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2005年07月03日

日記: 7/3

ここのところ家人がみな出払っているため祖母と二人きりの蜜月、二人で繭の中に閉じこもって見つめ合っている感じだ。
何しろ彼女は一日のうちで接する人間は私だけなので、彼女の命は私の手中にある。私がもし飲みに出かけてしまったら彼女は夕飯にありつけないし、私が意地悪したら彼女はずっとうんこまみれで過ごすことになる。子供を産んだことがないので、そういう生きるも殺すも自分次第というぎりぎりの人間関係は新鮮だ。
祖母の世話といっても掃除洗濯、三食の飯炊きに下の世話、時折話相手くらいのことで子なし主婦+αの仕事量なのだが、なにぶん要領が悪く時間がかかってしかたない。近所に買い物に行く以外に外出できないのも痛い。2時間以上一人っきりだと不安になるのか、よろよろ歩き回って危ないのでこちらとしても気になってゆっくりできない。
私は今わりと元気なので自由時間が少ないのを祖母のせいにして苛ついたりぎすぎすしたりはしないけれど、余裕のない時だと自信ない。祖母が困っているのを無視したり、わざときつい言い方をしてしまうかもしれない。
老人の面倒を看ていれば楽しみしていることややりたかったことを犠牲にしなきゃいけない場面は必ずある。育児でも同じだと思うけれど、老人は子供と違って自分が能動的に製造したわけではないのでこちらの包容力や優しさや責任感は激減して当然だ。だいたい老人なんて大人のくせにトイレも自分でできないし、プライドばかり高くて偉そうにするし、全然可愛くない。ましてや旦那の母の介護が楽しくてウキウキするわけもない。
そのかわりお金というマジックパワーが有効だ。無理だと思えば姥捨て山(老人ホーム)に捨てに行けばいいし、ヘルパーさんでも何でも雇って補えばいい。お金がなければ自宅で死なない程度の介護をしておけばいい。そのことは社会的にコレクトだと認識されているし、憂き目に遭っている老人の人権を声高に叫ぶ人も少ない。だいたい相手もぼけてるし早々に死んだりするから捨てられようが虐待されようがうやむやになってしまう。
それでも私は思うんだけれど、人が人に苛ついたり意地悪する場合はその相手が子供であれ老人であれ同僚であれ、加害者の心のダメージは同じなんじゃないか。夜泣きを止めない子供を殴る母親と徘徊する母を柱にくくりつけて蹴る娘は同じくらい苦しいように思う。幼児虐待のように他人から猛烈に非難されることもなく少々の手荒な真似が黙認されていることが、かえって当人の自責の念を駆り立てるような気もする。
ケアマネージャーの人に聞いたのだけど、明らかに家族から疎んじられている老人はけっこう多く、そういう人は一様に怯えたような顔つきでおむつも常に悪臭が漂っているそうだ。
老人ホームにしたところで入居以来一度も家族が見舞いに来ない人などはざらだ。でも毎日入口に座って誰か来るのを待っていたりする。捨てられた人がいるんだから捨てた人はいるわけで、彼らも捨てたことを忘れることはないわけで、そういうのを考えるとたまらなくなる。
介護のダークサイドは私が想像するよりずっと暗澹たるものなんだろう。私も自分の祖母くらいはきちんと面倒をみて、生きててよかったと最後まで思えるようにしてあげたいと思う。

今日はミックが家に遊びに来てくれた。とり肉とカシューナッツの炒めものと海老のチリソースを作って3人で食べる。中華といえば、それとチンジャオロースーが好物ベスト3なのだが、どれにしてもどこかで誰かが作ってくれる料理で自分で調理するものとは思っていなかった。油通しの加減がよくわからなくて85%の出来だったがかなり美味しくて感動した。今度はもっと美味しいはずだ。
昼間、隣の部屋に越して来た住人が挨拶に来た。感じのいい老夫婦だったが、おもむろに男の方が私の顔をみて言った。
「お子さんは何人いらっしゃるんですか?」
「私が子供なんです・・・」
ブユウデンブユウデン、デンデンデデッデンッ、ゥレッツゴウ!
粗品はモロゾフのクッキー小缶。少ないぜ、おっさん!

投稿者 shiori : 13:46

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