2006年07月28日
日記: 泣き笑い
祖母はその赤子のような笑顔のせいか、看護士さんからずいぶんかわいがられているようである。「ヤエコさん、今日もかわいいね」とか「いやされる〜」とか「あれ、今日は笑ってくれないの、さみしいよう」とか、それはもう実に愛玩動物的な人気を博していて、結構なことなんだけれど、まあしかし手前味噌ではあるが確かに祖母はかわいらしい。小さくて丸い顔をくしゅっとさせて無防備に笑うから、どうにもつられてこちらも微笑んでしまう。
しかし断じていうけれど、昔からそうだったわけではない。もちろん今と同じように、機知にとんだ情の細やかな人だったけれど、どちらかと言えば怒りっぽくて頑迷で、それこそコンプレックスの塊という印象があった。それが年の寄るうちに、こだわりがひとつ減りふたつ減り、そのうち業という業が綺麗に落ちて、笑顔だけが残ったのだ。
いつだったか、志村けんが「藤山寛美さんの芝居を見ると、お客さんが泣きながら笑っていて、自分にはまだその力はない」というのを聞いた時、すぐに祖母のことが頭に浮かんだ。
以前から気付いてはいたのだが、彼女がおもしろいことを言うと、笑ってしまうと同時にどうしようもなく胸がいっぱいになって、自分の感情に困惑しながらにじむ涙をそっと拭いたりして、あれはなんといえばよいか、暗闇に一筋の光がすっと射し込んだようで、希望のようなものに感動してしまうような感じなのである。そしてその光が一瞬で消えてしまうことも知っているから余計に切なくて、泣くような笑うような。
彼女は今、言葉はうまく話せなくなってしまったけれど、笑顔にはまだその力がみなぎっている。
投稿者 shiori : 15:49