« 2007年04月 | ホーム | 2007年06月 »

2007年05月28日

日記: うめめ

 おそらくもう熱中しないだろうと踏んでDSのソフトを売りに行った。なんとどれも購入価格マイナス300円くらいの高値がついて全部で一万円くらいになった。ふざけて持って行ったFFも1000円だったし。ゲームソフトは本やCDと違って愛着がないので売りやすい。まあ最近はCDなんか売っても二束三文なんだけど。儲かったお金を握ってスーパーへ行き、肉と野菜を買った。夕食の献立は豚バラ塊のマスタードソースと蓮根と長芋の炒め物と野菜サラダ。
 梅佳代さんの『うめめ』という写真集を見た。笑った。
 小学生男子のあの感じを偏愛する気持には非常に共感できる。あの時期の男子には人間のいい部分がてんこもりな気がする。夢中で、なのに人に優しくて、きらきらしている。年が上がるにつれておかしなことになってきちゃうのだけれど、それよりさらにおもしろくないのが女という生き物で、ちびっこの時代でさえも女はまず夢中にならないからね。小さい現状満足を重ねるだけで幸せになれるものね。

投稿者 shiori : 14:30 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: ボールペン ball point pen

 大学二年の頃だ。ある教授が、自分の書いたことに責任を持つためにも講義ノートであれ試験答案であれすべてペン書きすることを勧める、というようなことを言った。なるほどと思ったので以来鉛筆はやめてボールペンを使うようになった。私にもそういう素直なところがある。不思議なもので、消せないと思うと気合いを入れて書くので思うほど書き損じはない。90分の講義録で一文字間違えるかどうかくらいのものだ。滑りもいいし、消しゴムのかすもでないし、右手のへりも汚れない。なかなか便利なアイテムだと思う。
 仕組みも単純だ。ボールペンという名の通りペンの先にはボールが入っていて、これを回転させることによってインクを送り出している。さすがに最近はないが、昔はこのボールがおもむろに外れてインクがどばっと出たりしたものだ。インクは水性、油性、ゲルタイプの三種類。高校生の頃はカラフルな水性ボールペンを好んで使っていたが、実はあれはインクの減りが早い。手の汗で字もにじむ。油性は放っておくとインクが固まってしまう難点があるが、ゲルよりも書き心地が若干重くて好きだ。軽すぎる布団が心もとないのと同じ感覚である。100円のものはインクかすみたいのが字のはじっこにくちょっとついて感じが悪いが、300円くらいのものだと文句ない。気分もうきうきする。この数年愛用しているのはゼブラのエスピナというペン。本体を10本、替芯2ダースを常備している。
 先日新聞に「なおのり君は宇宙ステーションに向かうスペースシャトルの中で工作をしていました。地球から持ってきた道具(はさみ、ホッチキス、マグネット、ボールペン)で使えないのはどれでしょう」という中学入試の問題が載っていた。なおのり君は何を作ろうとしていたのだろうか。シュ−ルな設問であるがまあそれはともかく、答えはボールペンである。
 仰向けになってボールペンを使えばわかるけれど、しばらくするとインクが出なくなる。インクが適量落ちてくるのは重力のおかげというわけだ。また書く面がでこぼこでもうまくいかない。絨毯の上に紙を置いて書こうとすると、ぷすぷす紙が破けたりする。

   *

 このカタカナ欄ですが、 諸事情により6月の一ヶ月間
 お休みさせて頂きます
 日記は通常通り更新しますので、どうぞよろしくお願いします
 いつも読んで頂いて感謝します

投稿者 shiori : 14:27 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年05月25日

日記: すいっぱどおぞ

 目覚めたらひとり。
 この家で一人で寝るのももちろん初めてだし、一人で寝ること自体が8年ぶりくらいである。少なくとも祖母はいつもいたので。しかしまあひとりというのもなかなかいいもんでございますな。昨晩は布団を違う向きに敷いたり、お風呂に入らなかったり、電気をつけっぱなしでうたた寝したり、ささやかな自由を楽しんだ。
 朝からざんざんの雨降りである。午後は駒沢大学にて女子定例会。バンジョウがぺらぺら喋るようになっていて驚いた。すいっぱどおぞ、(手を握って)こちあへどおぞ、だって。……可愛い。マイクを握って謎の歌を披露してくれたし、私の鼻の脇のほくろをティッシュで取ってくれようと懸命だった。なかなかセンスのよい坊ちゃんである。
 今日はいくつかある記念日のひとつなので夜は近場で外食。よそいきのものや高いワインを堂々と賞味できる日なのでお祝いディナーは大好きである。南アフリカのカベルネを飲んだ。

投稿者 shiori : 10:29 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: カバン

 私たちが普段使っている外来語には日本語に置換できるものとそうでないものの二種類がある。このコーナーの題目を決める時にはなるべく後者から選ぶようにしている、というのは日本語に置換できないのはそのものないし概念がかつての日本にはなかったからで、そういう視点で眺めれば何らかの発見があるかもしれないと個人的には期待しているのだけれど、まあ成果のほどはともかく今回はカバンである。
 実はこれも外来語である。カバスというスペイン語説と挟板(キャハン)という中国語説があるが、いずれにしても文明開化以降に伝来したものである。ではそれ以前の日本にはカバン的なものはなかったのかというと、例えば櫃(ひつ)、葛(つづら)なんかは甲冑や衣服を入れるカバンであり、行李(こうり)は旅行カバンに相当する。水戸黄門御一行が背に結わえているのも柳行李である。ただ素材は革ではなくツタや竹などの植物を編んで作っていたようだ。皮革技術自体は飛鳥時代からあったのだが、大部分は武器や防具に使用していたと見られる。
 カバンと一口にいってもその種類は多数あり、服装と同じでTPOによって使い分けるのが普通だ。子供が学校へ行く時はランドセルである。これはオランダ語のランセルが訛ったもの、もともとは兵士の背嚢として輸入したものだったが、大正天皇が学習院に入学したおりに伊藤博文が献上したことから学生鞄として使われるようになった。
 旅行に行く時はボストンバッグを持つ。これはボストン大学の学生の間で流行したためにこういう名がついた。むろん最近は国内であればキャリーバッグ、海外であればスーツケースという人が多いだろう。
 ビジネスにはブリーフケースと言われる薄手の鞄を持つ場合が多いが、時々ダレス鞄(ドクターズバッグともいう)といってまちの広い鞄を持っている人もいる。これはアメリカのダレス国務長官が持っていたことから命名。アタッシュケースなんてのもある。固い箱形の薄い鞄で、大使館や書記官(attache:アタシェ、仏語)が持っていた。
 アウトドアの際はリュックサック(Rucksack:ドイツ語)である。ナップサック(Knappsack)は小型のリュックサックのこと。バックパック、デイパックもだいたい同じようなもの。女性用の小さいカバンにはポーチ(pouch)といって化粧品などの小物を入れるものもあるし、肩から下げるポシェット(pochette:仏語)もある。

投稿者 shiori : 10:28 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年05月23日

日記: 夫婦別姓

 カレー製作。ZEPPIN というグリコのルウを使用して、骨付き鶏肉とナスとマッシュルームと玉葱とパプリカを煮込んだ。隠し味のヨーグルトがどばっと入ってしまってあわやという場面だったが、ルウを追加することでなんとかしのぐことができた。そこそこ美味しかったんじゃないですか。実はカレーを作るのは人生初なのでありました。
 某所より口座名義が違うので送金できないという連絡があった。聞くと、旧姓で立てた請求を現在の姓の口座には振り込むことができないと言う。結婚して苗字が変わっただけなんですけど、というとその証明ができないので無理だと言われすったもんだしたのだが、実はこういう話は初めてではなくて、ああ姓を変えなきゃよかったなと思ってしまうのである。
 法律上の名前なんてなんでもよかったので何の異論もなく姓を変えた。夫婦別姓を主張して最初から相手の家に嫌な顔をされるのも面倒だったのもある。でも30年にも渡って旧姓で生きてきたのだから今更違う名前を与えられたってそれは無理矢理別人格を付与されるようなもので馴染めるわけがない。だから仕事上の名前や自分の意識は旧姓のままで通している。
 普段はそれで不都合はないのだけれど、こういうことがあったり役所の書類を書き換えて回ったりしていると、法律上も別姓のままでよかったような気がする。だいたい夫婦で同じ苗字を名乗るメリットってあるんだろうか。子供ができた時にうんぬんと言う人があるけれど、状況に応じてその都度選べばいいのだし、名が同じだったり違ったりすることで愛情や義務が増減したりはしないのだ。というか結婚という制度自体がアナクロなのかもしれない。いずれ日本もヨーロッパのように入籍しないカップルが増えてくるだろう。

投稿者 shiori : 14:40 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: AC/DC

 CD(コンパクトディスク)、DV(ドメスティックヴァイオレンス)、SA(サービスエリア)、OB(オールドボーイ)、PC(パーソナルコンピュータ)、GM(ゼネラルモータース)、日常的に使われるアルファベット二文字の略語は数多い。長くていちいち発語したり表記したりするのが大変だから簡略化するわけだが、中には何の略語なのかよく知らずに使っている言葉もある。
 例えばUVはどうだろう。これはultra violetの略。ご存知紫外線のことである。光をプリズムなどの分光器でスペクトルに分解したとき紫の外側にあることからこの名がついた。赤の内側にあるのが赤外線はIR(intra red)。
 紀元前を表すBCはbefore christ、ADはAnno Domini(神の年)の略である。午前を表すAMはante meridium(正午前)、PMはpost meridium(正午後)である。手紙の追伸PSはpostscript(後に書かれたもの)。これらはすべてラテン語の略語である。
 オール電化の宣伝で見かけるIHはinduction heater、電磁誘導ヒータの略。テレビのCMはコマーシャルメッセージ、CFはコマーシャルフィルム、司会者のMCはマスターオブセレモニィ、商品のPRはパブリックリレイション。
 AC/DCは何でしょう。これは電気の交流(alternating current)と直流(direct current)兼用という表示。なぜこのようなバンド名になったかというと、ヤング兄弟の姉が掃除機の裏にこう表示してあるのを見て、大音量で演奏する彼らをなぞらえて呼んだのだそうだ。スクールボーイのファッションを勧めたのもこの姉だそうで、成功の影にはセンスのよい姉ありきというお話である。

投稿者 shiori : 14:38 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年05月21日

日記: rechargeble for now

 晴天続きで気分も晴れやか。日射しは強いが湿気がないので気持よい。ただ最近気になるのは強風。この時期は気圧が不安定なのもあるけれど、ちょっと強すぎやしないか。洗濯物がちぎれそうにはためいている。スコールのような雨といい、36度なんていう気温といい、気候が変わってきているのは確かである。
 ところで私は朝が一番元気である。食パンとか電気ポットのコマーシャルのように力が漲り希望に満ちている。しかし夜になるとどんどん元気がなくなってきて、寝る前なんてひからびたレタスのようである。だから夜はなるべくものを考えないようにしている。酒を飲んで頭をからっぽにして馬鹿話をする。そして「明日こそ」と祈りながらよれて縮んで小さくなって眠る。その繰り返しである。
 その話をしたら、うつ病の人と反対だね、と家人が言っていた。浮き沈みが不健康なのだとすると大差ない気がするが、朝が来れば必ず元気がチャージされてるのは有り難いことだ。朝が来ても夜のままだったら死んでしまうかもしれない。
 今日はたくさん野菜を食べた。スナップえんどう、アスパラガス、長芋、胡瓜、玉葱、カブ、トマト、梅。あとカレイの煮付け。煮汁で炊いた茄子がめっぽう美味しかった。めずらしくワイン飲まず。

投稿者 shiori : 12:46 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: ノルマ norma

 ソ連時代に労働者が一定時間内に遂行すべき労働量を示した言葉。シベリアに抑留されていた日本人が持ち帰ったと言われている。私有財産を持てないとなると人は働かなくなるので強制的に労働させるための制度だった。当時は囚人や捕虜だけでなく一般市民にも課せられていた。そもそもはラテン語の規範という意味。normal(標準的な)と同じ語源である。
 物事を進めるうえでノルマを課すというのは非常に有効な行為だ。とりわけ私のように組織に属さずに何かをしようとなると、ノルマを設定して自分を律しないとひどいことになる。また日々ノルマをこなすという感覚はそう悪いものではない。鈍重な歩みでも継続することによってどこかへ辿り着けると感じられる(あるいは錯覚できる)。ただ自分で課したノルマの場合、たとえ遂行できなくても自分に失望するだけで他人に迷惑が及ぶわけではないので、当然拘束力が弱くなる。物事を為すか為さないかは自分に課したノルマを遂行できる精神力にかかっている気がする。
 いっぽう人から与えられたノルマの場合、本人との合意で決めたノルマならともかく一方的に課せられるノルマは最悪である。「ノルマのある仕事はきつい」というイメージが定着しているから求人広告なんかには「一切ありません」と明記してあるけれど、結局能力給や出来高制なら同じことである。誰だって営業成績グラフを開示されたり報奨金やなんかであおられたらしゃかりきになるだろう。私も勧誘の経験があるからわかるけれど、あれは本当に危険だ。嫌な仕事だからお金はたくさんもらえるけれど、その先には何もない。ブラックホールのような虚無があるだけだ。
 換気扇のフィルターや浄水器を売りに来る人がいるけれど、皆顔色が悪くて口臭がきつい。苦しいのに苦しいと言えないから身体が悲鳴をあげているのだろう。元祖ノルマに苦しんだシベリア抑留者よりも救いがないかもしれない。少なくとも彼らは、戦争に負けたのでこんなに苦しかった、と堂々と言うことができたのだ。

投稿者 shiori : 12:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年05月19日

日記: ファンのプレゼント

 森先生の講演会に当選してしまった……感無量。倍率6倍だったと聞いてさらに喜びにうち震えた。何かプレゼントをしたいのだけれど、個人的な知り合いではない人にものをあげるのは難しい。あまり豪華でも変だし、思いが詰まり過ぎていても気持悪い。バンドをやっていた頃時々頂いたプレゼントは揃いも揃って指輪だった。はめてベースを弾け、と。中には僕が彫りましたというのもあってこれはちょっとひいた。要は自己顕示的なプレゼントはよくないということだ。その経験をふまえて森先生には何かささやかで気の利いたもの、パティ・スミスのポストカードなんかはどうだろうと考えている(好きだと日記に書いてあった)。いずれにしても楽しみ。
 今週はお金をまったく使わなかったので、買い物欲を満たしに街へ出かけた。私はバーニーズでドリスのシャツ2枚、家人はリーバイス一本とトゥモロウランドという店で麻のシャツを買った。女性ものと違って男性の服は年齢を選ばないから経済的だ。はたちの子と40歳が同じ服を着ていてもあまり違和感はない。女性の場合だと5歳幅くらいで着用年齢が決まっていて、もう今更着られない服が増えるいっぽうだ。丈が短かいのとかフリルのついたのとか。あるいは私が年齢に媚びた服を選んでいるだけだろうか。

投稿者 shiori : 10:28 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: ヘベレケ Hebeerryk

 日本語なのか外来語なのかよくわからずに使っている言葉はたくさんあって、例えばヘベレケだけれど、実はギリシャ語である。ヘーベーという女神にお酌された神々が嬉しくて飲み過ぎてしまったことにちなんで、ヘーベーエリュエケ(ヘーベーのお酌)→ヘベレケ、となったそうだ。10ヘーくらいは頂けるだろうか。
 ハイカラ、ロンパリは知っている方も多いだろう。前者はhigh collar(たけの高い襟)、西洋風を気取ったり流行を追ったりする人のことを言う。ロンパリは斜視、やぶにらみのことだが、ロンドンとパリの両方が見える、あるいはロンドンとパリくらい離れていることからそう呼ばれている。ペテン師のペテンは中国語bengziが訛ったもの、チャルメラ(charamela)はポルトガル語で笛のことである。
 ポンコツはどうだろう。これはアルザス地方のpont cotzwellという橋のたもとで自動車を解体していたことに由来している。というのは嘘で、ポンコツはれっきとした日本語である。ぽん、こつん、という金槌の音ともげんこつを聞き間違えたとも言われている。どうでもいいや、と感じているあなたは健全な精神をお持ちである。
 ところでエッチはHENTAIの頭文字である。明石家さんまがセックスは露骨すぎてテレビには不向きといって使い始めたのがきっかけらしいが、私には「エッチする」のほうがよほど恥ずかしくてそんなことを言われたら動揺して椅子から落ちてしまいますわ。ちなみにカマトトとは、蒲鉾はトト(魚)で出来てるの?、と知っているのにわざと聞くような女性をさす言葉である。

投稿者 shiori : 10:27 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年05月16日

日記: 晩酌

 わけあって5時起き。万里の長城のように果てしない一日だった。知恵をしぼり心を尽くすもののまったく結果の得られない日でもあった。暗く湿った森をさまよっている感あり。肝要なのはそこで焦ったり不貞たりしないことである。
 夜は実家で祖母とお留守番。ビールを飲みながら、母の作ってくれた鶏の唐揚げと海老フライと一口ヒレカツをがつがつ食べた。茶色い食べ物はどうしてこんなに美味しいんでしょ。祖母に話をしながら白ワインも飲んだ。反応はないので気分としてはほとんど王様の耳はロバの耳であるが、聞いているのはわかるので悪口や暗い話をする気にはならない。今日は洗濯をたくさん干したとか百貨店って最高だよねとか都会の野菜は高いんだよとか。話しているうちに自分の属する世界はさほど悪くないような気がしてくるから不思議だ。
 家人が夜半過ぎにゴキゲンで帰ってきた。カラオケに行ってブラウンシュガーを歌ったら若い女の子たちに「ギャップが素敵〜☆」と言われたんだそうだ。多面的でありたいと願う人に限って哀しいほど単純、というジレンマは仕方がないが、そういう時に真に受けて喜ぶ人のほうが愛嬌があって好ましいと私なんかは思いますね。

投稿者 shiori : 17:23 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: ニコチン nicotine

 喫煙が世界的に広まったのは実はコロンブスのアメリカ大陸発見以降の話である。南米ではマヤ文明の頃から原生のタバコの葉を喫煙する習慣があったのだが(むろんそれは嗜好品ではなくスピリチュアルなものとして)、コロンブスがそれをジャガイモやトマトと共に持ち帰ったのがきっかけと言われている。
 持ち帰った当初は観賞用(タバコの花は綺麗)として育てる人が多かったようだが、ほどなくして喫煙用が主流になり(当たり前だ)、鉄砲と前後するように日本にも伝えられた。アメリカ大陸発見からわずか100年足らずで世界中に広まったということになる。ちなみにタバコ(tabaco)はポルトガル語である。
 このタバコ大流行の影の立役者はもちろんニコチンであるが、語源はポルトガルからフランスにタバコを持ち帰った外交官ジャン・ニコの名前に因る。ニコチンは有機化合物アルカロイドの一種である。アルカロイドとはわかりやすく言うと、植物に含まれる毒の一種。モルヒネ、コカイン、カフェインなどもこれに相当する。よく言われることだが、ニコチンは猛毒である。幼児がタバコを二本むしゃむしゃと食べれば確実に死ぬ。興奮、覚醒、鎮静作用があり、依存性が強い。だから禁煙は難しい。
 タールは何かというと、タバコを燃やした時に出るヤニである。およそ千種類の毒素を含み、そのうちに数百が発がん性物質に当たる。喫煙で歯が黄ばんだり肺癌になるのはこのタールのせいである。
 自販機を眺めて思うけれど、10年前に較べると明らかに低タールタバコが主流になった。そういえば我が家族の総タール数も十分の一に激減した。とはいえ、毎日100個食べていた飴を90個に減らしました、程度の頑張りなので抜本的解決には到っていない。

投稿者 shiori : 17:20 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年05月13日

日記: 眠い

 眠い、について考える。
 眠いと脳味噌が旋回して、目が寄って、視界が歪んで、耳も遠くなって、ふと気付くと麻生外務大臣とフィレンツェでざる蕎麦をすすっていたりして、最近はイタリアでも蕎麦が食べられるんださすがアルデンテで美味しいね、あれ、何の話だっけと我に返ると、やべえ会議中だったよ、みたいな話はよく聞くが、私の場合「眠い」と感じる時は常にそういう状態で、つまり「眠い」と「眠る」の区別はほとんどない。眠いと思ったら既に寝ている。だから眠いと感じる直前まで喋ったり本を読んだりキーボードを打ったりしていて、次の瞬間(およそ2秒)には寝ていることがよくある。たいていすごく驚かれる。あるいは鈍感で「少し眠い」とかを感知できないのだろうか。よくわからない。さすがに外出先では緊張しているので瞬間的に眠ることはありませんが。
 『スケアクロウ』を鑑賞。これは好きな映画トップ20に入ったな。アル・パチーノが胸がきゅんとするほど格好良かった。163しかない身長でトップスターの座にのしあがる人はやっぱりさすがである。ジーン・ハックマンのキャラが泣けた。思い込みが激しくてけんかっ早くて、好きな人や好きなものを死ぬほど愛していて、でも頭が悪いから見当違いのことばかりしてしまって。切ない。

投稿者 shiori : 13:49 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: マンネリ mannerism

 マナー(manner)から派生したマンネリズムの略語である(07/3/3の日記参照)。型にはまった手法、特徴、癖のこと。マニエリストといえば癖のある作家、マニエリスムといえば美術史用語でルネサンスからバロックへ移行する時期の技巧的様式のことを指す。マニエラ(手法)を重んじるという意味だ。日本語だと「〜に陥っている」とか「最近の作品は〜でつまらない」などと否定的に使用されることが多いが、そもそもは悪い意味ではない。
 型にはまるのが悪いかといえば一概にそうは言えないと思う。こと仕事に関してはデスクワークでも主婦でも教師でも鳶職でも95%は反復運動なのであって、マンネリを極めることが求められているとも言える。芸術関係は微妙なところだが、ひとたび優れた手法を確立してその反復つまりマンネリが魅力になる人もいる。北方謙三とか小田和正とか上島竜ちゃんとか。ピカソや松本人志のように常に斬新な人もすごいけれど、いつも同じなのも相当すごいと思う。
 ステレオタイプという言葉もある。紋切型、常套手段のこと。こちらはそもそも印刷に使用する鉛版を指す言葉だった。stereo-とは「固い」という接頭辞である。マンネリが傾向を示すのに対して、ステレオタイプはものそのものを指す時に使う気がする。
 ワンパターンというのもある。これは和製英語。意味は前述の二つと同じである。

投稿者 shiori : 13:48 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年05月11日

日記: 転がる

 Mちゃんが突然訪ねてきた。人のことは言えないが、彼女も突撃訪問が好きである。お母さんの作った筍ご飯を持って来てくれた。乳首がつんと浮いていた(彼女じゃなくて、私の)けれどまあいいかという感じで、世界について三時間ほど喋る。彼女の夫Sさんの言葉を借りれば、今日も存分に「転がした」のですっきり。確かにSさんと家人が話すのを見ていると、二人とも石みたいに並んで煙草を吸うばかりでちっとも転がらない。非ローリングストーンズ。男同士のことは永遠の謎である。
 夕方、新横浜pepeへ。「赤霧島」という焼酎を買った。父が旨いと騒いでいたのでプレゼント用。お一人様一本限りとあったので、二人いるから二本いいですねと確認して二本買った。私もずぶとくなったなあとしみじみ思った。でもあとで話を聞くと、母は一人で行って二本買ったという。えへへという顔をしながらレジを二回通ったのだそうだ。負けた。
 夜は鶏の唐揚げを食して満ち足りる。あれが食べたいと明確にイメ−ジできて、その欲求が持続している間に実際に口にするのは案外難しい。今日はそこらへんが非常にスムーズな日でしたね。

投稿者 shiori : 09:49 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: モンブラン mont blanc

 もともとはフランスとイタリアの国境にそびえる山の名前である。標高は4,810m、形状が美しいことで知られる。仏語でmontは山、blancは白、何のことはない「白い山」という意味である。山頂がどちらに属するかで両国が揉めてきたという歴史があるが、永遠に軍配の上がらない試合をしている感あり。登山難易度はさほど高くないが、いっても雪山だし富士山よりはだいぶ高いので素人には無理である。仏側のふもとシャモニーは欧州有数のスキーリゾート。冬季オリンピック発祥の地でもある。現在ではモンブランの隣山に伊のアオスタ渓谷に続くケーブルカーが設置されていて、誰でも気軽に国境を行き来できるようになっている。スキー板を乗せて登り滑って下りることもできる。国境をまたいだスキー板のレンタルなんかもあって素敵である。
 その山を模して作られたのがケーキのモンブランである。自由が丘にある同名のケーキ屋が考案したと言われているが、カップケーキ型のスポンジ生地にホイップした生クリームを乗せてそれらを栗クリームでうずまき状に包み込む。女性に大人気の菓子だが、とにもかくにも甘すぎて私は苦手。
 雪山の形をあしらったホワイトスターをマークにしているのは万年筆メーカのモンブラン。ペン先には標高を示す4810という数字が刻印されている。フランスのメーカと思いきや、実はドイツの会社。私も一本持っているが(祖母に買ってもらった)、デザインがお洒落で眺めていても飽きない。さすが銘品である。
 最近は手書きする機会がめっきり減ったし、こと万年筆は手入れが大変なので、男の一品と言ってケースに入れて眺める人はあっても日常的に使う人はうんと少ないだろう。でもあれは楽器や包丁なんかと一緒で使ううちに手に馴染んでくるし、愛着もわいてくる。さらさらと気ままに落書きするもよし、要件を書き付けるもよし、筆をとると心が整えられていいことを思いつきそうな予感がする。

投稿者 shiori : 09:47 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年05月09日

日記: 怒り

 誰でも社会に対して腹を立てることはあるだろうけど、どの部分にかちんとくるかは人によって色々だなあと思う。
 先日バンドのMさんは「交番にKOBANって書いてあるのが無性にむかつく、誰に向けたKOBAN?気取るなボケ」とおっしゃっていた。Nさんは「新幹線の肘掛けに我が物顔で両肘を置くおっさんに軽く殺意を覚える」そうだ。家人は「さいたま市」とか「すずかけ台」とか地名をわざわざ平仮名表記するのが非常に不愉快だそうだ。これだから日本人が馬鹿になると嘆いておられた。まあ、そうだよね、と思う。
 そういう話で言えば私は問屋みたいなもので、あれはどうだこれは違うと指差し確認しながら歩いているふしがあるほどだが、あんまり御託を並べるのもエレガントでないという自覚もあり、普段は好きなもののことを話すように心がけている。(といいつつ下欄では……)
 でも怒りはエネルギーだ。今の私にとっては愛よりも活力があって大きなエネルギーかもしれない。とりわけ創作意欲の根底にはいつも怒りがある。社会に対してだけではない、この世のすべてに対する怒りだ。不穏にさざめく夜の海のような感じだ。
 両親にはあまりそういうところがないから、鼻息の荒い私が不思議なようで、やっぱりロックをたくさん聴いたからよ、と分析している。あるいはそうかもしれませんねえ。

投稿者 shiori : 13:05 | コメント (2) | トラックバック (0)

カタカナ: アンケート enquete

「調査する」という仏語enqueterの名詞形。英語ではsurvey、questionnaireなどという。多くの人に一定の形式で意見を求めることだ。
 学生時代に心理学のレポートでアンケートを作成したことがあるけれど、価値ある回答を効率よく回収するにはどういう設問をたてればよいのか、これが意外に苦戦した。質問をさせればその人が何をどの程度理解しているのか一目瞭然というように、質問するのは難しい行為なのだ。
 もっとも世の中に氾濫するアンケートはそこまで考えているとは思えないものが多い。ものを買うにつけライブを観に行くにつけ「自由に感想をお書きください」と白紙を突き出したり、不必要に細かい項目に五段階評価でチェックをつけさせたり、まったく何を考えているのかと訝るのだけれど、彼らはおしなべて人の意見を聞くのはただだとなめている。意見を聞く前に自分で考えることを放棄している。まったく不遜きまわりない。きっとブログで「みんなじゃんじゃん書き込んで!」などと破廉恥なことを言う輩なのだと思う。
 名前や住所などの個人情報を得るためのアンケートもある。お答え頂いた方の中から抽選でうんぬんと誘って情報を書かせ、DMを送りつけたり勧誘の電話をかけたりする。情報を売買する人もいる。私たちの世代はアンケートに潜む危険に自覚的だが、母の世代になるとアンケートは応えなくてはいけないという刷り込みがあって厄介だ。おかげで山のようなDMが届き、知らない人から電話がかかる。どうしてかしら、と馬鹿みたいに首をひねる母にも腹が立つが、母をかどわかすアンケートもむかつく。そう、私はアンケートが大嫌いなのだ。

投稿者 shiori : 13:03 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年05月07日

日記: 改憲とかではなくて

 最近祖母の意識レベルがかなり低下していて、話しかけても反応がないことが増えてきた。瞬きもせず虚空を睨んだまま時が過ぎていく。でも諦めずに話しかけ続けると表情が和らいで「ああ」と返事をすることもある。まったく手間の要る話だ。身内じゃなきゃ絶対にできない。今日は「鯉のぼり」とか「仰げば尊し」とか「ふるさと」とかを弾き語りしてあげたら3秒くらい微笑んだが、月光の一楽章にはまったくの無反応だった。まあ君にはベートーベンはわかるまいね。
 めずらしく政治の話でも。
 テレビをつけたら憲法9条関連の番組をやっていて観ていたら、最近は30代のフリーターや契約社員を中心に改憲派が増えてきているそうだ。インタビュウに応えていた31歳のコンビニ店員は死ぬほど働いても月収12万で、身体も心もきつくて、こんなことならいっそ戦争に行って生存競争したほうがましだ飯もつくしね、というようなことを語っていた。
 なんというか、末期的である。誰も俺のことを見てくれないと嘆く人は結局自分のことしか考えていない。自分ばっかりだから物事もうまくまわらない。たとえ9条を改憲しても事態は変わらない。もっと身近で小さな親切、母に花を一輪買ってあげるとか見知らぬ人が何かを落としたら迷わず拾ってあげるとか、そういう優しさを地道に重ねていくより他に悪循環を断ち切る方はないと思う。
 それでもこの調子だと国民投票で過半数を得るのは容易いだろう。改憲するかどうかは国会議員にかかっている気がする。いずれの立場にせよ、選挙には行ったほうがよいということだ。
 それはそうと大型連休での飲み疲れのせいか、身体にできものができた。一つは耳の中、一つは頭皮、一つはちょっと人には言えないところ。気になってささっと触れてみたりして「いろたらいかんよ」と母に注意される32歳である。

投稿者 shiori : 16:02 | コメント (2) | トラックバック (0)

カタカナ: ゴリラ gorilla

 たべっ子どうぶつ(ギンビス)が好きで時々食べる。様々な動物を象ったビスケットにfoxとかbearとか英語名が印字されて、味覚と知識を同時に満たそうとするよくばりなお菓子なのだが、先日これをぽりぽりやっていて、ああこの綴りは書けないなと思うのがいくつかあった。基本的に動物のスペルは難しい。例えばあなた、リス、サイ、カバ、なんて書けますか。
 まあ考えてみれば当然なのだが、人間でも動物でも植物でも自分の土地にないものは外来語で呼ぶしかないのである。日本には地のパンダはいないから「panda」というネパール語をそのまま使用しているし、地のトラはいるのでわざわざタイガーなどとは呼ばない。イングランドにもサイはいなかったので「rhinoceros」というギリシャ語をそのまま使った。これは「鼻に角がある」という意。
 ギリシャ語源の動物名は多い。リスのsquirrelは「尻尾が茶色」、カバのhippopotamusは「川の馬」。-potamusや-potamiaは「川の」という意、メソポタミアは川の中央ということになる。elephantは「牙のある」、gorillaは「毛深い女」。lion、leopardなんかもギリシャ語だ。
 めずらしいところでいうと、giraffeはアラビア語、「森の人」を示すorangutanはマレー語である。jaguarは「肉食の」という意のスペイン語およびポルトガル語からきている。ちなみに人間のほうのジャガーは肉食のような口をしているがJaggerで綴りが違う。
 私の好きな動物はゴリラ(まずこの語感が素晴らしい)、次点で象と馬。知り合いに上野動物園の飼育係さんがいて、今度閉園後の動物園を案内してくれるという。夜のゴリラを想像すると今から胸が躍る。

投稿者 shiori : 16:00 | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年05月06日

日記: 雨の日曜

 夜更けから雨が激しくなった。今年の連休はずっと晴れて気持よかったので、一日くらいは仕方ないか。昨日は葡萄酒を飲み過ぎたため二日酔い。前文を単語登録したほうがいいかもしれない。イタリア帰りの友人宅に招かれて、トスカーナのワインをたらふく飲ませて頂いた。夏には一緒に旅行することになった。
 日曜の夕食作りは忙しい。弁当のおかずも合わせて作り置きするからだ。今日は海老と豚のシュウマイを作成、なかなか美味しく客人用の料理にも使えそうだった。あとはカブとキュウリの浅漬け、スパニッシュオムレツ、ひじきの煮物を作った。良心が痛むので補足すると、別に一人で作ったとは言っていない。
 『ゆれる』という邦画も観た。大変よかったと思う。脚本監督とも私と同じ年の女性だからなのか、物事の捉え方とか掘り下げ方とかが馴染み深い感じがした。団塊ジュニアというのは基本的に地味で現実的なのだ。オダギリジョーもよかった。顔の印象がぼやぼやしているところがいい。雨降り顔の男。

投稿者 shiori : 18:17 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: ハンカチ handkerchief

 ハンカチを持たなくなって久しい。私は断然ミニタオル派である。理由は簡単、ハンカチは一回手を拭くとびしゃびしゃになるし、洗うとしわくちゃになり手入れが面倒だからだ。それに最近の公衆便所はジェットタオルが完備されているし、どこへ出かけても紙タオルやナプキン、ティッシュにウェットティッシュが置いてあるので、実のところタオルを忘れても困ることは少ない。世の中使い捨て賛美の時代なのである。
 ハンカチの発祥は14Cのイングランド、王様が鼻をかみ手を拭く布を用意させたことに端を発している。現在の正方形の形に定めたのはマリー・アントワネットとも言われる。kerchiefとは頭にかぶる四角形の布のこと、手を拭くのがハンカチーフ、首に巻くのがネッカチーフというわけだ。古い洋画を観ていると上流階級の人たちは皆白いハンカチを携えていて、口を拭いたり涙を拭ったりお別れの時にはさっと取り出してひらひら振っている。当世流のお洒落アイテムだったのだろう。
 それに対抗するように登場したのがバンダナである。ヴィヴィッドカラーにペイズリー模様、ハンカチよりも大判で労働者階級が使用した。鼻をかむだけでなく機械の油を拭き取るのにも用いたり、日よけや汗止めとして頭に巻いたり、戦後もロックやパンクのミュージシャンが身につけたことからファッションとしても人気が高い。21Cに入ってから古びた感はあるけれど、前世紀中は私も喜び勇んで活用した。もちろんあなたもね☆
 ポケットチーフというのもある。男性のスーツのポケットから顔を覗かせているハンカチだ。何十種類という折り方があって、紳士はTPOによって使い分けるのだが、こちらもいささかオールドファッションの趣きがあり、要は世界的にハンカチ文化が廃れてきているのだった。私は男性の布を扱う仕草が好きなので、ちょっと残念である。
 男性と言えばこれは偶然なのだけれど、私がそれなりの仲になる男性は皆ハンカチを持っていた。ズボンのお尻ポケットにはいつもハンカチが入っていて、手を拭きながらトイレから出てくる。汗を拭う。私がべそをかけば、さっと取り出して手渡してくれる。優しくて品が良くて素敵だった。彼らがまだハンカチを持っていれば嬉しいのだけど。

投稿者 shiori : 18:16 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年05月03日

日記: 義母ら来訪

 義母たちが家にやって来るので、はりきってごま豆腐を作った(できる嫁アピール作戦、効果のほどは不明)。すり鉢でごまをすること一時間、へとへとである。それでもすりたてのごまは本当にいい香り、祖母の鼻先にすり鉢を近づけると「あああっ!」と謎の声をあげて感動していた。まだ鼻は利くのか。夜は鮨を食べに行った。これは昨日の話。
 今日は朝から高島屋に出かけて牛肉やらホタテ貝やらを買う。素材さえ良ければ間違いはない(他力本願)。帰ってスープやサラダを作り、義母らをお迎えする。非常に喜んで頂けた模様で一安心。気候も最高で気分もよく、またしてもたくさん飲んでしまった。どうしてたくさん飲んでも顔色が変わらないのかしら、と義母に指摘されて頬を染める私である。
 ところでチャンピョンズリーグだが、ミランがべらぼうに強い。少なくとも今日のマンU戦は最強だった。寄せも早いし、穴もない。攻めは想像力豊かで狡猾。津波のような恐ろしさがあった。だからといって優勝できるかどうかは別の話なのだが。それにしてもシュートが枠に行くって素敵だ。おまけに点が入るだなんて。繰り返すようだけれど、私はゴールシーンが一番好きなのだ。

投稿者 shiori : 10:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: ゼラチン gelatine

 肉や魚の煮汁を放置しておくとゼリー状の固まり(煮こごり)ができるが、これがゼラチン。動物性のタンパク質でコラーゲンとほぼ同義、ぬるま湯に溶けて冷やすと固まる。温めるとまた溶ける。つまり口に入れると溶ける。だからゼリー、ババロア、ムース、グミキャンディ、マシュマロなど、ゼラチンを使った洋菓子は口当たりが良いことになる。
 「凍らしたもの」という意のラテン語から派生して出来た言葉なのだが、実はその歴史は古く古代エジプトに遡る。にかわといって現在でも弦楽器の修復なんかに使われるけれど、動物の革や骨から抽出した天然接着剤がゼラチンの起源。食用に使用されるようになったのは19Cに入ってからのことである。化学用語でゼラチンを溶かした液のことをコロイド溶液と呼ぶが(光を当てると白く濁る:チンダル現象)、このコロイドとはギリシャ語でにかわを指す。現在では食用の他に薬のカプセルや化粧水、写真のフィルムにも使われている。
 寒天も凝固作用のある食材である。こちらはテンクサやオゴノリといった海草類から作られる食物繊維。ゼラチンとは違って栄養もなければカロリィもないし、熱湯に溶けて常温で固まるという点も異なる。羊羹や杏仁豆腐を想像すればわかるようにゼリーよりも硬度も高い。少量で固まるし、ゼラチンに較べれば値段も安い。
 ペクチンという凝固剤もある。野菜や果物に含まれる多糖類で、糖分やカルシウムと混ざると凝固する。ジャムがよい例。実はフルーチェが魅惑的に固まるのもこのペクチンの仕業である。その他、豆腐に使うにがりやごま豆腐に使う葛粉、わらび餅のわらび粉、とろみをつける片栗粉、自然界に凝固作用を持つ食材は意外と多い。

投稿者 shiori : 10:07 | コメント (0) | トラックバック (0)