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2006年10月28日

日記: old friends

 結婚式でお世話になった友人たちの慰労会。20名以上集まり、楽しく飲んだ。少し前は全員二十代だったのに、気がつけば全員三十代になっている。社会の平均で言えば圧倒的にスロウな私たちだが、それでもこの数年は結婚や出産などの慶事が多く、とうとう家を購入する人まで現れた。あんなに0がたくさん並んだものを買えるなんて、少し前には2,000円の飲み代にも難儀していたのに、すごいと思いませんか。知らぬ間に友人が声変わりしていた気分である。だってもう36だよ、と本人は笑うけれど。
 むろんいいことばかりではない。生きている以上仕方のないことだけれど、皆多かれ少なかれトラブルを抱えて生活している。年齢が上がるにつれて、トラブルはますます深刻になっていく。友人たちを見ていてもそれがびしびし伝わってくる。しんどいけれど、甘んじて受け入れ黙々と対処していくしかない。結婚したって子供が生まれたって、それこそどんな良い友人がいるからといって人生の暗い部分を回避できるわけではないのだ。それでもこうやって話のできる友人がいれば、回避はできなくともトラブルと向き合う勇気が湧くかもしれない。
 一人減り、二人減り、最後まで飲んでいたA夫婦と私たち、日常についての意見交換をして互いに親しむ。表に出ると冷たい雨が降っていた。ずいぶん長いこと飲んでいたものだ。

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2006年10月25日

日記: burn or bury

 日本では火葬が当然なのだが、世界的にみるとまだまだ土葬が主流である。ヨーロッパではいまだ20%未満にとどまっているようだ。キリスト教が火葬を禁忌していることが原因のようだけれど、考えてみれば死んだ者を土に帰すというのは自然な発想なのであって、火をつけて燃してしまうほうがよほど不自然である。火葬場で焼かれる直前がもっとも哀しいとよく言うように、形あるまま埋められるのと灰になってしまうのとでは心象がずいぶん異なるのだろう。かといって人口360億の時代、そのままの大きさで埋めていたら地球は死体だらけになってしまうので、火葬への移行が増加しているようだ。衛生面の問題ももちろんある。
 それにしても欧米は本当に土葬の国なのだなと感じ入ることがある。例えばゾンビなんてものは火葬の国にはありえない。辞書をひくと「呪術によって生き返った死体」とあるが、結局土葬の場合には仮死状態のまま葬られて棺桶の中で息を吹き返し、自力で脱出したところを目撃されるなんてことが実際にあったのだろう。棺桶の裏蓋に引っ掻き傷がついていたという話も聞いたことがあるが、とにかくトドメを刺していないので死んでいない可能性があるのだ。夜なんてとても恐ろしくて墓地には行けない。死体が歩くのに比べれば火の玉が飛ぶくらい大したことはない。
 またキリスト教にしても、あれは火葬文化では生まれなかった宗教である。イエスの復活(ゴルゴダの丘で磔にされたイエスが3日後によみがえった)はキリスト教の根幹をなす重要な教義なのだが、まあ普通に考えたら死んだ人は生き返らないのであって、それがよみがえったりしてワッツゴーインオン、それでも墓に埋められたイエスがすっくり起き上がって歩いたというのはありえなくはないと思うのである。積極的に信じるわけではないが、仮死状態だったことに加え、強い霊性を宿した人間ならばありうるのではないだろうか。
 しかしこれが火葬だったら、いったん形を失った者が再び形をまとって目の前に現れる、もうほとんどオカルトの世界なのであって、イエスの復活は一気にトーンダウンしてしまう。土葬でも火葬でも水葬でも復活したのだから復活したのです、という信者さんも多いか知らないが、私には土葬というのが最高の匙加減に思えてならないのだった。

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2006年10月23日

日記: N氏のこと

 N氏を初めて紹介されたのはかれこれ10年前のことである、その時は単なるレーベルの偉い人で、誰かの介在なしに話をするなんてことは考えられなかったのだけれど、紆余曲折あって現在では公私共々お世話になっている人物だ。頼まれた仕事をすっぽかすという不義理を働いたこともあって、N氏もそのことは忘れていないと思うのだけれど、忘れたふりをして仕事を回してくれる。有り難いことである。もう二度と裏切れない。
 彼は数少ない、私の才能を評価してくれる人物でもある。いいですねと褒めてくれる人はあっても、実際に仕事を回してくれる人は本当に少ない。歌を歌ってみないか、詩を書いてみないか、と様々な機会を与えてくれてはきちんとお金を支払ってくれた。最近では、文才があるから何か書きなさい、と編集者を紹介してくれたりするほどで、その期待にちっとも沿えていない自分が腑甲斐ない限りなのだが、とにかくN氏の尽力には感謝感激アメアラレ、ますます裏切ることはできないと思う。
 実はN氏はその世界では相当名の知れた人である。日本にATLANTIC LABELを持ち込んだのは彼だったし、日本にブルース・ブラザーズを招聘したのも彼だった。SOUL MUSICを死ぬほど愛していて、その普及のために尽力し結果を出してきたわけだ。しかしながら普段付き合うぶんにはそういうことは関係ないので、優しくて短気、ハートフルなのだけれどお腹が減ると機嫌の悪いおじさんという感じで、まあ楽しくお付き合いさせて頂いている。しおり、おまえ、ほんと、よく飲むな、と呆れられた回数はカウントレスである(ちなみに彼はGECO)。
 そのN氏のお父さんがお亡くなりになったので、お通夜に参列した。頂いた地図に「東上セレモニーホール 鶴が丘」とあって、果たして首都圏なのかと疑ったというのは失礼なのだが、正味な話、精神的には圏外であった。雨のそぼ降る夜に喪服を着て見知らぬ駅に降り立つというのは土スペあるいはホラーの世界というのもまた失礼なのだが、心もとないことこのうえない。それでも赴いてお焼香をしてきてよかった。むろん恩着せがましく言うつもりもないし、何かを期待しているわけでもないけれど、N氏は人からしてもらったことを忘れずにお返しをする心意気のある人だ。そういう人に何かをしてあげるのはちっともやぶさかでない。むしろ喜びである。

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2006年10月21日

日記: のっけもん

 新米の季節である。一日二合炊く。以前は節約と称してドンキホーテの安米(10kgで3,000円)を買っていたけれど、あまりの不味さに音を上げて、5kgで2,500円のコシヒカリにレベルアップした。まず米の白さに感激。おそらくドンキ米は古々米かブレンド米だったに違いない。お釜のせいで米が黄色いのではないかと疑っていたが、真っ赤な冤罪であった。
 それにしても、炊きたての白米をはふはふ食べる幸せったらちょっとない。私はかなりのパン好きだけれど、やはりどっちかと言われたら白米だろう。夜は酒を飲むので食べないけれど、昼は味噌汁や漬け物やなんかで軽く二膳は頂くのが常である。むろん白米だけでも十分美味しいのだけれど、ずっと同じなのも退屈なので、なんやかんや乗っけて食べることになる。今日はその乗っけものに関する話。
 まずはオーソドクスなものから。必ず常備されているものと言い換えてもいいのだが、まあ何と言っても、生卵だろう。卵を溶いて醤油を垂らしたものをかけて混ぜ込む、例のあれである。私はあれが大好きで年柄年中ずるずるやっていたのだけれど先日母にこっぴどく叱られて、というのは高脂血症うんぬんの問題、とにかく毎日同じものを食べるのは止すことにした。
 となると、冷蔵庫に常時あるのは梅干し、岩海苔、なめ茸、ふりかけの類いである。これを乗っけて海苔で巻いて食べる。岩海苔を海苔で?と大ちゃんが目を丸くするけれど、ダブルバーガーやセーターの重ね着と同じなのでさして驚くことはない。ふりかけに関してはここでは詳しく述べないけれど、乾いたものよりしっとりタイプのほうが美味しいように思う。のりたまも時々食べるといいけれど。まあいずれにしてもこのあたりは、ランクBの満足度である。
 ではランクAは何かというと、しらすと塩昆布である。しらすは半干しがよい。生しらすは滅多に食べないこともあるが、乗っけものには生臭くて不適切、反対に完全に干してあると白米の硬度と差がありすぎて、口の中で仲間割れしてしまう。乗っけものは塩分はもちろんだが、硬度も重要なポイントなのだ。続いて塩昆布。これは是非ともブランド指定したい。大阪が本店の神宗という店のが特に旨い。
http://www.kansou.co.jp/product/index.html
小倉屋というところのも美味しいが、塩昆布のみでいえば神宗には一歩及ばず。細かく刻んでまぶしてもいいし、大きいのを乗せてお茶漬けにしてもいい。それでも昆布という食材の地味さのせいか、ランクAどまりである。
 ではランクSとは何か。これは以下の三本柱で構成されている。辛子明太子、雲丹の瓶詰、キングサーモンフレイクである。明太子に関してはあえて説明は要らないだろう、何かと九州に縁深い生活なので食べる機会も多いこの頃である。神々しいばかりの一腹にずぶりと箸を突き刺し、身をほじほじほじ、最後は皮をずずずとしがんで、白米と共に口に放り込む。熱くって辛くって、もうガッツポーズしちゃうのである。当たり外れが少ないのもよい。金を積めば積んだだけのことはあるし、はたまた安いものでも意外に美味しかったりする。
 その点、雲丹は博打的なところがある。高いからといって美味しいとは限らないのだ。親戚がいる都合で門司港や下関、いわゆる関門海峡で採れる雲丹をよく食べるのだけれど、あのあたりのはやはり美味しい。これが宮崎の雲丹になると、一瓶3,500円もするのにそうでもない。北海道の雲丹はどうなのだろう、今度試したいものである。子供の頃からあのアルコールのつんとする感じがたまらなかった。ねっとりと舌にまとわりつく雲丹を白米でこそげて飲み込む。非常に官能的な味わいである。日本酒で生雲丹を食べた時も同じことを感じて、ああ、なるほど、原材料が一緒だと気付いて溜飲を下した。
 そしてサーモン。これは絶対ブランド指定である。新潟の加島屋という店の「さけ茶漬」という瓶詰なのだが(普通にデパートでも売っている)、
http://www.kashimaya.com/list.asp?kbn=1&key=100
初めて食した時、後を引く美味しさというのはこういうのをいうのだと深く感じ入った。そこらのスーパーマーケットでも類似品は売っているし、何も鮭にそこまでお金をかけたくないという気持はわかります、だから私も特別なことがない限り買わないのだけれど、あれなら一合は軽く食えるね、目玉ぼ〜んの旨さなのであります。と書いているはなから腹がぐうと鳴る。食欲の秋である。

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2006年10月19日

日記: 最大にして最高の

 駒沢大学の豪邸にて女子会。男子が外でお金を稼いでいる間に、甘いものを食べたり酒を飲んだりしながら日々の暮らしについてユーモアを交えて話し合う会である。女に生まれてよかった、楽だもん、と確認し合う会でもある。聞くと、皆しっかり料理をしていて偉かった。私の場合、実家に行っておかずをおねだりしたり、大ちゃんにいかに料理をしてもらうかばっかり考えていて、手ではなく口を動かして料理を用意している。それはいけません、しおりんはもっと料理をがんばりなさい、がんばればいずれ自分に返ってきます、という金言を得て帰路についた。さっそく明日は豚汁を作ろうじゃありませんか。
 話は変わるがこの日記の読者、おそらく開設当初より継続的に読んでくれているのは彼女くらいなのではないかと思うのだけれど、Mさんから色々と励ましを受けた。相変わらず書き込みはないけれど、でも皆楽しみに読んでいるはずだから気にせず書き続けるように、とのことだった。優しいなあと思った。
 書き込み件数に関して何かを思うことは、正直まったくない。また読んでくれるという事実だけで十分だからだ。基本的に受け手が何を思うかは決して知りえないのだし、私の思いもよらぬ、あるいは私の意図とまったく異なる感想を持つ場合だって多分にあるだろう。そういうのを気にしているとろくなことにならない。ライブであれ、文章であれ、何かを公開するという行為は虚空に向かってボールを投げるようなもの、ボールのゆくえを深追いしたところでそこにはただ風が吹いているだけである。「また」があるということが最大にして最高のエールなのだ。
 その他に、一人称で「俺」を使用しないように、とのアドバイスもあって笑った。「僕」もまずいらしい。「わし」もまずいのだろう。では「おいら」や「おれっち」はどうだろうと思ったりするが、まあそういうのは文脈次第でありますな。Mさん、ありがとう!

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2006年10月18日

日記: あなすがすがし

 下北沢に行ったら、ばったりばったり次々に昔の知り合いに出くわした。いずれも私がバンドをやっていた頃の友人だ。ざっと五年ぶりというところだろうか。当時はあの界隈で週に一度ライブをしていて、必ず朝まで飲んで延々とわけのわからない話をしていた。皆どこか上の空で、嬌声と擬態語ばかりを口にしていた。虚しくてそれゆえ甘美な、から騒ぎの記憶が蘇った。
 その頃の私ときたら、今にもちぎれそうな恋にしがみついていて今晩彼に会えるかどうかで頭がいっぱい、呼び出されたらすぐに行けるようにあの界隈を動くことができなかった。歯ブラシと着替えをいつも持ち歩く日々。飲んだら飲んだぶんだけ会いたくなって自己規制が効かなくなり、ますます恋を失いそうになる。その悪循環を呪って、また酒を飲む。ずいぶんひどかった。にもかかわらず、さらにひどい時代がまだ到来していないのが何よりひどかった。
 その彼にもばったり出くわしたので驚いた。あれから彼も私もトラブルを抱えてぼろ雑巾のようになってしまったけれど、なんとか暗黒の淵から這い上がって、お互い良き伴侶を得ることができた。よかったと思う。彼もよかったねと言った。それ以上でもそれ以下でもない。実のところ彼にまつわるよくない噂を耳にすることもあって、ものを思わないこともないのだけれどそれはもう私には関係のないこと、遠くから幸せを願うしかない。彼がこれまで私にしてきたように。
 清々しい夜だった。
 

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2006年10月14日

日記: ロールプレイ

 大ちゃんの両親とおばさんが訪ねてきてくれた。私の実家にも立ち寄ってくれたのだが、母が上品ぶっていておかしかった。水道水ではなくミネラルウォーターでお茶を沸かしたり、普段はあまり飲ませてくれないとっておきの茶葉をふんだんに使っていたり、ブラックなつっこみを控えめにしたり、やればできるようなのだった。
 大ちゃんは大ちゃんでこれまた両親の前だと頼りがいのあるしっかりした息子モードになり、口調も少々偉そうになり、両親やおばさんはそれを頼もしいと感じている様子で、そういうのを見ると何だかくすぐったくて笑ってしまうのだけれど(失敬)、家族、いや人間関係というのはある種のロールプレイを前提に機能していると感じ入るのだった。
 むろん私の家族にもロールプレイはあった。ただこちらの場合はかなり殺伐としていて、というのも「楽しくないのになぜ笑うのですか」だの「あの人と話している時のお母さんは嫌いです」だの、ロールプレイを紛糾するロールプレイを行ってきたのである。
 ずいぶん利己的で非寛容な話なのだが、そういう私からしてみれば、たとえば大ちゃん家族のロールプレイを奇異に感じるのは当然なのであって(逆も真である)、それでもそれを価値判断するべきではないというのは結婚して学んだことのひとつである。結局のところ、賛成も反対もできないのだ。だから二人で新しいものを作る。二人の気に入る新しい家庭を作るのだと思う。
 大ちゃんの両親とおばさんに手料理をふるまった。オニオングラタンスープが好評。二次会のビデオを是非見せてほしいと乞われたので、まあ見せたわけだけれど、義母に「しおりさんて……こういう人だったの……」と言われて、その指示形容詞が何を意味しているのか追求するのは野暮というものです、「おほほ、まあお互い過去はあったりなかったり、おほほほほ」とシャンパンをしこたま飲んで、再び目を丸くされたお嫁ちゃん、いくら母さんが上品ぶっても無駄なのだった。

投稿者 shiori : 16:54 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月11日

日記: 猫時間

 窓の外を見ると、今日もまたいつもの屋根の上で猫が寝そべっている。昨日は黒猫だったが、今日は黒とグレイの縞猫である。今はまだ朝早いので肌寒く、猫は縮こまっているけれど、日が高くなるにつれてのしイカのような格好になるのだろう。どうやらあの屋根の上は界隈の猫の間ではヴィップ席なのかもしれない。昨日の縞猫なんかは塀の陰から屋根をのぞいて「先を越された」と舌打ちしているかもしれない。次の機会にがんばってもらいたい。
 私はいわゆる猫好きではないけれど、猫を見かけると自分でも驚くほど親密な情を感じずにはいられない。隣に猫が寝そべっているだけで、こちらにも猫時間が流れるから不思議だ。ある種の達観といおうか、相手に期待しない凛とした佇まいがなんとも胸を打つ。それで私も色々なことが気にならなくなって、自分の本当にやるべきことはそう多くはないような気分になるのだ。
 人間同士でそういう関係を築くのは至難の業である。普通相手のペースに巻き込まれると不快に感じるものだからだ。振り返ってみるのだけれど、猫のように自然に時間の流れを変えてくれるのは祖母ぐらいである。
 彼女は最近ではほとんど声を発しなくなってしまった。じっと一点を見つめているか、すうすう寝ているか、あくびをしているか、まあそんなところである。日々の運動量は私の一分間分くらいではないか。それでもあれこれ世話をしてあげると、にっこり笑って「ありがとう」という口をする。その笑顔のなんと清々しいこと、私が一時間喋っても伝えきれないことをさらっといいのけてしまって。
 猫を眺めているとそんな思いが行ったり来たり、猫時間をたゆたうのだった。そのうち飼うことになるのだろうな。

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2006年10月08日

日記: ぽっぽ〜

 祖母介護週間につき実家に泊まり込んでいるのだけれど、昨日から友人も泊まり込んでいて、3人で何をしているのかといえば「桃太郎電鉄12 西日本編もありまっせー!」に興じているのだった。ぽっぽ〜。おなじみキングボンビに加えハリケーンボンビなる凶悪な怪物が登場、ぎゅんぎゅん回転して敵味方なしにそこらの物件を破壊していく。ひどい話である。
 桃鉄で喧嘩をして仲が悪くなる人がいると聞いたことがあるが、いざやってみるとわからなくはない。基本的に悪意に満ちたゲームなのである。金を賭けていたらなおさら、むろん私たちは健全に友好的に遊ぶのだけれど、それでもやはりむかつく。例えば大ちゃんは自分が勝っているとやたらと口数が増えて声もこころもち高くなる。勘に触るのでデビルを派遣するとみるみるまに転落、それに伴い口数も減っていく。ざまあみろである。友人にしても何十年にわたりボンビに囚われ続けてゾンビのような面持ち、せっかくの色男が台無しで気の毒である。
 私は、と言えばおほほほほ、こういうゲームには滅法強いのであって(※自慢です)、というのも狙ったサイコロの目を高確率で出すことができたり(※自慢です)、下品な真似を躊躇なくできたり(※卑下なので結局自慢です)するからである。巨万の富を蓄え東京に自社ビルまで建てた矢先、いやあ先のことはわかりませんな、キングボンビの度重なる襲来ですかんぴん、最下位に落ち込んだところでタイムアウトになったのだった。次回の這い上がりに期待。ぽっぽ〜。
 細かい話だけれど、目的地に一番乗りしたら借金が棒引きになるというシステムはよくない。60億負債があっても帳消しなんて、せめてルーレットを回して運が良ければ相殺という温情で十分ではないだろうか。あまりにも順位の変動が容易くて、成り上がり感も落ちぶれ感も希薄なのが少々不満である。

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2006年10月05日

日記: プレゼント2

 SUNRISEというチリワインがある。黄色のラベルが特徴、コンビニやなんかでも売られる廉価品なので買ったことのある人も多いだろう。888円という値段(サミット価格)にしてはこのカベルネ・ソーヴィニヨンはいける。よく味わうと「ん?」と思うのだけれど最初ののどごしはなかなか華やか、火曜水曜あたりのデイリーワインによい感じである。
 我が家の葡萄酒は基本的に知り合いの会社の社販でまとめて購入しているのだが、今回は飲酒量の目測を誤って早くもストックが切れてしまったのでSUNRISEを頻繁に買う羽目に合った。おかげで瓶の首にかかっている応募券がたくさんたまった。
 このワインはいつも何かしらのおまけがついているのも特徴で、むろん安物感はアップするのだがおまけ好きには魅力的に映る。以前は黄色い箸が景品で、20膳ほど溜まった記憶がある。あるいはマグネットだったりストラップだったりするのだけれど、今回はワインセラーの応募券だったのである。いいじゃん、と息巻いた。しかし、30,000人様に抽選で当たります!の類いは当選したことがない。キリンビールの御馳走便もペリエのお洒落家具も投函後一年以上経つのに音沙汰がない。それでも応募しないと決して当選しないのだから、シールをはがきにせっせと貼って投函したのが三ヶ月前。と話を引っ張るほどのこともないのだけれど、

 私、当選しました(両手のピースサインを前後移動しています)

 こんなところで運を使ってしまってと不安になるほど、欲しいものがどんぴしゃで手に入ってしまった。折しも葡萄酒を3ダース購入したばかりでいそいそと収納して眺めることしきり、ただでもらったと思えば顔はいっそうほころぶというものである。

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2006年10月03日

日記: プレゼント

 外苑前で食事。品書きのない店なので座ると自動的に皿が運ばれて来る。そういうのもたまにはよろしおますな、カリフラワーのスープやチーズスフレ、カラスミのパスタなど、非常に美味であった。中でもスプマンテが目の覚めるような味わいで、もうそうなると3秒おきにグラスに口をつけたりするものだから、いっそのことパラッパラッパ飲みはしないけれど。
 隣に本を読んで連れを待っている女性がいて、早く来ないかなあとともすれば彼女より熱心に連れの登場を待ちわびていたのだけれど、やがて現れた人がど真ん中だったので胸のすく思いがした。
 あれはお見合いをして二度目に会うカップルだね、だって会うなりお久しぶりですお元気でしたかああ元気そうですね何よりだあはは、なんて上滑りの挨拶、なんたって敬語だもの、まだ手なんか握ってませんよ、ほら、だってさっきギャルソンがお連れ様が十分遅れるそうですと伝えにきたでしょ、そういうことは普通携帯に連絡するべ?知らないのよ番号を、ね?男性は43歳、あのトーンを落とした慇懃な声色それでいて早口、なんか売ってるねわりと高いものを、おそらくいい人よ真面目そうだし、ただ問題なのは認識が甘い限りなく甘い、この界隈の店に詳しいだの大酒を飲んだだのそんな陳腐な武勇伝で30代後半の女にアピールしようたってねえ、だいたい自分で演出しているほど遊び人に見えないもの、あらら喋るのに夢中で料理が残ちゃってるから次の皿を持って来れないのよギャルソンが困ってら、女性の皿はとうに空なのに、甘いねえ実に甘い、あ、でも待てよ、女のほうもまんざらでもなさそうさっきから寛大な相槌を打ってあげてるもの、そうねえ35も過ぎると食べるのも忘れて自分に尻尾振るような男は可愛く映るのかしらん、うふふていう笑い声が、まあなんというか、はしゃいでますなあ、訂正、このカップルはうまくいきます、今日は火曜だからね何もなし感じよく別れるますプラトニックです、でも今月中にはそうねえセルリアンタワーあたりでベッドインするでしょう前戯が丁寧よ〜あの年格好だと、いいじゃんいいじゃん、そして来年三月には挙式します間違いない、金の心配はないけれどあの男はきっとマザコンです間違いない、
 とまくしたてると大ちゃんが「シャーロック・ホームズみたい」とうっとりとつぶやいた。ワトソン君に言葉のご祝儀を頂きました、今日で私は32歳。

投稿者 shiori : 10:13 | コメント (0) | トラックバック (0)