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2007年04月30日

日記: 柿の木

 いい陽気である。こんな日は一年で何日もない。窓の外では柿の木の葉がさわさわと気持良さそうに揺れている。つい最近まで節くれ立った枝が剥き出しになって寒々としていたのに、4月にはいってぽしょぽしょした新芽が出て来てあっという間に若葉になった。人間でもそうだけれど、子供の成長の早さにはいつも驚かされる。秋には実がなり葉もサイケデリックに変色して、そして師走を待たずにはらはらと散っていく。
 祖母は園芸が生き甲斐のような人で、庭に100本以上の木を植えて何十年も慈しんで育ててきた。もちろん柿の木もあって、甘くて大きな実をたくさんつけていた。一度実を取ろうとよじ上ったら枝がぶつりと折れて木から落ちたことがある。柿の木の枝は弱いのじゃけんのぼったりしていくかや、とまだ元気だった祖母に怒られた。
 それにしてもあれは美しい庭だった。だからそれを捨てて我が家に来るのは断腸の思いだったと思う。庭はどうなっとるじゃろうか、と遠い目をしてよく言っていた。今でも、玄関脇の桜が満開だろうね、とか、サルスベリは葉をつけたかしら、と声をかけると懐かしそうに笑う。でももうあんなふうに夢とうつつが錯綜する感じで生きていれば幽体離脱できる、というか自分の思う場所に自由に行けるのだろうから祖母はあの庭によく帰っているに違いない。水をやったり接ぎ木をしたり、忙しく働いているに違いない。
 あと一ヶ月もすれば彼女は92歳になる。盛大に誕生会をしようね、と言うと「ありがとう」と嬉しそうに礼を言った。そんな言葉を聞いたのは今年に入って初めてだった。祖母のことになるとどうも涙腺が弱くていけない。

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カタカナ: パラシュート parachute

「スカイダイビングなどで使用されるパラシュートのパラの語源とは?
A:防ぐ B:開く C:傘状の D:落ちる
さあ、ど〜れだ」

『クイズ$ミリオネア』で観た問題である。
 クイズ番組というのは「蒲公英と書いて何と読む」とか「スリランカの首都はどこでしょう」とか、知らないと答えられない問題が圧倒的に多いのだが、この番組は4択だし知らなくてもどうにか解けそうな問題が比較的多かった。ちなみにこれは750万円の問題、堺正章は見事当てていた。
 あるいはシュートが何かわかれば簡単かもしれない。語源クイズの場合、同義語を列挙して意味を推理するというのが一番有効なやり方である。遊園地にあるのはウォーターシュートだ。ボートに乗ったまま急斜面を滑り落ちて、下の池に突進するあれである。今はどうか知らないけれど、豊島園にも八景島にもディズニーランドにもあった。ダストシュートというのもある。蓋を開けてゴミを捨てると階下の焼却場にどさっと落ちる仕組み。小学校や中学校の各階に設置されていた。開けるとゴミのすえた臭いが鼻を刺したものだ。またラブホテルの会計にもエアシュート式というのがある。お金を入れた筒をセットすると階下にいるおばちゃんの元に届き、おつりの入った筒が再び戻ってくる。つまりシュートは「落ちる」という意。
 しかしこの問題の難しい点は、パラ○○という言葉を列挙してもパラの意が定まらないところにある。パラサイト、パラボラ、パラレル、パラドクス、パラリンピック、パラソル……、実はpara-には複数の意があって、パラサイト、パラボラ、パラレルのパラは「そばに」、パラドクスのパラは「反対の」、パラリンピックのパラは「脳性麻痺の」、パラソルのパラは「防ぐ」、といった具合なのである。踊るパラパラももちろん違う。
 太陽(sol)を防ぐパラソル、落ちるのを防ぐパラシュート、となるわけなのだが、知らなければ「B:開く」も怪しいし「C:傘状の」も一理あるようだし、結局は勘が頼りということか。

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2007年04月28日

日記: 内容と口調

 映画でも小説でも絵画でも根っこは単純で、「何を描くか」「どう描くか」要はこの二点に尽きる。それは例えば人と会話する時に何をどんな口調で語るのかと同じことだ。べらんめえ口調で会社を罵る女とおねえ言葉で恋人との情事を語る男の印象はまったく異なるし、そしてまたおねえ言葉で会社を罵る女とも異なる。べらんめえ口調が苦手な人は彼女が苦手だろうし、会社の悪口が退屈な人は彼とは友達にならないだろう。芸術作品の好き嫌いは単純にそういうことなんだと思う。
 しかし世に溢れる作品の多くは好き嫌いの土俵にも上がれないものばかりだ。話の内容が滅茶苦茶だったり口調が凡庸だったり内容と口調がちぐはぐだったり、作品の可能性は無限にあって何をどう描こうと自由だけれど、人に金を払ってもよいと思わせる作品を創るのは難しい。この人の作品をまた見たいと思わせるのはもっと難しい。いや難しいと感じる人には難しいと言うべきかもしれない。
 今朝はそんなことをとりとめなく考えていた。あとはサミットのポイント5倍セールに行って、昼はフレッシュトマトのパスタを食べた。
 夜は渋谷にライブを観に行った。思わず大きな声を上げてしまうくらい久しぶりの人に5人くらい会って同窓会みたいだった。ボートのメンバが揃ったのも久しぶり。それぞれ年をとって、それぞれ家庭があって。
 深夜は酒乱の疑いのある友人をいじりながら邪馬台国と仮面ライダの話で盛り上がる。17時から4時まで飲んだ。とほほ。

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カタカナ: レントゲン roentgen

 X線写真とも呼ばれる。身体にX線を照射すると、その画像がフィルムに焼き付けられる仕組みだ。X線は感光作用のある電磁波である。広島に原爆が投下された時には病院地下のレントゲンフィルムがすべて感光していたことから原子爆弾だと判明した。また物質を透過する能力もあり、これを活用することによって透過度の高い皮膚や筋肉や空気の部分は黒く、透過度の低い骨や腫瘍は白く写し分けることができる。逆にX線を通さない造影剤を服用することで、普段は写らない血管や消化器の画像を見ることができる。妊娠していなければ放射量もトリヴィアルなものだし、経済性にも優れている。
 ところでレントゲンとはそもそも照射した放射線量を示す単位であり、それを発見したヴィルヘルム・レントゲンという人の名前でもある。彼は栄えある第一回ノーベル賞の受賞者である。
 自分の名前が単位になる人は間違いなく偉人だ。少年文庫で伝記が出版されるような人たちだ。アンペア、ケルビン、ヘルツ、ニュートン、ジュール、ワット、ヴォルト、パスカル、オーム、クーロン、すべて人名に因んで名付けられている。
 それで想像してみるのだけれど、彼らだって自分の名前が単位になって最初は妙な心地がしただろう。0.3シオリとか9875シオリだなんて身体が勝手に伸縮するようでこそばゆい。知らない人に呼び捨てにされて腹立たしかったり、反対に友人に罵られても自分のことに思えず不遜な態度をとってしまう可能性もある。それでもシオリを計測する器具やシオリとパスカルを置換する式なんかもあって、それはそれで素敵かもしれない。ちょっと羨ましい。
 ところでシオリとは何の単位かというと、そうですね発見の可能性としては、二日酔いの強度というのはいかがでしょう。ジュールやモルやデシリットル、はたまたヘクトパスカルなんかも関係していて、電卓をばちばちやれば強度が計算できてそれに応じて処方箋を出す、二日酔い一発解決でノーベル平和賞。イエイ。

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2007年04月26日

日記: ぱっとしない

 一日だけ集中するのは簡単だが、一週間を通じて気を抜かないのは難しい。一週間ずっとだらけるのと同じくらい難しい。今週はわりと調子良くきているが、週末までこのペースが持続するとは限らない。一日に多くを片付けようといきまずに毎日決まった量を地道にこなそうと心がけているが、32年も生きていてまだそれができない。ぱっとしない所以、である。
 酒がネックであるという説も浮上している。飲んでしまうとあら不思議、その後の時間が消しゴムで消したみたいになくなってしまう。だからといって酒を断つという選択肢はなく、ならば飲む前に用事を終わらせればよろしいのだが、なかなかどうしてうまくはいかないもので、ああ今日も一日駄目だったと嘆息しながら酒を飲む。向上心がなければもっと楽しかっただろうか。いずれにしてもそういうのはもう飽きた。
 今日は一日中iPODを鳴らしていた。ツェッペリン、パティ・スミス、ストーンズなど。ロックが好きである。深沢七郎を読んだ。

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カタカナ: ソロ、デュオ、トリオ solo duo trio

 日本語には数字を含む言葉がたくさんある。一匹狼、二刀流、三位一体、四球、五重塔、といったものから、いちげんの客、さんずの川、よもやま話、しのごの言う、うんともすんとも、のようにこっそり数字を含んでいるものまで種々豊富である。
 もちろん外来語にもたくさんあって、楽隊の編成を示すソロ、デュオ、トリオ、カルテット、クインテット、シクステット、などがよい例だろう。漢字ほどではないけれど、少し考えただけでかなりの数を思いつく。
 ユニコーン、ユニフォーム、ユニーク、ユニット、ユニヴァーサル、共通するuni-は「一つの〜」という意だ。これが2になるとbi-がついて、バイシクル、バイリンガル、バイセクシュアル、となる。トライアングル、トライアスロン、トリケラトプス、tri-がつくので3だ。
 四分の一を示すクオータ、アメリカ国防総省で有名なペンタゴン、カメラのPENTAXはペンタプリズムといって像の反転しない五角形プリズムをいち早く導入したことからこの社名になった。ペンタトニックスケールなんてのもある。ヘキサゴンというクイズ番組があるが、あれは6名の回答者が六角形の机に座って戦う形式。七角形はヘプタゴンという。それから8本脚の蛸はオクトパス、8度音程を示すオクターヴ。
 10月のオクトーヴァーも8である。これはそもそもMarchが一月だったところ、暦編成の折にJanuaryとFebruaryを無理矢理挿入したという事情による。Septemberは7、Novemberには9がそれぞれ含まれていて、二個ずつ綺麗にずれている。

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2007年04月21日

日記: ポイント欲

 近所のサミットというマーケットにも100円で1pt貯まる仕組みのポイントカードがある。貯まったポイントはキャッシュバックできたり、商品と交換出来たりする。土曜と日曜の午前中はポイント5倍デー。つまり100円で5pt貯まる。はは、どうってことないわ。と最初は斜に構えていたが、ティッシュとか昆布とか歯磨き粉とか備品の類いをまとめて買うと、レシートを確認してうっかり小躍りしてしまったのだが、どんと300ptついたりするのだ。以来今すぐ必要じゃないものはすべて土日に買うことに決めてせっせとポイントを貯めた結果、現在8000ptまで貯まった。感無量である。10000pになったら現金にして旨いものでも食べに行こうと思う。
 そういった考えの人が世の中多いと見えて、土日午前のサミットはいつもお祭り状態だ。皆溢れんばかりのカ−トを押していて、会計が1万円越える人もざらである。ポイント5倍が終了する13時前になると、急げ急げモードに圧されてレジの人は気が狂ったようになっている。気の毒だけれど、ちょっと笑える。
 今日は前に並んでいていた女性(太め)がカップ麺とレトルトパスタソースと菓子パンとコーラをかご一杯購入していて、原因と結果を同時に観察することができた。ふと見ると彼女は小学生の子供(太め)を連れていて、子供の未来が透視できてしまった。生まれてきたので仕方なく生きている感じだ。最近こういう白痴の人が増えている気がする。

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カタカナ: ソーダ soda

 元素Naはドイツ語だとナトリウム、英語名だとソジウム(sodium)。一般的にソーダと聞くと炭酸水を思い浮かべるが、もともとはNa化合物を示す俗称であり、中でも炭酸ナトリウム(ソーダ灰)を指すことが多い。水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)も化合物のひとつ。これらは食塩を分解して作られるのだが、これをもとにガラスやパルプ、石鹸や何かを作るのがソーダ工業である。
 炭酸水素ナトリウムもNa化合物である。これは重曹のこと。ベーキングパウダー(ふくらし粉)ともいう。最近は掃除に使用する人もいるようだ。その昔はこの重曹をレモン水に溶かして炭酸水を作っていたため、ソーダと呼ぶようになった。現在の炭酸飲料の多くは人工的に炭酸ガス(二酸化炭素)を注入して作っているが、ペリエやサンペレグリノのように地層の天然ガスが溶け込んでいる天然ソーダもある。
 このソーダに甘味や酸味を加えたものがサイダー(cider)である。これはそもそも林檎酒という意味なのだが、どこでどう間違えたのか日本ではそういうことになっている。兵庫の有馬温泉で炭酸泉に砂糖を混ぜて客に出したのがサイダーの始まりだそうだ。そういえば有馬には炭酸煎餅という炭酸泉を入れて焼いた名物お菓子がある。さくっとふわっとしていて、素朴な味わいだがなかなか美味しい。
 スカッシュというのもある。これはsquash(潰す)という英語の通り、ソーダに果汁と果肉を加えたもの。粒入りファンタオレンジはスカッシュの分類ということになる。

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2007年04月18日

日記: 不毛な日

 毎日雨ばっかりでもう嫌。洗濯かごがアヴァンギャルドなオブジェのように盛り上がっている。おまけに先週末春の陽気に誘われてオイルヒータを片付けてしまったので寒くて仕方ない。そこに生理痛と不機嫌が加わって、一日中なめくじのように過ごした。
 それで生理痛と二日酔いとどっちが嫌だろうかと考えた。生理痛のほうが痛いけれど、身体がしんどいのは二日酔いである。飲めないくらいしんどい。精神的にも二日酔いのほうがしんどい。生理痛の時は酒も飲めるし、身体的には普段となんら変わりない。でも二日酔いは極悪なものでなければ一日で直る。生理痛は二日は続く。諸々の手当も面倒である。しかも一ヶ月に一度必ずやってきて、逃れるには妊娠するか歳をとるしかない。対して二日酔いは避けられる。飲み過ぎなければいいのだ。しかしそれが難しい。避けがたいという点では生理痛と変わらない。引き分けか。
 と書いていて我ながら情けなくなってきた。こんなに不毛でいいんだろうか……

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カタカナ: エラー error

 「歩き回る、間違える」という意のラテン語派生の言葉。同じような語にmistakeがあるが、こちらは判断の誤りや勘違いをいうのに対し、errorは基準から逸れた誤りや過失を意味する。mistakeよりも堅い表現で、非難を含むことも多い。
 となるとコンピュータ画面でよく見かける「エラーが発生しました」というメッセージは非常に感じが悪い。「君がおかしなことをするから動かなくなったんだよね〜」と言って我々を責めているのである。あるいはこちらが何もしていないのに突然「エラーが……」と訴える時もあって「僕は悪くないのにさ、おかしいよね」とふてぶてしい感じさえする。水をぶっかけてお仕置きしてやりたいところである。
 野球にもエラーがある。「失策」と訳されるが、野手がトンネルしたりフライを落っことしたりして送球に失敗するとエラーマークが点灯する。野球というのは実にシビアなスポーツだ。ここまで厳密に責任の所在を追求する団体競技は他にないのではないか。今のはヒットなのかエラーなのか、ワイルドピッチ(暴投)なのかパスボール(取り損ね)なのか審判を下して記録に残すのである。グレイゾーンが嫌いというか徹頭徹尾分析的というか、さすがアメリカーノ。打率とかセーブ数とかやたら記録にこだわるところをみても、野球というのは個人競技なんだなあとつくづく思う。
 サッカーにもバスケにもファウル(反則)はある。サッカーでは悪質なファウルの場合にはカードが出て、相手側にはフリーキックやペナルティキックなどのアドヴァンテージが与えられる。バスケでも反則があればフリースローを行う。しかし一対一で抜かれたりトラップミスでがきっかけで失点しても、たとえオウンゴールしても「この人がぼんくらなので失点しました」とオフィシャルに記録するわけではない。カメラも特定の個人をぬいたりはしない。
 しかし野球は違う。「X、痛恨のエラー!」と叫ばれて絶望的な表情が大映しになる。むろん記録に残ろうが残るまいがエラーした人の心情に変わりはないだろうけれど、野球って殺生なスポーツですなあ。好きだけれどね。

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2007年04月14日

日記: トーマの心臓

 風そよぐ晴天。気持がうきうきして、朝から元気もりもりである。午前中のうちにいくつか用事を済ませて、午後は寝転がって萩尾望都『トーマの心臓』を読んだ。筋書き、構図、筆致、人物造形、そして世界観、なんて贅沢な漫画でございましょう。男同士でキスして変、なんて陳腐な感想を一切拒む凄みもある。エーリクがユーリを好きになるくだりなんて、まあ王道と言えば王道なのだが、かなりどきどきした。すなわち自然ということ。
 夜はS家の新居お披露目パーティがあって、計16名(うち2名幼児)が集う。Kちゃんたちにトーマの話をしたら、皆読んでいて(さすが漫研☆)、全作品読む価値があるようなことを言われた。そうか。『ポーの一族』も合わせて買ったので楽しみに読むことにしよう。
 S家は明るくて居心地がよい。前の家もそうだったけれど、今度の家はさらにパワーアップしていた。結局家は住人の人柄なのだと思う。家主が酔いつぶれたのちも、ちょっとした痴話喧嘩やそれに伴う失笑などを経て、朝まで飲んだ。信じられない量の缶瓶の山。

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カタカナ: シャンプー shampoo

 散髪してシャンプーが格段に楽になった。髪の毛がないみたい。以前はえいやと一念発起しないととても洗えなかった。手間も時間もかかるし、抜け毛が背中に張り付いて気持悪い。排水溝もすぐ詰まる。シャンプーのポンプも二回半押さねばならなかった。そんなに嫌ならさっさと切ればよいのだけれど、彼が長い髪の女が好みだというので切れなかった。というのは嘘で、美容院に行くのが面倒なだけなのだった。
 その昔はシャンプーといえばメリットだった。今も変わらぬ薄緑のケースが風呂場の片隅に置かれていて、リンスはもちろん洗面器に溶いて使うタイプだった。エッセンシャルという銘柄もあったかもしれない。そのうちキョンキョンの宣伝するスーパーマイルドシャンプーやラックスが登場して、ヴィダルサスーン(ナイスネーミング)やらモッズヘアやら、現在はTSUBAKIという銘柄が人気なのだそうだ。私はその都度安いものを買っているのでパッケージと中身の銘柄は必ずしも一致しない。べらぼうに安いのでなければどれでも一緒だと思っている。
 小学生の頃はシャワーなんてないから垢の浮いた湯船のお湯をせっせと汲んで洗髪していた。当然手間が要るので今のように毎日洗髪する習慣はなかったし、そのことを不潔だとも感じなかった。服も二日や三日着続けるのが当たり前、衛生観はあれぐらいがちょうどよかったんじゃないだろうか。今はちょっと神経質すぎる。薬局に行くと身体の臭いや汚れをなかったことにする(決してなくなるわけではない)商品がずらりと並んでいて、そんなことだからセックスレスカップルが増えて、日本の男はどんどんメス化して女はオス化してしまうのです。もっと気を抜け、と言いたい。
 シャンプーとはヒンディー語で「押す、マッサージする」という意。

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2007年04月13日

日記: 葬り方

 40cmばかり髪を切った。
 床に堆積した髪束を見るといつも思い出すのは
「アウシュビッツに到着した彼らはまず剃髪され、その髪の毛はドイツ軍艦の修繕に使われました、人毛は軽くて水を通しにくいので船底の防水には最適だったのです」
 という話で、金や銀や赤銅の毛が無造作に袋に詰め込まれて(あるいは剥き出しで)輸送される光景を想像してしばし考え込む。
 と同時にもうひとつ思い出すのは
「彼はその紙包みを受け取ると、気味悪そうにあけてみた。シェルビー氏の男の子ジョージにもらった1ドル金貨と、セントクレア氏の娘イヴァンジェリンからもらった、長い、輝くような金髪の巻き毛が中から出てきた。その髪の毛はまるで生きているかのように、レグリーの指に巻きついた。『畜生!』彼はかっとしてこう叫ぶと、床を踏みならし、その毛で火傷でもしたように、はげしくそれをむしりとった。」(ストウ夫人作「トムじいやの小屋」)
 という話で、巻き毛が良心の象徴だとかいう以前に、切り落とした髪を半紙にくるんで取り置く行為についてしばし考え込む。
 つまり髪の毛は髪の毛であって、有効利用するのも形見として崇めるのも同じくらい抵抗があるのだ。切ったらすみやかに燃やす。これがもっともエレガントな葬り方だと思う。

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カタカナ: ゴールドベルグ変奏曲2 Goldberg variations

 前回の続き。
 ゴールドベルグ変奏曲は「アリア(主題)+30の変奏+アリア(主題)」の32曲で構成されている。このアリアに関しては『羊たちの沈黙』のレクター博士のテーマとして使われたり、テレビでも再々かかるので聴けばご存知の方も多いのではないだろうか。32小節から成る美しい旋律で、G→F#→E→D→B→C→D→Gとベースラインが動いていく。驚くべきはこのラインが3曲の短調を除く27の変奏に共通しているという点だ。リズムや曲想がまったく違うので、あるいは聴いているだけでは気付かないかもしれない。ベースラインは違ってもブルース・スプリングスティン『hungry heart』と佐野元春『someday』のほうが100倍同じだ(両方好きですが)。
 30の変奏はカノンを中心とした3曲が組になっている。カノンとはあるメロディを歌っている脇で、それを忠実に模倣したメロディを歌う曲のこと。例えば「かえるの歌が〜」はカノンである。まったく同じメロディは同度のカノンと呼ばれる。これが二度のカノンだと「ドレミ」と歌う脇で「レミファ」と歌い、五度のカノンだと「ソラシ」と歌う(鏡像カノンだと「ソファミ」と歌ったりするが詳細は割愛)。バッハは同度から9度まで都合9種のカノンをすべて作ってみせた。もちろん同じベースラインである。こうなると魔法というかチャネリングというか、にわかには信じがたい才能だと思う。
 演奏技術の話をすると、カノンはメロディの弾き分けが難しい。皆が同量の声でがなっていてはせっかくの曲も台無しなので工夫が必要だ。カノン以外にも技巧的な変奏という分類があるのだけれど、こちらはもっと難しい。もともと二段鍵盤用(エレクトーンみたいなもの)に作曲されたものを無理矢理ピアノで弾こうとしているので、手が交差したり音がぶつかったりする。それでいて速度も求められる。自分の手を見ていて、目が回りそうな感じである。
 このように様々な試練をくぐり抜けて30の変奏を終えたあとに、再び主題のアリアに戻って来る。曼荼羅といえばよいだろうか。それは慈愛に満ちた宇宙のようで、ちょっと感動してしまうのである。

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2007年04月11日

日記: 献立決め

 今でも決して褒められたものではないけれど、主婦業を営むようになって一年、料理の腕は徐々に向上しているように思われる。味はともかく手早くなった。レシピを見なくても手順の見当がつくようになった。外の食事について「これなら私のほうが」という感想を時々持つようになった。私は物事を大袈裟に言う癖があるらしいのだが、まあ素晴らしいではありませんか。
 夕食の献立を考えるのが面倒くさいという愚痴をよく耳にするが、確かに母なども午後中そんなことを言っている。あれはこの前作ったばっかだし、これじゃ主菜がないだとか。しかし3時間悩んでも3分で決めても大差ないので、私の場合6時より前に献立を考えることはまずない。6時が来たらホームページなどを参照して決定、サミットへ買い物に行く。
 頼りにしているページはふたつ。ひとつは上沼恵美子のデータベースである。食材名で検索できるので、冷凍庫にイカがあったりタケノコが食べたかったりする場合には便利だ。面倒な手間や妙な調味料は適当に省いて作る。もうひとつはこぐれひでこのごはん日記。こちらは彼女が毎日何を食べたのか写真付きで紹介するページで、もろ私好みというか、いわゆる酒飲みの食卓。いつも本当に美味しそうだ。昨日も彼女を真似てオクラの豚肉巻き(さっとゆでたオクラに豚肉を巻き付けて、塩胡椒をふって焼き、ポン酢をかけて食す)を作ったが、簡単で麦酒のあてに最高だった。
 献立でお悩みの奥様は覗かれたし。
 というわけで今夜は、鶏手羽中とソラマメのトマト煮込み、アスパラガスのビスマルク風、タコとトマトとキュウリとタマネギのマリネ。豪華に響くが、それはカタカナによるまやかしである。

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カタカナ: ゴールドベルグ変奏曲1 Goldberg Variations

 バッハの鍵盤曲で何が好きかと問われれば迷わずこれを選ぶ。古今東西の音源を見つけては買い、演奏会にも5回以上出かけた。二年かけて自分でも練習した。物事に熱中しやすいたちではあるけれど、あれはちょっと異常だった。ちょうど調子の悪い時期だったので、依存していたようなところがあったかもしれない。人は実に様々なものに依存するのである。いずれにしても深い思い入れのある曲。
 変奏曲とはあるメロディ(主題)があったとして、そのメロディそのものやコード感、リズムなどを変えて聞かせていく曲のこと。モ−ツァルトの「きらきら星変奏曲」がよい例。広義的にはラベルの「ボレロ」なんかも変奏曲に含まれる。その他ベートーベンもブラームスもたくさんの変奏曲を作ったけれど、やはりゴールドベルグの完成度と魅力には到底及ばない。愛着をさっ引いたとしても、不朽の名曲と思う。
 それでもかつては隠れた名曲といった扱いで、録音を残すピアニストもさほど多くはなかった。それがかのグレン・グールドが衝撃的なデビュー録音を発表したことで、彼自身はもちろんゴールドベルグ変奏曲も一躍脚光を浴びるようになった。1955年のことである。
 この録音はとにかく凄い。「速い、若い、熱い」と三拍子揃っていて、ロックでいえばBeatlesの「She Loves You」みたいなものだ。グールドは81年に再録しているが(クラシックでは再録はめずらしくない。カラヤンにいたってはベートーベンのシンフォニィ9曲を4回も録音した)、こちらはコルトレーンの「Love Supreme」のような趣き、賢くて静謐で深遠、とても同じ人が弾いたとは思えない。どちらも素晴らしいのだけれど、強いて言えば81年版のほうが好み。
 そしてグールド以外にもこの変奏曲に挑戦するピアニストも増えた。有名なところだとダニエル・バレンボイム、カール・リヒター、ウィルヘルム・ケンプ、アンドラーシュ・シフ、キース・ジャレットなんかも弾いている。私はグールドの次だとマレイ・ペライアというアメリカ人の演奏が好きだ。
 次回はこの変奏曲に凝らされたバッハの創意工夫について少々。

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2007年04月09日

日記: 菓子過食

 どういうわけかお菓子が食べたくてたまらない日だった。普段は疲労時に糖分補給するためにチョコレートをかじったりティータイムにクッキーを一枚摘んだりする程度、私の食生活は完全に酒飲み仕様である。スナック菓子やなんかも食べれば美味しいと思うのだけれど、それよりはたこわさで一杯やるほうが好みだ。母が昔菓子作りに狂っていた時代があって、リーフパイだのブランデーケーキだのアーモンドチュイールだのは山のようにあるのに、夜8時を過ぎてもご飯ができてなくて仕方なく菓子を食べて空腹をしのいだ、というトラウマなのかもしれない。
 それが今日は別人のようだった。コンビニでカスタードと生クリームの入ったワッフルとポテトチップス(小)と堅焼プリッツを買って帰宅するなり平らげ、夕食後のデザートとして岡の栄泉の大福と桜餅を頂いた。げぶう。
 昨日実家のパソコンとプリンタを新調したので、夜はそのセットアップなど。富士通のBIBLO(セルロンM)15インチとメモリ増設とhpの複合プリンタ、合わせて11万円だったうえに2万5千円分のポイントがついた(ガッツポーズ)。果たして両親にwindowsVISTAが必要かどうかは疑問だが、それしか売ってないのですもの。最新式のコンピュータだからね、と言うと、これで上沼恵美子のお料理ページが簡単に見られるようになるのね、と母は喜びを語っていた……。

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カタカナ: ヘリコプター helicopter

 墜落事故があったためその映像を目にする機会が多い昨今だが、しみじみ眺めてみると本当にユニークなフォルムである。現在の形に定着したのは1940年頃だが、最初に構想したのはかのレオナルド・ダ・ヴィンチ。実現こそ叶わなかったが、飛行機、パラシュート、潜水艦、大陽発電を着想していたのも彼である。
 ヘリコプターを設計するうえで重要なのは反トルク(torque)をどう処理するかということだった。例えば回転椅子に座った状態で身体を右にひねると椅子は左に回転する。これが反トルクだ。
 つまり何も措置を講じなかった場合、ヘリコプターの翼(ロータ)を回転させると機体は逆方向にぐるぐる回ってしまうことになる。それは困る(タケコプターはあのままだと大変なことになるのです)。そこでもう一枚翼を回してトルクを相殺しようというわけだ。通常はお尻の先っぽに小さいロータをつけて機体の回転を防いでいる。前後に逆回転のロータを設置する場合もあるし、同軸に逆回転のロータを重ねておく場合もある。
 ヘリコプターの利点は動作が自由なことだ。ロータの羽の角度や回転面の角度を調節することによって垂直上昇、垂直下降、高度を保った横移動、空中停止(ホバリング)など、様々な動きをすることができる。助走をつける必要もないので、複雑な地形でも離着陸が可能だ。ただ、速くは飛べないし燃費も悪いので輸送には適さない。
 ついでに。ヘリと略されることが多いが、意味の上ではヘリコ+プターである。ギリシャ語で「渦巻きの」+「翼」という意味。

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2007年04月08日

日記: 奇襲

 U氏から「今週末引っ越しです、住所はこちら」というメールを頂いたので、彼はピンポンダッシュとか奇襲とかを潜在的に望んでいると判断、黙って押しかけることにする。
 すごく素敵なマンションだった。壁も真っ白、床もつるつる、光もきらきらしている。2歳の坊ちゃんがこれまたきらきらしていて、まばゆいばかりのU宅なのだった。結果的には嫌な顔もされずお茶まで御馳走になってこちらが恐縮する有様、奇襲はもっと懐の狭い人に仕掛けるべきだったと反省した。
 この2年で家を買った友人は多いが、皆口々に借金の重さを憂いでいる。男子は大変だ。いってみりゃ35年ローンとはこれからの35年間現在の生活を反復することを誓いますと捺印するようなもの、これまでの人生より長いじゃん、みたいなことも思うのかもしれない。でも逆に言えば、反復してもよいと思える生活を手に入れたわけで、それはとても素晴らしいことだ。例えば私は未だそれを掴んでいないし、掴む目処も立っていない。自由のあるところには、磁石に吸いつく砂鉄のように、不安がけばだっているのだ。
 U宅までは車で30分。新車(フォルクスワーゲンpolo)は快調である。壊しておいて言うのもなんだが(2006年9月15日の日記参照)、私は前のより好きだ。車は小さのがいい。MINIとかね。ポルシェなんか最高だよね。と生意気なことをいう私は実は免許を持っていない。

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カタカナ: ミモザ mimosa

 オーストラリア原産のマメ科の植物。二月から三月にかけて黄色いぽしょぽしょした花を鈴なりに咲かせる。アカシヤの仲間である。日本では高温多湿という風土もあってさほどメジャではないが、アンリ・マティスやマルク・シャガールの絵にも度々登場するように、ヨーロッパではポピュラーな花である。
 以前フィレンツェに行った折に街のあらゆるところに黄色い花が飾られていて、そのうちにパレードなんかが始まって、一体何事ですかとホテルの人に尋ねると「今日はフェスタ・デッラ・ドンナだよ。男性がお母さんや妻や恋人、友人に同僚、世話になっている女性にミモザをプレゼントする日なんだ」と教えてくれた。パレードはそれに乗じて女性の人権を守れだとかいう主旨のものだったようだ。以来注意して見ていると、確かに家々の庭にはかなりの確率でこのミモザが植わっていて(3mくらいある)、頻度でいうと日本の椿や梅といった感じだろうか。個人的には黄色い花はあまり好きではないけれど、オリーブの薄いグリーンやなんかと並んで紺碧の空のもと咲き誇っているのを見ると心が自然と華やぐものだ。
 その形状になぞらえて、卵の黄身を散らしたサラダをミモザサラダと呼んだりする。ミモザというカクテルもある。シャンパンとオレンジジュースをブレンドしたもの。これはとても美味しい。がぶ飲みしそうで危険である。

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2007年04月07日

日記: 祖母もお引越し

 実家大改造の手伝い日。父の引越しと祖母の移動を行った。
 今や寝返りもうてず経口で食事をとることも叶わない祖母にしてあげられることは実はあまりない。時々部屋を訪れて声をかけるとか、タオルケットを肌触りのよいものにするとか、顔を綺麗に拭いてあげるとか、せいぜいその程度であり、どんなに丁寧に世話しても合計2時間はかからない。つまり残りの22時間は祖母は一人で天井を見上げてぼうっとしている。
 ならばいっそのこと寝台ごと居間に持って来て、話し声や物音やなんかを聞かせたらどうかという話になった。少なくとも隔離されて寝ているよりは退屈しないだろう。すぐ脇にいればもっとたくさん話しかけてあげられるし、様子も見えて安心だ。発想としては犬を家にあげるのと似ている。そして祖母は移動する運びとなった。
 100kgある介護用ベッドを3人がかりで動かした。父も家人も理系なのでこういう時はとても便利。荷物移動は力学的センスが重要なのだ。その他棚整理やゴミ出しなど、7時間くらいみっちりと身体を動かした。
 夜は妙蓮寺のビストロで食事。4人で20皿くらい食べた。鴨のロースとゴルゴンゾーラパスタとバゲットが美味。フランス産ではめずらしいカベルネのセパージュワインもなかなかだった。

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カタカナ: モルテン molten

 最近はどうだか知らないけれど、私がバスケットをやっていた頃はボールはもちろんビブスもカウンターも得点表もフォーメイションボードもすべてモルテン製だった。だからモルテンというあのロゴを目にすると、ボールが床に当たる「てぃんてぃん」という音や竹刀を持った色黒のコーチの顔を思い出す。球技はあまり得意でなかったので格別良い思い出というわけではないが、ちょっとした思い入れはある。
 実は祖母のベッドもモルテン製である。だからあのロゴを発見した時は妙な気分だった。モルテンは介護製品だけでなく、親水製品や工業ゴムの分野にも進出しているようだ。
 寝たきりの人を介護者の力だけで起こすのは至難の技だが、介護用ベッドというのはリモコンひとつで上下前後自在に動かすことができる。価値としては50階建ビルのエレベータに相当するほど有り難い。軽度の場合にはこのベッドだけで充分なのだが、祖母のように寝返りも打てないとなると、こちらが見計らって体位変換をしてあげないと床ずれができる。専門用語では「じょくそう」といって壊死の一種なのだが、重症になると身体に穴があいたり腐ったりするので注意が必要だ。しかし介護者にも限界はある。そこで登場するのがモルテンの体圧分散式マットレスである。
 形状はエアマットなのだが、ある一点のみに圧がかからずできるだけ広い表面積で身体を支えるように自動で空気の出し入れをしてくれる。導入する以前は痩せてしまった腰骨やお尻のあたりが赤く腫れていた祖母だが、このマットレスのおかげでつるりとした柔肌に戻った。モルテン様々である。
 こういった寝具は20万円くらいするのだけれど、買う人はほとんどいない。購入した翌日に死亡というケースも大いにありうるので、介護用品のほとんどはレンタルである。介護保険を使えば月に5,000円くらいでベッドもマットレスも借りられる。

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2007年04月06日

日記: 草の根運動

 予定がこつ然と消えたので、街に出て食事でもしましょうかという話になった。ついでに買い物をいくつか済ませながら実感するのは、年々都会の雑踏に弱くなっているということだ。東急百貨店とLOFTと東急ハンズを巡り終える頃にはすっかり夢遊病者のていであった。それなのに目当ての食堂は潰れていて、セカンドチョイスも貸し切りで、ええい、もう何でもいい、とやけくそで入った店の料理は全然大したことなかったが、今宵この夜が台無しになるのは嫌なので強引にいいとこ探しをしながら食べた。ものでも人間でも、長所を探すのは得意なほうだ。すなわち楽観的ということ。
 カラオケに行った。生演奏機能の充実により楽しさ倍増である。リトル・フィートやノラ・ジョーンズやトトを歌った。その帰り道、もう十二時を回っていたと思うのだけれど、駅にはたすきをかけてはちまきを巻いた立候補者が立っていて、改札を通る人に「おかえりなさい」だの「おつかれさまでした」だのと声をかけている。私たちが横を通り過ぎると、聞き間違えでなければ「おしあわせに」と言っていた。そんなに適当で大丈夫なんだろうか。
 むろん効果があるからやっているのだろうけれど、泥臭い草の根運動というのは見ていてあまり心愉しいものではない。牛乳パック工作だとかドミノの駒並べだとかと同じで、思考が窮屈でさもしい。おそらくそういうことをものともしないタイプが政治家に向いているのだと思う。

投稿者 shiori : 17:21 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: スナック snack

 軽食や間食のこと。「かみつく、ぐいとつかむ」という意のsnackenというオランダ語から派生した言葉である。スナックを提供する店をスナックバー、略してスナックと呼ぶ。
 おもしろいことに「アルコール類を提供して、女性がカウンター越しに接客する店」という認識はどうやら日本特有のもののようだ。パブ(PUB)なんかもそうでイギリスやアイルランドでは立ち飲みでビールを飲む店を指すの対し、日本ではランジェリィだとかおっぱいだとかもはや飲食店のジャンルではない。こういった誤用の元凶は何だろう。形だけ輸入して中身は自分流に仕立てる器用あるいは無節操なのか、女なしに酒は飲めないという風土の問題なのか、興味深いところである。
 スナックには私も何度か行ったことがある。知らない人のカラオケを聞かされるのがひどく苦痛だったが、ママさんという人種はそんなに美人じゃないけど小綺麗にしていて、頭の回転が早くて、それゆえおべっかが上手で、これを求めて世のおじさんは来ているのだなあと溜飲を下した記憶がある。
 そういえば、このほど単身赴任を終えて宮崎から戻って来た父だが、向こうでは行きつけのスナックがあったという。ママさんの他に歯科衛生士の女の子がバイトしていて、父が会社の人を呼んで串揚げパーティをした時は彼女たちも来て片付けなどをしてくれたそうだ。嬉しそうに写真も見せてくれた。スナックのママを自宅に呼ぶ人がいるのかと仰天した。送別会の折にはバイトの彼女に箱一杯の歯ブラシと歯間ブラシをプレゼントされたそうで、まあなんというか宮崎系スナックなのだな。

投稿者 shiori : 17:20 | コメント (0) | トラックバック (0)