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2007年10月29日

日記: 私的生活

 ふと気がつけば、十月も終わろうとしているのだった。日記は10/6の日付のまま、電池の切れた時計のように止まってしまっていて、むろん再び入院していたわけではなく、私用の堆積に埋もれて日記まで辿り着かなかっただけなのですが、果たして今の私に私用以外の用があるかといえば、ない。100%、私的生活。となるともはや「私的」という言葉は意味を失うのであって、そこにはただ生活があるだけ。風が吹いているだけ。ブルース・スプリングスティンも、ジョニ・ミッチェルも、イーグルスも、新譜を出したと聞きました。世界も捨てたもんじゃない。皆様、お元気ですか、しおりです。

1、泥酔しました

 十月某日、表参道のスペイン料理屋にて同級生交歓。美味い、美味い、と料理を褒める以外に何を話したのだったか、しかし思い返してみれば、あの頃だって何を話していたのだったか、きっと私たちは「楽しかった」という記憶の余韻だけで、死ぬまで楽しめるのだろう。同級生っていいものだと思う。そしてしたたか飲んだ。その末に私はとんだ酔狂をはたらくことになるのだが、それはまた別のお話。嘘。同じ話だけど、別の話にしておこう。後日聞くと、翌日は皆もすさまじい二日酔いだったようだが、私のが一番酷かったという自信がある。実にエポックメイキングな二日酔いだった。終日寝転がって日本オープンゴルフ。賞金4000万円も羨ましいが、二日酔いじゃないあなたが何より羨ましいと思いつつ。それにしてもあの日の谷口(舛添似)は神がかっていた。

2、注腸検査を受けました

(食事中の方は食事を済ませてから読んでください)
 十月某日、翌日の大腸のバリウム検査のために下剤を服用。押し寄せる波に翻弄されて、結局午前1時から起きたまま。夜中のキッチンテーブルに一人座っていると、深い井戸の底にいるような心地がする。本を読んだ。午前4時くらいに表の道を賑やかな一団が通り過ぎて行った。百鬼夜行だった気がする、と家人に話すと、あれはたいてい丑三つ時だから老人会の散歩か何かだろう、とのことだった。ふうん。病院へ行くと、着替えてくださいと渡されたのはお尻の側に窓のついたトランクスだった。検査服の裾をたくしあげてお尻を丸出しにせずとも用が足せるというわけだ。お医者は私と同じ年格好の男子で、僕、上手いから安心して、と言って私の肩に筋肉注射を打ち、僕、上手いから安心して、と言ったら愉快だったな、彼は私の穴に指を入れた。管を入れた。空気を入れた。腹が膨らんだ。寝台が傾いた。私は笑った。大丈夫ですか、とお医者が聞く。大丈夫です、でもなんだか可笑しくて、と答えると、お医者も笑った。経験はひとつでも多いほうがいい。これは私のささやかな信条。

3、祖母が「おはよう」と言いました

 筋肉弛緩剤の薬疹で苦しんでいた祖母。尿の出が悪く、手足はむくみ、意識も混濁していて、話しかけても何をしても反応というものがなかったのだが、十月某日、「おはよう」と言ったら「おはよう」と返事するもんだから、もう驚いちゃって。猫が喋ったかのような衝撃である。今、おはようって言ったね?と問いただすと、おはようゆうたらおはようゆうもんやないか、という顔をする祖母なのだった。今までどこへ行っていたのだろうか。私は「おかえり」と言った。しかし、返事はなかった。難易度が少々高かったか。おかえりゆうたらただいまゆうもんやで、おばあちゃん。一筋の光明。家の雰囲気が心なしか華やいだ。

4、本を読みました

 田口ランディさんのお兄さんは引きこもりの末餓死されたそうで、その死をなんとか理解せむとして書いたという小説『コンセント』を読んだ。おもしろい。無意識に死臭を探してしまうくだりなんてぞくぞくするほどだったが、夢が出てくるあたりでトーンダウンしてしまった。それはひとえにこちら側の問題、私は夢の出てくる話が苦手。『ノンちゃん雲に乗る』は大好きだったけれど。と言った手前、今ここで夢の話をするのは憚られるのだが、私、ちょっと愉快な夢を見たんです。お医者が私に言う、「あなたは先天的におっぱいが弱い」、「おっぱいが弱いとはどういうことですか」と私は聞く、すると彼は言った、「つまり、母乳がすこぶる不味い」。村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』も読んだ。勇気のかたまりみたいな本だった。随筆でここまで心が熱くなったのは初めてかもしれないな。私もこれから真剣に生きようと思った。そう、今年の十月を終えて思うのは、真剣に生きようということ。

5、ヘリコプタが飛んでいました

 十月某日、空がなにやら騒がしい。不審に思って空を見上げたら。
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 その音は徐々に近づき、やがて窓ガラスを震わすほどの爆音に。冗談抜きに、戦争が始まったと思った。
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 十月某日、再び聞き覚えのある爆音。今度はズームで撮った。ここまでくると、何か起こらないほうがかえって不吉である。一体誰が何をしているのだろうか。
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次回からは通常運転です。今後ともよろしくお願いします。

投稿者 shiori : 20:10 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月06日

日記: 理想と現実

 飲みに行った店で興味深い会話を耳にした。
 歳の頃は30前後、学生時代の友人らしき3人組男子である。

「彼女にするならエビちゃんみたいな顔がいいね」
「そうだね、うん、エビちゃんはいい」
「やっぱり女は可愛いのがいいよね」
「お見合いってしたことある?」
「ないけど、なんか、だるくね?付き合う前から親同士が知り合いなんだろ?やだね、俺は」
「じゃあ結婚相談所は?」
「あれってカップルになったら金とられんだろ?」
「納得いかねーよなー」
「だよなー」
「脱会したあと、街で偶然出会って恋に落ちるみたいなの、よくねえ?」
「いいねえ、俺も好き、そういうの」
「結婚てゆうかさあ、俺、側室、欲しいんだよなあ」
「ああ、側室」
「そう、側室。35くらいで結婚して、側室持って、60くらいに死ぬの、おむつとかして周りに迷惑かけるのも嫌だからさあ」
「そっか、俺はね、戦死したい」
「ああ、惜しまれて死にたいよなあ」
「うん、確かに戦死はいい」
「ああ、彼女、欲しいなあ」
「欲しいよなあ」
「欲しい」
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投稿者 shiori : 10:02 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: タクシー taxi

 その昔私が14の頃、事情があって週に一度タクシーに乗っていた。甲子園から夙川まで、時間にしたら30分程度だっただろうか、今でこそいかにも容易に手を上げて「着いたら起こしてください」なんて言ってぐうぐう寝たりしているけれど、当時は不慣れなものだから、緊張していつも車酔いをしていた。それなのに、運転手のほうはその年頃の子がめずらしいから、なんやかんや話しかけてくる。一度なんて「おっちゃんにも君の歳くらいの娘がおってね、でももう何年も会ってへん、おっちゃん離婚してもうて、子供に会わせてもらわれへんの」とかいう身上話を延々と聞かされて、吐きそうやのに、私、まだ14やのに、そのせいだかどうか、いまだにタクシーのおっちゃんトークは苦手である。運転手は無口に限る。しかしながら、私もかれこれタクシーに乗ったが、タクシーの運ちゃんはおしなべて饒舌であり、トラックの運ちゃんは矢沢永吉を好む。理由はわからないが、そういうことになっている。運転手の生態について書きたいことは多々あるが、それはまたの機会に譲るとして、タクシーの語源について少々。
 タクシー(taxi)の正式名称はタクシーキャブ(taxicab)、さらに言えばタクシーメーターキャブ(taxi-meter-cab)である。つまり、料金+計器+キャブ、なのだが、ではキャブ(cab)は何かと言うと、これはカブリオレ(cabriolet)の略である。カブリオレは和製英語だとオープンカー、英語圏ではコンヴァーチブル(convertible)とも呼ばれるが、折りたたみ幌付き自動車を指す。その昔は1頭立て二輪の幌馬車をカブリオレと呼んでいて、西欧の時代劇やなんかで見かけるけれど、公共の交通機関であったという経緯からタクシーを意味するようになった。カブリオレは古いフランス語で「山羊の跳躍」という意。その軽快な動きから名付けられた。
 私がこれまでに乗ったタクシ−の中でもっとも印象的だったのは、ヴェネツィアの水上タクシーである。空港からホテルまで乗り合いタクシーのようなもので行ったのだけど、夜も10時を回っていた都合あたりはまっくら、おまけに濃霧がたちこめていて、闇をかきわけるようにタクシーは水面を走った。いくつもの橋をくぐり、いくつもの水路を曲がり、タクシーは街の奥深くへ忍び込んでいく。まるでフェリーニの映画の中に迷い込んだような心地だった。水の音と運転手の歌声。ヴェネツィアの運ちゃんはプッチーニのアリアを高らかに歌い上げるのだった。

投稿者 shiori : 10:01 | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年10月04日

日記: 老い

 どうやら風邪をひいたようだ。頭と喉と歯が痛い。実家へ行ったら父も母も祖母も具合が悪そうで、今はそういう時期なのだなと思った。祖母は薬疹で全身真っ赤に腫れてしまってかわいそう。二時間くらい咳き込んでいるし、まさに満身創痍で生きている。ただただ、ひたむきに、生きている。
 しかし祖母はさておき、父も母も具合悪いと言いながらさんざ酒を飲んでいて、まあ飲めるなら病のほうも大したことないのだから構わないようなものだが、そのあとに抗生物質とか風邪薬を飲むのは明らかによくないと思う。その他にも薬に関する無知は多々あってその都度注意するのだけど、もう還暦も近づくと人の言うことなんて聞かないし、ほんと老人は厄介だ。持病の薬も隔日で飲み忘れてるし、煙草も酒もすごいし、脳の血管がぷちっといったら、痰とったりオムツ替えたり、この私が面倒みやなあかんねんぞ!一人っ子やから!と時々無性に腹が立つ。
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 老人ついでにもひとつ言うと、母はよく車で買物に行くのだけど、買物をしている間に車を停めた場所を忘れてしまうのだという。戻ったら車がなくて、これはもう盗まれたから警察に連絡せなと思ったけど、念のため下の階に行ってみたらあったのよ連絡せんでよかった〜、のだそうだ。以来「エレベータのあたり」とか「お店のそば」と駐車した場所をメモしていると誇らしげに語っていた。それを聞いた父は、手帳にそういう文字が残るのは癪でしょう、だからポストイットにメモしてぽいぽい捨てればいいよ、と助言していた。
 徹頭徹尾、ひどい話である。その遺伝子が自分にも備わっているとは、まこと、生きた心地がしないというもの。
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 昨日で33歳になった。3月3日はゾロ目やなあと思ったくらいで、さしたる感慨もないのだが、周りの人に優しくしてもらえるのは最高に嬉しい。メールくださった方、ありがとう!

投稿者 shiori : 10:33 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: トトとロト totoand LOTO

 先日totoBIGで6億円の当選金が出たというニュースを聞いた。すごい。鼻血が出そうだ。ならば私も買ってみようかしらんと思うのが人情であり、しかし当たるはずもないのが実情か。totoBIGはJリーグの指定された14試合の結果を、それぞれ勝ち・引き分け・負けの三択で予想するクジである。従来のtotoと違うのは、機械がランダムに予想したカードを買うということ。お勉強は一切役に立たない。100%、神頼みである。しかしまあtotoも4,5試合予測できたところで詮無きこと、神頼みには違いない。
 確率の話をすると、totoは13試合だから全部びたりと当てる確率は1/3の13乗、およそ1/1,600,000である。実際はもう少し高確率で当たるだろう。いっぽうのtotoBIGの一等当選確率は1/3の14乗、およそ1/4,800,000。480万というとだいたい福岡県の人口と同じだ。福岡県に一人。そんなもん、当たるか、というのである。
 トトの語源はイタリア語のトトカルチョ(totocalcio)。これはtotalizzatore(合計、英語のtotal)とcalcio(サッカー)を合わせた造語である。
 ロト(LOTO)というくじもある。英語のlot、lottery(くじ)から名付けられたわけだが、これらの語源は古英語のhlot、元来くじに使う小枝を指す言葉だったようだ。
 現在売られているのはロト6とミニロト。ロト6のほうは1~43までの数字のうち6つを選んで、びたりと当たれば一等賞である。キャリーオーヴァーがあるので、当選金は最高4億円。確率は43C6(コンビネーション43の6)なので、およそ600万分の一ということになる。ミニロトのほうは1~31までで5つなので、確率はおよそ17万分の一。当選金は1千万円。こうやって並べるとミニロトは当たりやすそうに見えるが、なかなかどうして、相撲取りのダイエットみたいなもので180kgが150kgになったところでどうってことない。
 私も買う時にいつも思うのだけど、例えばミニロトで「2,6,15,22,28」と選んだ場合と「1,2,3,4,5」と選んだ場合では当選する確率は同じである。そんな連番ありえないと感じるかもしれないが、それくらい当選というのはありえない出来事なのだ。それでも夢見て買ってしまうところが宝くじの妙なのだけど。

投稿者 shiori : 10:30 | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月02日

日記: deja vu

 雨のそぼ降る中、御殿場のアウトレットへ。
 去年は車が大破して大変な目に遭ったが、今年は無事に帰って来られた。よかった。ディーゼルで服を数着、北欧食器を数点購入した。本当はブーツが欲しかったのだけれど、結局買わなかった。最初にPRADAの素敵なのを見てしまったのが敗因。その面影を追うように他のを見ても気に入るわけがないのだ。PRADAは高くて買えないし。だいたい70%offで8万、てどんな靴やねん。チップでも埋まってて勝手に歩いてくれますのん。と負け惜しみを言いつつ、すごすご退散した。
 東名の大井松田IC付近にお山のぽっぽ鉄道が見えるのだけれど、そのあたりでデジャヴュに襲われた。まあよくあることだ。頻度にすると二ヶ月に一度くらいだろうか。もうさすがに馴れたけれど、あれはずいぶん奇妙な感覚だと思う。最初はがつんとくるのに意外と余韻が短く、ひとたび過ぎ去ってしまうとそれがどんな感覚だったのかまったく思い出せない。若いワインみたいなものだ。快い感覚とは言いがたいし、かといって嫌悪感があるわけでもない。輪郭のぼやけた風景は全体的に青みがかっていて、ほの明るくて、透き通っている。シャガールの絵画のような雰囲気だろうか。いつもデジャヴュがやってくると、それを言い当てる言葉を必死で探そうとするのだが、見つかる前にデジャヴュは去ってしまう。そして宇宙の果てに置き去りにされたような、少し哀しい気持なるのだ。
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投稿者 shiori : 17:09 | コメント (0) | トラックバック (0)

カタカナ: ベンツとビーエム Mercedez-benz and BMW

 2006年度の日本国内の輸入車売り上げベスト3は、1位フォルクスワーゲン、2位BMW、3位メルセデス・ベンツとなっている。年によって細かい順位の変動はあるが、ここ十年、この三つどもえの攻勢は変わっていない。昨年度の輸入車全体の販売台数は25万台、そのうち70%を上位3ブランドが占めている。しかしまあ昨年度のTOYOTA国内販売台数は170万台というのだから、ドイツ車が束になってかかってもその足元にも及ばないわけで、少し前にTOYOTAが販売台数、売り上げともにGMを抜いて世界一になったという話を聞いたが、リストラも一切行わずに不況を乗り切り、まあなんというか、すさまじい企業である。
 さて話はベンツに戻るが、メルセデス・ベンツはダイムラー・クライスラー社が売り出す自動車のブランド名である。その昔ベンツさんとダイムラーさんが同時期に世界初のガソリン車を発明して、商売敵として切磋琢磨していたが、第一次世界大戦後の混乱を乗り切るために合併してダイムラー・ベンツ社、その後、アメリカのクライスラーと手を組んで、ダイムラー・クライラー社になった。メルセデス(Mercedez)とは会社の発展に寄与した実業家の娘の名前。スペイン語で「慈悲深い人」という意味。「所有者から女性のように愛される車」を願ってつけられたのだそうだ。あのエンブレムはダイムラー社のスリー・ポインテッド・スターとベンツ社の円形月桂樹を合わせてデザインされた。
 BMWはBayerische Motoren Werke AG(バイエルンエンジン製造会社)の略。もともと飛行機のエンジンを作る会社だった。白と青のエンブレムはバイエルン州の旗をモチーフにしていて、円と十字は飛行機のプロペラを表している。ベンツと比較すると、全体的にスポーティなデザインである。現在はロールスロイスとMINI(元ROVER)を傘下に入れている。
 フォルクスワーゲン(Volkswagen)はドイツ語で「大衆車」という意味。その名の通り、前述の2ブランドに比べると価格はだいぶ安い。ベンツCクラスやBMWの3シリーズといったオーソドクスが400万〜500万、対するVWのGolfは300万、といった感じである。VWといえばビートルだが、これは「国民全員が所有できる安い車を」というヒトラーの命をうけてポルシェさん(ポルシェを作った人のお父さん)が考案した車で、2003年に生産中止になるまで世界で最多売り上げを記録した車でもある。

投稿者 shiori : 17:07 | コメント (0) | トラックバック (0)