« 7/7 | ホーム | 7/9 »

2005年07月08日

日記: 7/8

メルセデス初体験は荷物入れに膝を抱えて乗るという貧乏人のカルマを体現したようなドライブだったわけだが、その一週間後私はまたしてもメルセデスヒッチハイクに成功したのだった。しかも今回は後部座席。どうだ。
その日私は午後の便でインスブルックからパリへ向かう予定だった。しかし前述したように、チロルは寒村なので交通機関は凍結寸前。早朝と夕方の2本しかバスが運行していない。仕方がないのでタクシーを呼ぼうと村役場まで歩いていると、丘の向こうからメルセデスがやって来るではないか。私は迷うことなく手を挙げた。パブロフの犬である。そして巨大でぴかぴかのメルセデスが私の目の前で音もなく停車した。黒い窓ガラスがするすると下りて男の顔が覗く。
「どこまで行くの?」
高血圧で癇癪もちの工場長といった風体の男が聞いた。
「空港まで行きたいのですが、バスがなくって」と言うと、ちょうど街へ下りるところだから乗せてってやるよとのことだった。もしこれが東京ならばさすがの私をこんな危険な真似はしないが、ここはチロル、牛とだんご汁の村なのだ。それにこのおじさんも悪い人には見えない。ありがたく乗せてもらうことになった。私のサムソナイトをトランクに積んでくれたあと、おじさんはにやりとして言った。
「あんたはラッキーだぜ、俺の車は最高だからな」
その言葉の意味を嫌というほど知ったのは乗って間もなくのことだ。
「この車はメルセデスベンツ。知ってるだろ?」
「イエス、オフコース、ベリークール」
「実は2週間前に買ったばかりなんだ」
車内を見回すと、確かに真新しい感じだ。音も震動もほとんどなく滑るように山道を下っていく。なんでもそのおじさんはメルセデスの部品工場に30年間勤めているそうで、メルセデス貯金をこつこつためて今回晴れて従業員割引で購入したという。
「メルセデスは最高の車だよ、なんといっても俺が部品を作ってるんだからな」
おじさんはがははと笑う。「でも値段が高くてずっと指をくわえて見ているだけだったが、ようやく俺のものになったんだ」とハンドルを愛おしそうに撫でる。なんてったって最新モデルだしな、と後ろを振り返って私に相槌を求める。ワオ〜とかなんとか調子を合わせながら、前を見て運転しろと内心冷や冷やだ。
それからいつ終わるともないメルセデス品評会が始まった。
運転しながらの実演である。窓の開閉がどれくらいスムーズか、エアコンの効きがどれくらい素早いか(わざわざ一度止めて暖めた車内を急冷してみせた、ほんとに)、ラジオの音質チェック、シートのリクライニング具合などなど。むやみにワオ〜を連発する私。いちいち得意げなおじさん。困ったものである。
それが済むと今度はエンジン自慢である。
こんなにスピードが出るんだよ、とアクセルをぐぐっと踏み込む。メルセデスはアルプスの山道を文字通り転がり落ちていく。メーターをちらっとみると200キロ・・・私は軽く目眩がしてシートに沈みこんだ。
それからカーブをどれくらいスムーズに曲がれるかの実験。スピードを落とさずにカーブを曲がる。一瞬車がそのまま横滑りする感覚。これがもしやカーレースなんかのドリフトってやつか。だんだん気分が悪くなってきた。
私の反応も芳しくないし青白い顔でもしていたのだろう、おじさんも後ろを振り返って「ジョーク、ジョーク」と笑ってスピードを落とす。いいから前見て運転しろ。ヒッチハイクを後悔するがあとの祭りである。
窓の外を眺めると、おじさんのスピード自慢のかいあってだいぶ山を下ってきている。店や看板が増えてきてチロルより文明の匂いがする。と同時に車と人の量も増えてきて、信号待ちをするようになった。もう乱暴な運転はできまいと安堵したのも束の間、おじさんは突然空き地に車を止めた。私に車から降りて自分と一緒に来いという。わけもわからず車から10メートルほど離れた場所まで歩かされる私。一体何が・・・?!
神妙な顔で何やら黒いものを握りしめるおじさん。
「かちっ」
「き、聞こえたか?かちって聞こえただろう?」
「イ、イエス」
「こんなに離れていてもカギが開くんだよ!」
・・・こいつ、馬鹿だ。おじさんはリモコンキーの感度を自慢しているのだった。完敗だった。
車に戻った私はもうどうでもよくなり、すると妙にリラックスして鼻歌なんかを自然に口ずさむ雰囲気だ。するとおじさんは急に後ろを振り返って「ビートルズは好きか?」と聞く。(前を向けと念じながら)「好きですよ」と答えると、嬉しそうにビートルズのテープを探している。長かったメルセデス品評会もようやく一段落ついたようだ。本当によかった。
そしてビートルズ。
『GOOD DAY,SUNSHINE』『DRIVE MY CAR』『WHEN I'M 64』・・・
自分のフェイバリットテープに合わせて歌うおじさん。かなりひどい歌だったが、メルセデス品評会に比べれば何でもいい。私も調子に乗って歌い始めた。そして空港に着くまで、おじさんと私は合唱して楽しい時を過ごしたのだった。ようやく到着した空港ロビー、重々お礼をいって握手してお別れ。
とはいかないところがこのおじさんの特徴なのだった。離陸まで時間があるならコーヒーを飲もうというので、私たちはコーヒーを飲んだ。田舎の人の人なつこさ及びあつかましさは全世界共通なのだと感心する。車のこともあるしここは私が、と言うと「それはいけない」とおじさんはコーヒーをご馳走してくれた。基本的にものすごくいい人なのだ。
そして今度こそ本当に別れたあと、おじさんは見送りデッキに立って飛行機が離陸するまで手を振っていてくれた。ちょっとじんとした。そして私は無事にパリへと旅立った。
もう10年前のことだけれど、今でも『GOOD DAY,SUNSHINE』を聴くたびにあのメルセデスおじさんのことを思い出す。今でもあの車に乗っているのだろうか。あの時のように、元気に山道を飛ばしていればいいなと思う。
私は免許を持っていないし車にもあまり興味がないけれどもし車を買うことがあるなら、あのおじさんに感謝の意を表してメルセデスを買おうと思っている。

投稿者 shiori : 13:42

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://freedom.s13.xrea.com/blog/mt-tb.cgi/85

コメントを投稿