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2006年07月28日

日記: 泣き笑い

 祖母はその赤子のような笑顔のせいか、看護士さんからずいぶんかわいがられているようである。「ヤエコさん、今日もかわいいね」とか「いやされる〜」とか「あれ、今日は笑ってくれないの、さみしいよう」とか、それはもう実に愛玩動物的な人気を博していて、結構なことなんだけれど、まあしかし手前味噌ではあるが確かに祖母はかわいらしい。小さくて丸い顔をくしゅっとさせて無防備に笑うから、どうにもつられてこちらも微笑んでしまう。
 しかし断じていうけれど、昔からそうだったわけではない。もちろん今と同じように、機知にとんだ情の細やかな人だったけれど、どちらかと言えば怒りっぽくて頑迷で、それこそコンプレックスの塊という印象があった。それが年の寄るうちに、こだわりがひとつ減りふたつ減り、そのうち業という業が綺麗に落ちて、笑顔だけが残ったのだ。
 いつだったか、志村けんが「藤山寛美さんの芝居を見ると、お客さんが泣きながら笑っていて、自分にはまだその力はない」というのを聞いた時、すぐに祖母のことが頭に浮かんだ。
 以前から気付いてはいたのだが、彼女がおもしろいことを言うと、笑ってしまうと同時にどうしようもなく胸がいっぱいになって、自分の感情に困惑しながらにじむ涙をそっと拭いたりして、あれはなんといえばよいか、暗闇に一筋の光がすっと射し込んだようで、希望のようなものに感動してしまうような感じなのである。そしてその光が一瞬で消えてしまうことも知っているから余計に切なくて、泣くような笑うような。
 彼女は今、言葉はうまく話せなくなってしまったけれど、笑顔にはまだその力がみなぎっている。

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2006年07月26日

日記: 世渡り上手

 来週、祖母が退院することになった。回復したとも悪化したともいえるおかしな話、というのも入院した結果脳梗塞は収まったものの、歩けない、喋れない、飲めない、という凄まじい後遺症が残ってしまったからだ。い細かく砕いてとろみをつけた食べ物ならば食べられるが、やはり水を飲むとむせてしまう。だから鼻から管を通して、水分を補給することになった。
 その管というのは鼻から胃まで通っていて、白湯を入れた点滴パックとつないで水分を流し込む。しかしその管がきちんと挿入されていないと、肺に水が入って溺死するなどの事故になるので、聴診器で音を確かめて慎重に行わなければならない。点滴パックや管なども毎回ミルトンで洗浄して清潔を保つ。それを毎食後に一日三回行う。
 「というのを、ご家族の方、お願いします」と言われて目が点になった。祖母はもうトイレには行けないので完全なるおむつガールだし、起こしたり座らせたり着替えさせたりするのも一苦労なのに、ぎょえええ、母は「もう老人ホームよ、ホームホーム」と一応抵抗したが、祖母が「よおしうおねがえしあす」と涙ながらに訴えたので、母も私も慈愛の気持が満ちあふれて、結局連れて帰ることになった。真の世渡り上手。
 それでも鼻に管をつけて、ほうけたように天井を見つめている祖母を見ていると、死ににくいのも気の毒に思うが、それでもやはり生きていればそれなりの喜びがある、というしかないじゃないですか。

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2006年07月23日

日記: ジョーカー

 赤坂の中華料理屋にて旧友と会食。彼の部下がたいそう想像力の貧困な男で、たいそう頭を悩ませている話を聞く。部署の送別会の予約をとるよう命じると、蓋を空けてみれば全席カップルシートだったり、ウェブカメラを買って来るよう命じると、箱を空けてみれば防犯用の赤外線カメラだったりするそうだ。世の中はせち辛いもの、部下のぽかは上司のぽかと看做されることになっていて、彼は各方面より責め立てられてわりを食っているらしいが、しかしそういう経験をうんと積んでものを知った有能な管理職になるのだからこれも仕方ない、というのは人の言うことであって「あいつ、早く辞めねえかな」が彼の本音のようだった。聞いているぶんには愉快だった。
 昼に御馳走を頂いてしまったので、夜は軽めに豆腐やら野菜やら、酒にしても昼に飲んでしまうと夜はさほど飲めないものである。ジョーカーを誤った場面で切ってしまったようで、何とも口惜しくなる。そういう日はさっさと床に就くに限る。

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2006年07月22日

日記: 薄利多売

 ユニクロのプリントTシャツを手にとって眺めてみると、それはなかなか格好の良いデザインで、値札を確認すると一枚千円、なんという安値だろうと驚いてちょいと買おうかしらんと食指が動くのだけれど、同じものがどんと10枚積み重なっているのをみるとなんだかげんなりして、結局何も買わずに店を出た。
 あれがもし野菜や酒ならば、どれだけ箱積みされていようが迷わず買うのだけれど、衣服となるとそうはいかない。どんなに気に入った服でも、同じものを着た人を3人見かけたら、もう着たくない。人と違う服を着たいと積極的に考えているわけではないが、少なくとも同じは嫌なのであって、となればやはり店舗数の多い有名店で買うわけにはいかない(同じ理由で、有名ブランドのバッグも抵抗がある)。
 衣服は薄利多売に適さないように思うのだが、しかしながらユニクロが繁盛しているところをみると、そんなことは気にも留めない人が多いのだろう、よくも悪くもこだわりがないのは楽ちんちん。

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2006年07月20日

日記: ごっくん

 病院通いが続いている。祖母の言葉は多少聞き取れるようになってきたが、彼女が回復しているのか、こちらが慣れたのか、定かではない程度の話である。それでも「やっほ〜」と手を振ると、祖母は「やっお〜」と返事した。そういうところは変わらないのは朗報である。
 しかし言葉が聞きづらいというのは、実はさほど重要ではない。問題なのは嚥下である。つまり、話せないということは食べ物をごっくんできないことであり、結果、鼻に管を入れて流動食を流し込む羽目に合う。脳梗塞を起こすと、この症状に陥る人が非常に多いそうで、確かに病棟を観察していると鼻に管をつけている人の多いこと、しかし鼻から胃に直接入れるのだから味もへったくれもあったものではないし、咀嚼というのは案外大切で、止めてしまうとぼけることもあるという。憂鬱な話である。
 だからそうならないために、ごっくんの練習を毎日することになった。水をしみ込ませた太い綿棒で喉の奥をつついて、唾液を出して、それをごっくんするのである。それを朝昼晩10回、おばあちゃんはこの世の終わりのような顔をするが仕方ない、私もがんばるからあんたもがんばれと励まして喉をつんつん、なかなか得難い体験であるなあと、どういうわけか、力が湧いてくる。

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2006年07月17日

日記: 大義なき戦い

 人類誕生以来絶えることなく続いていると噂には聞いていたが、ほほう、なるほど、これが例のあれか、と溜飲を下した嫁姑問題、当方もようやくその実態をつかみつつあって、しかし実情を書くのは憚られるので一般論に留めるのだけれど、あれは確かにやむを得ない戦いだなと思うのである。
 しかし戦いといっても当人同士が罵り合い、殴る蹴るなどの暴力沙汰に及ぶ、なんてことにはならない。あからさまな対決は回避されるのがならわしである。なぜか。いくつかの理由があるけれど、ひとつにはそれが大義なき戦いであることに起因していると思われる。
 例えばである、姑は気に入らない嫁を運良くノックアウトしたとして、その先に何があるだろうか、はたまた息子の離婚か、中には実際に離婚させてしまう強者の姑もいるようだが、たいがいはそこまでは考えていないし(息子の不幸せを願う母がどこにいようか)、たとえ考えていたとしても「ずば」と口に出したり、そのために拳を振り上げるような野蛮な人はそういない。息子が決めたことだから、と一度は納得するのが常である。
 しかし、なんだかおもしろくない。そりゃそうである、手塩にかけて育てた息子を横取りされて、それがなんだか変な顔した変な言葉遣いの変なスカンタコの女、あんな女が好きやなんておもろないわ、ちょいとゆうたろ、ちょいといじめたろ、ちょいと恥かかせたろ、と思うのは当然なのである。
 むろん嫁のほうとて黙ってはいない。あのおばはん、うっとうしいな、とったとったゆうておたくの息子はんはものちゃうで、そんなちょっかい出すんやったら年とって困っても知らんど、助けたらへんど、くらいのことは思うのであって、いきおい世界平和が訪れることはまずないのである。
 そんな埒のあかぬ戦いをなぜ止めぬのか、もしや彼女たちは争いたいのではないか、という見方もある。それは意外に正しいのではないだろうか。相手に対する優位を示したいという気持がある限り摩擦は起きるのであって、同性同士であればその傾向はさらに強くなる。ちょっかいを出して相手が乗ってくれば俄然ヒートアップするだろうし、相手が素知らぬ顔をしていればそれでそれでヒートアップする。女たちの熱い季節なのである。
 もうこうなったら男なんて何の役にも立たない。そもそもこの戦いには乗り気ではないし、どちらかと言えば嫁の見方をするのだけれど、それもあまり露骨にすると角が立つ。だから両者からの訴えを聞き流すことに専心して、なだめすかして甘いキャンディーでも与えるのが関の山、強風に煽られて回転する風見鶏のようなものなのだ。気の毒と言えば気の毒なのだけれど、このあたりをないがしろにしているとあとで恐ろしいことになるので、くるくるとされるがままに回転するのが男の正しき姿だと思うのだけれど。
 というようなことを義母に赤裸々に語ってみてはどうだろうかと想像しないこともなくて、しかしそういうのはメルヘンであるなあと思いながら、出されたお茶をずずずとすすってとっておきのスマイルをひとつ。

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2006年07月15日

日記: トロピカル

 来客があったので調理に励んだのだけれど、日本はもう温暖湿潤気候という分類を脱したほうがよいだろう、朝っぱらからびかびかに晴れて午後三時を過ぎるとスコールが降ってまたぎんぎんに晴れてしまって、これはもうトロピカル・ジャパン、ガスコンロでさらにぬくめられた台所に立っていると思考が錯乱して、「す」とか「ゆん」とか意味の不明な単語を口走る始末、額や鼻の下、手足の折り目、首筋やら腋やらに汗をかくのはよくあることで、場合によっては腹と太もも、臀部や背中やなんかにかくこともあるだろう、しかし運動したわけでもないのに膝小僧から汗が滴るとは、と驚きながら作った料理は5品、スモークサーモンとアボカドとかぶのオードブル、キュウリのピリ辛漬け、ラタトゥイユ、アスパラガスのキッシュ、鶏手羽のオーブン焼き、に加えて枝豆、南京豆、レバーペーストとブルーチーズのカナッペ、黒オリーブ、オレンジ、チーズケーキ、チョコレート、を麦酒と三鞭酒と葡萄酒でもって流し込み、空いた酒瓶を勘定すると都合4本、ということは一人一本飲んだことになり、そんなに飲まない人もいたから私は二本近く飲んだわけか、と思った途端に頭がくらっとしてちんぼつちんぼつぐ〜んかん、ぐんかんぐんかんハワイ。そのあとのことはよく覚えていない。

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2006年07月14日

日記: 寝言

 あついっあついっあついっあついっあ〜すずし〜、というのは昨晩の大ちゃんの寝言である。うだるような暑さの中、時折吹き込む風に幸せを感じているようで、まあそれはそれで結構なのだけれど、さすがロックボーカリストというかなんちゅうか寝言も腹式呼吸かよ、それはもう莫迦でかい声なんである。必ず飛び起きてしまうんである。
 暑いわ騒々しいわ眠れないわ、どうして朝なのに私はこんなに疲れているのかしらと溜息のひとつもつきたくなるのだけれど、あの寝言というやつは本人にはいかんともしがたいようで、まあ気の毒なことである。というのも自身で制御できないとなれば、人に聞かれて不都合なことを口走る可能性もあるし、だいたい自分の知らないところで自分が喋っているなんてまあ恐ろしい、自分が寝言をいうたちでなくて本当によかったと思ってしまう。
 しかし傍で聞いているぶんには寝言はなかなか愉快で、「じゃあ、次のクイズいくよ」とか「あれ、おかしいな、これ動かない」などと(最近の実例)唐突に言われようものならやはり笑わざるを得ない。あんたはどこでなにしてんのか、と。たとえ隣に寝ていようと夫婦であろうと、他人との距離は計り知れないものがある。

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2006年07月11日

日記: ダイクマ的三文芝居

 先日の救急外来での出来事なのだけれど、祖母に付き添って入院準備を待っていた時のこと、実に興味深い男女に遭遇した。祖母の寝台は病室手前だったので奥の様子は見えなかったが、人の気配もなかったので、私はてっきり自分たちだけだと思い込み(←よく犯す過ち)、大きな声で祖母に話しかけていた。
「だいたい、おばあちゃんが七夕の夜に、はよ死にますように、なんてお願いするからこういうことになるんよ」
「ふぉふぉふぉ、あ〜うあわあわあ〜」
「なに?死にたい?美味しいもんが食べたい?」
「あわ〜おおおあう〜」
「ははは、意味わかんない」
なんてやっていたら、突然奥から「げぼごぼごぼ」と差し迫った音が聞こえてくる。驚いて「大丈夫ですかっ」と駆け寄ると、そこには寝たまま吐いている女と背中をさする赤シャツの男がいたのだった。いるならいるといえ。ばつが悪くなって、すぐに退散した。その女が騒ぎ出したのはそれからすぐあとのことである。

 まず彼女はうめいた。
「あんたの重荷だけにはなりたくないんだよおお〜」
 私はぎょっとして耳をそばだてた。赤シャツは無言である。不気味なほど言葉を発しない。そのわきで女は「ごめんね、あたしを許して、ごめんね」とすすり泣いたと思えば、「うぐお〜、殺して、あたしを殺して」と叫び、ぐるしいぐるしいおえええ、と吐いたりする。もうどんちゃん騒ぎなんである。
 さすがの祖母も驚いたのか、目を白黒させて起き上がろうとするので、私はそれを制する。おばあちゃん、寝てなきゃ駄目だよ。
「あっじゃにゅい〜だえがおうのぞあ〜」(訳:あっちに誰がおるのぞや)
「他の患者さんだよ、苦しそうだね、でも大丈夫だから」
と小声で祖母を説得、彼女は腑に落ちぬ顔で再び横になる。
 その間も、女はわめき続ける。
「もうあたしのことは放っておいてえ、あんたはあんたの好きな人と一緒になんなよ、あたし、しあわせ〜だったわああ、これからはあたし、ひとりでいきるうう」
 このあたりで、おおよその見当がついてきた。あんなに苦しそうなのに看護婦はなんだか冷たいし、赤シャツは「大丈夫?」のひとつも言わないし、なるほど、あの女は愛情のもつれから睡眠薬自殺をはかり胃洗浄をかけられたのだ、と私は踏んだ。しかし騒ぎはなかなか収まらなかった。
「あんたも、しあわせ、あんたもあたしといてしあわせだったでしょ、楽しかったよねえ、ああ、死にたいのおお、あたしを殺してええ」
「愛してるっていってええ」
 最初のうちはおもしろがって聞いていたのだが、あまりにもしつこいのでだんだん腹が立ってきた。自分は自殺をはかるほどつらいのだから、何を言ってもどう振る舞ってもよいと勘違いしているのだ。彼女を祖母の枕元に呼び寄せて、こうやって90年もの年月を生き抜くことがどれだけ格好のよいことか説教してやりたい感じであった。さきほどちらと見た限りでは女も赤シャツもずいぶん若く、年の頃二十歳過ぎ、自分の鬱屈や甘えを恥じる日がやがては訪れるのだけれど。
 
 ちなみに彼らは「ダイクマ」である。これはダイクマに行けば彼らと似たような風貌の人間に出会える、という意味なのだが、それはもうここぞとばかりにダイクマで、同じ安売り店でもドンキホーテほど派手ではなく、イオンほど清潔でもない。地味で湿っていて、ちょっとだけ格好つけている。
 そんな赤シャツを再び見かけたのは6時間後の夕方、彼はすすり泣く女の肩を抱いて待合室に座っていた。特記すべきは自殺未遂をはかった女とは別の女であるという点だ。ということは、はっは〜ん、これはもう明らかに三角関係、あたしのせいで○○が死んじゃうかも、え〜んえ〜ん、大丈夫、俺がお前を守るから、とかなんとかいう話で、さすがダイナミックダイクマ〜♪、三文芝居絶賛上演中なのだった。
 それにしても一緒に歩いていた母が「さっき、あんたの言ってたのってあの赤シャツでしょ」と一発で当てたのには驚いたな。50人はいたのだけれど。だってダイクマって言ったじゃない、とのこと。

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2006年07月09日

日記: 切り替え

 脳梗塞とは脳の血管が詰まる病気で、手足に麻痺が出る場合や、祖母のように構音障害を起こしたり、はたまた脳みそがあっちむいていく場合もある。基本的に高血圧の年寄りに多く、水分が不足しがちな夏が発症しやすい。祖母の場合、原因ははっきりしないが、MRIという脳の輪切り写真を撮ってみるとそこらかしこに小さい脳梗塞の痕があり、まあご高齢なので仕方ないですね、という話だった。治療のためには血液をさらさらにする薬を点滴して、詰まりを取るのだけれど、彼女の場合、同時に脳出血も起こしていて、さらさらにしてしまっては今度は血が止まらず、点滴の塩梅が難しいらしい。本人も死ぬことを熱望しているし、家族もまあ死ぬなら死ぬで、といった感じだったが、いざこういう段になると欲なもの、もう一度元気になって家に帰ってきてほしいと願ってしまう。
 おばあちゃんの発語は相変わらずで、解読が困難きわまりない。昔流暢に喋っていた記憶を参照してしまうと哀しくなるので、今日からは気持ちを切り替えることにした。こういうことに関して、私はとても諦めがいいのだ。「おばあちゃん、残念だけど、何言ってるかじぇ〜んじぇんわからんかった」と正直にいうと、祖母は力が抜けたのか、くすくす笑っていた。それでも何かを執拗に訴えるので、「どこか痛い?」とか「遺言があるの?」とか当たりをつけるのだけれど全部首をふって埒があかず、結局20分かけて解読した言葉は「遅いから早くお帰り」だった。ずっこけたので、じゃあ帰るよ、と握手をして祖母と別れた。

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2006年07月08日

日記: あうあわあうあう

 朝起きて祖母の部屋をのぞくと、いつもの調子で寝ていたので、「おばあさん、おはよう」と声をかけると真面目な顔をして「あうあわあうあう」と言う。まあ、おばあちゃんたら朝から何よ、と笑うと、必死の形相で「あうあわあうあう」と繰り返す。ん?、と首をかしげて、あっ、これはまずい、祖母が喋れなくなっている、と気付いて、大慌てで救急車を呼んだ。
 家の者がみな遠方に出払って私ひとりだったので、どきどきした。以前にも書いたけれど、救急待合とはげに憂鬱な場所、皆ほうほうのていで助けを求めに来ているのであって、叫び声や泣き声がそこらに響いていて生気が吸い取られる心地だ。
 しばらくして名前を呼ばれて中に入ると、祖母が横たわっていて、私の顔を見て「あうあわあうあう」と言った。絶望的な気分になった。先生の見立てによると、やはり彼女は脳梗塞を起こしたようだった。即入院になり、一年ぶりにまた病院に戻ってくることになってしまった。
 口や喉の筋肉が麻痺が残り、話したり食べたりするのが難しくなるだろうとのことだった。昨日まであんなに元気で、にこにこおしゃべりをして、鯖や鶏肉を頬張っていたというのに、目の前のおばあちゃんは何を言っているのかさっぱり理解できないし、天井をぼおっと見つめたまま、能面みたいな顔をしている。泣きたくなった。おうちに帰れる日が再び来るのか来ないのか、でも何はともあれ、今、祖母はきちんと生きていて死んでいない、ということが重要だ。

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2006年07月05日

日記: 怒る

 すごく腹の立つことがあった。その場には、私の怒りに気付いていない人たちと気付いている人たちがいた。そして気付いていない人たちはたとえ気付いてもなぜ怒るのかわからないし、怒るなら怒らせておけばいいと考えていて、気付いている人たちは気付かぬふりをしよう、あるいは、私の怒りをなかったものにしようと努めていて、つまり私は面倒くさがられているのだった。怒らなくても孤独なのに、怒るともっと孤独になる。
 怒鳴り散らしたりできればよいのだけど、私には怒る才能がないので感情が内向きに溜まるばかり、ではどんな面をさげてその場に居るのかといえば、それはもう満面の笑みなのだった。
 ある種の復讐と言えるのだけれど、まるで何もなかったかのようにできる限り平然と振る舞い、自分も相手も欺くことでどうにか安定を得ることができる。笑うことと泣くことは似ている気がしてならない。なぜそんなややっこしい天の邪鬼を演じなければならないのかしらないが、とにかくそれが私のやり方のようだった。
 言ってやりたいこと、つまりは言ってはいけないことを山ほど思いつくのに、そのどれも言えたためしがない。それが私の覚悟のなさであり、意地悪でもあり、優しさでもある。また言えずじまいかと後悔しながら、まともに相手にしなくてよかったとほくそ笑み、それでも相手を必要以上に傷つけなくてよかったと安堵する。いつもそうだ。
 怒ると疲れるので怒りたくないのだけれど、生きていれば致し方ない時もある。でもたいがいは次第に鎮火して、よほど決定的なことでない限りは相手を許せるようになるが、そのぶん相手に対する関心や執着が微妙に変化するのもまた事実、怒っても言ってはいけないことを言っても元の関係に戻れるのは血縁の身内だけだと思い知った。

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2006年07月04日

日記: アノニマス

 三軒茶屋でMさんとSさんとその息子とランチをする。太陽のぎらぎらしている日だったので、というか曇天の寒空でも同じなのだけれど、ビールを飲んだ。男衆がえっさほいさ働くわきで昼間からいいご身分だわねえ、と一応口にはするが、内実ちっとも悪びれないところが女の厚かましさである。そしてその厚かましさを一応からかうが、内実どうでもいいと感じるところが男の甲斐性である。女でよかった。

 お昼時、財布を小脇に抱えて信号待ちをしている会社員をよく見かける。たいていは2、3人でやんわりとかたまっておそらくは他愛ない話をしていて、でもなぜか皆一様に腕組みしていて、結局のところお互い好きでもなく嫌いでもない感じで、そういう風景を見ていると私はその種の苦労をすっ飛ばしてきたのだなあと思う。苦労したほうがいいともしないほうがいいとも思わない、しなかったなあと感じ入るだけのことなのだが、不思議なことにそういう感情は、会社員の知人と話している時よりも匿名の人々を眺めている時に持つことが多い。匿名性には実情を削ぎ落とす力があるのだと思う。
 そして信号待ちをしている彼らが何を食べて、何を考えて、何を大切にしているのか、ということをひとしきり想像する。最近はそういうことがずいぶん増えた。昔は知っている人のことばかり考えていたけれど、ここにきて知らない人のことも考えるようになった。世界の捉え方が変わったわけだが、基本的にはこれはいいことだと考えている。

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2006年07月01日

日記: almost

 代々木上原でMさんとランチをする。彼女は某有名写真家のアシスタントをしている写真家で、結婚式の写真を撮ってくれることになっている。先日大きな仕事をしたと映画のパンフレットとポスターを見せてもらったが、それはとても綺麗な色が出ていて構図もよくて、いやはや彼女もがんばっているのだなあと感心しつつも、いやあわりいねあたしの写真なんか撮らせちゃって、と思わないでもないが、18の頃からの知り合いなのでそういうことは気にしないことにする。
 ビールとワインを飲んでほろ酔いになった。ドイツはかわいげがないがポルトガルは素敵だという話になり、やはりどっから見てもフィーゴはいい男だと私たちが頷くと、大ちゃんも賛同しながら「藤岡弘系だよね」と迷走したコメントを発表していた。
 夜は夜で集会があり、寿司をつまみながらシャブリ(ランクB)を空けた。
 深夜は深夜でポルトガルvsイングランドがあった。このカードは2002欧州選手権で凄まじい戦いを見せたことは記憶に新しく(あの時はルイ・コスタがいたなあ涙)、あれをもう一度期待していたのだが、なにせ両者ディフェンスが固く点がちっとも入らないので便秘のような心地だった。デコ不在の中ポルトガルはよく辛抱してクラウチ(←案外足元が上手い、ソックスが長い)を封じたと思う。でもベンチで足を冷やすベッカムが、あまりにもオーラが消え失せていて、そこらにいる年老いた男のようで胸が痛んだ。あやうくベッカムに恋しそうになった。

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