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2007年10月06日

カタカナ: タクシー taxi

 その昔私が14の頃、事情があって週に一度タクシーに乗っていた。甲子園から夙川まで、時間にしたら30分程度だっただろうか、今でこそいかにも容易に手を上げて「着いたら起こしてください」なんて言ってぐうぐう寝たりしているけれど、当時は不慣れなものだから、緊張していつも車酔いをしていた。それなのに、運転手のほうはその年頃の子がめずらしいから、なんやかんや話しかけてくる。一度なんて「おっちゃんにも君の歳くらいの娘がおってね、でももう何年も会ってへん、おっちゃん離婚してもうて、子供に会わせてもらわれへんの」とかいう身上話を延々と聞かされて、吐きそうやのに、私、まだ14やのに、そのせいだかどうか、いまだにタクシーのおっちゃんトークは苦手である。運転手は無口に限る。しかしながら、私もかれこれタクシーに乗ったが、タクシーの運ちゃんはおしなべて饒舌であり、トラックの運ちゃんは矢沢永吉を好む。理由はわからないが、そういうことになっている。運転手の生態について書きたいことは多々あるが、それはまたの機会に譲るとして、タクシーの語源について少々。
 タクシー(taxi)の正式名称はタクシーキャブ(taxicab)、さらに言えばタクシーメーターキャブ(taxi-meter-cab)である。つまり、料金+計器+キャブ、なのだが、ではキャブ(cab)は何かと言うと、これはカブリオレ(cabriolet)の略である。カブリオレは和製英語だとオープンカー、英語圏ではコンヴァーチブル(convertible)とも呼ばれるが、折りたたみ幌付き自動車を指す。その昔は1頭立て二輪の幌馬車をカブリオレと呼んでいて、西欧の時代劇やなんかで見かけるけれど、公共の交通機関であったという経緯からタクシーを意味するようになった。カブリオレは古いフランス語で「山羊の跳躍」という意。その軽快な動きから名付けられた。
 私がこれまでに乗ったタクシ−の中でもっとも印象的だったのは、ヴェネツィアの水上タクシーである。空港からホテルまで乗り合いタクシーのようなもので行ったのだけど、夜も10時を回っていた都合あたりはまっくら、おまけに濃霧がたちこめていて、闇をかきわけるようにタクシーは水面を走った。いくつもの橋をくぐり、いくつもの水路を曲がり、タクシーは街の奥深くへ忍び込んでいく。まるでフェリーニの映画の中に迷い込んだような心地だった。水の音と運転手の歌声。ヴェネツィアの運ちゃんはプッチーニのアリアを高らかに歌い上げるのだった。

投稿者 shiori : 10:01

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コメント

僕は最近、タクシーに週5日乗っておりますヘビーユーザーですが、車中でオナラをひねられた時は事故ってもいいからコイツあの世に送ってやりたい、と思うほどつらかったです。

あと、ドライバーがナゼか車酔いしてオエー、とやってた時かな。

タクシーに限らず車のおならは
換気扇のないトイレに幽閉されるようなもの
二人の場合は犯人も明らかですし
この時の素知らぬふりほど無意味なものはないと思います

東京地区の初乗り料金が710円に値上げされるとか
いやだわ

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