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2006年10月25日

日記: burn or bury

 日本では火葬が当然なのだが、世界的にみるとまだまだ土葬が主流である。ヨーロッパではいまだ20%未満にとどまっているようだ。キリスト教が火葬を禁忌していることが原因のようだけれど、考えてみれば死んだ者を土に帰すというのは自然な発想なのであって、火をつけて燃してしまうほうがよほど不自然である。火葬場で焼かれる直前がもっとも哀しいとよく言うように、形あるまま埋められるのと灰になってしまうのとでは心象がずいぶん異なるのだろう。かといって人口360億の時代、そのままの大きさで埋めていたら地球は死体だらけになってしまうので、火葬への移行が増加しているようだ。衛生面の問題ももちろんある。
 それにしても欧米は本当に土葬の国なのだなと感じ入ることがある。例えばゾンビなんてものは火葬の国にはありえない。辞書をひくと「呪術によって生き返った死体」とあるが、結局土葬の場合には仮死状態のまま葬られて棺桶の中で息を吹き返し、自力で脱出したところを目撃されるなんてことが実際にあったのだろう。棺桶の裏蓋に引っ掻き傷がついていたという話も聞いたことがあるが、とにかくトドメを刺していないので死んでいない可能性があるのだ。夜なんてとても恐ろしくて墓地には行けない。死体が歩くのに比べれば火の玉が飛ぶくらい大したことはない。
 またキリスト教にしても、あれは火葬文化では生まれなかった宗教である。イエスの復活(ゴルゴダの丘で磔にされたイエスが3日後によみがえった)はキリスト教の根幹をなす重要な教義なのだが、まあ普通に考えたら死んだ人は生き返らないのであって、それがよみがえったりしてワッツゴーインオン、それでも墓に埋められたイエスがすっくり起き上がって歩いたというのはありえなくはないと思うのである。積極的に信じるわけではないが、仮死状態だったことに加え、強い霊性を宿した人間ならばありうるのではないだろうか。
 しかしこれが火葬だったら、いったん形を失った者が再び形をまとって目の前に現れる、もうほとんどオカルトの世界なのであって、イエスの復活は一気にトーンダウンしてしまう。土葬でも火葬でも水葬でも復活したのだから復活したのです、という信者さんも多いか知らないが、私には土葬というのが最高の匙加減に思えてならないのだった。

投稿者 shiori : 12:20

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