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2006年09月04日

日記: バーバー回帰

 美容院に通うようになって久しいけれど、その昔は床屋にしか行ったことがなかった。それはおそらく、子供は美容院のようなこましゃくれた場所に出入りしなくてよろしいという親の教育方針のせいで、そういえば一度「私も女の人のいるところに行きたい」と懇願したが即刻却下された記憶がある。とうとう中学にあがるまで美容院には行かせてもらえなかった。ひどい話である。
 歩いて三分もかからないその床屋は、白髪まじりのおじさんが経営する小さな店、常連客とおぼしき男性が待合室で煙草をふかしながら(そんな時代もあったのだ!)うだうだやっていて、知らない世界に足を踏み入れるようでドアを開ける時はいつも緊張していた。
 ちゃりんというドアベルが響かせて店内に入ると、常連客は「小さいお客さんだ」とかなんとか言ったのちに、じゃあまた、と帰っていき、私は店の主人と二人きりになる。ここに座って、と目で合図された椅子には座高をかさ上げするための台が置かれていて、その上にうんしょと腰掛けると、白いエプロンを巻かれる。そして暗黙のうちに散髪が始まる。
 今日はどういたしましょうだのいう相談が何もないのは、初めてこの店を訪れた時に母が「短いおかっぱでお願いします、これからもずっと」と宣言したからで、これもやはり、自分で髪を結えないような子供がこましゃくれた髪型にしなくてよろしいという教育方針に起因しているようだった。子供ほどおかっぱの似合う者はいないと今になれば理解できるし、当時の写真を見ると、おかっぱの私は我ながらかわいい。それでもその頃はおさげだのポニーテールだのいうロングヘアに多大な憧れがあって、この床屋に通っているうちはおかっぱ地獄から抜け出せないと思うと気分も暗くなるのだった。
 それに加えて店の主人は子供に対してとことん愛想のない人で、学校がどうだ友達がどうだと聞くことなく、黙々とはさみを入れていく。店内は日曜の学校のように静かだった。気がつくと、前髪は眉の上でぴっちり揃えられ、横の髪からは耳たぶがちらほら、鏡に映った自分の顔を見てたいそうがっかりするのだった。
 散髪が終わると、今度はゆっくりと椅子が倒される。顔を剃るのである。くちゃくちゃと何やらかき混ぜる音がしたかと思うと、次の瞬間、なまあたたかい刷毛が顔を行ったり来たりしている。くすぐったくていつも笑いそうになるけれど、相手は知らないおじさんなのでぐっと堪える。それでもなんだか楽しくなってくるのは確かで、おかっぱ頭の屈辱は徐々に薄れていく。
 剃刀でシェービングクリームをこそげるようにして、主人は顔の産毛を丁寧に剃っていく。私の胸の上にはゴム製の皿のようなものが置かれていて(目を閉じている都合実物は一度も見た事がない)、彼はひとしきり剃ると剃刀を皿のへりにこすりつけて泡を落としているようだった。その皿の重みというのが実に絶妙で心地よく、軽くもなく重くもなく、今でもその重みをありありと思い出せるほどだ。私の機嫌もだいぶんいい。
 そして最後の仕上げ、蒸しタオルである。これが激烈に気持いい。クリームを綺麗に拭き取ったあと、しばらく顔に乗せておいてくれるのである。昇天しそうな心地なんである。はああ、と子供らしからぬ溜息をもらして今や私はすっかりご機嫌、ありがとうございましたと礼を述べて店をあとにする。帰り道、顔を触ってみると心もとないような清々しいような、薄皮のはがれた枝豆になった気分で、家に帰ってからも繰り返し触っては「ああ、今日は床屋に行ったなあ」とささやかな感慨に耽るのだった。
 今日、20年ぶりに床屋で顔を剃ってもらいながら、そんなことを思い出した。溜息の出るような蒸しタオル。どうせ当時とさして変わらぬ芸のない髪型をしているのだから、床屋に鞍替えしようかしらん。

投稿者 shiori : 18:30

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