« 2006年07月 | ホーム | 2006年09月 »

2006年08月30日

日記: 予行演習

 デュエットをしなさいという友人らのそそのかしを真に受けて披露宴で二重唱をすることになったのだけれど、デュエット曲というのは案外難しくて選曲に苦戦した。マーヴィン・ゲイとタミ・テレルの曲なんかはどうかと提案したが難易度と知名度により却下、最悪『愛と青春の旅立ち』でもいいかというレベルまで落ち込んだが、『ワンダフル・ワールド』という強い見方を得てなんとか持ち堪えた。
 サイモン&ガーファンクルとジェイムス・テイラーの歌うそれはなかなかしっとりとしたアレンジで、ジェイムス・テイラーってああいうのを歌わせたら天下一品、柔らかくしなるわっぱのような声でしびれるのだが、それを僕らがやるとなると色々と支障が生じて実に難儀だなあ。
 観客がいないのもなんなので、祖母に聴いてもらった。車椅子に乗って目をきらきら輝かせてぱちぱちぱちと三回手を叩くのを見て、涙がにじんだ。当日は親戚一同皆出払ってしまうので、祖母は老人ホームにお泊まり予定。その旨を告げると「どおしてあたしはいけんの」と顔を歪めた。行く気やったんか、と少々驚いたが、まあやるせない話である。脳梗塞があと三ヶ月遅ければ。

投稿者 shiori : 09:54 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年08月26日

日記: アクセル小玉

 二次会の出し物練習につき、久々にフリーダムの面々とサークルサウンズ、ガンズアンドローゼズを苦唱する。何を今更そんなもの血管を浮き立てて歌わねばならぬのかマイフレンド、というか言い出しっぺは他ならぬ自分なので、結婚もできてガンズも歌えてもうあたし幸せ過ぎてこわいわ、という具合に歌う義務があるのだマイフレンド。本当か。
 それでまあやったらやったで楽しかった。発見もあった。以前に比べて歌う行為を楽しく感じるようになったようだ。しかし同時に、自分の歌を聴いてほしいという気持が薄らいだようだった。肩の力が抜けたとも枯れたとも言える。今後も何らかの形で歌い続けるとは思うのだけれど。歌を歌う機会はさんざあっても、誰かのわきでちょこちょこ歌うだけでは気がつかないこともある。
 皆で居酒屋で飲む。面々が本当に、あれから何年経ってるのか知らないけれど、本当に何も変わっていないことを確認した。そういうのは朗報だと考えることにしている。

投稿者 shiori : 11:47 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年08月25日

日記: 太っ腹

 披露宴は中華料理のつもりだった。私はフレンチをこよなく愛しているけれど、あれを満足のいく具合に食べるためには腕のいいシェフと気の利いたギャルソンはもちろんのこと、白磁の皿に飲み口の薄いグラス、きりっと引き締まったブルゴーニュに深く香るボルドーはマストでしょう、なんてやってたらこちらの財力ではまかなえないのは一目瞭然、それに戦前生まれの親族にナイフとフォークを強いるのも気の毒で、ならばやはり中華でしょうと考えた。
 ヌーベルシノワなどではない。ザ・支那料理である。焼豚、焼きそば、肉まんである。と思いついたのが赤坂維新號という店だった。数年前に北京ダックを食べに行ったのだが、外装といい内装といい若い娘に媚びるふうもなく、客層も背広を着たおっちゃんあるいは家族連れ(日比谷店は同伴多し)、味に専念している姿勢に好感を持った。もちろん味も最高だった。
 もうあたしたちも年だし白亜のこぎれいなレストランよりはこういう店のほうが落ち着きませんかという話になったのだけれど、店側と打ち合わせを重ねるたびに、私はなんて賢い選択をしたのだとほくそ笑むことになったのだった。
 披露宴に行うにあたりどんな種類の金がどの程度かかるのか、事前に知る必要があるのでゼクシをめくってみて、私は驚きました。代官山のお洒落レストランなんか二度と行くものか。会場使用料って何だ、引出物持込料って何だ、プロデュース料って何だ、なんだなんだにゃんだ、にゃあっ!
 と憤る私に維新號の支配人はこう言ったのだった、「うちは一切かからないね、飲食代だけ、あとはサービスです、花置くよ、綺麗なの、名札も書く、字上手い人有名ね、メヌウもほらこれ見て、フカヒレ入れる、うちフカヒレ有名、大きくて皆わあっていう、北京ダクも入れるあわびも鯛も入れる、ほんとは無理、でも結婚式サービスします、食べて美味しかったらお客さんまた来るね、うちも宣伝になる、うち普通のレストラン、ホテルみたいなことはできないけどわたし、一生懸命やるね、じぇん〜ぶ任せてだいじょぶ」
 彼にじぇ〜んぶ任せたのは言うまでもない。それだけではない、店に行けば必ず「お腹空いてるでしょ、遠慮しない、うちの焼きそば最高、五目焼きそばここにお願い」とこちらの返事を待たずに運ばせるし(デザートお茶付き!)、帰り際にはこれまた必ず月餅やら肉まんやらの土産を持たせてくれるし、なんというか、太っ腹の権化のようなのである。
 とはいえ彼だって気まぐれに太っ腹を披露しているわけではなく、例えば「うちの月餅美味しい、引き出物にぴったりね」だのいうセールストークは忘れないのであって、彼はまさに商売人なのだけれど、それでも私たちはいつでも満足して店を後にし、また食べに来ようと思うのだ。
 彼はこの太っ腹商法が長い目で見れば大きな儲けにつながることを確信しているし、それを待てる忍耐も、それを実践できる豪胆さも持っている。日本の商売人にはそれがない。持込料などと言って、今すぐ小さく儲けることでぬか喜ぶような矮小さでは世界征服は無理だと思った。

投稿者 shiori : 17:37 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年08月23日

日記: a mere daily report

 大ちゃんが「どうしてみんなブログをやるんだろう」と首をかしげるので、どうして大ちゃんはやらないの、と問い返すと「だって何書くのよ」という明快な答えが返ってきた。書くことのある人は書くし、ない人は書かない。これが基本だろう。そもそもこの線引きは宿命的というか、書く人は戦火のさなかにあったって書くだろうし、書かない人は脅されでもしない限り筆をとらないものだ。しかしここにきて、というのはインタネットの普及うんぬんのことだが、この線引きは崩壊しつつあり、「書きたい人は書くし、書きたくない人は書かない」という新たな状態に移行しているように感じる。書くことがあるとかないとかいう話ではなくなったわけだ。
 結果、書く人が激増した。これは単純によいことだと思う。意思疎通や脳の活性化という観点から考えても書くのはよい動作だし、また、コッポラはビデオカメラの普及を大喜びしていたけれど、機会が増えればいい作品が生まれる機会も増えるわけで、面白い本や映画を期待できるのもよい。
 しかしながら、面白いものを書くことのできる人はほんの一握りで、自分を含めて大半は、今日の晩ご飯だの観た映画だの会った人だのと日報を書くことになる。本人としては備忘録にもなるし、遠方に住まう友に無事を知らせることにもなるし、例えば「今日は睡眠薬を二つ追加した」と不特定多数に報告することで何らかの安心が得られる場合もあるだろう、日報も悪いことはない。読む側が面白くないだけである。
 ならば読まなければいいというのがブログの大変良い点なのだが、執筆している側としては、人のふり見て我がふり直せ、気をつけねばならないと自戒することが多い。面白いか面白くないかは所詮他人の言うことなので仕様がないが、仮にも自分の作品を人目にさらすつもりならサービス精神だけは忘れてはいけないと思う。考えなしに書くことは、茶の一杯も出さずに客人を追い払うことなのだ。
 ちなみに大ちゃんが私のブログに関してコメントすることは一切ない。ブログの存在を知っているとは思うが、読んでいるかどうかは不明、こちらにしたところで「今日の日記、嘘書いたでしょ」などと指摘されても困るので助かっている。今後もノーコメント希望。

投稿者 shiori : 15:18 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年08月20日

日記: social and strict

 結婚式前なのでお忙しいでしょう、とよく聞かれるが、こういう質問は苦手である。仮に「はい、忙しいです」と答えたとして、だからどうしたというか、自分の勝手で行うイベントの労を他人にねぎらって頂く必要はないというか、そんなふうなことを思ってしまう。仮に「いいえ、ちっとも」と答えたとして、相手はこちらを気遣って聞いてくれているのに、木で鼻をくくったような答えはあんまりじゃないかと思ってしまう。
 実際問題、忙しいかといえば、新郎新婦共々勤め人ではないのでさほど忙しいわけではない。ただ、まとまった時間がとれないので各種ルーティーンワークが滞っているというのはある。しかしそれもどうしてもやりたけりゃ朝4時に起きればよいのだから、結婚式にかこつけて私は怠けているのだなあ、私はどこまでも凡人だなあ、と自分を恨めしく思うだけのことである。
 という実情を打ち明けてもよいのだけれど、円滑な人間関係を望まれている都合「ええ、まあ」と愛想笑いをして場を収めている。という実情をこういう場所で打ち明けてカタルシスを得ている。

 昔からそうなのだが、自分にはソーシャルな部分とストリクトな部分が混在していて、かつてはストリクトな自分を深く恥じていたので「socialize me」を合言葉に振る舞ってきたのだが、二十代後半になって何も恥じることはあるまいと思い直し、今度は「strictly speaking」を合言葉に振る舞ってきた。しかし二者択一というのはえらく性急で安直な発想、融合するなり新たにカテゴライズし直すなりしようじゃないか、と思い始めたのは30になってからのことである。以来、聞く準備のある人にはストリクトに、ない人にはソーシャルに接しても、自分のバランスを崩さなくなった。こだわりから解放されて少し自由になった感もあるし、面倒くさがりになった感もある。しかしこの状態もまだまだ過渡期、あと5年もすれば新たなステージに突入する予感はある。

投稿者 shiori : 11:22 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年08月16日

日記: sound of summer

 暑いけれど、冷房を好まないので終日窓を開け放している。すると当然のことだけれど様々な音が聞こえてきて、まず夜明け前には必ずアブラ蝉の熱唱で目を覚ます。7年も土にうもっていて、挙句太陽を拝んで7日足らずで死んでしまうとは、と以前は憐憫をかけていたが、蝉の生涯の本編は土の中にあり地上での生活は華麗なエピローグと考えればちっとも悪くない、いわゆる大器晩成じゃないの、岩崎恭子とかホリエモンとかのほうがよほど気の毒なのであって、本当に蝉の声はうるさくてかなわない。
 カラスもなかなかである。屋根をどしどし歩き回り、あっちの屋根の仲間とかあかあかあ、こっちの屋根の仲間とこおこおこお、何やら悪だくみをしている。町内を股にかけて暗躍するさまは高利貸しを連想させてならないのだけれど、図鑑をめくるとカラスはスズメ目とあり、どれだけ凶暴化しようとあなたは鷹やら鷲やらにはなれないたち、おほほ、せいぜいかあかあ鳴くがよろしくて、と鼻で笑うことで腹立ちを抑えている。しかし雑食なんだから蝉を片っ端から食べてくれれば一石二鳥なのだけど。
 午前8時から9時にかけては、飛行機エンジンの爆音が轟きわたる。会話もテレビもまったく聞きとれない。あまりの音に初めて聞いた時はB29が来たかとおののいたというのはちょっとした冗談である。
 そうこうするうちに今度は、犬猫が鳴き始める。これにはいつも笑ってしまう。というのも家の隣が動物病院なのだが、おそらく入院患者の皆さんが「なんか食わせろ」あるいは「お願い、遊んで」と訴えているのだろう、今日は子猫が「にゃあ、にゃあにゃあ、にゃあっ!……にゃあ?にゃあああ?にゃああああああっ!」と鳴いていた。言い分はよくわかった。
 それが夜になると、朝の喧噪とはうってかわって外はいたって静か、秋の虫がりんりんと鳴き、寝転がると窓の奥に月が浮かんでいたりして、なかなか風情のある夕べである。
 しかしこの静寂が曲者で、つまり近隣住民の話し声が時折聞こえるのである。時折、というところがポイント、基本的に関係のない他人の声は聞きたくないのだが、策を講じるほど耳障りなわけでもないのでほったらかしにしていると「ねえねえ、品川庄司っておもしろくない?」などという話し声が耳に入ってくるのである。おもしろくない、と応えそうになる。
 声の主は下の部屋の奥さんで、普段はいたってもの静かなのだけれど、何かの加減で快活になるのかどうだか、そういう日は夜も0時を回っているというのに焼肉の匂いが漂ってくる。そして同時に「肉、食べるヒト〜?」という明るい声が聞こえてくる。
 とここで考えてみるに「○○するヒト〜?」という言い回しを使用する場合、そこには3人以上の人間がいるのが前提であり、2人しかいない場合は「肉、食べる?」と二人称単数で問うのが普通である。下の部屋は二人暮らしである。客人の様子もない。ということは奥さんは軽くふざけているのであって、まあ仲が良いのはよろしいのだけれど、その勢いで「いや〜ん、ばか〜ん」とキクちゃんばりにくねくねして事をおっぱじめられたらいや〜ん、と心穏やかでない。ヴァイスヴァーサ、「そこはおへそなの〜」などというこちらの声(※これはフィクションです)が筒抜けなのも心穏やかではなく、まあ奥さんのせいじゃないけれど、そんなふうに話し声に翻弄されることもある。
 まったく朝から晩まで賑やかなことで、安眠を邪魔された折にはカラスを悪し様に言いたくなるが、カラスもカラスの事情あっての「かあかあ」なのだろう、他意はないのでよしとせねばならない。それに考えてみればこれも一時のこと、あとひと月もすれば眠る時は窓を閉め、み月もすれば日中でもほとんど窓を開けなくなるだろう。もちろん蝉の声も、奥さんの話し声も聞こえない。今は夏なのだなあと思う。

投稿者 shiori : 12:35 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年08月13日

日記: グッラック

 喉が限界であった。それもこれも自業自得なのだが、まず発声方法がなってないからつい喉で力んでしまったり、飲み会で馬鹿笑いをしてしもたり、PAに「今日は声に艶がありませんね……」とぼやかれる始末、本番になればなったでなんとか乗り切れるものだけれど、冷静に聞き返すと決してよくはないのだろう、強靭な喉が欲しいです。打ち上げでキョンさんから喉に負担のかからない飲み会の楽しみ方を教わるが、あちらも適当に言っているのでこちらも実践することはないように思った。
 それでも今日は良いことがあった。親切な人物が私のためにお膳立てをしてくれたのだ。この機会を運良くつかむことができれば私は必ず変わることができる、ものにできるかどうかはすべて私にかかっている、というタイプの事柄で、久しぶりに闘志がめらめら燃えた。
 打ち上げだけでは飲み足りず、家に帰って葡萄酒を飲みながら一席ぶつ。うっとうしい家人である。

投稿者 shiori : 10:27 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年08月12日

日記: グッデイ

 新横浜に着くとかつてないほどの大雨と落雷、すえまっちゃんが家までの送ろうかと心配してくれたが、近くなのでと丁重に断った。二週間一緒にいて、彼がどれほど素晴らしい人間か、本当によくわかった。ああいう人が哀しい思いをする世の中は間違っている、と思った。
 大ちゃんが家をぴかぴかにして待っていてくれた。お土産の天むすをつまんだりするうちに、澤夫妻がやって来たので、うな肝やら鶏の唐揚げなどで麦酒を飲む。皆が作業をしている間、実家に顔を出して母にあつた蓬莱軒のうな重を差し入れ、彼女は鰻ラブなので大喜びだった。祖母と一緒にお座敷小唄(京都先斗町に降る雪は〜、いい歌詞だ)を聞いてから、再び家に戻って、皆で横浜に開店した勝木さんの店に行く。
 置いてある麦酒の味だとか店のインテリアだとか流しているDVD(ちなみに今夜はオジー)だとか、メインストリームからの遊離度数および角度がすべて共通していて、本当にやりたくてやった店という思いが伝わってきてとてもよかった。ただマスター(勝木さん)のトークだけは別、メインストリーム回帰していて、というのはつまり積極的に相手に話をふって聞こうとする姿勢が垣間見えてかなり笑った。やればできたのか。色々と彼も苦労しているのだろう、自宅から近いことだし、また飲みに行こうと思う。
 好きな人に囲まれた、いい一日だった。

投稿者 shiori : 11:05 | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年08月11日

日記: プロ意識

 ご当地銘品を食するというのは考えてみれば、エッフェル塔をバックにはいチーズだの、握手してくださいサインちょうだいだのいうのと同じこと、普段はそういうミーハー然としたものをせせら笑っているくせに、鼻先に食品がちらつくとどうも行動規範が緩くなってしまう。
 名古屋に着いて10分後にひつまぶしを食べた。あつた蓬莱軒というその店の軒下には100人ほどの婦女たちがとぐろを巻いて行列していたが、我々の興行主は鰻屋とねんごろのようで、すぐにヴィップ席に案内されて少々気まずかったが、茶漬けは実に旨かった。歌ったり踊ったりお仕事をこなしたのち、今度は名古屋コーチンを食べた。海老ふりゃあも食べた。味噌カツも食べた。ぜんぶ御馳走になった。
 と書けばこの上ない贅沢のように響くが、実のところそういうわけでもなく、結局のところ人は自分の金で好きなものを好きな時に食べるほうがよほど贅沢である。当たり前のように聞こえるが、そういう感覚を実感できたのは最近のことだ。おそらく今までは御馳走になることの代償に気付かぬくらい、元気だったのだろう。
 プロ意識という言葉がたいそうに扱われるけれど、支払われる賃金に見合った仕事をするために鍛錬しようという発想は、身体の衰えを実感して、自分の守るべき生活がはっきりと見える段になれば自然発生的に湧くものなんじゃないだろうか。
 体力という視点でメンバを観察していると、確かに皆さん、省エネがお上手、何が疲れて何が疲れないのか知り尽くしているようで、演奏もさることながらそういうところもプロなのだなあと感心するのだった。

投稿者 shiori : 14:38 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年08月10日

日記: 傷痍軍人

 大阪は中之島公会堂にてライブ。歴史的文化財に指定されている、いわゆる明治の洋館でなかなか瀟洒な建物なのだけれど、天然リヴァーブが大量発生する造りになっていて、結局のところ何なのかよくわからないうちにライブが終わった。自分の出す声なり音なりが響くというのは気持のよいもので、お風呂で熱唱する心は万人共通なのだけれど、同時に細かいピッチやリズムのことはどうでもよくなるのもまた共通していて、今日のライブのライン録音は封印しようと皆口々に言っていた。
 お盆休み初日だったようで駅は大混雑、白い網と黄緑色の虫かごをぶら下げた少年なんかを見かけて、ふうんと思った。昭和の風景といえば、新幹線のホームで万歳三唱して新婚旅行に送り出す、なんてのも見なくなった。傷痍軍人の物乞いも見なくなった。駅のコンコースやなんかでポータブルデッキで軍歌を流し(あるいはハーモニカ生演奏)、義足や義手をむき出しにして土下座するあれである。単なる物乞いと違って、物乞いとなり果てた理由を全面に押し出すあたりが子供心にもあざとく感じたものだが、あのおじさんたちももうとっくに死んでしまったのだろう。
 昼間にそんなことを考えていたら、午前3時くらいにマイケルさんが突然、傷痍軍人の話を始めたので驚いた。少年の虫かごを見て同じようなことを思ったのかもしれない。打ち上げでさんざ飲んで、さらにホテルで部屋飲みをしていた時のこと。

投稿者 shiori : 11:58 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年08月09日

日記: ちぐはぐ

 家に帰ったら、夕食が完璧に用意されていた。感激である。席に着くと、きんきんに冷えたビールが出てきた。さらに感激である。この人と結婚できて大感激である。
 とほめちぎったところで平素の心を取り戻して食卓を眺めてみると、どこか奇妙な印象を持つのはなぜかといえば、食器がちぐはぐなんである。平目のカルパッチョなんかを盛る(盛ったことないけど)洋皿に冷や奴がどどんと乗っていたり、ブルスケッタなんかを並べる(並べたことないけど)小ぶりな平皿に骨付き肉がでろんと横たわっていたり、ピニャコラーダなんかを注ぐ(注いだことないけど)グラスにモロヘイヤのおひたしがどろろと沈殿していたり。
 笑ってしまった。男の人のこういうところがわりと好きである。これで盛付けまで完璧だったらちっともおもしろくない。一張羅の皿を引っ張り出して、私をもてなそうという意気がすべてなのだ、と思いながら美味しく頂いた。
 オシム・ジャパンを初観戦。基本的には代表監督が交替したからといって何がどうなるものでもないと考えているので、ジーコバッシングおよびオシム賛美はうるさくてかなわない。ただ、オシムの容貌はおっかなくてよいと思った。怒られると怖いので、選手はがんばって走るかもしれない。しかしいずれにしても、日本がW杯でベスト8に残るにはあと50年はかかるだろう。代表の9割が海外でプレーをして、Jリーグには中国人、インド人などのアジア人が多数在籍する、という段にならないと難しいだろう。生きているうちになんとか見たいものである。

投稿者 shiori : 12:39 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年08月07日

日記: しぶい

 鮫洲のしぶい飲み屋で飲む。このあたりは京浜急行のかぐわしい匂い溢れる地区、海岸端に立ち並ぶ倉庫群で働くスウェッティな野郎どもの彷徨する街、などと花村萬月のようなことを言ってみるのだが、要は、味付けが濃いのだった。大井競馬場内の食堂もかなりソルティだったが、この店もなかなかのものである。まあ、飲みながらつまむ程度なら問題はないのだけれど。
 冒頭で「しぶい」という形容詞を用いて、その判断基準は何だろうと考えてみるのだけれど、灰皿がスチール製であること、水着を着用した女性が砂浜で生ビール片手に微笑んでいるポスターが張ってあること、トイレが男女共用であること、有線がかかっていること、だろうか。この条件をすべて満たしていれば「しぶい」といって差し支えないだろう。東京あたりでは少なくなってきたが、地方に行けば、それも政令指定都市以外に行けば、たいがいの店は宿命的にしぶく、私はそういうのが嫌いではない。
 豚キムチ炒めだの甘海老の唐揚げだのを食べながら、どういうわけか童貞を失うか失わないかの時代の話になった。失って久しい男性たちが時期が早かっただの遅かっただの、昔を懐かしむのは微笑ましいので楽しく聞くのだが、自らの口から語られる武勇伝というのは、たとえそれが本当であったとしても眉唾物に響きがちで、語れば語るだけ損だなもの、しかし男ってのはいくつになっても自分を大きく仕立てるのが好きな生き物ですね、気前のよい女は惜しみない賛辞でもって応えるけれど、それを間に受けるところが男のかわいらしさでもある。

投稿者 shiori : 18:26 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年08月05日

日記: オートマ

 幼少より折にふれて試みるものに、頭の中をそのまま書いてみよう、という遊びがある。とにかく頭の中に浮かぶものをひたすら自動筆記してみるのである。例えばこういった工合である。

 机の上の桃色のはさみが気になっている。手を伸ばせば届く距離にあるけれど、とるつもりはない。なんだかいやらしい桃色だこと、昨日100円ショップで買ったのだ。105円だった。105円ショップじゃないかと思ったけれど、もちろん言わなかった。思っていても言わないことはたくさんある。身体が汗ばんでいる。特に尻、尻が暑い。尻が燃えている。店員の女が肥満だった。肥満かどうか爪を見ればわかるようになる、というニュースを聞いたが、あなたは肥満です、と判定が出たら絶望するのか安心するのか、結局のところ同義なんですブレンディー。そろそろ歯医者がやってくる時間だ。祖母の入れ歯を出前してくれるのだ。おかもちに入れてきたら愉快だなあ、モンダミンは井森美幸のほう、二枠の、そう、篠沢教授のとなりの。

 むろんこのような駄文を書き連ねるのは憚られるので止めるけれど、続けようと思えばどこまでもゆけるのがこの遊びの特徴である。たいていは垂れ流して終るのだが、まれに工合のいいリズムとグルーブが生まれてアドレナリンの放出、ずいぶん楽しい時間を過ごすこともある。これは自動筆記でしか味わえない興奮である。脳の使い方として得るものも多い。
 これは何も「書く」に限った話ではなく、「弾く」でも「踊る」でも「描く」でも、同様の経験をしたことのある人は多いはずである。しかし、私は昔からこの表現形態には自慰行為にも似た恥ずかしさを感じていたから、誰のものだったか、この類いの文章を目にしたときにはずいぶん驚いたものだが、その後、90年代後半から文章でも音楽でもこの自動筆記の傾向はますます強まったように感じる。そこらの素人がブログで使うほど、浸透しているのだ。
 しかし危険なのは、自分がおもしろいことを言っているように錯覚してしまう、というのがこの自動筆記の落とし穴なのであって、実のところ発表して金のとれるような代物というのはそうそうない。素人が喜び勇んで真似するようなものではない、と深く感じ入ったのは太宰治の『俗天使』という小説を読んだからなのだが、これは思わずうなってしまった。素晴らしい自動筆記、ということはつまり自動筆記ではなく、そう見せかけた手動筆記なのであって、何度も推敲を重ねているに決まっているのである。そのあざとさというか、しつこさというか、さすが名人なのだった。

投稿者 shiori : 17:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年08月03日

日記: ずばり

 仕事がひけたのちに一杯ひっかけるのが流行っていて、昨日は山王の餃子屋、今日は大井町のトンカツ屋で、ごぼごぼと麦酒を流し込みながら会話を交わして散会。もちろん会話の内容なんて覚えていない。そういうのが心躍る体験かと問われればまあさほどにもないわけだが、往々にして確認作業は安心が得られるかわりに退屈なもので、それもまたよしとする諦めのよさは、ずばり、老化現象でしょう、仕事仲間と飲みに行って確認すべきは、ずばり、ポジションでしょう、ずばり、ずばり、というまる子の男友達の名を失念しました。
 エレベータで隣の家のわんこと乗り合わせたのだけれど、彼はその愛らしい佇まいとは裏腹に凄まじい獣臭を発していて、リセッシュか、エイトフォーか、どちらを噴射すべきだろうか、息を止める夏の午後。

投稿者 shiori : 11:40 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年08月01日

日記: I work,for it's summer

 祖母の退院の日。病室に迎えに行って、これから家に帰るのだと説明するのだけれど、わかってんのかどうなんだか、人さらいにでも遭ったようなこわばった顔をしていて、失礼しちゃうわと彼女をたしなめつつ帰宅して気付いたことには、あ、聴診器、忘れた、自転車を飛ばして再び病院を往復しておひるごはん、口元におべんとさんをひっつけたまま電車に乗ってスタジオでリハーサル初日。あ〜う〜は〜ふ〜、マイクロフォン片手に青色あるいは桃色吐息。
 今何してるの?、だの、ご職業は?、だのと、現在の状況(とりわけ収入に関する)をよく問われるのだが、ポリティカリーコレクトな身分を持たぬ人間にとってはなかなか答えづらい質問で、例えば「介護がてら歌も歌います、うふふ、いくつか野望もありますよ、あ、そういえば結婚しました」などと答えたとしても相手はなんだかよくわからないから「ヤボー?」などと余計に質問されたりして、こちらもなんだってあんたにこんなこと説明せなあかんの、という気分になってきて非常に面倒くさい。
 となれば、それ以上の詮索を拒むような回答をすればいいのであって、ある時、そうかそうか、「いやあ、ぷらぷらしてんすよ」と答えればいいことに気付いた。すると必ず「どうやって食ってんの」と問われて「いやあ、実家が金持ちでね」(※フィクションです)と答えれば、なんだか汚いものを見る目でねめられるものの話は打ち止めになるのだった(※ノンフィクションです)。
 母にその話をすると、あんたのその厚かましさには頭が下がる、などの嫌味を言われるのだけれど、まあ大学卒業以来10年にわたってけったいな生活を送っていれば、そういうずぶとさは身に付くというもの、まあしかし、他愛ない会話で毎回そこまで工作するのも消耗なので、普段は「季節労働者です」と答えてお茶を濁すことにしている。たいていは予想外の答えに脱力するのか、苦笑されて話は終る。喜ばしいことである。暑い夏は労働の季節なので、はりきって働きたいと思う。

投稿者 shiori : 11:41 | コメント (0) | トラックバック (0)