰り返して朝を迎える。夢を見るのは好きなので構わないけれど、寝ている時も頭がフル稼動しているようで全然疲れがとれず日中眠くて仕方ない。今日だって昨日8時間寝てさらに昼寝したのにまだ眠い。困ったものである。季節の変わり目現象ならばよいのだけれど。
そういえば昨日ちょっとおかしいことがあった。
スタジオのボーカルブースで連れの女子と待機していたら、彼女が「革靴に雨水が浸水しちゃった、これはきっとにおうな、いやだ〜」と言う。私は楽譜に目を走らせながら「ふうん」と返事をした。すると少したってから、彼女が私の顔をまじまじと見て「においます?」とたずねるので、私は「どうしてもっていうならにおってあげる」とおどけた調子で答えると、彼女はきょとんとしていたがすぐにはじけたように笑い出して「しおりさ〜ん、やだ〜」と繰り返す。ああ、そっちだったか、と気付いて私も吹き出してしまった。
昔から私の周りには「これ、におう?」とにやにやしながら使用済み靴下とか変色した豚肉とかを差し出し「ぎょえ〜、くせ〜」と興奮して喜ぶやからが多く(まず家族がそう)もちろん私もそのクチだ。バンドをやっていた頃、暇つぶしにわきがの臭いにチャレンジゲームをしたら相当盛り上がったし、昔の恋人は私に足の臭いを嗅がせるのが大好きだったし、まあそういうコミュニティーで生きたきたということなんだろう。しかし一般的にはそういうチャレンジャーな性癖は気持ち悪がられたりするから普段は抑え目にいこうと思っているものの、今回みたいに虚をつかれるとつい出てしまうのだなあとしみじみ思った。でも「くさい」っておもしろいよね!

投稿者 shiori : 11:22 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月15日

日記: 10/15

渋谷で旧友と飲む。
ものすごいスピードで店舗が変わっていて、少し前の情報は役に立たないことに気付いた。銀座あたりだと5年前に行った店でもきちんとあるのに、渋谷のようにみんなが好き勝手にビルをたてて店を出すような場所は街作りの意識も愛情もないのだと思う。
居酒屋で飲んだあと円山町の焼酎バーに行く。利き酒セットなるものがあり、淡麗、中口、重口の三種がロックでなみなみ飲めて1,400円というのは安い!と感激しながら、レバーペーストと漬け物でちびちび頂く。
家族や恋人や野望について忌憚なく喋りまくる。昔からの友人というのは話が早いから同じ時間話しても深く遠くまでいけるからいい。彼は通勤に時間がかかるから週に2冊のペースで本を読むとのことでおもしろかった本などを教えてもらえてよかった。伊坂幸太郎という作家がお気に入りだそうで、さっそく読んでみようと思う。
私は自分の世界を広げるためにも今まで読んでいない本を読もうとしていて人に聞いたりするのだけれど、自分の読んでいる本を内緒にしたがる人は意外に多い。そういえば電車ではほとんどの人がカバーをかけている。読んでいる本は自分を規定するという認識から自己防衛しているのかもしれない。あるいはダサい/イケてるのような価値判断があって『世界の中心で〜』を愛読する自分は知られたくなかったりするのかもしれない。本というのもなかなか微妙なのだ。たかが本だろうと思うのだけど。
外に出ると雨がじゃんじゃん降っていた。革靴の中に水が入ってきゅっきゅっと音が鳴る。どうでもよくなって気分よく帰宅。

投稿者 shiori : 11:23 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月14日

日記: 10/14

祖母がまた排便中に気絶した。耳元で怒鳴っても肩を揺さぶってもびくともしない。一度経験済みだとはいえ悠長に構えているわけにもいかないので、あたふたと動き回る。しばらくして意識を取り戻して事なきを得たのだが、彼女はぼんやりと天井を見つめて言った。
「ありゃ〜、また戻って来てしもた」
「ざ〜んね〜ん、おかえり〜」
拍手で出迎える私であった。
「にしたって、うんちしながらすっぽんぽんで死ぬのはどうかと思うよ」
と苦言を呈すると
「・・・ほ、ほうよのう。死ぬ時は綺麗に死にたいわいのう」
としみじみ。それでも「気絶」というのは肉体的負担が大きいのだろう、その後こんこんと眠り続けて再び起きたのは夕食前。
「お腹すいた」と言いながら食堂にやってきたので「具合はもうすっかりよくなったの?」と聞くときょとんとして首をかしげた。
す、すごい、忘れてる・・・

と極楽な祖母は母に任せておいて、私はイタリア料理を食べに行く。
いとよりのソテー、スモーク仔牛のグリルなど、ワインも含めてそこそこ満足した。少し離れた席に若い美人さんが座っていて10くらい年上の恋人と楽しげに食事をしていた。金曜の夜、美味しい料理と和やかな会話、二人は親密に時を重ね・・・るはずだったところ、何が起こったのか唐突にその美人が泣き叫び始めた。「お金じゃなくて心でしょ」とかなんとかすごいことになってきて、男は慌ててチェックしようと立ち上がり、女は荷物をひっつかんでヒールをがつんがつんいわせて外に飛び出していった、とドラマにありがちな光景を目の当たりにした。
私の記憶によれば、噴火の5分前に二人そろってグラスワインを追加注文してち〜んと幸福の鐘を鳴らしていたはずなのに、果たして噴火の予兆はなかったのだろうか?あの男がうすらとんかちで予兆を見逃したのだろうか、それともある種の女性というのは本当に唐突にキレるものなのだろうか?
と様々な疑問が浮かんだが、結局私はあの彼女が少々うらやましいのだった。あんな風に公衆の面前で泣き叫べたら・・・と思うけれどそんな芸当は何回生まれ変わってもできそうにない。おそらく恥の感覚が私とは大幅に異なっているのだろう。
それにそういう行動って美人の余裕よね、とも思う。だってブスのヒステリーなんて目も当てられないじゃないか。美人というのは小さい頃から自他共に「腐っても鯛」で生きてきているから精神が奔放なのかもしれない、などと推察しながらオリーブをかじってワインをなめた。私は私でけっこうと思う瞬間。

投稿者 shiori : 11:24 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月13日

日記: 10/13

ひねもすがらスタジオ、バラードにコーラスを入れる。シャーッという成分多めの声で、とリクエストされて媚びないカヒミ・カリィを意識して歌ってみる。どの楽器でも小さい音で演奏するのはことのほか難しく神経を使うが歌も同じことで、ピッチを保ちつつ小さく柔らかく歌うのは大変だ。腹筋を痙攣させながらなんとか録り終え、タクシー帰宅を免れた。
男と女の噂あれこれについてひそひそ話し合う。当本人はいないのになぜか声を潜めたり、皆の目がらんらんとしていたり、いくつになってもそういう類いの話は盛り上がるなあとしみじみ思った。
男も女もちょろちょろせずに一本一穴主義を貫いて添い遂げる夫婦ってどれくらいいるのだろうか。相当少ないというのが私の所感なのだが、誰も本当のことは言わないので真実はわからない。
何もなければそれにこしたことはないけれど、生きていれば事故も起こるし魔がさす可能性は誰にだって等しくある。あるいは夫婦の絆や愛の及ばない事柄なのかもしれない。だからもし実際に起こってしまったなら未必の故意という責めを噛みしめながらそっと胸に秘めておけばいい。人間なんて自分しか知らない秘密をたくさん抱えているものだし、相手だって自分と同じくらいたくさんの秘密を抱えているのだ。
しかしそこでうっかりすけべえ心を出してしまうから問題なのだ。ちょろちょろする自分も悪くないといい気になったり(男にありがち)何らかの当てつけで秘密の存在を匂わせたりすると(女にありがち)ほどなくばれることになる。言い争いになって物が破壊されたり、はたまたしばらく別居なんてこともある。伴侶よりも愛してしまうようなシリアスなケースは別にして、その種の災いはすべて本人のすけべえ心に起因しているんですよ、ねえ、そこのあなた。
こういう話は聞いてるぶんにはソートーおもしろいので、今日はなかなか楽しい日であった。

投稿者 shiori : 11:25 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月10日

日記: 10/10

「あ〜らら、だ〜れもおらん、さみしいのう・・・」
何事かと眠い目をこすりながら起きあがると、パジャマ姿の祖母が両手を腰に当てて仁王立ちのまま窓の外を眺めていた。時計を見ると午前6時半、だ〜れもおらんとは失礼な話で私はここにいます、ここのところ家人どもが出払っているわ雨は降り続くわで人生の孤独を噛みしめているんだかなんだか、どうでもいいけど堪忍しとおくれ。それに今月はパトロール強化月間なのか、朝に夕に何度も家中を見回って不審者の発見に全力を尽くしている。発見したところでどのような退治をしてくれるのかは謎☆
それでも「おばあちゃん、もう起きたの」と言うと「え〜え〜、もう家の見回りも済ましといたぞな」と得意げな顔がおもしろいのでパトロ〜ル!フォ〜!!

あ、私と同じ誕生日!
だからどうしたのかと言われれば「あ、同じ筆箱」とか「あ、舘ひろしだ」とかいう程度の話なのだが、強いてものものしく言えば星の巡りのようなものが共通しているシンパシーがないこともない。
しかし単純に計算すれば同日生まれの日本人は35万人、それはコミックおたく、カトリーナで失業した人数、年間の妊娠中絶件数(日本)などに相当する数字、と数量を具体化したところで想像の及ばないほど大きな数で、そんな35万人に共通するファクターなどありうるのか、星の巡りなどという発想は予定調和なのではないか?
と、ある友人に告げると「じゃあ、魔法使いやUFOを見てもしおりちゃんには教えてあげない」と白けたように言われて少し悲しくなった。信じないわけではないが、私と同じ誕生日の有名人は
宮川大助、石田ゆり子、真木蔵人、白竜
私の星の巡りは一体・・・

投稿者 shiori : 11:26 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月06日

日記: 10/6

Mさんと一緒にポルトガルから一時帰国しているCさんとその息子(1)に会いにいく。私たちは10年前から女の幸せと不幸せについてできる限り具体的に話し合って泣いて笑ってきた仲なので、Cさんが息子を抱く姿は感動もひとしおである。ベッドで跳ね回る彼を尻目に、お互いの現状報告など13時からノンストップトーキング、まだまだいけるぜと思いつつ21時散会。
この数日仙台の叔母が祖母の面倒を見てくれているので助かっている。しかし祖母は母も私もいないとなるとひどく不安になるようで、家中をうろうろ歩き回って「いつ帰る?」と30回は聞くそうだ。今日も帰ると祖母は暗闇で目をぱっちり開けたまま、毛布を握りしめてベッドのはじで小さくなっていた。
いちいち気にしていたら身がもたないので措置を講ずる気はないけれど、老人の不安な様子は母を探す子供のそれと同じくらい切実だ。しかし子供よりも暗くて湿っていて、人を憂鬱にさせる。母は子を捨てたりしないけれど、子は母を捨てる可能性のあることを知っている顔だからと思う。
人生のはじっことはじっこをいっぺんに見て今日はお腹いっぱい。

時計を見るとまた1時50分だった。午前であれ午後であれ「おっと、いけない」と慌てる時間だ。午前ならば寝なきゃいけないし、自宅にいる午後なら何かに取りかからなきゃいけない。そこをないがしろにすると一日が台なしになってしまういわばデッドラインのような時間だ。少々の眠気と倦怠を感じながら重い腰をあげるというのが私の過ごし方なのだが、仮に午後1時50分で世界を輪切りにしてみると、
Aさんはラーメンにどっさりのった葱を平らげたため口臭を気にしつつ引き続きおもしろくもないエクセル文書作成に励み、先ほど目覚めたばかりのBさんは二日酔いの頭で横でしなを作るこの女(29)とはもう会わないだろうとぼんやりと思い、息子が夜泣きしてほとんど寝ていないCさんは徹子の部屋に出演中の若手女優(貧乳)が発作的に憎くなりリモコンを投げつけ、Dさんはピアノに向かいもうすぐ完成するであろうこの曲(エルトンジョン風)は名曲かもしれないと小鼻を膨らませ、上司の要領を得ないしゃべりを聞き流しながらEさんは昨晩の妻との味気ない交わり(妻はもちろんイかなかった)を思い出して経理課のマリちゃんにちらちら目を走らせ・・・
世界はなんて混沌として猥雑なんだ!byシェイクスピア、というよりは私の世界観の問題という気がしますが、ところであなたは午後1時50分をどうお過ごしでしたか?

投稿者 shiori : 11:28 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月05日

日記: 10/5

またもやがっかりすることがあった。ふう・・・
色々な意味でこの数年はその後の人生を左右する重要な時期なのだと思う。苦難の顔をした希望と希望の顔をした苦難がかわりばんこにやってくる。それでも何もしないよりはずっと楽しくて、何がしたいのかわからないよりはずっと幸せだ。なんと言っても、まだ何も始まっちゃいないのだ!
と、慰め合ったり苦言を呈し合ったりして昨日は少々飲み過ぎた。
『天保十二年のシェイクスピア』を観劇。
おもしろかったわんわん!
シェイクスピア全作品を江戸の街にまるごと移植、といういかにも井上ひさしな脚本で猥雑な世界を存分に堪能できたし、これでもかといわんばかりの言葉攻めで言葉好きとしては大満足。好きな俳優もたくさん出演していて、特に篠原涼子と夏木マリが素敵だった。涼子ちゃん、めっちゃいい女!大好き!客席には大竹しのぶも座っていてパパラッチの血が騒いで仕方なかった。あんな大物女優がど真ん中で観ていたら舞台の役者もやりづらいのではないかしら、矢野顕子の前でピアノを弾くようなものだと思いつつ。全4時間の公演、マチネとソワレをこなす俳優さんには頭が下がった。
久々に渋谷東急本店のイタリアンレストランTANTO TANTOで食事をした。かれこれ十年くらい繁盛し続けているというのもすごいことだ。値段は高めだが、何を食べてもはずれがないのが勝因だろうか。

投稿者 shiori : 11:29 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月02日

日記: 10/2

どうにもこうにも眠くてなんにもはかどらないので、いっそのことジムへ行って汗を流すことにした。純粋なエアロビクスは久しぶりだったので、頭も身体もフル回転で目が回ってしまった。ビートに遅れまいと必死で手足をばたばた動かす自分の姿が鏡に映っていて、さらに見回すと周りの人も必死の形相で、スタジオ全体が地震を察知して逃げまどうネズミたちのようだった。笑いをこらえる自分の顔がまた鏡に映っていて、もうほんと勘弁してほしいです。
マイフェイバリットスーパーマーケット成城石井が改装工事をするので棚卸しセール開催中と聞いてすっ飛んで行ったところ、店中の棚がほぼからっぽになっていて驚愕した。遅かった・・・と舌打ちしながらもチーズやらバターやら紅茶やらパンやらカレーやらをかごに投入して、立ち止まったのはワイン売場。セール除外品と知りながらも誘惑に勝てず、20分かけてチリワインを選んだ。
ワインを飲み始めてかれこれ5年ほど経つが、だいたいが酔っ払っているので銘柄や産地はおろか味だって忘れてしまうので知識は蓄積されない。自分の好みもよく把握していなかったが、カベルネ・ソービニヨン種が好きなんだとこの程ようやく気付くに到った。
いわゆるボルドーワインはカベルネとメルローを混ぜているのだが、カベルネの配合が多くなるにつれて美味しくなり、残念なことに値段も上がっていく。そういうのはなかなか買えないのでどうするかというと、カリフォルニアとチリのワインを探す。この地区はボルドーのように混合ではなくカベルネ100%ものを多く作っていて、値段もだいぶん安い。確かにメルローなしだと味がきつくなってパンチが効きすぎるきらいがあるが、なかなか美味しい。口当りがいいとはいえないので飲み過ぎないで済むのもよい。
チリのマイポ渓谷のカベルネは秀逸と聞き、今日それを見つけたので購入した。3300円、と少し高かったが、明日31才になってしまうのでかまやしません。
今日はなんだか真夏のようで慌てん坊の蝉がジージー鳴いていたが、夜は虫がチーチーというかシャーシャーというかA♭とBの間くらいの音を波打つように歌っている。過食嘔吐の小説を読みながらまたひとつ年をとった。

投稿者 shiori : 11:30 | コメント (0) | トラックバック (0)