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2007年08月31日

日記: スラッシュゾーン

 昨日病院で診てもらったら、もうすっかりよいとのこと。少し先の話だが、腸のレントゲンを撮ることになった。前日から食事制限をして下剤をたらふく飲んで腸をからっぽにするのだとか。美容分野の腸内洗浄と同じでお肌つるつるになるのだろうか。ちょっと興味がある。
 今日はようやく微熱もとれたし、さあ飲むか、ということで久しぶりに勝木さんの店に行った。お店は繁盛しているようで何よりだ。隣にいた見知らぬ女性に「奥菜恵に似ていますね」と話しかけられて、新手の詐欺かと身構えたが、どうやら常連客のようだった。彼女曰く、勝木さんて優しくて癒し系なのでなごみます、とのこと。やはり新手の詐欺だろうか。あなどれない娘さんであった。そういえばN島夫妻にも会った。ガンズを熱唱する仲間(ライバル)として認識されているのが少々気になったが、ハードロックについていくつか会話。合計3パイント分のビールを頂き、しっかりと酔っぱらった。
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カタカナ: セ氏 ℃

 ℃のCはセリシウス(Celsius)さんのCである。彼は18世紀のスウェーデンの物理学者で、温度目盛を提唱した人だ。彼の名前を中国語で書くと「摂爾修」になるので、摂氏とも呼ばれる。水の凝固点と沸点を定点としてその間を百分割した値を1℃と呼んだわけだが、現在のセルシウス度の定義は「熱力学温度(K:ケルビン)から273.15減じたもの」ということになっている。
 平たくいうと、熱力学温度(K)というのはセルシウス度よりも正確なものさし。つまりセルシウス度の定点とされる氷点や沸点はあくまである気圧下での値、気圧が変わればその値も変わってしまう(例えば富士山頂ではお湯が沸くのに時間がかかる)。そういうあやふやなものを基準にするのはいかがか、ということで登場したのが熱力学温度である。
 熱力学によれば、氷と水と水蒸気という三相が共存できるのは気圧と温度がある数値に定まった時だけ(水の三重点という)である。そこでこれを定点にしてより正確な温度計を作ろうという話になり、精密な実験を行ったところ、その温度は氷点より0.01度高いことが判明した。さらに、これ以上低くはなりえない温度(絶対零度)を測定したら、−273.15℃だった。この下限温度を0ケルビン、水の三重点を273.16ケルビン、と定めたのが熱力学温度である。ゆえに上記のようなややこしい定義になっているわけだ。ただ、目盛の幅はセルシウス度と同じなので「C=Kー273.15」となる。ちなみにケルビンはイギリスの物理学者の名。
 ファーレンハイトという温度もある。°F、華氏、などと記す。これはドイツの物理学者ファーレンハイトさんのF、および中国名「華倫海特」の華に由来している。そもそもは氷と塩の混合物の温度を0度、人の体温を96度に定めたのだが、その後、より安定している水の氷点と沸点をそれぞれ32度、212度と決めた。セシリウス度との換算は、36.8℃=98.24°F=309.95K。
 華氏は英語圏では馴染み深いものだったが、1960年代以降メートル法移行に伴いセルシウス度を採用する国が増えた。現在でもしぶとく華氏を使っているのはアメリカ合衆国。ヤード・ポンド法にしてもそうだが、国粋的というか、野暮というか、アメリカだよなあ、と思う。ヤードの話はまたどこかで。

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2007年08月29日

日記: 品川

 品川教会へ行くついでに、品川駅中ecouteを初見学。切符を携えて時計を気にしつつ食事をするのはラブホテルのサービスタイムのようで嫌だなあ。気になるパン屋があったが今日は買わず。替わりに丸善でおもちゃの車を買った。
 コウくんのライブ。いつもは私を含め黄色人種バンドなのだが、今日は黒人編成。技術はともかく、声量と迫力はまず勝てないことがわかった。私も30kg太ればあんな声が出るだろうか。『WILD HORSES』のカヴァーを聴いたが、サビのコードが違っていて興味深かった(could'nt drag me awayの部分がG→F→Cのところ、G→F→E7になっていた)。終了後、あれこれ挨拶。
 あまりにも空腹だったので、大井町で途中下車して食事。いい加減な居酒屋でいい加減なご飯を食べたが、脂と塩分と化学調味料のあたりがきつくて参った。絶食すると舌が変わると聞いていたが、本当のようだ。そういえば煙草もずっと吸っていない。おそらく毒に対して敏感になるのだろう。これがいつまで続くのかは知らないけれど。
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カタカナ: エコー echo

 エコーとはギリシャのニンフの名前。たいそうおしゃべりな娘だったため、ある時口が災いしてゼウスの妻ヘラの怒りを買い、人の話した最後の言葉しか口にできなくなってしまった。そんなエコーは美青年ナルキッソスに恋をする。でも彼は自分の言葉をおうむ返しするエコーに腹を立て、彼女を追い払う。哀しみに暮れたエコーの身体はやせ細り、やがて声だけになってしまった。今でもほら穴や山の谷間に身をひそめ、人々の呼びかけに答えるのだった。
 というのがエコーの神話。(ナルキッソスはその後森の泉に映った自分に恋をして、身を焦がすあまり死んでしまう。ナルシストの語源)。echoとはギリシャ語で「繰り返し、模倣」の意である。
 音楽の分野でエコーというと、遅れて同じ音を鳴らすことで反響効果を得るエフェクトを指すが、エコーではなくディレイ(delay:遅らせる)と呼ぶことが多い。ディレイタイム、リピート回数、音量などを調節することで多種多様な音色が得られる。異なったディレイタイムのエコーを無数に重ねる効果をリバーヴと呼んだりもする。教会やお風呂はリバ−ヴ多め、反対にリバーヴ少なめ(デッドという)なのはレコーディングルームや狭い納戸など。話したそばから自分の声が消えていくので妙な感じがする。
 医学の分野でエコーというと超音波検査のこと。胎児の診断で経験した人も多いのではないだろうか。プローブと呼ばれるひげ剃りのような器具から超音波を発信して物体に当たって跳ね返った音波を受信、その時間を計算して映像化するという原理だ。現在の機械は扇状に音波を発信するので、リアルタイムで内部の画像が見られる。内部に気体があると解像度が落ちるので肺の検査には向かないが、放射線検査や内視鏡などと違って身体に負担がかからないのが最大の長所。

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2007年08月24日

日記: 退院

 一週間ぶりにジーンズを履いたら、腰回りがゆるゆる。できる限り歩くようにはしていたが、やはり足が萎えたようで足取りが覚束ない。点滴をしていたほうの腕なんか見るからに細くなってしまった。寝付くとはげに恐ろしいこと。確かに年寄りだと3日床に就くと歩けなくなって不思議はない。身支度を整えた私を見て、看護士さんが「まあ、お綺麗」と言った。なかなか気の利いたはなむけを申すでないか。もう花まるあげちゃう。晴れやかな気分でS病院をあとにした。
 それで再び日常が戻ってきたのだけれど、「娑婆に出た」という表現は言い得て妙なのだった。住み慣れた家や見慣れた風景が奇妙に映り、道行く人に違和感を感じる。ほとんどThe Doorsの世界。世界が奇妙なのは君が奇妙だからさ、とジム・モリソンの声が聞こえてきそうである。スーパーに買物に行ったり、ビデオ屋でフィルムを選んだりしたけれど、なんだか始終足のないような心地で、まあこういうトリップ感を味わえるなら入院も無駄ではないと思ったりした。
 さっそくビールを飲んだ。このあたりが分かれ目だという自覚はある。何の分かれ目かって人生のですよ。しかし味覚が病院仕様なのか、苦くてとても飲めなかった。驚天動地の事態である。もしこのまま酒が飲めなくなったらと想像してミゼラブルな気分になった。という話を友人にしたら、そういう不安を感じたことは幾度となくあったが、実際に飲めなくなることは絶対にないから安心するように、と慰められた。よし。
 ああ、愛しの我が健康。
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2007年08月23日

日記: 入院六日目

 看護士さんには昼の人と夜の人がいて、毎日変わるので都合10名ほどと話す機会があったが、やはり人はそれぞれ、容姿や雰囲気はもちろん仕事のさばき方、口の利き方、どれをとっても千差万別だ。普通に生活していると、若い女性10人を同じ条件下で観察する機会なんてないので、かなり興味深い体験である。
 好みの話をすれば、10名のうちとても好ましいのは1人、好ましいのは2人、他7名は印象が薄い、という感じ。この比率は通常と変わらない。女の私でも一生懸命で可愛らしい子が担当になると嬉しいぐらいだから、男性患者はこういった看護士品定めが楽しみに違いない。病院てそれくらい暇なところ、とも言えるのだが。
 ところで、病院はこの「好み」というウェットな部分が重要な場所である。身体が悪いという時点でスタッフと患者は対等な関係ではないため、彼らも上からものを言うし患者も滅法有り難がる、それゆえ見過ごされがちだが、病院の本質は人気商売なのではないかと思う。患者は不安だから医者や看護士の一挙一動を注視する。そしてあの医師は不親切だとか、あの看護士は横柄だとか、少しでも気になることがあると身を預けるのをためらうし、その病院には二度と行かない。そういうものだ。
 これは祖母の介護に関わる人を見ていても感じることだけど、医療ミスが取沙汰されたり患者の権利を守る動きのある昨今、医療従事者は昔よりずいぶん腰が低くなった。しかしそれは患者のためではなく世情を受けてのこと、一応下手には出ておきますけどね、という雰囲気がまだまだ残っている。挨拶ばかり慇懃で仕事が雑な人は結構多い。しかし患者の目はそれを見抜けないほど節穴ではないし、そういう人ないし病院はいずれ自然淘汰されることになるのだろう。
 今日はもうすっかり元気。微熱は二週間くらいは続くのだそうだ。久しぶりに化粧を施す。痛くてしんどい時は髪はぼさぼさ、眉毛を描く気もおきなくて、眼鏡をかけたゾンビですがそれが何か、という心境だったが、ああ、元気になったのだなあ、と鏡を覗いて感じ入る。明日は退院の日。
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IKEAで買ったデッサン人形

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2007年08月22日

日記: 入院五日目

 向かいの個室におじいさんがいる。姿形は見た事がないが、声から判断するに80前後というところ、このじいさん、看護士の言うことをまったく聞かない、いわゆる鼻つまみもんの患者で、皆手を焼いている様子である。
 しかし聞いているぶんには退屈しない。まず発する言葉のほとんどが「んえあっ」という点に注目したい。しかも塩辛声。今、何度かやってみたが、あの感じはちょっと再現できない。んえあっ。検温しますよ、んえあっ、お通じありますか、んえあっんえあっ、背中が痛いの?、んえああ〜、という具合。
 都合の悪いことは聞こえないふりをする技も持っていて、行く、行かない、どっちなのよっ、と看護士の苛立つ声が時々聞こえてくる。ひどい時は貝のように縮こまって身体に触らせてもくれないようで、もう知らないから、と愛想を尽かされるじいさんである。それでも時々はまともな言葉を発するから油断ならない。「アシ、イタイ」「タイインスル」「バアサン、マダカ」。そういうのを聞くとちょっと可哀想になる。じいさんなりにこの現実に抵抗しているのである。
 今朝は、さあ、起きてご飯食べるよ、との看護士の言葉に「ゆ〜ん」と答えていた。何だ、ゆ〜ん、て。看護士も、ゆ〜んじゃないよまったく、と呟いていて、ベッドでしばし哄笑。
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 相変わらず微熱はあるものの、お腹の痛みはほぼ癒えたので、明後日に退院できることになった。夜勤の看護士さんとおしゃべり。内部事情なども聞いた。主治医のF先生の悪口も聞いた。若くて格好いいから看護士に人気があるのかと思ったら、あれは医者に向いてない、などとひどい言われ様で笑ってしまった。当人は休日返上、目の下真っ黒、身を粉にして働いているけれど、確かに私の目から見ても仕事がさばききれていない様子で、おそらく看護士たちがその尻拭いをさせられているのだろう。
 女医さんとか男の看護士はちらほら見かけるが、病院はまだまだ男性優位の社会、男の仕事を女がサポートする図式は健在である。だから男性医師は女の扱いに長けていなくてはいけない。いっても女は単純、可愛いねと褒めるとか、食事をごちそうするとか、それが無理ならせめて、この前はありがとう、と仕事上の労をねぎらうだけでも態度はしなやかになるものだ。しかし世の中にはそれがまったくわかっていない阿呆な男が結構いて(母親の躾が悪い)、そういう輩は女に総好かんを食っても仕方がないのである。それでも裏を返せば女は機嫌さえとっておえばうまくいくのだから、プライドとやらをふりかざしてごねる男よりはよほど御しやすいと思うのだけど、いかがでしょう。
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マイカメラの最大ズームでバルサの星たちを激写

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2007年08月21日

日記: 入院四日目

 病院の朝は早い。6時には看護士が体温と血圧を測りに来る。お腹の痛みは驚くほど軽くなった。入院した当初は足を曲げても響くほどだったが、今はもう普通に歩ける。あとは食事を摂って異常がなければ退院とのこと。
 病状が良くなるにつれて手持ち無沙汰になってきた。今日は風呂にも入ったし、食事は上げ膳据え膳だし、昼寝はし放題だし、皆が一生懸命働いている時にこんなことでいいのかなどと考えたりした。自宅で同じことをしても何も思わないくせに。とにかく暇が良くない。暇だとろくなことを考えない。
 これは入院してみて初めて実感したことだけれど、入院の基本姿勢は「待つ」ことだ。病状が快方に向かうのを待つ、食事の時間を待つ、見舞客を待つ、医者の回診を待つ、看護士のチェックを待つ、消灯を待つ、ブラブラブラ。患者は寝台に寝て養生する以外にすべきことはない。自分の役目は病院の外に置いて来てしまったからだ。この絶対的受け身の状態が結構効く。ボディブロウのようにじわじわと心を蝕んでいく。
 廊下で足音がすると、自分のところに来るのかなと耳を澄ます癖がついてしまった。ほとんど老人の心境である。
 今日の晩ご飯は、お粥、豚ヒレと大根の煮物(よくぞここまで脂を落とした!)、ピーマンの炒め煮(よくぞここまで歯ごたえをなくした!)、胡瓜とみかんの和え物(よくぞここまで不味い料理を考えた!)とバナナ。
完食。
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2007年08月20日

日記: 入院三日目

 24時間点滴をしているので、動くときはころころのついた台を携える。トイレに行く時も検査に行く時も一緒、夫唱婦随の夫婦のようなものだ。しかしまだ扱いに馴れぬため、よく蹴つまづく。今日は看護士さんの踵にしたたかぶつけてしまった。日増しに体調は良くなっている。抗生剤が効いているようだ。
 今日は超音波の検査があった。私のお腹の画像を見ながら、専門家2人と主治医が額を寄せて話し合っている。そんなに興味を持ってもらえて恐縮なのだが、その時私は猛烈におしっこがしたくて、なのに膀胱のあたりをぐりぐり押されてさあ大変、意を決して「あの」と言った。すると「おしっこですよね」と即答するではないか。「だっていっぱいだもの」と主治医は画像を指差し含み笑い。おしっこしているのを見られるのと同じくらい恥ずかしかった。
 でも超音波は膀胱が膨れていたほうが見やすいのでもう少し辛抱を、と制される。あれは辛かった。脂汗が出た。うめき声も出た。恥も外聞も捨てて股を押さえた。そしていざお許しが出ると髪を振り乱してトイレへ猛ダッシュ。漏らすよりましとはいえ、女子のとる行動ではございません。殿方たちの失笑を買ったではありませんか。
 ところで主治医のF先生は救急医である。年の頃は30前後、すらっと背の高い、ちょっとした色男である。当たり前だが、江口洋介よりはずっと本物っぽい。かったるそうに喋るがそれは照れ隠しだということもわかってきた。ただ滑舌が悪いので時々何を言っているのかわからなくて困る。物忘れも激しい。会話もなんか変で、唐突に始まったり唐突に終わったりする。そういえば今日も消灯の頃ふらっと病室にやってきて、何やらむにゃむにゃ喋って、ベッドの柵をつけて机の高さを調整して帰って行った。いささか読みにくいが、おもしろい人ではある。
 晩には重湯が出た。明日からは柔らかい食事が始まるという。わんわん。
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2007年08月19日

日記: 入院二日目

 献身的な看護のおかげで熱は37.5度まで下がった。この1.5度が非常に大きい。モスクワとハワイくらい違う(行ったことないけど)。38.5度を超えると頭は朦朧、肌はぴりぴり、関節が痛んで歯が疼く。まああの世界が歪む感じも悪くはないんだけど、と悠長なことを言えるのは熱が下がったからであります。
 しかし病院の大部屋というのは動物園のようである。たまたま私の部屋には脳卒中のおばあさん(全員オムツで言語中枢がイカれている)が集合していて、夜中も二時間おきにオムツ替え隊がどやどややって来るし、大砲のようないびきが鳴り響くし、うむ。と思っていたら、家人が個室に入れてくれた。お姫様じゃないんだから、と母は眉をひそめたが、差額ベッド代を払うのは家人なんだからいいのである。かくして私は個室へ。
 この病院、今年の3月にオープンしたばかりなのでホテルのよう。病気の治りには関係ないが、綺麗で清潔なのは気分がよい。お腹はまだまだ痛いが、気持はずいぶん楽になった。
 昼過ぎにS夫妻がお見舞いに来てくれた。夏休みの子供のようで二人が眩しかった。昨晩自宅に酒を持って遊びに来てくれたらしい。悪いことをした。後厄だからこれでもう大丈夫、としきりに言っていた。夕方には両親も来た。折しも鶴見川の花火の日で、真向かいに打ち上がる花火を皆で見物した。夜空にひゅるると上る花火はまるで精子。がんばれ、精子。
 48時間何も食べていない。病人とはいえ、さすがに腹が減った。この飢餓感はちょっと新しい。テレビに美味そうな食べ物が映ると脳が痺れるのだ。一番食べたいものなんてない。何でもいい、全部食べたい。
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こういうものが飲める身体に戻りたい。
瓶でも美味しいけど、ドラフトはまた格別です。

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2007年08月18日

日記: 入院初日

※無事退院しましたので、日記を再開します

 思えば5日ほど前から具合はよくなかった。
 しかしこういうのは後で振り返って初めて言えること、その時は多少具合が悪くても平気と鷹揚に構えてしまうものだ。天下泰平な日常を愛しているから。それに大概は知らぬ間に体調は戻っている。だから余計なめてかかる。すると手痛いしっぺ返しを食らうことも時にはあって。
 昨晩から腹痛が激しくなった。痛くてまっすぐ歩けないほど。食事はお粥を舐めただけで、早々に床に就くも結局朝まで眠れず。未曾有の痛みに恐怖を感じて、祖母かかりつけの診療所に駆け込んだ。すると先生は10秒診察して、ああ、これは盲腸、すぐ手術しないと、と言う。しかし設備の整った大病院はお盆で医師不足、すったもんだの末、鶴見にあるS病院に入れてもらえることになった。
 手術覚悟で臨んだ身にすれば不幸中の幸いと言えるのだが、S病院の診断は盲腸ではなく懸室炎。なんでも腸には懸室という出っ張りがあって、そこに菌が入ったりすると腫れるのだそうだ。特にめずらしい病気ではないらしい。ひどくなると手術だが、とりあえず抗生物質の投与で様子を見たい、と先生は言った。三日絶食、最低一週間の入院、と告げられたが、まあ手術するのに比べれば何でもよい。
 CTで視ると腸の腫れがひどかったようで、これはずいぶん痛かったでしょう、と同情された。そう言われると、いいえ、それほどでも、と強がってしまうのは私が天の邪鬼だから。それでも病室に連れていかれると、途端にすべてが現実味を帯びてきて、しょんぼりしてしまった。全部嘘ならいいのに、と思った。家族が帰って一人になるとますます淋しくなって、布団をかぶってこっそり泣く。
 この夜はひどかった。炎症のせいで39度まで熱が上がり、お腹は焼きごてを据えられたように痛く、うめき声を禁じ得ない。どんな姿勢をとっても安まらない。抗生剤の効き目がわからなくなるので解熱剤ももらえず、看護士さんに何度も氷枕を替えてもらって耐える。まこと彼女が天使に見えた。
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2007年08月12日

日記: あっぱっぱ

 このところ毎日ワンピースを着ている。なんとなればあれがいち涼しいからだ。スカートの裾をぱたぱた揺すると、空気がぼふぼふ入って気持いい。昔から実家ではあっぱっぱと呼んで、祖母も母も皆気楽なワンピースを着ていた。家人に言っても通じないところをみると、あっぱっぱはどうやら関西方言のようだ。今日はアニエスの赤いやつ。色落ちしたので街にはもう着ていけない。昔これを着てよくライブをしたなあ。いい気なもんだったなあ。
 今日は成城石井で麦茶パックと白ワインヴィネガーとGABANの粒胡椒を買って、ビックカメラの無料眼鏡洗浄機でサングラスを洗って帰った。超音波がどうのと書いてあるが、思わずのけぞるくらい綺麗になる。眼鏡っ子諸君は見かけたら洗うように。
 世間はお盆休みのようだ。友人はランカウイ島でヴァカンス中とのこと。私はハワイにもグアムにもサイパンにも行ったことがない。沖縄には行ったけれど、ずっとスタジオに居て太陽を浴びずに帰って来た。思えば野暮な人生である。私の夏はせいぜいあっぱっぱ止まり、果たして30代のうちにピニャ・コラーダ的快楽を味わえる日は来るのだろうか。

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カタカナ: バルコニー balcony

 家のチラシに載った間取り図を眺めるのが好きだ。マンションだととかく広い部屋に目がいきがちで、風呂場に窓がないから駄目だとか動線が少なくて嫌だとか、ケチをつけて楽しむ。100平米以上あると俄然燃える。おそらくひがみ根性というやつだろう。
 しかしそれを差し引いても最近のマンションはスカしてやがるなと思うのである。だいたい15畳を「15J」と表記するセンスがよくわからない。欧米か。畳という古い度量衡を温存したまま欧米ぽくやりたいというその心がさもしいではないか。
 時々見かけるDENというのも不可解である。これはもともと「野獣の巣穴」を指す古英語、転じてお父さんの書斎を指すそうだが、父権を主張するわりに2.5Jとかいう狭さがもの哀しい。だいたい今時のお父さんは読書をしないだろうに。
 バルコニーという表記も気になる。バルコニー(balcony)とはバルコン(balcone:梁、角材)から派生したイタリア語、もともと劇場の上階に張り出した円座のことを指す言葉だ。建物で言うとローマ教皇が出て来て手を振ったり、ジュリエットが身を乗り出して「ああ、私のロミオ」と叫ぶ場所なのであって、花を飾ることはあっても断じて洗濯物を干す場所ではない。
 イメージがお洒落なのでベランダに取って替わったというのが通説のようだが、ベランダ(verandah)は「長いバルコニー」を指すヒンディー語、だから日本のマンションの場合ベランダと呼ぶほうが正しいのである。
 ルーフバルコニーとは下階のバルコニーを利用したバルコニーという意だが、日本では広いバルコニーを差別化してルーフバルコニーと呼ぶようだ。テラス(terrace)は庭に張り出した舗装済みのスペースのこと。屋根はないのが普通。ポーチ(porch)は張り出した屋根つきの玄関を指す。

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2007年08月11日

日記: 交歓

 アメリカ人がコーンチップとサルサソースを持って遊びに来た。枕くらいある袋3つとソースが4瓶。さすがアメリカである。そんな調子だから肉をがっつり食らうのかと思ったら、意外にも彼はヴェジタリアンだった。肥えているのは酒のせいだろう。今日も4人でビール半ダースとワイン4本を飲んだ。風俗嬢のような淫靡な顔をしてあげたら大喜びで写真をとっていた。まあ彼はゲイなのでね、こちらも節操がなくなるのですね。
 そういえば途中で『サタデー・ナイト・フィバー』を観たいというので流したら、トラボルタの裸体を指差してきゃあきゃあ騒ぐこと騒ぐこと、本当におたくらは男が好きなんやねえと感じ入った。そりゃ私だって男性の裸をみれば「お」と思うけれど、あそこまで嬉しくない。それに女性の裸をみたって「お」と思う。一方の彼らは女性の裸にはやたら厳しくて、ビヨンセみたいのしか褒めないし、だいたいあそこが気持悪い、などと言う。つまり、女を敵視しているということ。
 そのあけすけな感じが肌に合うので、ゲイの人と話すのは愉しい。

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カタカナ: オードトワレ eau de toillete

 香水のことを英語でパフューム(perfume)と呼ぶが、これはper(〜を通って)+fume(煙)、つまり「煙を通して立ちこめる」という意である。今のようにアルコール揮発の香水ではなく、香を焚いて煙をおこすことで匂いづけをしていたわけだ。
 最近では男性用の香水も多く出回り、香水売り場は実に賑やかしい(ドンキホーテとか)。メーカが香水のボトルデザインに凝るのもあるだろう。こういうものは匂いはもとより高級感が大切なのだから、パックの詰め替え用なんかを売り出したのではいけない。オブジェのような瓶にもったいぶって詰めるのがいいようだ。
 香水の種類は香料含有量(濃度)によって4種に大別できる。濃度の高い順から、パルファン(parfum)、オードパルファン(eau de parfum)、オードトワレ(eau de toillete)、オーデコロン(eau de cologne)となる。当然ながら濃度の高いほうが香りが長く持続するし、値段も高い。
 オ(eau)というのは仏語で水のこと。だからオードパルファンは水で薄めたパルファンとなる。トワレとは化粧室のことだが、身だしなみを整えるという意もあり、オードトワレは身だしなみの水。コロンはドイツのケルンを指す。なんでもケルン在住の香水師が編み出したとかで、オーデコロンと呼ばれるようになったそうだ。
 欧米では香りをプラスすることで嫌な臭いを消すようだが、日本人はそもそも強い匂いが苦手な傾向にあり、制汗剤などで臭いを抑えるほうが主流である。CMでよく謳われるデオドラントとは、de-odor-ant、つまりodor(香り)を除くもの、脱臭剤という意味。

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2007年08月06日

日記: バルサ

 日産スタジアムでバルセロナvs横浜マリノスを観戦。
 家の近所にロナウジーニョが来るのだから見ておくかという感じで、まあ試合のほうも予想通り省エネではあったが、あれで本気出したら恐ろしいねという迫力は十分あった。新入りのアンリはほとんどボールに触ることなく前半で退いたけれど、エトーにメッシにデコにロナウジーニョ、なんというか「中トロの和牛巻き」みたいなチームである。だからといって勝てるかどうかはわからないのがサッカーのよいところ。
 それでちょっと思ったのだが、実際にサッカーを観戦するとボールを持たない選手の動きが見えたり、独特の高揚感があったり、やはりテレビで観るのとは違う。でも音楽のライブを観るような感動はない。「見る」ものと「聞く」ものの違いなのだろう。
 試合が始まる前ビールを飲んでいたら、後ろの男子が「俺の大学、可愛い子、マジいね〜の、ブスばっか、最悪」などと言うものだから、振り向いて顔を確認したらこれがまた気の毒な造形の男子で、仮に可愛い娘がいたとしてもあなたには決して回ってきません、と思った。可愛いだの可愛くないだのうるさい男はかなわないなあ。

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カタカナ: アンリ Henry

 ヘンリーと書いてアンリと読むのは、フランス語ではHERMES(エルメス)、homage(オマージュ)、のようにHを発音しないからなのだが、同じ名でも国によって呼び方が微妙に変化するのがおもしろい。ヘンリーはドイツではハインリヒ(Heinrich)、イタリアではエンリコ(Enrico)、スペインではエンリケ(Enrique)である。語源はhome+rule、つまり家を支配する人という意味だ。
 チャールズ(Charles)はラテン語のcarolus(成人、自由民)に由来している。仏ではシャルル、独ではカール。シャルルマーニュとカール大帝は同一人物である。シャーロット、シャーレーン、キャロライン、といった女性名もチャールズの派生名だ。
 西欧はキリスト教国家なので、聖書からとった名前も多い。例えば使徒ヨハネから派生したジョン(英)は、ジャン(仏)、ヨハン(独)、ジョバンニ(伊)、イワン(露)、ヤン(蘭)、フアン(西)と変化する。 使徒ペテロはピーター(英)、ピエール(仏)、ペーター(独)、ピエトロ(伊)、ピョートル(露)、ペドロ(西)。その他、パウロ(ポール)、ヤコブ(ジェイコブ)、トマス(トーマス)、ルカ(ルーク)なども聖書由来の名。
 ロナウジーニョとは「小さいロナウド」という意である。彼が代表入りした時にはすでに怪物くんロナウドがいたので、区別するためにこう呼ばれたそうだ。ロナウド(Ronald)はレジナルド(Reginald:賢い支配者)という男子名から派生した。

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2007年08月04日

日記: paralyzed

 ゴルフの打ちっぱなしへ。
 ボールの芯をとらえてまっすぐに飛ばす、なんてことが容易くできるほど甘くはないのだった。地面を叩きまくって腕がびりびり。箸がうまく持てないほどだ。運動神経はないが、ガッツはある、というやつですか。ようやくボールが放物線を描くようになったところで本日は終了。まあもう一度くらいは来なくてはいけないだろう。
 ドライバーの実物を初めて見たけれど、しばらく笑いが止まらなかった。あのヘッドは何だ。UFOか。柄がやたらと細長いのも気になる。遠くに飛ばしたいのはわかるが、道具とボールのサイズバランスが人工的で美しくないのだなあ。野球やテニスのように芯に当たる手応えが伝わって心地よいというわけにはいかない。
 夜は天婦羅。4000kcalくらい食べた。揚げ物ラブ。世界が揚げ物でいっぱいになればいい。
 予期せぬ収入があり、夜半過ぎ、阿波踊りで部屋を周遊。

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カタカナ: リーチ 立直

 パチンコやビンゴなどで、あと一つで手が完成する状態をリーチと呼ぶ。もっとも心拍数のあがる瞬間でもある。たかが一手、されど一手。この一手の遠いことったらない。このあたりが勝負事の妙と言える。
 そもそもリーチとは麻雀用語である。
 麻雀ではあと一牌でアガリ(和了)の状態をテンパイ(聴牌)と呼ぶが、その時にいくつかの条件が揃っていれば「リーチ」と宣言できる(つまりテンパイ=リーチというわけではない)。細かい説明は省くが、うまくアガれば点数が何倍にも高くなる。しかしあと一手だとわかれば相手も慎重になって、あたりそうな危険牌は捨てなくなるし、逆にリーチと宣言した以上手は変えられないので、相手にあたりそうな牌も捨てざるを得ない。そのあたりの兼ね合いが難しいところ。実は中国麻雀にはリーチのルールはなく、英語のreach(届く)が語源ではないかと言われている。
 テンパる、というのも麻雀から生まれた言葉だ。物事を抱え過ぎてパニックに陥る状態を指すわけだが、これはテンパイの時に相手にあたりそうな危険牌をツモ(自摸)ってしまって(牌を引くという意)、危険牌を捨てるかテンパイを崩すか、あ〜ん、困った、と焦ることに由来している。
 メンツ(面子)、トイメン(対面)、チョンボ(錯和)、アンパイ(安全牌)、レンチャン(連荘)なんて言葉もすべて麻雀用語。

投稿者 shiori : 12:26 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年08月03日

日記: 娘の小言

 最近母が「ハード」と「ソフト」という言葉を得意げに使うのが非常に耳障りである。それはもうソフトの問題じゃないよね、とか言うのである。おそらくテレビか何かで聞いて(おばさん同士の会話に頻繁に登場するとは思えない)真似していると思われるが、使い方として間違っていないのが余計に腹立たしい。
 ついでに言うと、テレビに映る芸能人の好き嫌いをいちいち明らかにするのも鬱陶しい。「あ、あたし、この人、きらい」という具合。柳葉敏郎が好きで、中西(サッカー)は嫌い。広末涼子は可愛くて、火野正平は女たらしで、淡路恵子はキンノスケと結婚していた。50回くらい聞いているので知っているのに念押しするのである。
 さらに言うと、生理ナプキンを観ると必ず「最近のはずいぶんよくなったんでしょう」と聞くのもたまらない。「昔のは知らない」とぶっきらぼうに答えると「あんた、生理痛はひどいの」とまったく別の質問をする。そして私が答える前に「私はひどくてねえ……」と自分の生理痛にまつわるエピソード(すでに20回は聞いている)を披露、憮然とする私を尻目に一通り喋り終えると「あんた、桃、食べる?」と言い出して、釈然としないまま私は桃を頬張っていて、でも桃が甘くて美味しいから「まあいいか」という気分になるというもの。

宣言したはなから写真がうまく載らず
原因究明中です
すみません

投稿者 shiori : 13:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: オクラ okra

 オクラの収穫が最盛期を迎えています、というニュースを観ていて驚いたのだけれど、あれは茎にぶら下がっているのではなく、天に向かってにょきっと伸びるものなのだった。
 収穫せずに放っておくとぐんぐん伸びて、木質化して、先っちょから裂けて、種を落とす。霜に弱いので日本では一年草だが、原産のアフリカなどでは多年草で、それこそ二千年前から親しまれてきた野菜のひとつである。日本に普及したのは1960年頃。高知と鹿児島が主な生産地だ。
 オクラはokra、英語である。別名ガンボ(gumbo)。ガンボというとオクラ本体だけでなく、アメリカはルイジアナ州の郷土料理(オクラやシーフードを煮込んでスパイスを効かせたスープ)を指す場合もある。なんでもフランス系移民がブイヤベースを作ろうとして生まれた料理らしい。転じてガンボは「ごちゃまぜ、ごった」という意。(そう考えると、ボ・ガンボスとは実にニューオーリンズ的で憎いネーミングであるな)
 オクラのねばねばの正体はペクチン(cf.07.5.3 ゼラチン)である。さっと熱湯にくぐらせるとあまり粘らないが、二分ほど茹でれば納豆ばりに粘る。刻んでねばねば軍団と合わせて食べるもよし、丸まま肉を巻いて焼くのもよし、栄養価も高く便利な夏野菜。

投稿者 shiori : 13:38 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年08月01日

日記: 香の物

 ようやく梅雨が明けたようで、おてんとさまぎんぎらぎんである。洗濯機を二回まわして、物干竿が折れるくらい並べ干した。例の工事はまだ続いている。油断して大の字になって寝ていると、ベランダに人影があったりするので危険だ。私のしどけない格好を見て、むらむらっときてしまう塗装工がこの世にいないとは限らない。私たちは無限の可能性にさらされて生きているのである。まあ幸い無事だったので夜は白ワインと野菜料理。
 さて今日から写真を掲載することにした。ようやくデジタルカメラを入手して念願かなったりというところ、新しい靴をおろす朝のように清々しいわわたくしであります。
 写真のテーマは特にない。基本的にその日の気分に適当なものを載せようと思っている。負担になると続かないので。本文に関係ないものもあるし、キャプションの付かないものもある。香の物、という感じで楽しんでもらえれば幸いです。
101-0160_IMG.JPG
 伊豆あたりの景色に見えないでもないが、これはフランスはニースの浜辺。コートダジュールである。この海岸沿いにずらっと高級ホテルが立ち並んでいる。エメラルド色の海水は美しいけれど、プランクトンが少ないので格好の魚礁というわけにはいかないそうだ。

投稿者 shiori : 18:49 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: バンタム bantam

 ボクシングの階級で、バンタムとフェザーはどっちが軽いのか、ライトとウェルターはどっちが重いのか、正しく並べるのは意外に難しい。
 ヘヴィ>ミドル>ウェルター>ライト>フェザー>バンタム>フライ>ストロー、が正解である。これにスーパー○○、ライト○○が加わり、世界ボクシング協会が定める階級は全部で17ある。
 19世紀初頭、近代ボクシング創世期にはライト級とヘヴィ級しかなかったのだが、その後中間としてミドル級が誕生し、ライトよりも軽い級を、ということでフェザー(feather:羽毛)級ができた。ここまではよい。ウェルターとバンタムが登場したあたりから話はややこしくなる。
 ウェルター(welter)は「welt:ひどく殴る」という動詞から派生したという。バンタムは鳥のチャボのことで、当時流行していた闘鶏にちなんで名付けられた。さらに軽量のフライ級は紙のように軽いということでペーパー級と呼ばれていたが、「ペーパーチャンピョン」だと名ばかりの王者と混同されがちなので、フライ(fly:ハエ)と改名された。一番軽いのはストロー(straw:藁)、別名ミニマム級ともいう。最重量のヘヴィ級の下はクルーザー級といって、これは巡洋艦を表している。
 日本にはヘヴィ級の選手はほとんどいない。竹原慎二のミドル級が最重量だろうか。ライト級だとガッツ石松、畑山隆信、バンタム級には辰吉、薬師寺、などの有名選手がいる。亀田興毅は現在フライ級。
 矢吹丈はバンタム級である。力石徹はフェザー級からライトフェザー、バンタム、と二階級(体重差およそ4kg)落として試合に臨んだというわけだ。

投稿者 shiori : 18:28 | コメント (0) | トラックバック (0)