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2005年07月13日

日記: 7/13

出かける前に玄関で「今日は歩き回ることになるかも」と予感したので7センチヒールのサンダルを脱いでスニーカーで足元を固め直したのだが、実に先見の明があったのだった。
京橋に『ヴェラ・ドレイク』を観に行く。
同じ監督の『秘密と嘘』という映画がかなり好みだったので楽しみにしていた。ところが映画館の前は黒山の人だかりで、次回も次々回も満員とのことだった。首都圏各地からいか飯のように丸々肥えて前時代的な化粧をした更年期周辺のおばさんが集結していたのだ、なぜなら今日はレディースデイ(女性は千円で鑑賞可)、生理があがっていてもレディースデー。映画のあとは「おもしろかったわ〜」と差し障りのない感想を言いながら資生堂パーラーか銀座レカンかでケーキをむさぼり、松屋か三越でお惣菜を買ってかえるに違いない、資本主義の地縛霊どもが。
と自分のことはいっさいがっさい棚に上げて悪態をつき、とぼとぼその場を離れた。
小さいことに頑固で自分でも疲れてしまうんだけど、今日は映画を観ると決めていたのでやはり映画を観ることにする。とはいえ銀座界隈には観たい映画がなかったので場所を移動、上映時間ぎりぎりだったので疾風のごとく走った。スニーカーに感謝。

恵比寿で『さよなら、さよならハリウッド!』
あとで勘定してみたらウディ・アレンの作品を観るのはこれで20本目。彼が多作ということもあるが、もっとも本数を観ている監督である。しかし劇場での鑑賞は今回が初めてだった。
いくつか理由があるのだけれど、まず彼の作品はおしなべて短いので1800円が惜しい気がしてしまう。もちろん本も映画も長さと質はまったく関係ないのはわかっているが、85分でエンドロールが流れるとちょっと物足りない。また、基本的には言葉の冴えた群像劇なので画面いっぱいに広がる砂漠とかど迫力の銃撃戦とかは出て来ない。だからまあビデオでもいいかということになってしまう。そして何よりも彼の作品を観ると私はものすごく笑ってしまうので独りの方が気楽だ。こちらも心おきなく笑いたいし、あちらにしたらたいしておもしろくないのに大声で笑う他人てのは感興をそがれるものなのだ。
というわけで、ウディ・アレンの作品はもっぱらビデオ専門と決めてこんでいたが。
I made a mistake! I made a mistake!
というのは『ギター弾きの恋』でショーン・ペンがロンドンコーリングのジャケットよろしくギターを破壊する場面で叫ぶセリフなのだが、そこまで劇的ではないにしろ、わたくし間違えておりました。
当たり前だがウッディーの映画は実に映画然としていて、あの暗闇で息を潜めて画面を見入ると今までは気づかなかった味わいがあるのだった。今回の作品がとてもよかったというのもある。近年観た中では一番だった。
『ヴェラ・ドレイク』から私を締め出したいか飯おばさんたちに少しだけ感謝した。
恵比寿の三越で肉まんと冷麺と焼そばと油揚げを買い(祖母の土産)、麻布十番に移動。やたらとよく歩く日である。
その後の話は次回に続きます。

麻布十番で友人とイタリア料理を食べる。
彼女は最近年上のお金持ちと結婚したばかりなのだが、誕生日にもらったといって数十万のブルガリの時計を見せてくれた。そういうセレブグッズは普段ほとんど目にしないので興味深く拝見する。盤面のふちにぐるりと「ブ・ル・ガ・リ」と彫ってあって、これなら誰にでもブルガリだとわかるので安心ですね。だんなさんとペアウォッチだそうで、惚れ惚れするような財力である。
愛情を形で示せる財力って魅力的だ。相手が本当に喜ぶものを買ってあげられる幸せを私も一度でいいから味わってみたい。
とそこで振り返ってみると、私は「お金持ちになりたい」とか「狂おしいほど金が欲しい」とかいう欲求をもったことがないのに気づいた。これは別にふんだんにお金があるとかいう話ではなく、とはいえ私は月給取りの一人娘なのでお金に苦労したことはないし、就業年齢に達したのちも「実家にあるものは私のもの」というニート街道まっしぐらなので(そういうのはどうなのかという倫理的問題はおいておくとして)お金に困る機会がない程度にお金は持っているということだ。
しかし「お金に困る」とは食パンの耳と賞味期限の過ぎたミルクで3年しのいだという状況に適当な表現だとすると、そういう輩はテレビに出られる時代なわけで、たいていのニッポン人はそもそもは金に困っちゃいない。だから巨大な借金を背負って追われているようなファンタジックな人々は別にして我ら市井の小市民は、ワンランク上の生活がしたいとか、BEING RICHにまつわるあれこれを手に入れたいとか、猛烈に欲しいものがある場合に「お金が欲しいなあ」とつぶやくわけだ。生きるに必要なお金ではなく、あくまで個人の余剰なお金についての話です。
よく地団駄を踏んで泣き叫びモノを欲しがる子供を見かけるが(行かないであなた、とすがるのも、無駄だという点では同じですね)、私自身はそういった野性的な部分が欠落しているようで幼少より一貫して物欲にはクールだ。
これは助かる。例外的に欲しがるものは本とCDだが、貴金属を欲しがるのとはわけが違う。ブルガリの時計より『エロイカ』全巻の方が喜ぶなんて我ながら安上がりな女である。
また組織に属していないとよくも悪くも「平均」を意識する必要がないから「わたくしに何か問題でも?」と唯我独尊になる傾向がある。私も同じ年頃の女子と毎日顔を合わせていれば、化粧品やら洋服やら生活スタイルやらの向上に励み散財していたかもしれない。同僚が自分より給料やボーナスが多いことに嫉妬していたかもしれない。自分にはそういういやらしいところがあるから「お金持ちになってやる」と息巻いていたような気がする。幸いにも今の生活はそういった「格差」を意識したお金の使い方をしなくて済んでいる。(まあ定収入がない不安というのも相当なんですけど)
それにしても物欲と収入は鶏と卵だなあと思うのだけれど、私の収入が少ないから自己防衛的にモノを欲しがらないのか、モノを欲しがらない生活をしているから応じて収入が少ないのか、そのあたりはよくわからない。ブランドグッズ大好きだったら風俗で働いてがっぽりだったかもしれないし、宝くじがあたっていたら全身ブルガリ(?)だったかもしれない。人の一生なんて偶然によっていくらでも豹変しますねえ。おもしろい。
とそんなことを考えながら、カキだとかホワイトアスパラだとかを頂いた。トカイという美味しい白ワインを飲んで満足する。その後もカフェで飲んだりして少し度を過ぎたらしく、東横線の特急と各駅を乗り違えてずいぶん遠くまで行ってしまった。いつまでたっても目的地に着かなくて桃鉄のなんたらカードで邪魔されている気分だった。

投稿者 shiori : 13:38

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