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2008年02月29日

日記: コンサートと高橋と寝言

 脇から券を頂いたので、凸版印刷のトッパンホールにてコンサート。江戸川橋からも飯田橋からも歩いて15分、という不便きわまりない場所。お勤めの方は大変だろう。
 演目は岡田某さんという男性ピアニストによるバッハのゴールドベルグ変奏曲(cf.07.4.11,13)。ゴールドベルグを生で聞くのは、おそらく6回目。今日の人は、技術的に簡単な曲はあまりよくなかったが、おおむね健闘していたと思う。技術の要する難曲は、弾けさえすればなんとか形になるところがあるけど、簡単な曲は、すっぴんで勝負するようなもの、なかなかたいへんである(サッカーの試合前に君が代を独唱する人たちがいるけれど、あんなおそろしいことよくやるもんだ、出来に関わらずそのガッツを褒めてあげたい)。ペダルの踏み込みがきつくて、肝要なところで音が濁ってしまったのも残念だったが、二時間集中力を切らさなかったのはすごい。おかげで、考えごとがはかどった。
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 帰りのタクシーで、運転手さんが「ここで、ちょうどここで、高橋が抜かれたんですよ」とわざわざ教えてくれた。マラソン好きの方だったようで、身体を絞ると風邪をひきやすい、小出監督はいつも酔っぱらっている、などと小ネタを披露していた。あの近辺は馴染み深い地区だ。わたしの通った高校は市ヶ谷と四谷と麹町と半蔵門の4駅利用可で、当時は新宿に住んでいたため、わたしは中央線の四谷駅ユーザ。だから、あの土手の開けた感じを見ると、なんとなくセンチメンタルになる。かれこれ20年も前になりますか。うむ。
 夕食は時間が遅くてどこも開いておらず、ロイヤルホストでビールとサラダとソーセージ。ファミレスは無駄に高いから嫌いだ。そういえば先日寝入りばなに「もう決めた?」と寝言をいったらしい。「何を?」と問い返されて目が覚めた。恥ずかしかった。わたしは食堂でメニューを眺める夢を見ていたのだった。ピース。
 このところ、日記およびカタカナコーナーがのろのろしていて、面目ねえです。今しばらく、ほふく前進の気配がありますが、途絶えぬようやってまいりますのでなにとぞよろしゅう。いつもクリックしてくれる君に胸いっぱいの愛を。

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2008年02月24日

日記: 救出されたもの(松山3)

 今日も再び片付け。底冷えがすると思ったら、小雪が舞い始めた。もう春だというのに、と感じてしまうのは、春を待ちわびる人の心が先走っているからだろう。毎度ながら、この季節はじれったい。
 さて。こちらが今回の成果。
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 使えるものはすでに方々へ引き取ってもらい、もちろん私たちも段ボール30箱以上は引き取って、なおこれだけのものが残った。左側の大半は衣料品で、都合100袋はあったと思う。衣装ケースすりきりいっぱいタオル(新品にあらず)が詰めてあったり、おじいさんのスーツや母の学生服が出てきたり、つまり、祖母は何も捨てなかったということ。日用品にしても「使わない食器」などと銘記して、箱に入れて仕舞い込んでいる。ものを捨てない人生をまっとうした祖母の替わりに、わたしが捨てる。じゃんじゃん捨てる。それってどうなの、と考え出すと手が止まるので考えない。お雛さまも、編みかけの冬服も、指ぬきも、愛用の茶碗も、「もの」というのは人のもの、私のものではない。でも、死んだ人の思い出は私のもの、私だけのもの。而して、遺品の山の完成。
 そして、こちらが今回救出されたもの。
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 赤い小箱は、母が生まれる前からあるというから、おそらく祖母の少女時代のもの。貝が埋め込んである。その隣は松葉を象った箸置き、その右はアサヒグラフの「人類月面着陸特集」、ソ連のライカ犬の写真などが載っていたので持ち帰った。グリーンの毛は祖母の編んだちゃんちゃんこ、裏打ちボタンに叔父の学ランボタンが使用されている。その上の双眼鏡は、祖父が歩哨で使っていたもの。彼はフィリピンやシンガポールで戦っていた。それから、黒檀の靴べらと徳利とお猪口。
 松山発18時のB767-300で羽田。新横浜の居酒屋で打ち上げ。

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2008年02月23日

日記: 春一番(松山2)

 終日、祖母宅の片付け。前回来たときは、あまりの物品の多さに「何をどこまで片付けるのか」という指針さえも決められず、適当にお茶を濁して帰ったのだが、今回は腹を決め、とにかく片っ端から捨てていこうという話になった。
 50年引越をしていない家にどれくらいの物が詰まっているか、それはもう恐ろしいほどで、おまけにややこしいのは分別、アイロンを、その木箱を、掛け時計を、花魁の人形を、そのガラスケースを、金槌を、日本刀を、行李を、玉すだれを、自家製梅干を、その壷を、熊が鮭をくわえた置物を、わたしはいったいどうすればいいのでしょう。ほとほと疲れました。
 再び道後温泉、そして道後ビールで英気を養い、食事に出かける。おこぜの刺身、いわしの天婦羅、鶏の唐揚げ、鯛飯など。写真は瀬戸内名物の、かわはぎの薄造り。中央の肝と合わせてポン酢で頂く。10時のあたりは縁側。苦みばしったいい男がいかにも好みそうな味。
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 最近松山には『坂の上の雲ミュージアム』という資料館ができた(設計は安藤忠雄)。これは司馬遼太郎の同名小説のドラマ化を記念して、というか便乗して儲けようと企んで建てられたもの。しかし、肝心のドラマ化が、脚本家の野沢さんの自殺や資金不足などでずるずる遅れ(来年の秋から放映される模様)、先にできたミュージアムが割りを食う形となったようだ。まあ『坊っちゃん』にせよ、人のふんどしで相撲をとろうという姿勢がいけないね。
 しかしまあ松山というのは、いかんせん「のんき」な街で、昔でいえば、近隣の薩長土肥では喧々囂々と倒幕の気運が高まり、数多くの偉人を輩出していくなか、のほほんと湯遊びに俳句遊びに興じていたくちで、祖母などは「アホぎりよ」といったものである。温暖な気候に豊穣な食物、そういう風土によるところが大きいのだろう。
 本日の松山は、春一番が吹きすさんだ。

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2008年02月22日

日記: パンを焼こうと思った(松山1)

 再び、松山へ。今回は家人もいっしょ。
 調子の悪い機体があるとのことで、出発が一時間半遅れた。搭乗手続きをすると、1,000円分の食事券がべえっと出てきたので、天ざるを食べて時間をつぶす。前回はウィングレットつきの最新型ボーイングだったが、今回はマクドネル・ダグラス(現在はボーイングに吸収合併)のMD-90。生産中止になっていることもあり、飛行機好きには人気の高い機体である。ボーイング767なんかとは乗り心地がまったく違う。なんといっても、離陸がダイナミック。ものすごい角度をつけて急上昇していく。身体がずり下がる。飛行中も「僕、飛んでます!」という感じがひしひしと伝わって、スリリング。
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 予定が遅れたので、家の片付けもほどほどに、道後温泉へ。今年に入って4回目の入湯である。家人は松山、いわんや四国自体が初めてで、路面電車に大喜びしていた。たしかに、あれはいい。山陽、四国、九州にはわりと多くて、この地方が好きな理由のひとつだ。東京の世田谷線や荒川線もジャンルとしては路面電車だが、電車と車がいっしょに信号待ちしていたり、線路をまたいで車が横断する、なんてのはない。ちょっと興奮する。こちらが車内。
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 夜はブイヤベース。瀬戸内の魚貝をふんだんに使っていて、本当に美味しかった。こちらの人はよく「関東の魚なんか泥臭くて食えません」と憎々しいことをいうが、実際に来て食べると、そら、そうやろなあ、と納得してしまう。イキがよくて、種類が豊富で(マグロはない)、ひいては魚の扱いに慣れてる料理人が多いので、へぼい店でも魚だけは旨いのである。
 今日の店は自家製パンも美味しかった。わたくしもそろそろパンを自作する時期かもしれぬ、とふと思った。わたしには具体的な人生目標が4つあって、そのうちのひとつがパンを自作する生活。ほかの3つに比べれば、容易に実践できそうな目標であるが、これがなかなかむつかしいこと。今年中には、必ず、一度。人は色んなタイミングで、色んなことを決意するものである。

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2008年02月20日

日記: おかえり!

 ドイツに赴任していたCさん夫妻がようやく帰ってきた。ポルトガル、ドイツ、と実に6年の海外生活。わたしはCさんが大好きだから、顔を見て話したい、でもそばにいない、と切なく思うことが何度もあった。でもこれからは電話一本ですぐに会えるようになる。しかも彼女たちの住まいは、我が家の近所。やっほ〜。ということで、さっそく引越の手伝いに行った。といっても実質は子守り、わたしが息子K君を看ている間に夫妻が荷物を片すという寸法であった。
 これは体験して実感したことだけれど、小さい子供を抱えた引越って、ものごっつう大変であるな。なぜに、あんなに、ちょろちょろするのか。とあとでわたしの母に問うたら、それは性差、個人差によるところが大きく、例えばあんたなんかは本さえ与えておけば永遠にぺしゃと座ったまま、それはおとなしいもので、まったく手のかからない子供だったが、成長するにつれてどんどんややこしくなって、手に負えなくなって、あれどしたんかしらん。とのことだった。ふむ。ということは、このミニラだかチビラだかのようなK君も、ゆくゆくは「母さん、俺が全部やるから、安心して」などと泣かせることをいうのかもしれない。子育てって素敵。
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 遊び疲れて気絶するように眠ったK君である。子供でも、動物でも、男でも、寝顔ってどうしてこうも可愛いのか。しゅぴー、しゅぴー、と小さい鼻がふくらんで音が鳴る。時折口がぷちゅっと動く。どれだけ眺めても見飽きない。死顔が切ないのは動かないからだ、と今初めて知ったような気分になる。
 夜は黒豚しゃぶしゃぶをご馳走になり、あれこれ会話。夫婦喧嘩の話がおもしろかった。不条理であればあるほど、聞き甲斐があるというもの。途中K君が「僕、今から赤ちゃんになる〜」と宣言するので、何かと思ったら、後ろからぺろんとおっぱいを撫でられた。そういう行為が何歳まで可能かといえば、それはもうK君次第である。健闘を祈りたい。

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カタカナ: パジャマ pajama

 就寝時にどのような服装をするのか、Tシャツなのかスウェットなのか、上下とも着るのか、下は履かないのか、人によって季節によって様々だと思うが、昔に比べるとパジャマを着る人は減っているのではないだろうか。少なくとも、わたしはパジャマを着なくなって久しい。かさばるので洗濯が面倒だし、意外と値も張る。ならば、とそのへんのTシャツをかぶって寝るようになった。大学生の頃の話である。ユニクロが登場してからは綿100%のルームパンツ(アクリルが混ざると熱がこもって具合が悪い)を愛用、暑がりなので夏も冬も同じような格好で寝ている。
 パジャマ(pajama)とはヒンディー語で「ゆるいズボン」という意味。インドやペルシャの人たちの履く、だぶだぶパンツのことである。語源は、pa-(脚)+-jama(着物)。それがヨーロッパに伝わって、上着とセットでパジャマと呼ばれるようになった。
 ネグリジェ(negligee)というのもある。これは17世紀にフランスで生まれた寝間着で、当時は男女を問わず着られていた。「だらしない」という意味で、英語のneglect(怠る)と同語源である。お姫様気分を味わえるアイテムであるが、寝ている間にずり上がってお腹をこわしたりするので、わたしは数えるほどしか着たことがない。同じ理由で、旅館やホテルの浴衣も苦手。だから外泊するときはユニクロを持参している。なんとも色気のないこと。
 色気といえば、アメリカ映画ですっぱだかにシーツ一枚で寝ている人を見かける。マックィーンやトラボルタなんかがふさふさの胸毛を光らせて、けだるい感じでベッドに横たわっていると、うっとりしてしまうが、まあ裸は日本人向きではない。地震が多いとか寒いとかいう風土の問題もあるし、個室を持たないという風習も関係しているだろう、裸で寝るのは健康にいいという話も聞くが、なかなか浸透しないと思われる。わたしも何度か経験はあるが(泥酔の果てに寝間着を着ずに寝た)、裸で目覚めるのは実に心もとないものだ。レイプされた気分になったりして。

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2008年02月13日

日記: タイムラグ

 グーグルアースで実家を見ていたら、自家用車が古いほうになっていて、ということは、少なくとも二年半前の画像である。調べてみると、季節ごとの画像更新は心がけているが、アップデートが滞っている地区も多分にあるということ、わたしの住む地区はそれに該当しているようだ。問題ない。というか、車種までわかってしまって大丈夫かとむしろ心配になる。それにしても、あんなものが無料で観られるなんてすごい。
 タイムラグで、思い出した。テレビは現在、同じチャンネルでもアナログと地上波デジタルの二種類の放送があるが、デジタルはアナログの約3秒遅れで放送されている。こちらも調べてみると、データ圧縮と解凍に時間がかかり、それくらいの時差は仕方がないということ。今後も縮めることはできてもなくすことはできないらしい。先日、サッカー中継をそれぞれの放送、つまり二台のテレビで同時に観ていて(そうせざるを得ない状況だった)、これはあかんと思った。アナログに遅れること3秒でゴールするのである。固唾を飲んで見守っていると、結果が出るより先に家人の「入った!」とか「惜しい!」とかいう声が聞えて興醒めだった。
 つまり、すべてが地上波デジタルになると、厳密には生放送は存在しないことになるのだな。そういえば、アメリカはジャネットのおっぱい事件以来、危機管理のためにほとんどの生番組が数秒遅れで放映していると聞いたが、翻っていうと、3秒あれば情報操作は充分可能だ。まあそもそもそんなに信用していないけれど、そういうものだと思うと、いっそうどうでもよくなりまする。
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 今日は二本も長電話をした。子機の充電が危うくなったのは、5年ぶりくらい。その一本は、以前少しの間一緒に住んでいた女の子と。年下で交流のある数少ない友人だ。彼女は今、グラフィックデザインの仕事をしていて、色々とおもしろい話を聞かせてもらった。最近ようやく日脚が伸びてきた。今年の冬は大寒の時期が長い気がして、いつもより春が待ち遠しい。あるいは歳のせいか。

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2008年02月09日

日記: 21世紀やなあ

 朝は晴れていたのに、徐々に北風がぴいぷう吹き出して、夜には冷たい雪になった。おお、寒い。こんなに日にいそいそ外出するなんて、たくましい人になったようで気分が良い。今日はミクシィで知り合ったNさん夫妻との飲み会だった。会ったことのない人と会うのは初めて、というのも妙な言い方だが、ネット先行型の出会いはこれが初めてである。21世紀なんである。
 以前にも書いたことがあるが、どんな人でも多かれ少なかれ、話すときと書くときは人格が変わる。わたしの場合はそれが顕著で、話すのが苦手というのもあるが、書くほうが自由に喋れる。Nさんの場合はどうなんだろう、とNさんの日記を読みながら思っていて、実際に会ってみると、やっぱり違うものだなととても興味深かった。どちらが良い悪いではなくて、違うということがおもしろい。いきおい親愛の情がわくというもの。
 共通の話題もあり、夜更けまで楽しくお喋り。しかしまあ家人もわたしも、初対面の方を前にして飲むわ飲むわ、本当にひどい話である。あるラインを超えてしまうと制御不能になってしまうのはなぜか。しかも二人して。あるいは無意識で競い合っているのだろうか(なにを?)。
 飲んだのは中目黒の店だったのだが、ふと聞き覚えのある声だなと思ってすだれ越しに隣席を窺うと、ダウンタウンの松本さんだった。思わずすだれを巻き上げそうになった。家人ともども大ファンなのである。そして同席者は宮迫さんだった(ほんまに仲良しなんやな)。松本さんが95%喋っていた。色々おもろい話を盗み聞きしたけれど、教えてあげないヨ!というのは嘘で、こちらも話に夢中だったし、あちらも真剣に話し込んでいるふうだったので、視聴者は見た〜のコーナーに送るような収穫はひとつもなかった。でも会話のはしばしに「ハマダが〜」とか「アマノが〜」とか「タムラが〜」とかいってて、その度に吹きそうになって困った。色々と出会い豊富な夕べだった。

投稿者 shiori : 16:54 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: カン can

 今日は缶の話です。改めて身辺を見回してみると、ビールやお茶などの飲料から、ホールトマト、シーチキン、コンビーフ、クッキー、茶葉などの食品、整髪料や殺虫剤のスプレー、塗料、灯油など、缶入り製品は意外に多い。形状は円柱か直方体のどちらか(三角錐や四角錐の缶は見たことがない)、大きさはそれぞれの内容物によって異なる。アンチョビの缶あたりが最小で、上は一斗缶(18リットル缶)、河原に転がっているドラム缶の容量は200リットルである。そうか、缶バッジなんてのもあるな。
 材質は主にスチールとアルミの二種類である。その昔はブリキ缶(すずでめっきした鉄)が主流だったが、不純物が多くリサイクルに適さないので、今ではほとんど生産されなくなった。ブリキに取って代わったのがスチール(ハガネ:鉄と炭素との合金)である。スチール缶の長所は、頑丈で、熱に強いこと。コーヒーなどのホット飲料はスチール缶を用いるが、これは熱い液体を入れても変形しないし、のちに冷めても缶がへこまないからだ。また、埋蔵量が多いのでコストが安いという利点もある。しかし、炭酸飲料を長時間入れておくと、鉄が酸化して錆びてしまうし、いかんせん重量のある金属なので、輸送コストがかかるという欠点もある。
 それを解消するのがアルミ缶である。こちらはボーキサイト(bauxite)という鉱石から作る金属で、なにしろ軽いのが特徴。鉄の三分の一しかない。鉄に比べると錆びにくいし、熱伝導もいい。リサイクル性も高く、低コストで何度でも再利用できる。しかし原料のボーキサイトは99%輸入に頼っているし、リサイクルできるとはいえ、最初のアルミニウムを作るのに膨大な電気代がかかる。また、片手で握りつぶせるくらいの強度なので、炭酸飲料やガスを入れて内圧を高めないと、破裂する危険がある。
 つまり、双方、一長一短ということ。飲料缶に限っていえば、炭酸飲料はアルミ缶で、その他はスチール缶を採用する会社が多いようだ。缶のゴミの日に、ゴミ袋をひとつひとつ開けて、アルミ缶だけを持ち去るおじさん(公園暮らしの)がいるが、アルミ缶はわりと高く売れるらしい。とはいえ1缶で1円とかだと思うけど。そのガッツがあるなら働けばいいのにと思うが、まあ余計なお世話だろう。スチール缶とアルミ缶は分別せずに捨ててよいことになっているが、リサイクル工場には強力磁石と強力送風機があって、あっという間に分別できるとのこと。賢くて素敵である。
 缶は英語のcanの音訳字。canの語源は、古英語のcanne、飲み物を入れる容器という意味である。スチール(steel)は「しっかりしているもの、堅いもの」、アルミニウム(aluminium)は「光の金属」。

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2008年02月08日

日記: マイブーム

 最近、焼き野菜に凝っている。ナスを焼くのはメジャーだが、例えば白菜はどうでしょう。これがめちゃんこ美味しいのである。しかもこれ以上簡単な料理をわたしは知らない。クオーターにカットした白菜を水洗いして、塩をふって、オリーブ油を回しかけて、180度のオーブンで焼くこと30分。甘みがあって、みずみずしくて、葉も茎もそれぞれ美味しい。カブもいける。じゃがいもはいわずもがな、玉葱も相当いい。パプリカは魚焼きグリルで真っ黒になるまで焼き、皮をぺろんと剥いて、オリーブ油とワインビネガーと塩、胡椒で和える。わたしの場合、これとバゲットでワイン3杯は飲めます。アスパラガスもいい、これからの季節、空豆なんか最高だ。さやごとグリルする焼き空豆。イエイ。
 それからアクアパッツア。今年に入ってもう3回作った。身離れの良さ、小骨の少なさ、値段などを総合的に考えると、魚はやはり鯛がいい。貝はあさりが良い。出汁が美味しいから。あとはドライトマト、ケイパー、アンチョビ、ブラックオリーブなど、要はつまみを投入して煮込めば、そこはもう旨味フェスティヴァル。その汁に鯛の白身をつけて食べる、バゲットを浸して食べる。じわっと、じゅるっと。
 最後は鍋。冬になると、少なくとも週二回は鍋をつつく。加湿器がないので、保湿効果も兼ねてのこと。しかし毎回ポン酢味も飽きるため、工夫したのが豚大根しゃぶしゃぶ・黒胡椒風味。ピーラーで短冊状に削り出した大根を肉(豚バラ)と一緒にしゃぶしゃぶして食べる。チンゲンサイなんかもあるといい。汁の味は昆布とガラスープの素と酒と醤油と黒胡椒。最後はその汁でラーメンを食べるんだぜ。
 飲みながら書いたら、食べ物の話ばっかになっちゃった。
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2008年02月04日

日記: 調律してもらう

 夜のうちに雪は止んだようだ。今日はピアノの調律に来てもらった。ピアノは弦楽器と違って自分でピッチ調節できないので、定期的に診てもらう必要がある。年に一回というところだろうか、あれも形状記憶みたいなもので、あまり間を空けると癖がついて本来のピッチに戻れなくなってしまう。徐々にピッチが下がるのは弦楽器と同じで、だから調律前の音はどこか疲れてくたっとしている。暗くて、だらしない。それを締めなおして全体的にくっと持ち上げると、途端に音がきらきらして明るくなる。エネルギッシュに響く。これは感性の問題ではなく、人間の耳自体がそう感じるようにデザインされているらしい。
 ピッチ調整の基本は真ん中のA=440hzだが、最近は442hzで調整する場合が多いのも同じ理由で、楽曲が明るく響くからだ。クラシックの世界は知らないが、少なくともポップスやロックの現場だと442が主流だろう。たかだか2hzの違いだが、聞き比べるとその差は歴然である。ちなみにAの隣、B♭は466hz。
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 そういえば昔、フィレンツェのホテルに置いてあったピアノを触ったら、AがEだった。つまり、4度ずれていた。1ヘルツ、1ヘルツ、とずり下がるのにどれくらいの時間がかかるのか、あるいはムッソリーニの時代から手を入れていないのかもしれない。悠久のピアノ。グッドピアノ、とご主人にいうと(嘘ではない)、彼は「娘のために買った、その娘も結婚した」と嬉しそうに話していた。一家でアルジェリアから移住してきたとのこと。
 話は大倉山に戻るが、調律師さんと話していたら、最近ピアノを習いに来る人のほとんどは生ピアノを持っておらず、電子ピアノかフェルトの鍵盤(エアピアノだ)で済ますのだそうだ。当然おもしろくないから、みな早々に止めてしまうという。ふむ。むろん住宅事情の要因が大きいとは思うが、ピアノ自体への興味喪失というのか、『千の風になって』とか『レットイットビー』なんかが弾ければ満足する人が多いのだろう。何の問題もないと思う。自然淘汰というやつだ。むしろわたしたちの時代がこぞってピアノを習わせすぎたのだろう、乱暴な言い方だが、みながベートーベンのソナタを弾く必要はないのだ。

投稿者 shiori : 15:41 | コメント (2) | トラックバック (0)

カタカナ: ドック dock

 言葉としてはドッキング(docking)のほうを先に知ったかもしれない。二つのものが合体するという意味で一年に3回くらい使うが、そもそもドッキングとは宇宙空間で二つの人工衛星を連結させること、転じてものの結合という意を持つようになった。ドック(dock)という言葉は人間ドックで知った。ビックカメラを長らくビッグカメラと勘違いしていたが、人間ドックも最初は人間ドッグだと思っていて、耳にする都度いまだに賢そうな盲導犬の映像がぽわんと浮かぶ。いうまでもなく、人間ドックの現実はそんなに心温まるものではないが。
 ドックはもともとオランダ語で「溝」、転じて船を建造・修理する場所という意味になった。日本語だと船渠という(英語だとさらに派生して、波止場や埠頭、桟橋もさす)。浦賀ドック、函館ドック、向島ドック、と地名とドッキングさせて呼ぶならわし。世界最大のドックはアイルランドのベルファストにあるそうだ。
 そして人間を修理するのが人間ドックである。近年は細分化して、脳ドック、心臓ドックという言葉もある。ちなみに医者はdoctorだが、これはdockとは関係ない。こちらはラテン語で「教える人」という意味。
 アップルコンピュータのOSXの操作システムもドックと呼ばれる。デスクトップの端に複数のアイコンが並んでいて、そこからアプリケーションを選んで使う仕組みだ。わたしはこのドックのおかげで迷子にならなくなった。
 オーティス・レディングに『(sittin'on the)dock of the bay』という名曲がある。僕は日がな一日ドックに腰かけて、船の出入りや潮の満ち引きを眺めているんだ、故郷から遠く離れたサンフランシコ、何かあると思って来てみたけれど、あの頃と僕は何も変わらない、哀しみはいつまでも消えない、という泣かせる歌だ。ドックというのきっとそういう気持にさせる場所なんだろう。

投稿者 shiori : 15:39 | コメント (0) | トラックバック (0)