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2008年02月04日

日記: 調律してもらう

 夜のうちに雪は止んだようだ。今日はピアノの調律に来てもらった。ピアノは弦楽器と違って自分でピッチ調節できないので、定期的に診てもらう必要がある。年に一回というところだろうか、あれも形状記憶みたいなもので、あまり間を空けると癖がついて本来のピッチに戻れなくなってしまう。徐々にピッチが下がるのは弦楽器と同じで、だから調律前の音はどこか疲れてくたっとしている。暗くて、だらしない。それを締めなおして全体的にくっと持ち上げると、途端に音がきらきらして明るくなる。エネルギッシュに響く。これは感性の問題ではなく、人間の耳自体がそう感じるようにデザインされているらしい。
 ピッチ調整の基本は真ん中のA=440hzだが、最近は442hzで調整する場合が多いのも同じ理由で、楽曲が明るく響くからだ。クラシックの世界は知らないが、少なくともポップスやロックの現場だと442が主流だろう。たかだか2hzの違いだが、聞き比べるとその差は歴然である。ちなみにAの隣、B♭は466hz。
DSC00722.JPG
 そういえば昔、フィレンツェのホテルに置いてあったピアノを触ったら、AがEだった。つまり、4度ずれていた。1ヘルツ、1ヘルツ、とずり下がるのにどれくらいの時間がかかるのか、あるいはムッソリーニの時代から手を入れていないのかもしれない。悠久のピアノ。グッドピアノ、とご主人にいうと(嘘ではない)、彼は「娘のために買った、その娘も結婚した」と嬉しそうに話していた。一家でアルジェリアから移住してきたとのこと。
 話は大倉山に戻るが、調律師さんと話していたら、最近ピアノを習いに来る人のほとんどは生ピアノを持っておらず、電子ピアノかフェルトの鍵盤(エアピアノだ)で済ますのだそうだ。当然おもしろくないから、みな早々に止めてしまうという。ふむ。むろん住宅事情の要因が大きいとは思うが、ピアノ自体への興味喪失というのか、『千の風になって』とか『レットイットビー』なんかが弾ければ満足する人が多いのだろう。何の問題もないと思う。自然淘汰というやつだ。むしろわたしたちの時代がこぞってピアノを習わせすぎたのだろう、乱暴な言い方だが、みながベートーベンのソナタを弾く必要はないのだ。

投稿者 shiori : 15:41

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コメント

スイマセン。
食いついてしまいますが、弦楽器などはピッチ次第で音量も変わるので、練習とか室内でのアンサンブルですと少し落とすチューニングもします。
ただコンサートや協奏曲でのメイン楽器はその中で際立つよう高くするようです。

バイオリンなどの繊細な楽器となれば、ブリッジや魂柱(内部の2本の木柱)を長もちさせるためにも1/8下(436?)以下などで指導する先生もいるようです。


結局は指揮者やコンマスの感性次第でもありますが。その辺りは弦楽器プレーヤーは結構アバウトで、演奏中は運指でごまかすのです(開放弦は第4ポジションで同じです)。
どうしても弾いてる途中で下がりますから。


とここまで書いていて気になったので調べたところ、どうもバロック時代のピッチは現代より低く、415Hz(1/2下げ)となるようです。
記憶をたどるとこういうチューニングも確かにありました(作曲者や編曲者の指示でそうします)。細かくは色々あるのですが(ピュアガット弦を使って、そうしないさい、とか)。

お世話になっています(破顔の笑み)

平均律、とはよくいったものでピアノの場合
すべての音が近似的である反面
すべての音が等しくずれているわけですね
だから弦楽器奏者からすると
ピアノの和音は気持が悪いという話をよく聞きます
確かに聞き比べると
化学調味料的なあたりのきつさがあるとわたしも思います
それを嫌ってのことなのか
ことにサンバやフォルクローレだと
ギタリストは自分の気持のいいところで調律して弾いているので
音によってはゆうに四分の一音はずれていたり
調律もその人の個性ということなのでしょう
ピアノと合奏するとなると
ピアノ>X
の図式になってしまいますが

それにしてもヴァイオリン奏者の耳の良さには舌を巻きます
絶え間ない不快感との戦いで鍛えられ
さらに耳が良くなり、さらなる不快感を生ず、というジレンマ
ところでふと思い出しましたが
ヘヴィメタルバンドのパンテラは
A=400hz(約1・1/4下げ)チューニングでした
ベーシストがびよびよの弦でよく我慢したものです

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