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2007年12月09日

日記: お葬式

 炉から出てきたおばあちゃんの骨は、はっとするほど少なかった。骨壺はすかすかだった。最後はもう気だけで生きていたんだろう。持ち帰った遺影と骨壺のまわりには白い花が咲き誇っていて、がらんとした部屋には甘い匂いが満ちていた。その横で話をしながら、お酒を飲んだ。
 祖母が私の家にやって来たのは4年半前、2003年の夏のことだ。今となっては信じられない感じだが、当時の祖母は自分の脚ですたすた歩いて、電車に乗って三越へ買物に出かけたりしていた。それでも祖母は新たな家族を得て安心したのだろう、心身は少しずつだけれど確実に衰えていった。植物の世話ができなくなり、洗濯が干せなくなり、着替えができなり、入浴ができなくなり、という具合。とはいえ介助する者があれば何でもこなせたので、脳梗塞で倒れる2006年の夏までの三年間は色んな所へ出かけたし、色んなものを食べた。そして色んな話をした。このブログにも再三書いて来たけれど、夢か現か判然としないような珍言珍動も多く、今思い出しても口元がにやけてしまうほどだ。あの頃の祖母は、母の胸に抱かれて眠る幼児のように、穏やかで幸福そうだった。そんな祖母を見ていて私たち家族も嬉しかったし、その三年間があったからこそ、その後の本格的な介護を最後までまっとうできたのだと思う。
 歩くことはおろか寝返りさえも打てず終日寝たきり、食事は流動食、排泄はすべておむつ、その時期が結局、一年半続いた計算になる。今の世は何かと便利になっているし、世話自体に要する時間はさしたるものではないのだが、「死にかけている人」が家にいるというのはなかなか精神的にきついのである。X-dayを引き伸ばしたくもあり、さっさと片をつけたくもあり、そんな思いを行き来するうちにじわじわと疲弊していく。家族関係もぎくしゃくしていく。ちょっとしんどくなってきた、と母が弱音を吐くようになったのと前後するように逝ったのは、あるいは祖母の最後の優しさだったのかもしれない。

投稿者 shiori : 18:04

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