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2007年01月13日

日記: コンビニエンス

 私たちが大学に入学した当時は、誰もマイコンピュータなんか持っていなくて、知りたいことがある時は図書館へ行って、目録を繰って番号を控え、書架の列を右往左往してようやく所望の本を見つけ出し、しかしいざ読んでみると内容が微妙にずれていて、これは使えないと再び目録に戻ってカードを繰る、なんてことをやっているうちに、実のところさほど知りたいわけではないのだと初心を疑い始め、あ〜あ止めて帰ろかしらんと気もそぞろ、運悪く友人なんかに会ってしまったら最後、すたこらと図書館をあとにすることになる。もちろん知りたいことは知らぬままである。
 昔は賢くなるためには努力が必要だった。それが今はほら、見てください、例えばあなたが「徴兵制」について興味を持ったとしよう、コンピュータを開いて空欄に、徴兵制、と入力してエンターキーをぽんと押すだけで、北朝鮮の兵役は10年だのドイツは良心的兵役拒否が合法だのいう情報を得ることができる。実にイージーである。人類はもう賢くなるいっぽうじゃないですか。と思いきや、そうでもないところがやはり人類なのだった。
 便利になった、とは時間を短縮できたという意味だ。月曜を待たずに預金を引き出せたり、大阪まで二時間半足らずで到着できたり、それは喜ばしいのだけれど、ところでその節減された時間はどこへ行くのだろうか。ゆとりができたという記憶もない。結局のところ、日々の暮らしに飲み込まれて、新たな不便を生み出すだけなのだと思う。
 しかし、この利便追求の流れは止まらないだろう。なんとなれば多くの人が貪欲なまでに便利性を望んでいるからだ。私はそのことがいいとも悪いとも思わない。しれっとして恩恵に被るだけである。ただひとつだけ確かなのは、利便をどれだけ追求したところで私たちは賢くなるわけではない、ということだ。その高みに達するためには、まったく別のアプローチが必要なことを、世の人はわかっていない気がしてならない。

投稿者 shiori : 11:44

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