« 不思議ちゃん事情 | ホーム | 半角派 »

2007年06月25日

日記: うつ病

 30代のサラリーマンにうつ病が急増している、という趣旨の番組を観た。責任ある立場を任されて膨大な仕事量と多大なプレッシャで心身のバランスを崩すのだという。病気というのは個人的なものだから、まあそんなふうに類型化できないそれぞれの事情があるとは思うが、ここまで増えると社会問題として扱わざるをえないむきがあるのだろう。
 でも知人の精神科医に言わせると、かつてはたとえば39℃熱が出ないとうつ病とは診断されなかったのに今は37.5℃でもうつ病と診断されることで余計話がややこしくなっているのだという。中には診断されることで本当にうつになってしまう人もいるらしい。うつというよりは会社に行かなきゃいけないという強迫観念の人が多いんだよね、と彼は言っていた。そういう患者は「もう会社に行かなくていい」となるとぱっと治っちゃうんだよね、と。
 番組も会社に復職するのを前提として話を進めていたし、世間もうつを克服して会社へ戻ろうという風潮のようだ。確かにそれが可能ならば問題はない。でも番組でも取り上げられていたが、うつ病を隠して再就職してでもやっぱり無理で、みたいなことを繰り返している人がいて、それを観て私は、もう会社はいいんじゃないの、と思った。マンションのローンが、とか、子供の教育費が、といった事情があるような論調だったけれど、たとえどんな事情であろうとお父さんの健康に比べたら些細なことじゃないか。人間なんて基本的には最低限の衣食住で幸せに暮らせるはずなのだ。あるいはこれは私のように会社から遠く離れた者の意見なんだろうか。
 具合が悪くなる、というのはその人にとってその生活がキャパシティオーヴァー、という意味だ。ならばキャパに合わせて生活を変えるしかない。単純な足し算引き算の話だ。でもそれがさっとできる人は少ない。確かに「できていたことができなくなる」という失望や絶望は言い得ぬものがある。私も経験があるからわかるし、祖母と一緒に暮らしているとそんなことばかりだった。
 でもこんなこともあった。初めて排便を失敗した日、祖母は「死にたい」と訴えた。「残念でした、まだ死にません」と答えると、祖母は深い溜息をついたあところころ笑い出して、しまいには「もうええ加減にせえよ」と笑いながら怒鳴った。そこには再び歩き出す強さがあった。できなくなる、のは恥ずかしいことでも悔やむべきことでもない、新しい自分になるのだ。それはそれで素敵だなと思った。ぶつかれば方向を修正すればよろしい。なんてったって、世界は無限に広がっているのだ。

投稿者 shiori : 10:59

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://freedom.s13.xrea.com/blog/mt-tb.cgi/491

コメントを投稿