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2005年07月07日

日記: 7/7

私はメルセデスに2回乗ったことがある。
もはやこのような発言は「私は東横線に2回乗った」と同義になってしまったほど市井の人々が巨万の富を手にする時代なのだとしたら、さらに付け加えよう。
ヒッチハイクで乗ったのです。どうだ。
と威張ったついでに言えば、メルセデスを選ってヒッチハイクをしたわけではない。ヒッチハイクをしたらメルセデスが止まったのである。
あれは今から10年前のオーストリア。イタリア国境に近いインスブルック(昔冬季オリンピックが開催された)からバスで2時間ほど行ったところにチロルという村がある。そうです、チロルチョコのチロル。私はそこの貸別荘に滞在するという好機に恵まれた。何しろ本物のアルプスのお膝元である。景色はあらんばかりに美しく、星空は恐ろしいほど明るい。山の斜面の牧草地には牛が寝転び、その周辺をシェパード犬が駆け回る。色とりどりの花が咲き乱れ、心地よい風が吹き抜ける。最高である。
しかしそれ以外は何もない。とことん何もない。テレビもパブもない。英語の話せる人もいなければ、郵便屋さんも週に2回しか来ない。レストランにはだんご入りスープとアップルパイしか置いてない。でもそういう不便を好んで来ているわけだから滞在客も文句はいわない。
それでチロルで何をするかと言えば読書あるいは山登りだ。日本のちんけな山じゃない、世界のアルプスに登るのだ。と思えば足どりも幾分軽くなるというものだ。ドイツ系の人はとにかく山登りやバックパック旅行が好きなので、こんなへき地でもわりと賑わっている。しかし大柄な白人ばかりで私などはおこちゃまに見えるのだろう、「ヘイ、キッド、ホールドオン!」とはやされたりした。その頃の私はまだシャイで「アイムナットバージン」などと返せなくて今思えば口惜しい。
登頂すると山小屋で白ワインとにんにくスープなどを食べて汗を乾かす。見ず知らずの外人と身ぶり手ぶりで会話を交わす。自分がものすごくスペシャルに感じられて気分がいい。
唯一問題なのはバスの運行時間なのだった。登山口と村を結ぶバスが一日一本しかなく、乗り遅れると街灯もない山道を5時間くらいとぼとぼ歩くことになる。狼が出るとも聞いた。大変である。
それがこともあろうに、ある日その命綱のバスを逃してしまったのである。途中ではちみつ小屋を見学したのが敗因か、うんこにいきたくなって草むらでもそもそしたのが敗因か、とにかく途方に暮れた私たちはとりあえずとぼとぼと山道を下り始めた。日もそろそろ陰り始めてきている。狼の遠吠えも聞こえる(ような気がする)。
30分くらい歩いた頃だろうか、鬱々としていたとき遠くからエンジン音が近付いてきた。私たちは立ち止まって道の先を凝視する。もうトラックだろうがパトカーだろうがヒッチハイクしかない。
次の瞬間、神々しい輝きとともに現れたメルセデス。親指をぶんぶん振り回して合図すると、その車は救世主のように厳かに停車したのだった。
乗っていたのはウィーン在住の4人家族。こういう時に小さい子供がいると本当に安心する。首筋にばっちり墨の入ったお兄さんとかじゃなくてよかった。(びびりながら乗ったと思うけど)しかも彼らは本当にいい人たちで「カモン、カモン」と私たちを招き入れてくれた。ハプニングのときに度量の大きさを示すのが全世界共通かっこいいお父さんなのだ。奥さんも子供たちもにこにこしている。
乗る場所がないので子供たち(バージンじゃないのに私も)は荷物入れに膝を抱えて乗ることになった。小学校低学年の姉と弟は東洋人をみるのが初めてだったらしく、私の顔を穴のあくほど見つめている。二人とも天使みたいにかわいいので東洋人てブサイクでしょ〜と自虐的な気分になったが、相手もたかがチビ助なのでおしくらまんじゅうを仕掛けると歓声を上げながら押し返してきた。そんなふうにじゃれながらチロル村まで送り届けてもらう。
別れ際ハートフルな家族たちは窓から首を突き出して、笑いながら手を振ってくれる。外国で現地の人に優しくしてもらうと涙がにじむほど嬉しいものだ。私たちも車が見えなくなるまで手を振り続けた。
あの男の子は夏休み明けの学校で「僕、ニッポン人を車に乗せたんだぜ」とか自慢しただろうか。していたら嬉しいなと思う。
ところでそういえば、と感慨がこみ上げてきたのはしばらくたってからのことだ。私はメルセデスをヒッチハイクしたのだ。トヨタでも喜んで乗ったけれど、ベンツってとこがさらにいいじゃないですか。
確かに乗り心地は格別だった。というのは嘘で荷物入れはさすがのベンツもたいしたことはなかった。
真価を存分に味わうのはその一週間後のことだが、それはまた次回。

投稿者 shiori : 13:43

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