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2008年01月31日

カタカナ: テレパシー telepathy

 テレパシーというと、以心伝心くらいのニュアンスで使われることが多いようだが、本来は隔離された部屋にいながらイメージをやりとりできる能力をいうのであって、透視や予知なんかと同じ、ESP(extrasensory perception:超感覚的知覚)の一種である。いうまでもないが、わたしにはない能力だ。
 tele-は、テレヴィジョン、テレグラム、テレフォンと同じで「遠距離の」という意である。もともとはギリシャ語。いっぽうの-pathyは「苦痛」「療法」「感情」を示す言葉で、こちらもギリシャ語のパトス(pathos:感情、苦痛)に由来している。ちなみにパトスに対する言葉がエートス(ethos)で、こちらは人の性格や社会集団の慣習を示す。パトス(感情)はエートス(性格)のように恒常的ではないが、一瞬のうちに何かを生み出す力になる、と古代ギリシャでは考えられていた。
 シンパシー(sympathy)はsym-(syn-)が「共に」という意味だから同情、いっぽうアンティパシー(antipathy)はanti-が「反対の、アンチの」だから反感、政治的な無関心を示すアパシー(apathy)は、a-が「〜のない」という意味なので無感情、ということになる。
 最近時々耳にする、ホメオパシー(homeopathy)だが、これはhomeo-が「同種の」という意味で、日本語だと「同毒療法」と訳される。フランス、イタリア、ベルギーなどヨーロッパでは盛んな療法だが、日本ではあまり普及していない。簡単にいうと、高熱を出した場合、さらに熱のあがる物質を少量投与して、身体の恒常性(ホメオスタシス)を促して熱を下げるという療法だ。寒中水泳みたいな話だが、アトピー性皮膚炎なんかには効くと聞いたことがある。考え方はとても魅力的だけれど、日本に馴染まないのはもっともな気がする。たとえそののちに良くなるとしても、一瞬でもさらに悪くなるのは嫌、みたいなビビリの(悲観的な)国民だからだ。だから戦争のことも謝らないのだな。

投稿者 shiori : 14:34

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