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2007年09月16日

カタカナ: 動く標的 Harper

 今回は映画のタイトルと原題の話。
 音楽でも本でも劇でもそうだが、タイトルは作品の顔である。作者が腕によりをかけてその内容にふさわしいタイトルをつけている。だから翻訳する時もその意志を尊重して、原題をそのままタイトルにすることが多い。だいたい8割以上はそのままだろうか。『ゴッドファーザー』は『The Godfather』だし、『レインマン』は『Rain Man』。おそらく日本人の外国語能力の向上によるものだと思われるが、70年代以降はこの傾向が強い。
 しかし『サイダーハウス・ルール』だの『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』だの『ヴァルスーズ』のように意味不明なのもあって、なんでもかんでも馬鹿みたいにそのままがいいわけではない。状況に応じて手を加える必要はあるだろう。『Unforgiven』を『許されざる者』と日本語に置き換えたり、単語が難しければ『The Shawshank Redemption』を『ショーシャンクの空に』に変更したり、『The Magic of Lassie』を『ラッシー』と短縮したり、まあそういう腹具合も配給会社のセンスによるわけだ。
 意訳もよく見かけるが、これはさらなるセンスが問われる。『The Bad News Bears』を『がんばれ!ベアーズ』とか『A Woman under the Influence』を『こわれゆく女』なんて訳すのは上手いと思うけれど、『The Mighty Aphrodite』を『誘惑のアフロディーテ』と言われると首をかしげてしまう。まあウディ・アレン映画の原題は英語的にばっちりキマっているので、訳すのは難しいとは思うけれど。
 60年代は原題を温存せずに真新しい邦題をつけることが多かった。ジャンヌ・モローの『Jules et Jim』は『突然炎のごとく』、『Butch Cassidy and The Sundance Kid』は『明日に向かって撃て!』、キューブリックの『The Killing』は「現金に体を張れ」という具合。『Waterloo Bridge』に『哀愁』なんてタイトルがついていると、きばりすぎやと思うけれど、ポール・ニューマンの『Harper』が『動く標的』なんてのは格好いい。わくわくする。ヴィスコンティの『La Caduta degli dei』はイタリア語で「神々の堕落」という意味だが、これは『地獄に堕ちた勇者ども』になっている。「〜ども」がぴりりと効いている。
 近年もまったく別の邦題をつける例はあるが、付け方が実に安直である。おそらく「恋」とか「愛」の文字を入れれば流行ると思い込んでいるのだろう、『ムッシュ・カステラの恋』『シャンドライの恋』『恋愛小説家』『愛と追憶の日々』『愛と哀しみの果て』『愛の風景』『愛の嵐』、まったくなんだというのでしょう。もちろんこれらの映画の原題には愛だの恋だのいう言葉は一切入っていない。

投稿者 shiori : 16:24

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