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2006年03月29日

日記: 北欧

北欧家具で頭がいっぱい、終日何も手につかず。どれを買おうかと悩んでいるのではなく、もしこれが買えたならと夢想して歯ぎしりしているだけのこと、因果なもので物色するうちにどんどん目が肥え、すでに購入した家具が色褪せて映るようになり意気消沈、ベッドから玄関マットに到るまで、いえ、揺りかごから墓場まですべて北欧ブランドで揃えたらどんなに素敵かしら、北欧製のお墓、カーディガンズやなんかの鼻歌まじりに三途の川をちゃぷちゃぷ渡るの、きっとお洒落に成仏できるわ、いっそのこと北欧人に生まれちゃえばよかったのよ、アル中が多いってゆうけれどすでにそんなようなものなんだし、どうせなら北欧家具に囲まれてお洒落に堕落していきたいわ、なんてやっていたら母に「この舶来かぶれ」と嘲笑されたのだった。彼女はここのところヘルペスにかかり悶絶しているので精神が荒廃しているのだ。そういや祖母に北欧製の掛時計を自慢した時も「数字が書いとらけん読みにくいわい、そうじゃ、色鉛筆で数字を書き込んだらよかろ」と返された。うどんばっか食っとると芸術がわからんようなるけん、気いつけないけんね。

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2006年03月27日

日記: BY ON

人間の声質を決定する要素のひとつとして倍音というのがある。カタカナ表記をすればハーモニクス、理科的に説明すれば、振動体の発する音のうち基音の振動数の整数倍の振動数を持ち、基音より振動数の高い音、なんたって書いている本人がよくわかっていないのだからあなたがわからなくて当然です、要はこういうこと、全力疾走したら息が上がってはあはあしますね、そのはあはあの要領で声を出すとほら、死にかけの婆さんのような声が出ました、これが倍音たっぷりの声なのです、と私は便宜的に考えているのだけれど、コーラスをする際にはこの倍音の調節というのがなかなか厄介で、というのも多すぎるとジェシー(にば〜いにば〜いの)のように何を言ってんだか不明になってしまうし、少なすぎると千秋(えんどうの嫁)のようにただでさえ苛立たしいのにさらに苛々するのであって、喉やら腹の筋肉を総動員して工夫する必要がある。それにやってみればわかるのだが、倍音多めの声は燃費が悪い、つまり息漏れが激しいぶんすぐに減衰してしまい、加えて声量もない身としては「だ、だいじょうぶですか?」とエンジニアに訝られて赤面する始末、しかしそんな私に朗報があった。今回のレコーディングからR&B仕様マイクなるものが導入されたのである。
声質にも流行り廃りがあるのだなあと感じ入るのだけれど、90年代の日本はコムロ音楽に代表される高音倍音カットボイスが大流行、猫も杓子も地声の張り上げに勤しんでいたが、世紀が変わると全体的に曲のキーもテンポもぐっと下がりR&BとHIP-HOPがシーンを席巻、力の抜けた歌声が求められ自然と倍音の需要も高まりここに倍音を多く拾うマイクの登場、と踏んでいるのだが、これがまた本当によく倍音をキャッチする。そもそも私の声は倍音多め、それをしゃあしゃあいわせてしゃあしゃあマイクで歌うものだから全身銀紙になった気分、倍音デイズが続いているのだった。
昔の正統R&Bはもちろん現在のもわりと好んで聴くけれど、最近皆がこぞって連発する「あん、あん」(鼻濁音というかNとGの合体した発音記号でどうぞ)だけはどうも馴染めず、笑ってしまっていけない。「あん、あん」って何だよう、低い声で甘えるなよう。

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2006年03月24日

日記: セットリスト(順不同)

格好良い、というのはこういうのをいうのだ、自分の手より小さく見えても自分の声より小さな音でもほらこんなにYOU GOT ME ROCKING、というのはもちろん彼らの話、もうミックが、ミックが、あ、いつも言ってるほうのミックじゃないです、MIDNIGHT RUMBLERでハープを吹いたりBITCHで妖しい腰つきをするほうのミック、でもこっちのミックも在りし日そんなことをしていたような、ではこうしましょう、ミックとミミック、ははは、おっと失敬、自分の洒落に笑ってしもてGIMMIE SHELTER、しかしなにもそこまでしてミミックミックをミックミックゆうこたあないのであってよし決めた、私の連れはミック改め大ちゃんと呼ぶことにします、これでミックはステージで大口開けて「AIN'T TOO PROUD TO BEG 」と絶唱するあの人一人になったところでいやはや63才とは、IT'S ONLY ROCK'N ROLL BUT I LIKE ITというスピリットを身を持って示しているわけで説得力に感服、あそこにいた多くの人はそれがたとえほんの一瞬でもSTART ME UPする元気をもらったに違いない、しかしまあヒットパレードイズオンエンドオン、ベスト盤女の私も余裕で歌えちゃってHAPPY、HONKY、SYMPATHY、JACKとBROWNにSATISFACTION、楽しくてついつい飲んでしまって残念ながらTUMBLIN' DICEとWORRIED ABOUT YOUは用を足しながら聴きました、もっとも感動したのはYOU CAN'T ALWAYS GET WHAT YOU WANT、新曲は予習不足につき不明というあたりがまあなんというかやっぱりベスト盤女というケチがつくけれどそんな私でもMISS YOU、やはりTHE ROLLING STONESは格好良い。

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2006年03月23日

日記: アマゾンで買いもの

・『ワイン好きの食卓』有元葉子

NHKの「きょうの料理」を見るにつけこの人の料理は好みかもしれぬと思っていたところ高校の先輩だということが判明、やたらワインワインゆうところにも共感を覚えて購入した一冊。私でも作れるざっくりした料理多し、ワインに合う和食なども載っていてなかなかよい。私の卒業した高校というのが良くも悪くも癖のある校風で、卒業生と聞くとはっは〜んほっほ〜んと独特のシンパシーとアンティパシーを覚えていたのだけれど、年月が経るうちに後者のほうは薄れる傾向にあり、私も年をとったというかやはり凡庸な人間であることよ。ちなみに同級生にはアナウンサーの膳場貴子さん(NHK)、馬場典子さん(NTV)、漫画家の辛酸なめ子さんなど、テレビや雑誌で見かけるとやはり「あ」と思う。

・『猫にかまけて』町田康

ずっと読みたくてでもなぜか品切れでようやく読む。彼の書く文章はいつでも私の心象風景とかなり近いものを描き出していて、初めて読んだ時には感動と同時に恐怖を覚えた。というのもこのまま読み漁れば必ず引っ張られて町田もどきの文章しか書けなくなってしまうと感じたからでそれは嫌、こんなお遊びのような日記なんだからどうでもよいでしょうと呆れる人もあるだろう、でもやはり何事につけても人の真似は嫌なのであって、ならばオリジナリティーとかいううさん臭いものを会得しなくてはいけない、一音聴いただけであいつのギターだと言わしめねばならぬのじゃ、ぬおっ、とまあそういうごりごりの話は脇に置いておくとしてとにかく、町田さんの本は意識的に遠ざけているのだけれど、この本は表紙の猫がめんこくてめんこくて、つい。ゲンゾーという名の猫の顔が最高、見る度に声を上げて笑ってしまう。猫が死ぬ場面では彼の筆致も乱れて、そこがまたぐっとくる。

・『TRY!』JOHN MAYER TRIO

これぞまさに男子ギター。男ではなく、男子である。ジミヘンのカバーなんかを聴いていると、覚えのあるマグマが胸にぐわっと湧いて来る。ドラムのSTEVE JORDANも素晴らしくて、バラードの佳境で不覚にもうるっときてしまう。すっかり忘れていたけれど、そもそも3ピースというバンド編成にはひとかどの思いがあって初めて買ったベースはSG、ジャック・ブルースが好きだったのだ。当時の自分が何を考えていたのか、わかるようでわからない、嘘、わかっているけれどわからない振りをしたいだけ。

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2006年03月22日

日記: 珍獣ども

私の住む界隈は住宅地につきスーパーマーケット激戦区、成城石井やプリンスホテルや東急百貨店といった高級店からジャスコ、イトーヨーカドー、マルエツ、東急ストアに加え、ダイクマ、ドンキホーテに到るまで各種店舗がずらりと軒を連ねている。その中でなぜあえてサミットを選んだのかと言えば、実家からも新居からも徒歩5分という近さに加え、広々として清潔な店舗に整然と並べられた激安生鮮食料品ということになるだろう、午前1時まで営業の店舗は常時繁盛しており人気の高さをうかがえるのだが、まあはっきり言ってイモであることに相違なく、慢性的病理ともとれるあのセンス、食料品以外はちょっと買えたものではない。私だって金はないが、もう少し人生格好つけて行こうぜ、と叱咤したくなる衣服や日用雑貨たち。しかしもちろん購入する人々はいて、彼らには彼らの世界があってノープロブレム、需要と供給が合ってこそ富はもたらされるのであって、サミットは彼らが買い物を終えて一服つく場所を用意するといった感謝ぶりなのである。
その名も「私の喫茶室」。ちょいと腰かけて無料でお茶を飲める、高速道路のサービスエリアといった趣き、どうやら併設のパン屋の品は持ち込んでよいことになっているようで、例えば購入したソーセージパンを温めてソースをかけたいという人のために、電子レンジや調味料の類いも用意されていて苦しゅうない、なかなか気が利いているではないか。しかしサミットの好意虚しく、私の喫茶室は悪の巣窟なのだった。向こうから紙コップを持ったおばさんが小走りにやって来て何をするのかと思えば、おもむろにソースを掴んでどぼどぼコップに注ぎすたこらさっさ、ひょいと横を見れば中年男性がリュックからサトウのゴハンを取り出し電子レンジでチン、同じく持参のカップラーメンにお湯をじょぼじょぼ、ここは君の家ではないのだよと注意すれば「え、違うんですか?」ときょとんとされそうな気配、ソース泥棒しかり、まったく悪びれないのである。
こんなことでいいのかサミット、しかし自分の蒔いた種、妙なものを売るから妙な客が集まるのであって、珍獣たちの彷徨は仕方ないのだと納得したところで一階の本屋に立ち寄り書架を眺めていて「ん?」と思ったのは、脇で立ち読みする女性はおばさんなのにおじさんの臭いがするからで、盗み見るとあれまあ、おばさんの格好をしたおじさんではないですか、カーリーヘアのかつらに赤い紅、お尻をきゅっと突き出していてうふふ、またもや珍獣に出会ってしもうたのである。さらに香ばしいことに、彼ないし彼女は虫眼鏡片手に本を熟読しており、わ、わらってよかですか、背表紙を覗き込むと『信長の棺』という文字、堪え切れずにその場を後にしたのだった。以来サミットに足を運ぶ度に彼らを目で探し、再び見かけてはなんだか得したような心持ちになる自分に気付き、自らも珍獣に仲間入りせぬよう戒める毎日なのである。

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2006年03月21日

日記: カード地獄

これくださいとものを買えばカードはお持ちですか、持ってないと答えればカードを作りませんか、結構ですと断ればカードがあればお得ですよ、カードカード騒ぐのはドーカと思うのでたいがいは無視を決め込んでいるのだけれど、とはいえ頻繁に訪れる店のものは持っておけば何かと得なのだし、銀行やなんかのものは持たねばならないのだし、なんてやっていたらあっという間に財布はぱつんぱつん、蓋が締まらず小銭がこぼれるなんてことにもなり、よし、本日粛正を行う、と目を光らせて財布を開けると、三井住友銀行、みづほ銀行、VISA、そごう、三越、東急、BARNEYS NEWYORK、TSUTAYA、クスリのカツマタ、BOOK OFF、TOWER RECORDS、ビックカメラ、ジムの会員証、パスネット、の合成樹脂カードがきっちきち、苦労して引っぱり出して眺めるのだけれど、ううむ、粛正すべきが見当たらず落胆の息をひとつ、再びぱつんぱつんに詰め直す羽目にあうのだった。
しかし人間とは因果なもの、ひたひたと迫り来るカード地獄におののきながらも、ああん、新たなカードを作るという抜け作を演じてしまったのだ。いきおい財布の留め具が飛び散る日も近いだろう、出し入れに難儀してレジで立往生、あるいは惣菜を買うのにジムの会員証を見せることもあるだろう(実話です)、一体なぜカードを作成したのかマイ・フレンド、と語りかけるほど大仰な話でもないんだが、なんとなれば行きつけるスーパーマーケットに変更があったからである。カードの発行元はサミット、あえてコメントするべきもない日用品店である。しけた買い物でも毎日してりゃポイントで米ぐらい貰えるぜ?という麗句に踊らされてうっかり入会、ならばちょいと店内散策をとうろうろすること数分、私は早速この店のディープサイドを覗くことになったのだった。次回に続く。

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2006年03月19日

日記: 信号がない

ミックの引っ越しの日、共通の友人Oyassanが手伝いに来てくれる。彼は体脂肪率と気位はめっぽう高いが気の安い人なので何でもかんでも押し付けて全部やってもらって大助かり。私の実家と新居のあまりの近さに驚愕して「信号がない・・・」と呟いていておかしかった。鬼嫁伝説の幕開けなんでございますのよ、おほほ、いやしかしね、祖母が本人の意志に反してまだ生きているので面倒を見る手前仕方ないのです、わがままを聞いてくれるミックには当然感謝してますよ、と弁解すると「信号がない・・・」と繰り返すOyassanであった。3人で焼鳥を食べながら、彼とそのパートナーMとの戦争の話を聞く。米を買う買わないで殴り合い勃発、フライパンがどうのこうので表参道の交差点で暴力沙汰になり国家権力が介入、などと話題には事欠かない彼ら、最近ではMのテロ行為(Oの了承なしに「センスの悪いばかでかい」絵を購入した)によって戦況が再燃しているとのことだった。健闘を祈りたい。

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2006年03月17日

日記: ハッサムチューオー

ミックの兄夫婦と紀尾井町で食事、ムール貝の酒蒸しやオニオングラタンスープなど。ハウスワインが美味。彼らは今春より北海道は発寒中央という身震いしそうな番地に越して行くのだが、なんでも近所にはヒグマも出るという野性味溢れる地区らしい。福田和子くらい追い込まれでもしない限り北国に住まうことはないと考えている身としては、というのも緯度的に(温度的に)東京が限界という単純な話なのだが、北海道へ異動命令なんてのは赤紙に匹敵するのだけれど、彼らはむしろ山が綺麗だ物価が安いと歓迎するむきもあり、人は色々なのだった。でもこれがパリやニューヨークへ異動命令だったら緯度なんてちっちぇえことは言わずに飛んで行く心づもりはできてるんだぜ。帰り道、些細なことでミックと諍い、電車に乗っている間中口論は続いた。より厳密な言い方をすれば、些細なことと済ませば済ませられるが、いずれ直面するであろう困難の萌芽と捉えれば不問に付しがたい部分もあるといった事柄。過ごす時間が長くなれば喧嘩も増えるでしょう、それは当然だのそれも幸せだの、けっ、そんなお片付けの言葉がうさん臭い夜。

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2006年03月14日

日記: 夜更かし

寄せては引きながら春になるとはいうけれど、本当に春になるのだろうか、このままじりじり押し戻されて季節が逆回転したら事件だなあ、と思いながら海沿いの道をとぼとぼ歩いてスタジオへ向かう。森広隆さんていう歌手の人と初めて一緒に歌う。聞くと、昔同じイベントに出たこともあるらしいのだけれどお互いちっとも覚えていなくてまあそういう話は先まで辿っても栓ないのでほどほどに、それにしてもヘッドフォンで聴く限り森さんと私の声質がそっくりで歌っていてどちらが自分の声なのかわからなくなり時折錯乱、話し声も張った声も似ても似つかないのに不思議なものである。彼はずいぶん歌の達者な人で録音はさくさく進み和やかな雰囲気、ゴディバのクッキーを齧りながら船酔いの話などをした。午前1時帰宅後、先日のライブ音源を聴きながら白葡萄酒、久しぶりに一人で夜更かしをする。最近は生活の重心が朝に傾いているのでその感触をすっかり忘れていたけれど、家族が寝静まっているわきでもぞもぞするのは愉楽、明日のことは明日考えようと大船に乗った気分で。

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2006年03月13日

日記: 進捗状況

おとといはビックカメラで電話機掃除機冷蔵機洗濯機液晶受像機肛門洗浄機を買った。ポイントが10万円ついた。昨日は家具屋でカーテンとジュータンを買った。ポイントはつかなかった。今日は北欧家具屋でダイニングテーブルと食器棚と本棚を買いたかったが目玉ぼ〜んの値段だったのでワンランク上の暮らしを泣く泣く断念、腹いせにプジョーの胡椒挽きと8,000円のドイツ製置き時計を買った。スウェーデン製の鍋しきと鍋つかみとふきんも買った。ポイントはつかなかったが、ミックのけちがついた。

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2006年03月10日

日記: (中指立てて)礼金

不動産屋に敷金礼金仲介手数料をどっか〜んと払いながら思うのは、どうして家賃を納めるのに「貸してくれてありがとうございます」などとお礼をしなきゃいかんのか、しかも額はあんたの言い値かよ、じゃあ何かよ、あんたはTSUTAYAで『タイタニック』を借りる時店員にぽち袋やんだろうな、「少ねえよ」となじられたら土下座すんだろうな、というようなことでつまり、礼金というシステムに憤怒を感じているのだった。同じような理由でレストランのサービス料というやつも気に食わない。やけに高いと思って領収書を見るとこっそり15%などとついていて、あのサービスでこの値段、もはやだまし討ちにあった気分である。いずれにしても「そういうことになってますので」と眼鏡を人指し指で押し上げるいけすかなさがあって、食堂なら二度と行かなきゃいいけれどマンションはこれから住まんといけんから払ったけど何ね?家賃二ヶ月ぶんて。きっと大家という人種は家賃命だから何でも家賃単位で物事進めるのさ、この婚約指輪家賃3ヶ月ぶんなの、うふ、今月の食費は家賃半分に抑えられたわ、むふ、とか言ってんだぜ、あはは、もう耐震強度以前の問題ですよ、「礼金を疑え」って垂れ幕作ってシュプレヒコールしちゃおうかしらん。というようなことをねちねち言い続ける私と暮らそうってんだから、ミックも物好きだよなと思うことが、正直、あります。

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2006年03月07日

日記: 而知天命

Sちゃんのお父さんのお通夜。享年56才。お焼香を差し上げて、Sちゃんに手紙を手渡したのち、バンドの皆さんと池尻大橋の『ボラーチョ』という洋食屋に行く。なんてことのないナポリタンなんかがとても美味でチリワインをぐいぐい飲む。にじり寄られて思わずとんでもない野望を口にしてしまったのだが、今まで聞いたことのないような暖かい励ましの言葉を頂いてとても嬉しかった。やはり男も50となれば深みのあることを言えるのだなあといたく感心する。

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2006年03月06日

日記: スイートホーム

恒例の指宿温泉めぐり、あいにくの雨だったが存分にくつろぐ。二回目となれば感動は薄れるが、実は先だっての首痛がいまだ治らず、砂蒸し風呂の効用を改めて実感できた。昼食にビールとかつお定食を頂き、鹿児島市内にて戻って空港へ向かう。土産を買おうと財布を開けると、この一週間まったくお金を使っていないことに気付きうっほほ〜い、薩摩揚げに黒豚チャーシューに鹿児島ラーメン、明太子にかるかんまんじゅうにスイートポテト、祖母の喜ぶ顔を想像するとつい買い過ぎてしまうのだ。立場逆転の時代なのだ。JALのジャンボ機にて羽田へ、他の人は寝静まっていたので一人でスパークリングワイン(スペイン製)を飲む。おかき付きで500円、なかなかよいサービスではないか。私は飛行機恐怖症なので搭乗の際には安定剤を服用するのだけれどアルコールと併用するとさらにフィーリングッド、多分墜落しないけれど落ちたら落ちたでまあ仕方ないなと思えるようになって、穏やかに過ごすことができるのだった。
午後10時半帰宅、最近祖母は自分の部屋を眺め回しては「ここはええ部屋じゃ、次に入る人もよかろじゃないか」としきりに感心しているらしい。「ここは老人ホームじゃありません、こんな親切なヘルパーさんがいるものですか」とこんこんと説明する母もまたおもしろい。メールを開くと迷惑メールが120件、とんだお出迎えであった。自分の枕でぐっすり眠る。

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2006年03月05日

日記: 鈍

やばやばやば〜い、今日は3時からライブなのにまだお酒が残ってるし喉もがらがらだよう、とありがちな自責の念に駆られながらしかし今日は上天気、天気が好ければなんでもできる、を信条にリハをこなしていざ本番、航志くんが歌いながら子猫のようなくしゃみをしておもしろい。Sちゃんとの呼吸も合って、今回のツアーは今までで一番よい出来だったと思う。以前のライブ録音を聴いてあまりのことにショックを受け、地道な個人練に励んだのもよかったのだろう、当たり前だが練習すれば上手くなり、出来が良ければ気分も良いのだ。でもどうしてなんだか、私の人生はそんな当たり前を当たり前にこなせないように設計されていて、というのはつまり安きに流れるように作られていて、いやはや鮭は偉いなあ、やはり鮭のおにぎりが一番好きだものなあ。
本番の後片付けをしていたら召集がかかり、Sちゃんのお父さんの容態が急変して今朝逝去、彼女はすでに熊本空港に向かった旨を知らされる。ライブだけは務めたいという本人の意向があり、集中するためにも訃報を伏せて臨んだとのことだった。・・・。まったく、本当に、何も、気付かなかった。ずっと入退院を繰り返していたようなので彼女もそれなりの覚悟はしていたのだろうがそれにしても気丈な態度、彼女が隠していたのだから気付かなくてよかったのだ、と言われたけれど、一緒に歌って喋って笑ってなぜ私は気付かないのだろう、私はいったい人の何を見てるつもりだったのだろう、彼女の姿を思い出して心情を想像する度に、心がずしんと沈んだ。
これで今回のツアーは終了、他の場所に移動するメンバーもあり、がらがらのバンで鹿児島に向かう。運転してくれた人が温厚そうに見えて走り屋気質、やけに速いなとメーターを覗くと180キロだった。見なかったことにして眠る努力をする。あたりは見渡す限り暗黒の山、九州は本当に山深い。途中、道路に猪が横たわっていた。走り屋のおかげで二時間弱で鹿児島到着、『万十屋』という店で再び黒豚しゃぶしゃぶを食べる。う、うまい、おかわりしてもよかですかっ!とキング・クリムゾンのジャケットのような顔をしてしこたま喰らう。ハウス芋焼酎3杯、ホテルに戻って長電話。

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2006年03月04日

日記: 熊本にて大虎

昨日とはうって変わってぽかぽか陽気、機材車と連れ立ってドライブ、九州の道路は常時がらがらなので博多熊本間は一時間半、お昼前には蕎麦屋でカレー蕎麦をずるずるすすることができた。熊本は道幅の広い開放的で明るい街、やはり殿様の石高と街の豊かさは比例しているのだ。ファッションが盛んで新しいアイテムはまず熊本に置いて売れ行きを確認するらしい、なるほどお洒落な洋服屋をよく見かけた。午後からリハ、あの都立大学のビデオ屋二階のスタジオは何だっけ、ああ、ヒノーズでした、ああいった黴臭くも懐かしい匂いのするスタジオにて。雑誌棚で花くまゆうさくの漫画を見つけたので合間に読む。明日のライブで「ちゃんぽん・ダ・マンボ」という藤井さんの曲をやることになった。長崎ちゃんぽんリンガーハットという店のCM曲なのだが、実はゴキゲンな振り付けがついていて是非踊りなさいと言われ、30女のヘボダンスを誰が見たかろうと小首をかしげながらまあ踊りましたけどね、チャチャチャッ、アーーーーッ、ハッ!
『笑う門』という熊本郷土料理店で宴会。馬刺し盛り、刺身盛り、まぐろかま焼き、辛子蓮根フライ、ぬた。繰り返すようだが、九州は地味が美味しい(ただしあまり調理技術を必要としないものに限る)。加えてみんなで食べるものが美味しい。基本的に飲み好きの風土なのだ。同県出身者同士で結婚する確率が高い、というのは故郷を愛している証しだと思うけれど、九州の人がそういう傾向にあるわけがわかったような気がする。大阪生まれの大阪嫌いはいても、博多生まれの博多嫌いは少ないのではないかしら。途中、愛情のもつれより中座する者があったため、水を得た魚のごとくいろごとトーク満開、もち米焼酎3杯、その後おかまバーに行って、マリリン(マスター)のものすごい下ネタに腹を痙攣させて白葡萄酒3杯。酩酊。もうここがどこなのかよくわからないがどこでもよかよかよかば〜い。

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2006年03月03日

日記: 燕、北上

ホテルで出される朝食を食べながらいつも思うのだけれど、なぜこんなに脂が多いのだろう、例えばである、焼きベーコン2枚にてかてかの目玉焼き2つ、ぎとぎとのハッシュポテトの脇にはケッチャプとマヨネーズ、パンにはバターと苺ジャム、生野菜にはたっぷりとドレッシングがかかっていて、俺の胃袋はどこで休憩すりゃいいんだっ!と戸惑いながら箸を進めるのだが、あたりを見回せば人々は黙々と口を動かし、パンを皿にこすりつけて残り脂まで平らげているではないか、いやはやなんとも。私が痩せているはずなのだった。九州新幹線つばめに乗って新八代、リレーつばめ号に乗って博多まで。電車好き、といってしかるべきは型番やらエンジンやらについて無尽蔵の知識を持ち合わせる人々を指すように思うが、私のように通過ルートおよび通過駅名とその風景鑑賞を好む場合は何といえばいいのだろう、乗車好きといえばよいか、とりわけ未知の路線に乗る時はわくわくする。右側を走るのが日豊本線なら左側を通るのが鹿児島本線、九州は経済と文化の重心がかなり左寄りなので、宮崎大分サイドに比べると風景もずいぶん賑やか、平野面積も広いので穏やかでもある。ほほう、ここが大牟田かここが久留米か、と窓にへばりついて車窓の景色を楽しむ。途中「ゴンッ」と派手な音がするので見やると、キョンさんが頭上の荷物入れにしたたか頭をうっつけていた。おそらく自分で思う以上に背が高いのだろう、もちろん彼はクールなので「ぎゃん」などとは言わず平然、そこがいっそうのおかしみなのだった。
博多到着後、福岡文化会館に直行してリハ、音が柔らかく趣あるよいホールだが老朽化に伴い近々取り壊すそうだ。残念なことだ。ホテルに戻って福岡三越、ふむふむ、ここのデパ地下はなかなかですね、としたり顔でパトロール、祖母の土産を数点。祖母と言えば、今朝電話したら「しおりちゃ〜ん、正月には戻る〜?」ととんでもないことを言っていたが大丈夫なのか、大丈夫なんだろう。再び会館に行ってコンサート、なかなかよい出来であった。しかし引き続き首痛、首が回らず首をきられて首がとんで寝首を掻かれた、などと申すように首は大事なのだと思い知る。打ち上げは祇園の鉄鍋餃子屋、あつか〜、うまか〜、口内の皮がべろべろになったので芋焼酎で殺菌消毒。相棒のSちゃんとこそこそ喋る。録音やライブはすべて一緒にこなしているので仲良しである。私の5つ年下、ずっと一緒にいても疲れないすっとぼけた美人ちゃんだ。これから福岡の友達と飲んできま〜すと午前一時頃再び出かけていった。若い・・・と感心しながらばたんQ。

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2006年03月02日

日記: ほぐされる

午前7時起床、お昼まで諸々作業をしたのち街を散策、山形屋というデパートの食堂で天ザルを食べる。美味。斜向かいにオーヤンフィーフィー風の二人連れのご婦人あり、あれはコテの当て過ぎでしょうか、超長な陰毛にしか見えない長髪を邪魔臭そうに押さえながら蕎麦をすすっておられた。おそらく彼女たちのカルチャーは1987あたりで止まっているのだろう、仏教だって稲作だって伝播するのにあれほど時間を有したのだから仕方ない。交流センターに行って再びリハ、飽きかけた頃ようやく本番、全20曲の3曲目あたりで謎の首痛に襲われ青ざめる。首を動かすと左肩の筋肉がぴきぴき、少し休ませて頂きますと袖に引っ込むわけにもいかないのでポーカーフェイスで客に手拍子なんぞを促したりするのだけれど、ああいうのは参ってしまうなあ、リハと本番はバービカンとビールくらい違うのだ。しかし航志くんのMCはおもしろい、今日は一段と冴え冴えで笑いが止まらず。打ち上げ席にてギターのS松さん(同世代博多男児、kyOnさんに誘われ上京)のゴッドハンドで肩と首をほぐしてもらう。なんでもお母さんにしてあげようとカルチャースクールに通ったという腕前、ギターしかり、もうほんとS松さんたらすごいの。T-BONEというバーでテキーラ、オーティスを聴きながらバンドの未来についてわりと真面目に話し合う。午前2時ホテル戻り。

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2006年03月01日

日記: 薩摩入り

朝から土砂降り、両手に二個ずつ荷物を抱えてぐしょ濡れながら宮崎駅へ、日豊本線に乗って鹿児島中央駅まで。はあ、鹿児島は都会じゃのう、俄然うきうきするところをみるとやはり私は都会っ子なのだなあ、県民交流センターへ向かい明日のライブリハーサル、能楽堂のセットなんかも備わっている小綺麗でおニュウなホールである。バンドの皆さんと近況を報告し合いつつ5時間ほどリハ、今回はPAが上手なうえに親切、おかげで気持ちよく歌うことができる。ポップスはロックと違って勢い一発というわけにもいかないので大変ありがたいことだ。相棒のSちゃんと綿密な打ち合わせ。その後「吾愛人(わかな)」という鹿児島郷土料理の店にて黒豚しゃぶしゃぶを食す。作法としては湯がく汁にそもそも味が付いている場合と単なる出し汁で湯がいたのちポン酢で頂く場合があるのだけれど今回は前者、どちらがよいかというのは相当重要な問題でその場にいる限りto be or not to be といった趣きあり。8人編成、となかなかの大所帯バンドに加えマネージャーやらイベンターやら何やら、全員でわあわあ言っているうちに桃色の肉皿とジョッキが次々と片付けられて、まあ一体幾らかかるのかしら、しかしそれは私の関するところではなく、ライブをきちんと遂行できるよう煙草や酒を控えるのが私の役目、というのもなんだか本当に仕事なのだなあとつくづく。ホテルに戻って大江健三郎『セヴンティーン』、激烈なショックを受けて深夜まで目が冴え冴え。

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