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2006年06月30日

日記: あしきをはろうて vol.2

 前回までのあらすじは前回を参照して頂くとして、とにかく祖母は窮地に陥った。なんとなれば、彼女の娘、つまり私の母が悪質な癌を患ったのである。発病した当時、母は現在の私と同じ年の頃であったから、永眠するとなるとこれは切ない話で、祖母は頭がはげるほど心配した、というのはもののたとえではなく実際に彼女の頭ははげにはげ、しかし「おい、おまえ、あたま、はげとるぞ」と祖父に指摘されるまで気付かなかったというのだから祖母の心痛は推してはかるべしである。
 当然のことながら、彼女は札束を携えて教会にお願いにあがることになった。さらには母の病床にその筋の偉いさんを呼び寄せて拝んでもらった。しかし状況は芳しくなく、たとえ手術をしたとしても救命できる可能性は低いと宣告された。いきおい祖母の頭はさらにはげあがり、札束はより高く積まれることになった。
 ちなみに母はクリスチャンである。ということは、祖母と母は全般的に相容れない教えを説く宗教を信じているのであって、それはもう犬と猿が相談事をするようなもので必ず喧嘩になるのだが、この時ばかりは、命を助けてもらえるならもう誰にだってお願いしちゃう、という点で二人は合意していて、母はイエス様に祈りを捧げながらも、天理教のおはらいも受けていた。ふたまた、というやつである。
 そして手術当日、前日より絶食して身体をからっぽにした状態で臨もうとするその朝、天理教の人が最後のおはらいにやって来た。そして神様のエキスのはいったこの生米を食えと言う。んなあほな、絶食しているので食べられません、と母が答えると、この米は特別だから大丈夫だと言う。んなあほな、無理無理、とあしらえば、祖母に「あんた、食べな死ぬぞな」と凄まじい形相と脅され、しかし結局母は食べなかった。
 当たり前である。宗教と科学はこういう段になると致命的に仲が悪くておもしろくて仕方ないけれど、これが笑い話になるのは母が奇跡的に助かったからであり、もし哀しい結末を迎えていたらと思えば背筋も凍る心地である。本当によかった。皆泣いて喜んだ。
 現在母があれほど手厚く祖母の世話をするのは、あの時一生分の心配をかけたという思いがあるのだろう、先日お茶を飲みながらそんな話になり、
「あのときは、お母さんに、ほんま心配かけたなあ」
 と母が遠い目をして言うと、祖母は椅子から落ちそうな様子で言った。
「ええっ、あんた、癌じゃったんかや」
 忘れているのである。す、すごいんである。それならそれでいいんだけど、と母も苦笑しながら
「でも、天理教に札束持って行きよったろ?忘れたん?」
 と聞くと
「ほうよ、あたし、天理教にはぎょうさんお金つこたんよ、あれどしたんかしらん、なんであんなに持っていたんかしらん」
 などと首をかしげたりして、夢から醒めたような顔をするのだ。
 これにはずいぶん驚いた。人生の終着駅とはこういった具合なのだ。あの炎のような情熱も鋼のような意志も泥のような哀しみも、空に吸われるように消えてしまって、残っているのは清々しい笑顔だけ、それはあまりにも圧倒的な風景で、私はそこから確かに何かを感じとるのだけれど、うまく言葉にできずにいる。それはとても大切な何かで、この印象を必ず留めておかねばと気が焦るのだけれど、焦ったところでわかることしかわからないと思い直して溜息をひとつ、祖母はそんな私を見つめて、ただ優しく微笑むだけ。

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2006年06月28日

日記: あしきをはろうて vol.1

 祖母はこの60年来、天理教の熱心な信者であった。親しかった従姉に誘われて入信したそうだが、人が宗教に入る経緯は些細であるにしろ決意めいたものであるにしろ、他人には計り知れないものである。とはいえ対象が何であれ、一つのことを長年にわたって思い続けるには数々の試練を乗り越えなければならず、祖母とて天理教に対して疑いや嫌悪を持ったこともあっただろうがしかし結果、60年間信じ続けたということは、彼女にとって天理教は魅力ある宗教であり、懸けるべきひとかどのものだったのだと想像する。
 私自身は特定の神を信仰しているわけではないが、信仰するという行為は非常によく理解できる。それがどんな宗教であれどんな形の信仰であれ、人は信じる神と真摯に向き合えば、「整えられた」とか「守られている」と実感できると考えるからである。それは精神が弱っている時ほど欲しい感覚であり、それを求めて懸命に祈ることは何の不思議でもない。イスラマバードでダッカで、サンクトペテルブルグでバイーアで、今も誰かが祈っているはずだ。とはいえ懸命が過ぎると滑稽なのは世の常、ましてや祖母はそもそも熱心を行動で表すタイプの人間なので、それはもう漫画の世界なのだった。
 まずは礼拝である。毎朝3時に起きて、家族の朝食を作る前に教会に赴き祈りを捧げる。教会まではざっと5キロ、それをあの小さい身体で飛ぶように走って往復したという。何かの都合で教会に行けない日は座敷にこもり、何十番までもある賛美歌を踊りながら歌った。昔、襖を細く開けて覗いたことがあったが、祖母は手をひらひらさせて狂ったように踊っていて、もうこれは宗教じみているというか、まあ宗教なのだけれど、とにかく圧巻だった。
 何をそんなに祈ることがあるのか、と訝るのだが、彼女にしてみれば世の中は祈らずにはおれないことばかりだった。やれ田植えだ稲刈りだ、やれ兄弟の出征だ、やれ子が生まれるやれ息子の受験だ、要するにそこに不安がある限り彼女は祈るのである。
 そして天理教というのは実に合理的だと感心するのだけれど、その教義のひとつに、献金をより多くした人により多くの幸福がある、というのがある。不安が多ければよりお金を積めばよいのである。この点においても、彼女は模範的な信徒であった。
 信者は年に一度、奈良県天理市にある本殿に参拝に出かけることになっているが、祖母は訪れた折には、賽銭箱とみれば必ず万札を投げ入れて歩き、ぱんぱんに膨れていた財布がぺったんこになったという。その様子を目撃した私の父はめまいがしたと言っていた。あまつさえその他にも定期的にまとまった額を献金していて、叔父の言葉を借りれば「家が二軒建つ」ほど天理教に散財したとのことである。
 祖母のような人が全国にぎょうさんおられるのだろう、おかげで天理教は街を作れるほどのお金持ちである。天理大学の蔵書数は日本一であり、国宝級の美術品なども数多く所有している。(余談ではあるが、キリスト教の場合であると、その者がその者なりの献金をすれば、神様はちゃんとご覧になっておいでで、少なかろうが多かろうが、はたまたその者が洗礼を受けていようがいまいが、望めば天国に迎えられる、というずいぶん大盤振る舞いといおうか、ダイナミックであるがゆえに不明瞭な教義を掲げているが、なんだかわかるようでわからんね、と首をかしげるのは私だけではないようで、日本国内においてキリスト教は不人気であり、信者数は全宗派を合わせても天理教の三分の一にも満たないという現状である)
 しかし実際に祈りが届いたのかどうかと言えば結果はまちまちで(当たり前だ)、しかし、神様に聞いてもらえなかったからいちぬけた、などとは思わず、自分の願いが傲慢だったかしら、とか、献金が足りなかったかしら、と自省を促すところが宗教なのであって、これまたうまいなあと感心するのだけれど、ある時、全財産を天理教に差し出してもよいと決意するほどの出来事が起きて、さあ祖母はどうなった、という話は次回に続く。

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2006年06月26日

日記: 工作

 数年ぶりに工作をした、とはいえプラモやNゲージをおっぱじめたわけではなく、必要に迫られて線を引っ張ったり紙を切ったりしただけなのだが、そんな安易な工作でもやればやったで、つつつと知らぬ間によだれを垂らすほど熱中するものである。そういやその昔、紙切りかなにかに没頭して気がついたらスカートもじょきじょきに刻んでいたことがあった。確か灰色のひだスカートで、切り口がやたらと豪華だった。もう大人なのでそういった事態にはならなかったが、5センチ四方の世界にぐっと集中してトリップする心地は今も変わらない。文章を書く時や楽器を弾く時とはまた異なる集中形態で、それは使う脳や身体の部位が異なるから当然なのだけれど、冬眠していた機能が目覚める感じでなかなかよかった。
 しかし、これがお裁縫だとてんで集中できなかっただろうと思われる。基本的には似た作業であるが、最大の違いは紙と布の材質の違い、布のてろっとした感じがどうも不自由で苛々してくるのだ。世の中には暇さえあれば編み棒やら刺繍針やらを取り出して手芸に励む婦女がいるけれど、あれをやるくらいなら万力やかんな片手に楊枝入れでも作るほうがずいぶんいい。
 それでも針だけは重宝している。実は昨日も使った。何をするかというと、棘を抜くのである。どういうわけか知らないが、私はよく手足に棘が刺さる。なんだか痛いと思って目を凝らすと、指先に黒い粒のような棘がたっていて、そんな時はさきっちょをライターであぶった針で、皮を薄く剥いて棘をひっかき出す。ぽろっととれるとこれはもう万歳三唱の気分で、私はとげぬきが嫌いではない。幼少の時分にとげぬき地蔵に親しんでいた因果とかなんとか。

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2006年06月23日

日記: 敗因

 ずば、と無惨に斬り捨てられた侍たちだが、彼らを侍と呼ぶのはいかがなものかというしごくまっとうな疑問はさておき、侍なのにブルーとはいかがなものかという疑問は以前より抱えていて、BLUEを辞書でひくと「青い、憂鬱な、保守党の、下品な」とあり、試しに「青い」と辞書でひくと「青色、青白い、血の気がない、未熟である」とあり、ますます困惑するのだけれど、ただユニフォームが青いからという理由で「サムライブルー」などという安直なスローガンを掲げてしまって、それで負けたとは言わないが、敗れた彼らはまさに青い侍であった。どうせスローガンを掲げるならば、例えばイタリア代表の「脱カテナチオ(守備的サッカーから攻撃的サッカーへ)」なんかのように、より具体的なほうがよいのだけれど、どういうスローガンを掲げてよいかもわからないあたりがまだまだ青いということなのだろう。
 それでもやはり、玉田がゴールした瞬間は本当に嬉しかった。ああいう感じをいっぱい味わいたいなあ、と子供みたいことをいうが、結局のところそれが楽しみで、私はサッカーを観ているのだ。

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2006年06月21日

日記: あめ、りか、じん

 夏暑く冬寒いのは安普請住居の宿命というか、そりゃもううだるような暑さなんである。大家が屋根に断熱材を入れてないので、日光がじかにじりじりと天井を焼いている。階下からも地熱がもわっとあがってきて、これはもう直火焼き両面グリル、燃えちゃって、あたし。
 つくづく思うけれど、大家に貸家を快適にこしらえる考えはない。自分が住むわけではないから、借り手のつく最低限の仕様に留め、普請代を浮かす料簡である。商売なのである程度は仕方がないが、これがエスカレートすると強度偽装をしたり殺人エレベータをあつらえたりするようになるのだろう。
 何でもそうだが、自分が○○するわけじゃないので、という発想で行動すると結果は必ず殺伐とする。廉価品や冷酷な人にはそういう邪悪な影が染み付いているから、見ていて嫌な気持ちになるのだろう。
 まあとにかく暑いのだが、今、少しおもしろいことがあった。
 家の前の道が小学校の通学路になっていて、朝な夕なと子供たちが行き交うのだけれど、その中にひとり、我がマンションに興味を持っている男子がいる。どういう興味かと言えば、塀と塀の間の小径を通ってみたくてたまらないのである。その道は大家の中庭に通じていて、突っ切ればワープしたように別の道に出ることができる。子供心をくすぐるのである。
 しかし、どう見ても人の敷地内だし、彼はずいぶんあぐねていた。なぜ知っているかといえば、先日、物音がするので訝ってドアを開けると、彼が階段から首を突き出してその小径を覗いていたのである。彼は私の顔を見るやいなや、大慌てで階段を下りて「怖いおばちゃんに睨まれた」と友達に報告していた。目をひんむいてもう一度ドアを開ければ、おもしろいおばちゃんになれただろうが、まあそこまで暇じゃないものでね。
 結局、彼は小径を通った。ランドセルの鈴をちりんちりん鳴らして、駆け足で通っていった。その翌日には数人の友達を引き連れて通っていった。その次は女子を案内して通っていった。彼女たちの「秘密基地みたい」と感動する声が聞こえたので、彼はさぞかし得意満面なことだろう。
 そして今(午後3時)、彼らが小径を通り抜けていった。少なくとも20人はいたと思う。その人数にも笑ってしまうのだけれど、さらに彼らはどういうわけか、口々に「あめ、りか、じん、あめ、りか、じん」などという号令をかけながら行進していて、怖いおばちゃんも思わず相好を崩してしまったよ。なんだ、あめ、りか、じん、て。

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2006年06月20日

日記: 接吻

 近所のスーパーに買い物に行ったら、野菜棚の中央、洋物の青菜が並べてあるあたりで、西洋人の男と日本人の女がしたたか接吻していた。そのそばに混血児がいたので、二人はおそらく夫婦である。ずいぶん長いこと、口唇の角度を変化させながら、二人は接吻し続けていて、しかし子供は二人に目をくれることなくカートに乗って遊んでいたので、なるほど、これは日常茶飯事というやつだと思った。ほどなくして二人は離れ、女は何事もなかったかのようにトマトを選び、男は子供の乗ったカートを押して肉売り場に向かった。
 私はこの状況を興味深く眺めていたのだけれど、それは夕方のことで店内はわりと混雑していたはずなのに、じっと見ていたのは私だけ、みな目を逸らして通り過ぎて行く。本人たちは見て欲しいのだから遠慮せずに見てやればいいのに、と思ったのには理由があって、女のほうが私の視線に気付いた時にえらく誇らしげな表情を投げてよこしたからなのだが、何が誇らしいのかは謎、というのは嘘で本当はよくわかっていてつまり、She is proud of being wife of the man, who is not yellow but white and has boldness to kiss deeply in public , I guess.
 まあこの世には様々なつがいがいたものよ、あたしゃ毛唐人はごめんだけど何にしたって自分の結婚に満足できるのは素晴らしいことさね、ところで大ちゃん、外人さんと結婚するのはどうですか?と聞くと「全然平気だよ」とこともなげにいうので、へ〜、なんで?、と驚くと「だって、しおりちゃんも外人みたいもんだし」という答えが返ってきたのだった。

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2006年06月18日

日記: family affair

 単身赴任中の父は出張だかなんだか月に1、2回の割合で週末をこちらで過ごすのだが、その度に私たちと一緒にご飯を食べたがるのが問題である。「無理は言わないけれど、土曜か日曜に大ちゃんと一緒にご飯食べに来ないかなあ、来てくれたら嬉しいなあ」と必ず言う。またかよ、と私は必ず思う。何でも美味しいものを御馳走するし、そちらの食費も浮くだろうし、ね、ね、などと食い下がるので「でも、大ちゃんも忙しいみたいだしわかんないなあ」と適当にぼやかすと、そっか、としゅんとする。なんだか私が悪い事をしたみたいではないかと苛立ちながら「まあ、聞いてみるけどさ」と言い直す。「うん、聞いてみてよ」と父の顔は明るくなり、「だけど大ちゃんはうちに来るの、そんなに嫌がっているようには見えないけどなあ」などとのんきなことを言う。邪気のない人はこれだから面倒である。
 相手の実家に行って楽しくて仕方ないなんて話は少なくとも私は聞いた事がないし、実際に自分が体験してみても、ある種の疲れは否めないというのが本音である。もちろん嫌なわけではないし、仮に嫌だったとしても結婚した以上それは我慢しなくてはいけない。だからそのあたりの塩梅はお互い気を使って、どちらかの実家を偏重することのないよう工夫しないと夫婦はうまくいかないように思う。
 しかし私の実家近くに住んでいるという時点でその均衡は大きく崩れているし、あまつさえ月に一回の食事となれば申し訳ないの一点であって、かといって父の「しゅん」も気になるし、ああうっとうしいわあ、なんとかならんのあのおっさん、と母に言うと「あんた今までこんなに勝手して好きなことしかやってきてないんだから、それぐらい苦労しなさい、あたし、知らない、おほほ」と一笑に付されたのだった。おほほ。
 という一部始終を大ちゃんに報告すると「全然嫌じゃないよ、行こうよ」とあっさり言ってくれたので、今日は実家で寿司を食べた。父は大喜びだった。

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2006年06月16日

日記: be natural

 今回のW杯で何が楽しみかって、アルゼンチン戦の折に絶妙のタイミングで映し出されるマラドーナの表情ほど胸躍るものはない。目にするたびに、腹がげらげらと音を立てるくらい笑ってしまう。ずんぐりむっくりの身体に空色縦縞のユニフォームを着用し、満面の笑みで短い両手をつき上げ、布切れをぶんぶん振り回し、と思えばある時は深刻な顔で手を叩いて、横やら上やら下やらの人にせわしなく話しかける。しかし今回はアルゼンチンは調子がいいので、たいがいは子供のように喜んでいて、マラドーナの再来(何人目だ?)メッシ登場の際には段から転げ落ちそうな勢いだった。そういえばこの人はスーパープレイヤーだったな、と思い出してはまた笑ってしまう。
 連れている女もすごい。いかにも鈍重で仏頂面、スーパーマーケットのレジを打っていそうな地味な女なのである。マラドーナと手をつないで座っている映像を見て「女の趣味は悪いやね」と思わず呟いたほどだ。しかし考えてみると、マラドーナもサッカーをやっていなければスーパーの警備員というていだし、ましてや脂肪吸引手術なんかをするちょっと左巻きの人なのでお似合いなのかもしれないやね。
 しかし私はマラドーナを見て考えた、日本のカズやヒデがブルーのユニフォームを着てスタンドから日本戦を応援することがあるだろうか、と。確かにバティストゥータがそうはしないように、人にはそれぞれスタイルがあって、二枚目は二枚目の、三枚目は三枚目のやり方があってしかるべきだけれど、日本の選手はまだまだ必要以上にすかしていると思う。サポーターにしてもそうだ。
 これは彼らが悪いわけではなく、この国にまだサッカーが根付いていない証拠である。サッカーに対する愛情を自然に表現する意識と土壌がないということだ。伝統がないとはそういうことだ。サッカーをすること、好きであることが特別だと感じる気分が抜けて、いつしかそれは当たり前になり、そしてもう一度やはり特別なスポーツだと思える段階に到達しない限り、日本は世界で戦えるチームにはならない。日本においてサッカーは、野球の足元にも及んでいないのだ。
 何はともあれ、マラドーナの笑顔が悲しみで歪むのは見たくないので、アルゼンチンにはぜひとも最後までいってもらいたい。もし優勝したら、マラドーナは、どうなっちゃうんだろうか。サッカーボールに変身したりして。

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2006年06月15日

日記: 『ロック母』

 注文していた葡萄酒御一行様が到着する。輸入会社の社員販売を紹介してもらって以来、案内がくれば頼むことにしている。今回は20,000円を越えないのを条件に2ダース注文した。机の上に葡萄酒が24本ずらりと並んでいるのは圧巻で、これを飲み干すのかと思うと嬉しくて小躍りしてしまうのだけれど問題は収納である。夏の暑さと湿気をどうやって乗り切るか。ものの本は、とにかくワインセラーを買いなさい、の一点張りで、ならば品質が落ちる前にとっとと飲んじまえばいいのであって、週に最低3本飲む計算でいくとお盆までには片付くではないか、よし、飲むぞ!と闘志を燃やすというのも変な話。

 角田光代さんの本はこれまでに直木賞受賞作『対岸の彼女』と『空中庭園』を読んだ。読書というのは作者の描く世界と読者の生きている世界、その二つを同時に体験する作業である。だからその作業が心地よいと感じるかどうかは、作者と読者の相性にかかっていると私は思う。共通項が多い少ないから良い悪いという単純な話ではなく、もうこれはフィーリングとしかいいようがないのだけれど、それが合わないとなると読書はおもしろくない。しかし作品として優れているかどうかはこれとはまったく別の話で、上手いけれどおもしろくない、稚拙だけれど魅力的、なんてことはよくあるのであって、角田さんの本は大賞を受賞してしかるべきと思うけれど、相性が合わなかった。
 彼女の描く世界はどこか慌てていて、不安がにじんでいて、いじけているようでもあり、読んでいて元気にならなかった。この「元気」というのも難しいのだが、何もハッピーエンドだから元気になるわけではなく、言葉の奥に透けて見えるどっしり感とか鮮やかさみたいなものと関係していて、それが彼女の本には感じられなったのだと思う。
 ところが今回読んだ『ロック母』という作品はえらく良かった。なんてことのない話なのだが、生命力に溢れていて、大海原に漕ぎ出すようだった。私が変わったのか、彼女が変わったのか、両者が変わったのか、こういう感覚を味わえるのは幸いかな。

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2006年06月14日

日記: back to zero

夕方に祖母とW杯関連番組を観る。

祖母:きれいな芝じゃあのう、ぎょうさん手がいっとる、どしたんぞや
私:サッカーの世界大会だからはりきって手入れしとるんよ
祖母:ほうじゃほうじゃ、日本も行っとる?
私:行ってるけど、弱いんだこれが
祖母:ああ、まだ世界基準に追いついとらんゆうことじゃあな
私:そうなのよ!きっと負けて帰ってくるんだろうなあ
祖母:わざわざ遠方まで出向いて負けたりしてどうなら、ちいと稽古が足りんのじゃろぞい
私:ははは、おばあさんに言われたくないと思うけどね
祖母:ほほほ、あたしはサッカーやなんかはわからんけん
私:サッカーはな、手をつこたらいかんの、足でボールを運ぶんよ
祖母:ええっ!
私:がはは
祖母:そりゃ難儀じゃの、手のようにはいかんぞな
私:それでね、あの白いカゴがあるでしょ、あそこにボール入れたら勝ち
祖母:ほう、そやけんどが、前に人が立っとる
私:そうそう、あの人がボールを入れさしたらんゆうて邪魔するんよ
祖母:はあ、ほじゃけん、あっちゃこっちゃして工夫して入れるんじゃあの
私:そうです!正解です!
祖母:ほうほう(満足げに頷く)
    〜しばし沈黙〜
祖母:きれいな芝じゃあのう、ぎょうさん手がいっとる、どしたんぞや
私:……

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2006年06月13日

日記: What is your weight?

 今日もまた、ぴぴっという音が鳴った。これは何の音か説明すると、大ちゃんが風呂に入る前にふるちんで(おそらく)、体重計に乗っかっている音である。
 私もものを計測するのは好きで、メジャーを持ち歩いて目に付いたもの、エレベータのボタンの幅や缶麦酒の直径やなんかを測るのに凝っていた時期もあったが、自分の身体となると今も昔もまるで興味が湧かない。かろうじて身長が156cmと言えるぐらいで、視力や血圧も覚えていないし、靴のサイズも未だによくわかっていなければスリーサイズにいたっては測ったこともない。体重に関しても半年に一度測るか測らないか、45kg前後という大雑把な認識しかない。
 などと言えば「痩せてるから気にならないのだ」と反論されたりするが、その昔はクラスで二番目に太っていたし、ハイティーンの時分もぱつんぱつんのころころりんだった。でも当時も自分の目方には頓着はなかった。おまけに体重の多少にも頓着なく、男子に「お前、何キロあんねん」と聞かれて「多分50kg以上」などと平気で答えていた(もてなかったわけだ)。
 つまり、健康ならば何キロだっていいのである。人にはそれぞれベスト体重なるものがあって(どうして皆、痩身を志向するのだろう?)、オーバーすれば身体が重いし、下回れば持久力がなくなる。だから目方の増減は秤に乗らずともわかるのであって、運動選手のウエイトコントロールじゃあるまいし、頻繁に数値化することもなかろうと思うのだけれど、世間はそうは考えないようで「2kg増えた」とか「ウエストがxcmをきった」とか一大事のごとく言う人が多い。しかし、自分の目方に興味がないのに人のものに興味があるわけないじゃないですか、「へえ」と生返事をするしかなく、いきおい人に嫌な顔をされる。体重を聞かれて「ヒ☆ミ☆ツ」と答える人がいるが、あれもよくわからない。よくわからないので、100キロ?などとからかうとまた嫌な顔をされる。そういうことを言っていると、友達も減っていく。困ったことである。
 と書いている間に再び、ぴぴっという音が鳴った。これは何の音か説明すると、大ちゃんが風呂から上がった後にふるちんで(おそらく)、体重計に乗っかっている音である。もうこうなると遊んでいるとしか思えず、上記で述べたようなことを言う気も失せて、笑ってしまうことになる。

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2006年06月12日

日記: PORORO

『ポンポンポロロ』という韓国アニメがポンキッキにて放映中らしいのだが、その主題歌にコーラスをつける仕事をした。メインヴォーカルはちびっこ、その後ろで「ポロポロポロポロ ポ!ロ!ロ!」などと元気いっぱい夢いっぱい歌ってきた。そういうのはわりとへっちゃらへのかっぱである。そのうちオンエアされるそうで幼児を持つ方々は耳にすることもあるかしれないが、ひとつ気がかりなのはポロロはあまりかわいくないことである。

http://www.pororo.jp/index.html

東急百貨店で鶏の唐揚げを買って帰り、麦酒と共に食して英気を養い、風呂に入って身体をごしごし洗い、呼吸を整え、日本vsオーストラリアを観戦する。無言のまま布団をかむって眠る。

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2006年06月10日

日記: サニタリー

 開幕したはいいけれど、昨日の初戦はもちろんのこと、午後10時からの第一試合さえも後半は起きていられなかった。大丈夫なんだろうか。イングランドvsパラグアイ、ジェラードとランパードの区別がいまだにつかない。大丈夫なんだろうか。明日の日本戦のことを思うと、胸がとくとくする。大丈夫なんだろうか。と不安はあるが所詮は玉蹴りのことなので大丈夫である。
 夕方散歩に出たら雨が降って来た。運良く道ばたに傘が落ちていたので拾ってさした。柄の部分には見知らぬ者どもの手垢がべっとりついているのだろうけれど、最近そういうのはあまり気にならない。過剰に反応していた過去を思えばよい傾向なのだが、もし傘の柄が合成樹脂ではなく布でできていたら、やはり拾えない。ステインレスや木なら拾えるが、紙なら拾えない。なるほど材質は大事だなあと考えながらプリンスホテルまで、帰りは雨が止んだのでくだんの傘を道ばたのゴミ入れに捨てる。確かに世話にはなったが家に招き入れるほど心を許したわけではない。

投稿者 shiori : 13:14 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年06月08日

日記: 後日談

 私の住まいは二階建てマンションの二階角部屋、ということは真下と隣に住まう人々に関して望まずとも詳しくなってしまう日本家屋の哀しさよ、ましてや安普請の建物であるため「お隣さん、えらく水を出しっぱなしにしてるよ」だの「下の人、もう少しドアを静かに閉められないものかね」だの、さらには「あれは変な咳だね、いけないね」とか「ま、まぐわってやしませんかっ」とかいう個人情報漏洩が甚だしく、廊下や踊り場ですれ違ったりするとなんだかもじもじしてしまう。こちらのことも知られているかと思えばいっそう具合は悪いのだけれど、しかしこういうのは瀟洒な館に住まない限り避けられないものであり、取り立てて問題が起こらなければ上等としなくてはいけない。たとえ隣人の生活を覗いてしまってもあれこれ詮索せずに知らん顔していらっしゃい、それが大人ってもんだ。とわかってはおるが罪なものです、隣には実に興味深い人物が住んでいるのだった。
 そこの奥さんを一目見た大ちゃんは「弱気な落合夫人」と言った、私は「景気の悪いオーヤンフィーフィー」と言った、つまりは伏し目がちでうつむき加減なのに髪型と化粧はいけいけどんどん、自己矛盾をきたさないのだろうか、その旦那という人も一風変わっていて、毛玉だらけのスウェットにつっかけ履いてそこらをうろうろ、見たところ夫婦共々還暦前後だから年金はまだもらえないだろうし、何している方なのかしら、だいたいその年になって未だ持ち家を構えていないとなれば今後も家賃を払い続けねばならないわけで、子供もいるふうはないし、行く末に大きな不安を抱えているのではないか、などとげすの勘ぐりが燃えに燃えていたところ。
 奥さんを見かけたのです、エプロンをしてカーリーヘアーを振り乱して働いていました、しかし「あたし、ほら、隣の者です、まあどうも」なんて気安く声をかけなくてよかったと思うのは壁の張紙に「パート募集 時給800円 勤務時間10:00~20:00で応相談」と書いてあったからで、別に人を憐れむ趣味もないのだけれど頭で素早くそろばんを弾いた私、一日8時間働いたって6,400円、週に4日働いたって家賃くらいにしかならないじゃないですか、と思ったら彼女は週に7日働いていて、うわあ、またいた、ぎょええ、今日もいる、とその勤勉ぶりに舌を巻くと同時に、ああいう場所で文字通り毎日働く人生とはどんな心地がするものなのか、心がずしんとしてしまって、ましてやその彼女の職場というのがくだんのクリーニング屋であり、「びらびらなんです」とうちに電話をよこしたのは紛れもない彼女というのだからいやはやなんとも。

投稿者 shiori : 18:24 | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年06月01日

日記: bira-bira

 ドリス・ヴァン・ノッテンというブランドが好きで服やら靴やらをよく買うのです、という話を以前にも書いたかどうだか忘れてしまったのでもう一度書くのだけれど、それはベルギーはアントワープ出身の同名デザイナーによるブランド、奇抜過ぎず奇抜なデザインと美しい色使いが気に入り、シーズンごとに店を覗くことにしている。
 どういうシステムで製作しているのかしらないが、洋服のタグを見ると祖国ベルギーはもちろん、ポルトガル、イタリア、スロベニア、トルコ、などとヨーロッパ全土に工場があるようで、あちらでは人気のあるブランドなのだと思う。
 値段はプラダやドルチェ&ガッバーナのようにべらぼうに高くはないものの、まあそこそこは高い。だからもちろん、普段はセール期、あるいはセールのセール期にまとめ買いする。そんな調子で求めること数年、私のドリスコレクションは結構な量になった。値段の都合もあるのでノースリーブやなんかの夏用うわっぱりが多いのだけれど、中にははりこんで買ったものもあって、そのひとつが今回問題になったジャケットである。
 くすんだ桃色のそれは一風変わったデザインで、綿と麻混合の表地には同色の絹の裏地がはってあり、身ごろの裾やラペル(襟の部分)からその裏地が少々のぞく感じ、つまり裏地が装飾のアクセントになっているといおうか、全体的に非対称的でそれでいてバランスがとれていて、一目見て気に入った私は値段を見てずいぶん考えたのだけれど、結局あきらめきれずに買うことにした。\78,000だった。
 となればもとを取ってやると言わんばかり、頻繁に袖を通していたらずいぶんくたびれてきてしまって、このたびクリーニングに出すことにした。そういえばあそこにあった、と思い出してサミット併設の洗濯屋に持っていった。すると手慣れたおばさんが迅速に対応して、出来上がりは一週間後ですと引き取りの紙をもらって帰宅した。何の問題もなかった。それが。
 その翌日、くだんのクリーニング店から電話がかかってきたのである。
「今、本社から連絡がありまして、お客様のジャケットですね、う〜ん、型くずれがはなはだしく、これはもうクリーニングとかいう話ではないのではないかと……」
 というのである。驚いた私は「といいますと?」と聞き返した。するとおばはんはこう言った。
「まずですね、裏地がひどく出てしまっていて、というかびらびららしいんです」
 びらびら、と言った。間違いなく彼女は「びらびら」と言っていて、私は頭がくらくらしているのに、
「それにですね、スロベニア製とかなんとか書いてあるらしくって、スロベニアってね、書いてあるらしいんです、お客様がご旅行に行って買った洋服なのでしょうけどね、こちらもそういうものの扱いはよくわからないんです、裏地がびらびらに出てしまっていて、ほんとに。だからこれ以上いじってさらにどうかなっても責任持てないのでね、お金はお返しします、だから引き取ってもらえませんか」
 とまくしたてるのだった。
 びらびらショックで立ち直れない私は
「はい、引き取ります、そのままの状態で引き取ります、とにかくそのままで」
というのがやっと、スロベニアに旅行をして、土産で買ったジャケットがびらびらになってしまった女のまま電話を切ったのだった。
 嫌ですわ、ファッションの素養も審美眼もない方が洗濯屋を営むだなんて、失礼にもほどがありますわ、といけしゃあしゃあと言ってやりたいものだけれど、もとを正せばそんな服をそこらの格安クリーニングに持って行くのが間違っているし、そもそも白洋社などの高級店を利用できない分際でそんな服を買う私がずれているのであって、なんとも訓示的な出来事であったのです。にしても「びらびら」はないと思いませんか。

投稿者 shiori : 17:03 | コメント (4) | トラックバック (0)