« 春一番(松山2) | ホーム | コンサートと高橋と寝言 »

2008年02月24日

日記: 救出されたもの(松山3)

 今日も再び片付け。底冷えがすると思ったら、小雪が舞い始めた。もう春だというのに、と感じてしまうのは、春を待ちわびる人の心が先走っているからだろう。毎度ながら、この季節はじれったい。
 さて。こちらが今回の成果。
DSC00771.JPG
 使えるものはすでに方々へ引き取ってもらい、もちろん私たちも段ボール30箱以上は引き取って、なおこれだけのものが残った。左側の大半は衣料品で、都合100袋はあったと思う。衣装ケースすりきりいっぱいタオル(新品にあらず)が詰めてあったり、おじいさんのスーツや母の学生服が出てきたり、つまり、祖母は何も捨てなかったということ。日用品にしても「使わない食器」などと銘記して、箱に入れて仕舞い込んでいる。ものを捨てない人生をまっとうした祖母の替わりに、わたしが捨てる。じゃんじゃん捨てる。それってどうなの、と考え出すと手が止まるので考えない。お雛さまも、編みかけの冬服も、指ぬきも、愛用の茶碗も、「もの」というのは人のもの、私のものではない。でも、死んだ人の思い出は私のもの、私だけのもの。而して、遺品の山の完成。
 そして、こちらが今回救出されたもの。
DSC00793.JPG
 赤い小箱は、母が生まれる前からあるというから、おそらく祖母の少女時代のもの。貝が埋め込んである。その隣は松葉を象った箸置き、その右はアサヒグラフの「人類月面着陸特集」、ソ連のライカ犬の写真などが載っていたので持ち帰った。グリーンの毛は祖母の編んだちゃんちゃんこ、裏打ちボタンに叔父の学ランボタンが使用されている。その上の双眼鏡は、祖父が歩哨で使っていたもの。彼はフィリピンやシンガポールで戦っていた。それから、黒檀の靴べらと徳利とお猪口。
 松山発18時のB767-300で羽田。新横浜の居酒屋で打ち上げ。

投稿者 shiori : 11:58

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://freedom.s13.xrea.com/blog/mt-tb.cgi/670

コメント

壮観ですね。
昔の方というのは、モノを残しておく方が多いですよね。モノに対しての考え方が違うと言う感じで、いかに戦後生まれはそれ以前の方とイデオロギー?生き方?の断層があるんだと思います。


本家が家土地を売り払って引き払うとき、手伝いと称して色々古い物品を分け合いながら、先祖や家のことに思いをはせるというのは悪いことではないですね。そこで家系や歴史が語りつがれるというか(どこそこどれぞの落ち武者が土着したんだよ、とか聞けば自分自身の歴史観が変わる話もあったりして)。


それはそうと、松山の方なんですね。
松山で面白いなぁと思うのは、俳諧趣味は何代目かの藩主からの影響がそのまま市民に残ったものだそうでして、現代俳句の源流はここから出ているんだと思います。文学的には子規や虚子、伊丹十三や大江健三郎も松山東高校ですし、松山文学の影響たるや現代にも確固たるものがあるのかと。

田舎の年寄りは
捨てる発想のないスピリッツと捨てる必要のないキャパシティ
に支えられてこのようなことになるのでしょう

松山は俳句をする人にとってはある意味「聖地」のようです
いうだけあってたしかに盛んで
居酒屋の壁にも市民の作った俳句が架けられていて
眺めていたら、どこかのおっさんに
「おねえさん、俳句するのん?おっちゃんはよう詠まんけど、これなんか好き」
と話しかけられました
男女の糸口にもなる、ということでしょうか
さすが聖地です

私の母は松山東高校出身で
大江健三郎を観るたびに
「わたしの先輩!」
と必ずいいます、本当に必ず。
読んでもわからんくせに

コメントを投稿