« 2007年05月 | ホーム | 2007年07月 »

2007年06月30日

日記: くさい

 昨晩はとても暑かったので、窓を全開にして寝た。そうしたら階下の家から立ち上る煙草の煙(および家臭、体臭)が家中にたちこめて、気になってうまく眠れなかった。鷲鼻の魔女がくつくつ煮ている鍋のような臭いだ。土曜の朝に睡眠不足なんて駆けつけ一杯のビールがぬるいよりひどい。おかげで朝からものすごく不機嫌だった。騒音に関しては犬が吠えようが工事が続こうがほとんど気にならないが、くさいのだけは駄目だ。脳味噌が震動して何もできなくなる。他人に比べて順応性も低い気がする。
 最近越してきた一人暮らしの男性なのだが、まあ二階の女が自分の煙草のせいで朝からぷりぷりしているとは思いもよらないだろう。私もきっと無自覚に人に不快な思いをさせているのだろうからきついことは言えないが、これからの季節、何か対策を講じる必要があるな。階下に向かってファブリーズを噴射しても無駄だろうな。
 しかし一日を振り返れば不機嫌なわりには事がトントン拍子で進み、デパートにも行くことができた。折しもバーゲン中で大混雑、海老フライだけ買ってすごすごと帰って来たけれど。実家にお裾わけしたら、スモーク笹かまぼこと高級枝豆をたくさんくれた。海老で何を釣るとやら。

投稿者 shiori : 09:34 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月29日

日記: マリオネット

 おまけのついている商品は気になる。最近はおまけというより二つの商品を抱き合わせ販売しているこざかしいケースもあるが、まあなんといってもおまけの王様は食玩である。とりわけ飲み物系は要注目だ。マニアではないのでシリーズもの(スターウォーズキャップとかブライスとか)を揃えようと奔走するわけではないが、先日コカ・コーラのマグネットが欲しくて買いに行ったら売り切れで、その時はめらめらと炎が立った。
 ワインだとsunriseやtorresなんかには箸だとかピンチョス皿だとかのおまけがついている。白ワインに着せる保冷服なんかもあった。そういう類いは迷わず買う。torresの牛をおまけと呼ぶかは微妙だが取り置きたくなる感じはあって、ちぎって箱に入れておいたら牧場を開けそうなくらいの量になった。いつの間にか消えたので誰かに捨てられたのだろう。
 コンビニの高級缶ビールもおまけが充実している。中でも重宝しているのは3本セット+グラスという箱販売だ。見つければ必ず買っている。だから家のビールグラスはPREMIUMやEBISUのロゴの入ったものが多い。無料というところが実にしびれる。万が一割れてもリーデルのグラスのような深い哀しみはない。
 今日もグラス目当てでプレミアムモルツ黒発売記念ボックスを買った。CHANKO DINING若のロゴが入っているのはご愛嬌として、流線型のフォルムで持ちやすく飲みやすくとても気に入ったので、明日もう一箱買うことにした。ビールを飲みながら説明書きを読んでいたら、CHANKO DINING若にも行きたくなってきた。あたしったらおまけ商法のマリオネット……。でもカレーちゃんこってそそられません?

投稿者 shiori : 10:49 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月28日

日記: ゴルフ

 夏に軽井沢でゴルフをしようという話が浮上している。未経験者がコースに出て大丈夫なのか、と父に聞くと、全然大丈夫じゃない、と一蹴された。でも何度か打ちっぱなしで練習しておけば150くらいにはなるんじゃないの、とも言っていた。150と言われてもよくわからない。Fのコードがぎりぎり押さえられる、くらいだろうか。
 そういう父のゴルフの腕もいい加減なもので、スコアどれくらいなの、と聞くと、中の下、と慎ましいお答えだった。まあそうだろうね、だってドライバーのヘッドカバーが無意味に高いからといって子供の靴下かぶせてるような人だからね(名案だと本人はご満悦)。
 テレビで藍ちゃんのスウィングなんかを観ていると綺麗だなと思う。ああいうふうに打てばボールは飛ぶのだから、ああいうふうに打とうと心がければいいのだな。ふむふむ(イメトレ重視派)。ところでこれを読んでいる人でゴルフをやる人はいるんだろうか。会員権をお持ちの方とか、80くらいで回ってしまう方とか。
 私はしたことのないことをするのが好きである。というかやってみないと気が済まない。これは無理だな、とわかればすぐに諦めるけれど一度は実践する必要がある。でも世の中には初めてのことをやりたがらない人というのもいて、例えば家人なんかは軽くその気があって、○○してみようよと誘うと「……まあいいけど」とノリが悪かったりする。彼の説明によると、要は下手なのが嫌なのだそうだ。だって初めてなんだから下手に決まってるじゃん、と反論すると「初めてのわりに上手いねえ、と言われたいんだよう。わかんないのかよう」と口を尖らせていた。業が深い……。

投稿者 shiori : 14:36 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月27日

日記: クシコシポスト

 ねえねえ、おばあちゃん、と声をかけても反応がないので「ちょいと、そこのお嬢さん」とか「八重子ばあさん」とか「八重蔵さん」とか色々と工夫をするのだが、まあそれでも反応があるとは限らない。しかし今日「姉さん、事件です!」と緊迫した声で言うと祖母は野太い声で「あん?」と返事した。やればできるじゃないか、と母に頭をなでなでされる祖母である。
 おむつも仏頂面で替えるよりは歌でも歌おうじゃないかということで、笑点とかインディー・ジョーンズとかハイジとか、まあ状況が状況なだけにどんな曲でもシュールに響いてなかなか笑える。クシコシポストなんかだと迅速に事が運びますしね。まあなんでもそうだが、私は愉しいのが好きだ。
 『悪童日記』だが、相当おもしろかった。三部作で続きがあるようなのでいずれ読むことになるだろう。1945年前後のハンガリーが舞台なのだが、同じく東欧(こちらはユーゴ)の映画監督エミール・クストリッツァに似通ったセンスがあったと思う。憎しみや哀しみや虚しさが笑いや酒やセックスに転化されそうでされきらない切なさが残る、といった感じか。『悪童日記』は小説という装置を最大限活用してそのことを語っているわけだが、双子の男の子が語り手だったり、あるいは章立てだったり、そういうアイディアが本当に素晴らしかった。要はアイディアなのだ。

投稿者 shiori : 11:49 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月26日

日記: 半角派

 自由が丘で焼肉会食。諸々報告。
 ミートホープの話をした。肉がいっぱい食べられるという理由で中卒で入社、38歳で社長にまで昇進した彼に関して私たちは同じ方向の興味を持っていて、豚の銅像が立ってよね、みたいなことを言い合った。それにしてもあの工場長は気の毒だったな。追い込まれて脂汗を垂らす人を久しぶりに見た。自殺しないといいのだけれど。
 カフェバーでシャンパンといちじくのショートケーキ。時々はケーキも食べる。年間15個くらいだろうか。ふと隣のテーブルに見た顔がいるなと思ったら氷川きよしだった。躾のできていないミニチュアダックスフンドを抱いてビールを飲みながら「どうせ最後はみんな死ぬんですから」みたいなことを言っていた。
 今、急に思ったのだが、私は全角英数が苦手である。

「PK戦を4−3で制したROMAが2年連続V!」

「PK戦を4-3で制したROMAが2年連続V!」

 全角英数を目にすると「詰めて、詰めて」と妙に慌ててしまう。太ももがはだけたままで寝転がっている女性を見るような心地なのだ。それに比べると半角英数は小股の切れ上がった女という感じだ。オノマトペで表すと全角は「でろん」、半角は「きゅっ」である。しかしまあ「でろん」でも徹頭徹尾「でろん」ならまだ味わいがないこともないのだが、

「PK戦を4−3で制したROMAが2年連続v!」

といった混沌とした書式を採用する人もいて、こういうのは参る。文字を切り抜いた脅迫文のようだ。こういう人は部屋の整理とかも苦手なんじゃないかしら。ハンカチを拾ってあげても気付かないタイプかもしれない。あまり親しくなれないかもしれない。
 書式の統一は案外大事である。

投稿者 shiori : 10:53 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月25日

日記: うつ病

 30代のサラリーマンにうつ病が急増している、という趣旨の番組を観た。責任ある立場を任されて膨大な仕事量と多大なプレッシャで心身のバランスを崩すのだという。病気というのは個人的なものだから、まあそんなふうに類型化できないそれぞれの事情があるとは思うが、ここまで増えると社会問題として扱わざるをえないむきがあるのだろう。
 でも知人の精神科医に言わせると、かつてはたとえば39℃熱が出ないとうつ病とは診断されなかったのに今は37.5℃でもうつ病と診断されることで余計話がややこしくなっているのだという。中には診断されることで本当にうつになってしまう人もいるらしい。うつというよりは会社に行かなきゃいけないという強迫観念の人が多いんだよね、と彼は言っていた。そういう患者は「もう会社に行かなくていい」となるとぱっと治っちゃうんだよね、と。
 番組も会社に復職するのを前提として話を進めていたし、世間もうつを克服して会社へ戻ろうという風潮のようだ。確かにそれが可能ならば問題はない。でも番組でも取り上げられていたが、うつ病を隠して再就職してでもやっぱり無理で、みたいなことを繰り返している人がいて、それを観て私は、もう会社はいいんじゃないの、と思った。マンションのローンが、とか、子供の教育費が、といった事情があるような論調だったけれど、たとえどんな事情であろうとお父さんの健康に比べたら些細なことじゃないか。人間なんて基本的には最低限の衣食住で幸せに暮らせるはずなのだ。あるいはこれは私のように会社から遠く離れた者の意見なんだろうか。
 具合が悪くなる、というのはその人にとってその生活がキャパシティオーヴァー、という意味だ。ならばキャパに合わせて生活を変えるしかない。単純な足し算引き算の話だ。でもそれがさっとできる人は少ない。確かに「できていたことができなくなる」という失望や絶望は言い得ぬものがある。私も経験があるからわかるし、祖母と一緒に暮らしているとそんなことばかりだった。
 でもこんなこともあった。初めて排便を失敗した日、祖母は「死にたい」と訴えた。「残念でした、まだ死にません」と答えると、祖母は深い溜息をついたあところころ笑い出して、しまいには「もうええ加減にせえよ」と笑いながら怒鳴った。そこには再び歩き出す強さがあった。できなくなる、のは恥ずかしいことでも悔やむべきことでもない、新しい自分になるのだ。それはそれで素敵だなと思った。ぶつかれば方向を修正すればよろしい。なんてったって、世界は無限に広がっているのだ。

投稿者 shiori : 10:59 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月24日

日記: 不思議ちゃん事情

 日曜は私の介護当番なので、昼はいつも実家で食べる。今日はお好み焼きを食べた。昔から肉天と呼んで、たこ焼きと並んで日曜昼の定番メニューである。日曜は母が教会へ行くので、関西人である父が食事係だったことに起因している。その習慣はいまだに変わらない。父上の作った粉ものを「美味しいですね」と言って頂いている。その他、焼きそば、ラーメン、チャーハン、ソーメンなど、そのあたりをぐるぐるまわし食べるのがサンディブランチである。
 昨晩途中で寝てしまった『アメリ』の続きを観る。また寝そうになった。つまりおもしろくなかった。不思議ちゃんの存在意義が理解できないことが原因だろう。でもあの映画に不思議ちゃん志望の女子が殺到したのはなんとなくわかる。でも不思議ちゃんになりたいと思っている時点で不思議ちゃんではないという根源的矛盾に彼女たちは気付いていなかったようだ。
 不思議ちゃんというのはナマものを拒否する生き物である。一般的にどうでもいいとされることにやたらこだわりを見せて、大事なことはさらっと受け流す。でも最近は不思議ちゃんも流行らなくなった。今はナマものを強調するえげつない女子が台頭している時代だ。YOUとか梨花とかが一役買っている気がする。私としては不思議ちゃんよりはずいぶん好ましい。
 一方、不思議くんというのもいる。こちらは増殖傾向にある。くるりの岸田くんを真似たような男子。眼鏡は目が悪くて不自由する方のみ着用して頂きたい。男はオスらしく精子の濃度を保って頂きたい。当然だけれど、岸田くんは不思議くんではない。

投稿者 shiori : 09:37 | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年06月23日

日記: ユニフォーム

 体調はすっかり回復したけれど、今度は集中力がない。ぼうっと窓の外を眺めたり、読みかけの本を2ページくらい読んだり、冷蔵庫を覗いたりして過ごす。毎日しゃっきりしているのはむつかしいものである。
 おかげで余計な情報も入手した。向かいの家のすだれ夫婦の夫のほうが先日レアル・マドリードのユニフォームを着ていたのだが、その彼、昨日はBECKENBAUERと記された西ドイツのユニフォーム、今日はなんとZICOと記されたカナリア色をまとっていた。
 単なるミイハアなのか、往年の名選手を好む渋いファンなのか、あれこれ思索を巡らせたが(暇すぎる自分がちょっと怖い)、確かなのは彼はユニフォームを着用するほうのサッカーファンであり、私はしないほうのサッカーファンだということ。この溝は意外と深い。どうせならマラドーナのを着ればと思ったり。
 六時になったのでビールを飲み始め、今日という日をしたたか葬ってやった。飲酒とは弔いの儀式なり。

投稿者 shiori : 10:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月22日

日記: へちまちゃん

 体調がすぐれず禁酒。本当に稀だけれど、そういうこともある。
 お腹が痛いだとか吐きそうだとか熱が出たとかそういう症状ならともかく、どこがどうということもないがなんかしんどい、それも結構しんどい、みたいなのが厄介だ。癌、ではないとは言い切れないよなと気を揉む。まあ実際癌だったことはないのが有り難き幸せなんだけど。
 こういう時の理想の対処法は絶食・不動である。一度身体をからっぽにすると不思議と直る。デトックスである。自家中毒で苦しんでいた時分に学んだ。今日も日中はそんな感じで過ごして、夜に白米を少々食べてペリエをたくさん飲んだ。
 食後に『フラガール』を観る。主演の松雪さんが助演の蒼井さんに食われていて気の毒だった。編集の問題もあると思われる。蒼井さんはへちまみたいで可愛い。得意のダンスを披露するシーンがたくさんあって、中でも膝を折って仰向けにぺたっと潰れる姿勢からゾンビのように起き上がるくだりがあって、映画を見終わったあとその真似にいそしんだ。なかなか難しくて、へちまちゃんのように優雅にはいかない。練習は夜更けまで続き、気付いたら体調も回復していて明日には酒が飲めそうだ。

投稿者 shiori : 08:57 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月19日

日記: 鍋敷き

 最近私のマック(iBOOK G4)が熱い。文字通り熱いのである。左の掌を乗せるあたりが異様な熱を帯びていて、マックを置いた机も熱くなっている。ハードディスクなんかに悪いんじゃないかと心配になるが、調べたところによると特に問題はないらしい。本当だろうか。
 熱くなるのは仕方ないならせめて机からマックを浮かせて熱を逃がさなくては、と考えて家をぐるりと見渡したところ、いいものを見つけた。鍋敷きである。X字型にゴム棒を組んだ一風変わった形状をしていて、色は黄緑、北欧製のお洒落な一品だ(使いづらいと不評)。これが役に立った。接地面積が狭いので、机とマックの間にそよ風が吹く。厚みがあるので続けてタイプしていると疲れるのが難点だが、隙間に保冷剤も入るので更なる効果が期待できそうだ。この夏は鍋敷きで勝負である。
 夜は日本橋薮伊豆総本店で宴席あり。ゼネコン各社で行われている賭けゴルフの実態について興味深く拝聴する。麻雀でも何でもそうだが、賭けたら必ず腕はあがる。そば焼酎そば湯割りというのを少々飲み過ぎて酒乱夫婦、車中喧嘩しながら帰路につく。関係があるかどうか知らないけれど、私には酒乱夫婦の友人がめっぽう多い。

投稿者 shiori : 13:22 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月17日

日記: share with me?

 父に電動歯ブラシをプレゼントした。ヘッドごとぐるぐる回って虫の羽根のようなへらで歯垢をかき出しながら歯茎を優しくマッサージ、という口内カーニヴァル的ブラシである。もちろん私も使ってみたい。でも父が嫌がるので留守中にこっそり使ってみるつもりだという話をした(cf.05.6.7の日記)。
 すると家人は「そういうの平気なんだ」と目を見張った。彼は親の歯ブラシは絶対に嫌だという。私や兄弟と共用したことあるじゃん、と言ったら、とにかく親のは無理なのだと言い張った。
 興味があったので掘り下げて聞いてみると、友人のはまったく問題なく使えるという。うちの祖母なんかのも「えいや」と思えば使える、と頷く。基本的に知人と女性はOKなんだそうだ。お隣のおばさんのも大丈夫だと言っていた。じゃあ小泉さんや安倍さんは?と聞くと、彼らは平気だけどムネオは無理だし神崎さんも厳しい、と眉をひそめ、皇太子は?の質問には「何千年の歴史への好奇心があるので使ってみようと思う」と抱負を語っておられた。安倍さんは大丈夫なのに親のは無理だというのもおかしな話だが、まあそういうのは生理的なものだから理由を聞いても仕方ないのだろう。
 むろん好んで使いたいわけではないが、私は基本的に誰のでも平気である。図書館の本と一緒で拭くなりすすぐなりすればいい。これを読んでいるあなたのももちろん平気である。あなたは嫌かもしれませんけど。

投稿者 shiori : 09:39 | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年06月16日

日記: キャットストリート

 暑い……。まだ蝉も鳴いていないのに終戦記念日くらいの日射し。シミがこれ以上増殖するのを恐れて今年から日焼け止めクリームを使用しているのだが、あの匂いは海水浴に来ている気分になっていけない。むやみやたらリゾート感覚のこの頃である。水着を着なくなって六分の一世紀くらい経つというものを。
 通称キャットストリートと呼ばれる道がある。呼ばれるも何も私が勝手に呼んでいるだけなんだけれど、しかしその名のとおり日が陰ってくると右の土塀に一匹、左の階段裏に一匹、という具合に猫が現れて、仲良くなりたいのでまたたび入りジャーキーを与えて餌付けすることにした。猫も人間も餌付けが一番効く。
 でもジャーキーを買った途端にどういうわけか猫を見かけなくなってしまった。がっかりだ。そして今日も虚しく「ちょちょちょ」と舌を鳴らして帰って来たら、おやまあ、家の階段のところに黒と白のぶち猫が座っていた。にゃあ。キャットストリートで時々見かける子である。猫もこちらを見上げてにゃあと鳴く。でもここで餌を与えて居座られたらことなのでジャーキーはあげなかった。借家暮らしの哀しい性。ところで猫の行動範囲はどれくらいなんだろう。500m四方くらいだろうか。
 夜はプリンスホテルで中華会食。確かにお酒はぬるめのかんがよい。肴はあぶったイカでは困るが、無口な女はべしゃりな男よりはよいかもしれないと思った。

投稿者 shiori : 10:07 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月15日

日記: sweet

 マンションのエレベータに乗ろうとしたら、中学生とおぼしき少年が開ボタンを押して待っていてくれて嬉しかった。子供ってのは本当に優しい。大人は誰かが入ってくる音が聞こえても聞こえないふりして閉ボタンを押すからね。先にしゃあっと行ってしまうからね。礼を言うと、彼は恥ずかしそうに会釈した。

「部活の帰りですか?」
「はい、そうです」
「何の部活に入っているの?」
「囲碁将棋部です」
「まあ、そう。僕、強いの?」
「……ええ、まあまあ強いです」(照れる)
「すごい、いいねっ。そっか、囲碁クラブか……」(遠い目をする)
「違います。囲碁将棋部です」(きっぱり)
「がんばってくださいね」
「はい、さようなら」
「さようなら」

 子供と話すのは愉しい。

投稿者 shiori : 10:43 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月14日

日記: can jump

 降ったり止んだりしていたが、夕方からざんざん本降りになった。iPODがあれば荒天も人混みも多少ましになる気がする。頼もしいやつである。今日はbabyfaceとbeethovenとbilly joelを聴いた。boatは入っていないので聴かなかった。
 伊藤比呂美さんの新刊『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』を買った。文芸誌に掲載されていたのを立ち読みしていて、早く単行本にならないかなと首を長くして待っていた本である。詩と小説の違いは様々言う人があるが、私にとっては「飛ぶ」か「飛ばない」かである。詩は飛ぶ。ひょいと飛んで思わぬところに着地したり、思っていたより少し手前で着地したり、詩を読む醍醐味とはそういう思考の飛行だと考えている。
 しかしそのぶん読者に強いるものが大きいので詩は売れない。詩を好んで読む人なんてパチンコ人口の1%にも満たないのではないだろうか。世の中でもっとも食えない職業は詩人だと言われる所以である。
 高校の同級生にお父さんが詩人という子がいた。その道では受賞経歴もある結構名のある詩人だ。それでも食えないから、ミステリーの翻訳とか(そういえばポール・オースターなんかも)をしていて、一日中家にいるようなことを言っていた。その話を聞いてものすごく羨ましかった覚えがある。彼女はその後東大で哲学を学び、ジャック・デリダなどを訳してご活躍と聞いている。やはり父が違った、と思う。

投稿者 shiori : 08:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月13日

日記: 図書館ユーザ

 実は歩いて5分のところに図書館がある。でも私は本にぺたぺた知らない人の手垢がついているのとか、頁の間に知らない人の毛とか分泌物が挟まっているのとか、妙な折り目がついているのとか、そういうのが大嫌いなので素通りしていたが、そうもいってられない事情もあって最近ようやく利用するようになった。(いやらしい話をすると、借りてきた本は除菌アルコールティッシュで丁寧に拭いてから読んでいます)
 今日は森先生の本を4冊返却して、レイモンド・カーヴァー全集を二冊とアゴタ・クリストフ『悪童日記』を借りた。海外文学が充実していて頼もしい。後者は義母と義兄1号の推薦本で、私も読みたかったもの。
 そう言えば先日義母が遊びに来たとき、中上健次の『讃歌』という全編どろどろセックスみたいな本(まあ全部そんなようなものだけど)を手にとって「これ借りていこうかしら」と言ったので、妙に慌ててしまった。本の貸し借りというのは場合によっては会話よりもずっと饒舌で危険なのだ。結局『讃歌』はやめて比較的ポピュラーな『岬』と『枯木灘』を持って帰って頂いた。まあ大差ないよなと思いつつ。
 カーヴァーのほうはやはり何回読んでも素晴らしくて感動してしまう。今日はださい夫婦と孔雀と不細工な赤子の登場する話を読んだ。このアイテムを思いついた時点でこの小説はすでにマスターピースである。
 風呂上がりに、ほいっ、とY字バランスをとって見せたら「おぬし、なかなかやるな」と家人に褒められた。最近とんとそういう機会が減っているが、生来褒められるのは好きなたちである。

投稿者 shiori : 11:21 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月12日

日記: not passive but active

 ぐんと晴れ上がった。
 もうこうなったら洗濯せずにはいられない症候群である。洗濯かごはもちろんのこと、押入の隅にももぐってある(※ももぐる、とはくしゃっとまるめるという意、語源不明)謎のシャツやら椅子にひっかけてある謎のタオルやらも洗濯槽に放り込む。そして物干竿いっぱいに干した。抜けるような青空のもと赤や紫、桃色に群青に白の布がぱたぱたはためいて、とってもお洒落。しかもまだ午前8時半。今日はまだ始まったばかりだ!
 しかし終わってみると、そんな胸の高鳴りをそよにこれといって言うべきこともない一日であった。まあそんなものである。
 とはいえ愉しくないわけではない。昔はイベント(主に飲み会)だけに愉しみを求めるようなところがあった。今日は予定がないからつまらない、なんて思ったりしていた。若いというのはそれだけで退屈なものなのだ。今だってもちろんイベントがあればうきうき出かけるけれど、予定のない今日みたいな日も十分に愉しめるようになった。刺激的でおもしろいことは人から与えられるのではなく自分で作り出すものだと知ったからかもしれない。
 今年初めて冷や奴を食べた。これから秋口になるまで1日おきに食べることになるだろう。絹よりも木綿派である。

投稿者 shiori : 12:34 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月11日

日記: 口を締める

 倹約はあまり趣味ではないけど、そう悠長なことも言ってられないので知恵をしぼってあれこれ励んでいる。ただ削れないものは削れないし(酒代とか書籍代とか服飾費とか)、光熱費や通信費を節約したところでたかが知れているし、となると食費をカットダウンするしかない。
 一年くらいあれこれやってみて、とにかく外食を自粛すればかなりの節約になることがわかった。外で飲めば一杯600円のビールも缶ビールを買って飲めばコストは三分の一に抑えられる。外食すれば一人5,000円なんて安いほうかもしれないが、スーパーで5,000円分の食材を買えば4人家族が少なくとも2日は暮らせる。もちろん昼は弁当持参。外食の効用にかどわかされたり料理の手間を惜しんだりしてはいけない。節約とは数字が命、税率や金利のように事情をおもんぱかることなくずばと切り捨てるのだ!
 まあ毎日あれだけ酒を飲んでおいてずばも何もない気はするが、所帯を持ってどういうわけか貧乏になったので(小声で)、わたくしなりに努力はしているつもりである。
 ぱっとお金を使う快感に比べれば大したことはないけれど、それでも「わたし、今、節約してます!」という感覚はそう悪いものではない。以前は自販機とみればペットボトルを買っていた私だが、今はふふふんと腰を振りながら通り過ぎる。なぜなら私は自作した烏龍茶を持ち歩いているからね。ざまあみろ。よくわからないがそんなことを思って気分が良い。

投稿者 shiori : 09:37 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月10日

日記: heroic

 昨晩から降り出した雨はまだ止まず。朝から雷がごろごろ鳴っている。こちらも負けじとごろごろ過ごす。
 プリンセス天功のブログがすごかった。三代目候補はいるんだろうか。普通の手品師はうんうんうなってタネを考えるが、彼女の場合は夢で見たヴィジョンを再現するだけなので眠ればいいのだそうだ。一種のドリームコンタクトである。と横尾忠則が言っていた。私が人の日記を漁り読みするのはだいたい現実から逃避している時である。
「スター・ウォーズの曲、歌って」と頼まれたので口ずさんであげた。「じゃあインディー・ジョーンズの曲、歌って」と言われて「ん?」と思ったがなんとか歌い出して、でも途中からスター・ウォーズになってしまった。「じゃあスーパーマンの曲は?」と挑まれたが、もはやスター・ウォーズしか浮かばない、いや厳密に言うと、スター・ウォーズのメロディさえも粉々に消えてしまいそうで、「じゃあ特攻野郎Aチームの曲、歌って」というのは無理な相談でしょう。
 アメリカの画一的価値観を堪能する夕べである。いつの間にか雨上がり。

投稿者 shiori : 10:06 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月09日

日記: 91 indeed

 祖母の誕生会。総勢10名が集まった。皆でハッピーバースデイを歌ってあげた。ふぉふぉふぉ、と身体を揺すって喜んでいた。
 91歳になった。去年もおととしも91歳おめでとうと祝った記憶があるが、どうやら今年が本物の91歳だったようだ。そう言えば私も30代になってからというもの自分の歳にすっかり興味がなくなって、31か32か33か、わりと頻繁に間違える。32が正解、と思う。20代後半のぴりぴりした感じが懐かしい。
 久々の酒池肉林であった。黒毛和牛のローストビーフ、アスパラガスのキッシュ、いさきのクリームソースしそ風味、魚介のテリーヌ、ささみ明太子ロール揚げ、サラダ、枝豆、笹かまぼこ、ガトーショコラ、宮崎マンゴ(一個7,000円!東国原知事就任による暴力的高騰)、プレミアムモルツとシャンパンと焼酎、食べられない祖母を尻目にがっつり食らう。
 べそをかいてかわいかった従弟が「家族サービス」などという言葉を平然と口にしていたので恐れおののいた。まだ25やそこらでも就職して家庭を持って子が産まれたりすると、男根主義への道を歩み始めるんだろうか。人の家のことなので口出しは無用と心得ているが、いい男はそのような野卑な言葉は使わないものである。

投稿者 shiori : 10:58 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月07日

日記: すだれ

 行きつけの洋服屋さんから遅ればせながらお祝いにと福々しいお面が送られてきた。その写真がこちら、と格好良くやりたいものだがカメラを持ち合わせていないので口で説明すると、豆絞りを巻いたひょっとこ顔の男性といかにも子をたくさん産みそうな下ぶくれの女性のお面なのだった。洋服屋さんはさすがセンスがいいなあと感心。大切に飾りたいと思う。
 この春向かいの一軒家の二階に新婚夫婦が越してきた(外階段をつけて二階部分を賃貸ししている)。似たような年格好の夫婦で、夫は朝7時15分に家を出て、午後6時に判でついたように帰宅する。妻は朝8時半に出かけて昼の1時過ぎに戻る。パートにでも行っているのだろう。なぜそんなに詳しいかというと、彼らの家の玄関(つまり二階にある)が私の家のベランダに面しているので、日がな窓辺でくだらぬことをしている私にとっては金魚鉢を眺めるようなもの、距離的にもこちらがじゃっとカーテンを開ければばっちり目が合うくらいなので見る気がなくても見えてしまう。
 ちなみに彼らは愛煙家である。屋内での喫煙は禁じているのだろう、玄関を出たところ(外階段の踊り場)に小さい椅子なんかを置いて夫と妻がかわるがわるすぱすぱやっている。朝は忙しい。起き抜けに一本、飯食って一本、仕上げに一本、パジャマ姿だったり頭にタオルを巻いていたり背広を着ていたり、まあよくやるわという感じではあるが、いったってこちらも逐一眺めるほど暇ではないので気にせずやり過ごしていたのだが。
 今日出先から戻ってふと窓に目をやると、踊り場の手すりにだだだっとすだれがかけられているではないか。喫煙所が目隠しされているのである。明らかに私の視線を防止している……。見ねえよバーカと思った。まあしかし実際見ているのであって、でも断じて言うが見たいわけではない。彼らを意識して生活したいわけではない。ということは、あちら先導で事が運んでいる不満感は多少残るが、すだれは正解かもなと思い直した。家人は、対抗してこっちもベランダにすだれを立てたらどうでしょう、ところであのすだれはどこで買ったのかしら、島忠かしらオリンピックかしら、と言っていた。さあ、どうかしら。

投稿者 shiori : 09:42 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月05日

日記: ダイナモ

 キリン杯日本vsコロンビア。
 オシムジャパンはなかなか健闘しているのではないでしょうか。ミッドフィルダーあたりの人たちは監督の意図を汲んで理知的なサッカーを目指しているように見えたし、俊輔があのチームで本領を発揮するにはもう少し時間がかかるがいずれ馴染む気がするし、高原は去年とは別人のようだし、この調子でいけば2010年W杯にはなんとか出られるかもしれない。むろんすごく苦しむとは思うけれどアジア枠も現状維持で4.5枠だし(過保護)。注目選手は羽生。目が狂っていてよろしい。北沢なきあとダイナモ後継者の呼び声高し。ダイナモキングはもちろんネドベドだぜ。
 夕食は牛タン塩焼き(仙台のは本当に旨いね)、イカとセロリの炒めもの、かんぱちの刺身、春雨サラダ、焼き茄子とトマト、かぼちゃのスープ、妙に品数の多い食卓だった。仕上げにマンゴプリンまで食べてしまって、過食でうんうんうなる。それでもこれから秋口にかけて毎年やせ細るので、冬眠前の熊のように食べ溜めしとかなくてはいけない。

投稿者 shiori : 11:18 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月04日

日記: coming soon?

 祖母の話である。今までにも「これはもう駄目かな」と覚悟をすることが何度もあって、その都度命は細るのだけれど消えはしなかった。まだ先があったのか、とうなる感じである。元を正せば身体が丈夫だから90まで生きているのであって、脳出血や脳梗塞を起こして身体が不自由になったとしても命に別状はない。それにもしばかでかい癌細胞があったとしても、進行が遅いのでどうってことない。ベッドの柵に足をぶつけて痣ができるほうがよほど問題である。
 それでも最近ようやく死が見えてきたと思うのは、自分の唾を飲み込めずに咳き込むことが増えたからだ。今日なんて5時間くらい咳き込んでいてかわいそうだった。あれがふとした拍子に肺に入って肺炎を起こして死ぬというのが大往生のステレオタイプなのだそうで、すでに祖母の胸には雑音が聴こえているようだし、まああちらへ旅立つ日も遠くはない感じがする。あくまで感じがするだけなのだが。
 夜は母と口論になった。結婚して家を出た娘にまだ何か?という感は否めないが、祖母と母もつい数年前まで激しい喧嘩をしていたので、母娘とはそんなものなのかもしれない。どんなに長引く口論であっても「どうしてあんたはそんなふうなんだ?」「いやだって、あなたとは違う人間ですから」以上の結論は得られないのが常だが、たとえそうであっても言いたいことを言わないよりは百倍良いと思っている。

投稿者 shiori : 09:34 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月03日

日記: それで俺

 街を歩いていて感じるのだけれど、数年前にくらべて明らかに人が増えている。平日の昼間なのに街角には暇そうな若者がたくさんいる。学校を卒業しても就職しない人が増えているのだろう。家にこもりっきりの人もいると聞く。生き方が多様化するのは結構なことだし、自分が納得しているなら何の問題もないと思う。でも「それで俺、何すればいいんだっけ」みたい感じだとちょっとまずい。就職していたって同じことだ。そういうのは若いうちはともかく、年をとってからきつい。空虚に飲まれて心が死んでしまう。美しいとか愉しいとか哀しいとか心が揺れぬまま、命が切れるのをひたすら待たなくてはいけない。そういうのって地獄である。
 再び豚バラブロックを買って来て、ゆで豚を作った。最近凝っている。今日は香味野菜ソースと味噌ソースとからしマヨソースをじゅんぐりにつけて食べた。あとは筑前煮とサラダとジーンアンドデルーカのパン。
 入念に柔軟体操をして、11時には就寝。日曜は早く早くと前倒しに忙しい曜日である。そういえば私はよく『1・2の三四郎』の登場人物と同じ台詞を口にするらしい。未読なのでそれが栄誉なのかどうかはわからない。

投稿者 shiori : 09:23 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月02日

日記: 印象の違い

 相田みつをっていいよね。
と友人から同意を求められたと家人が言う。それで何て答えたの、と聞くと、面倒くさいからそうっすねと答えておいた、のだそうだ。それはいけない。面倒くさくても、どこが好きなんですか、とか、好きな詩は何ですか、とか聞くべきだと私は思う、というか実はあんたみつをが好きなんじゃないの、みたいな話になって、ねえ、みつをごっこしようよ、みつをの気分で喋ろうよ、とみつをみつを騒いでいたらあやうく遅刻しそうになった。みつをにはあまり馴染めない。だってにんげんだもの。
 音羽にて森先生の講演会。人生初のファンイベントである。しつけのいい若者が多かった。講演内容は森先生も言っていたように日記を精読している人にはおなじみの話が多かったが、何といっても森先生と四次元を共有できたのが収穫だった。思ったよりも物腰の柔らかい穏やかな人だった。
 別にプロの物書きに限らず友人のメールなんかを読んでいても感じるけれど、文章の雰囲気と実際に会う印象は異なる。実は饒舌な人なんだなとか意外と理路整然なんだなとか。多かれ少なかれ人はペンを持つと別人格をまとうのだろう。私なんか特にそうだ。そもそも会って喋るのが苦手なので、書くほうが自由に大胆に話せる。自己嫌悪も少ない。
 夜はウディ・アレン監督の『マッチポイント』鑑賞。完璧。あんなに無駄のない脚本を書ける人はそうそういないだろう。でも私はやっぱりウディの撮るニューヨークが好きだ。もちろん今回の話はロンドンでなくては駄目だったと思うけれど。それにしてもスカーレット・ヨハンソン、あんなに何もかもセクシーで大丈夫だろうか。女の私でも抱きついてキスしたくなってしまいそうなのに。

投稿者 shiori : 10:42 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年06月01日

日記: ダヴィンチ展

 レオナルド・ダ・ヴィンチ展へ。
 思ったほど混雑しておらず、そこそこゆっくり観られた。力学、解剖学、幾何学、絵画など、彼の残した研究はどれも奇抜なアイディアに満ちていて、当時の技術や情報量を考えれば魔法使いか狂人かというところだが、実はその心はとてもシンプルで、この世のすべてをもっとも簡素で美しい法則によって説明したいと願っているだけなのだった。科学者というのはいつの世も潔癖である。『受胎告知』も『最後の晩餐』も科学者の描いた絵だ。猥雑で気まぐれなところのない、静かで整った絵。売店で図録集を買って帰った。
 渋谷で食事をしたのだけれど、その店のバイトがとんでもないうつけ者で、まあつまりはそんなバイトを雇ったその店がうつけということになるが、最近外食をしていて思うのは皆今そこにある状況を乗り切ることに精一杯で、お客に再び来てもらおうなんて考える余裕がないようだ。そういう人がサービス業に就くのはまるで音痴が歌手を目指すようなもの、だからあの近辺の店はばったばったと潰れていく。虚しい。

投稿者 shiori : 09:28 | コメント (0) | トラックバック (0)