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2007年12月06日

日記: good day,good die

 昼休みに家に電話したら、祖母が危篤で医者に今日か明日と言われたという。会社を早退して目の手術もキャンセルしてすぐ帰ろうか、と言うと、それには及ばないと母。もう今まで十分にやってくれたし、あんたはあんたのことをまっとうしてくれ、と。私はわかったと返事して、夕方、会社を出て再び連絡すると、ああ、しおりちゃん、おばあちゃん、今、死んじゃった、と母は感極まった声で言った。祖母は最期に、深く長く「ああ」と声を出したのだそうだ。管を抜いて四日目だった。存外に早かった。
 私は電話を切ると、予定通り丸ノ内線に乗って目の手術を受けに行った。このあたりの感じを説明するのはちょっと骨なのだが、すぐさま踵を返して枕元に駆けつけるか、自分の用事を済ませるか、どちらの道を進んでも正解であり同時に不正解であるようで、でももうおばあちゃんは死んでしまったのだ、その事実を前にすると、私はもうなんでもいいような気がしていたのだった。しわのばしの手術はひどく痛かった。針で眼球を刺すような痛みだった。
 おばあちゃんは白くて、ひんやりしていた。穏やかな死に顔で、小春の日だまりをたゆとうているような表情だった。ああ、おばあちゃん、とうとう死んじゃった。私の愛する人、そして私を愛してくれる人がひとり、この世からいなくなってしまった。私はもう二度とこんなふうに、静かで清らかな気持で人を愛することはないだろう。この愛情こそ、おばあちゃんが私にくれた唯一無二の宝物なのだと思った。そう、私は深い哀しみの中にあって、幸福の気配を感じていた。哀しみと不幸は決して同じではない。そんなことをぼんやりと考えていた。
 今日は一日中きりっとした冬空で、夕方には息を飲むような茜空が広がっていた。おばあちゃんはあの空に吸われるように旅立っていったんだ。

投稿者 shiori : 12:00

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