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2006年09月30日

日記: abstract

 学校を出て10年も経つと、かつては皆同じようだったのにずいぶん違った顔つきになるものだ。この開きは今後ますます広がるだろう。私の予測だと、45歳前後でピークを迎え、その後は再び同化の途をたどる。10代の頃若さが個性を凌駕していたように、今度は老いが個性を破壊していくのだ。そして最後には皆同じ顔で死んでいく。
 人間は顔がすべてだ、とよく思う。顔は自分の作品だからだ。どうデザインするかによっていかようにでも変わるし、反対に小手先でいじったからといって変わるものでもない。そういう意味で、自分を含め周囲の人間がこれからの20年をどんな顔で過ごすのか、とても興味がある。
 ランチを食べながらMさんとそんな話をした。抽象的な話のできる友人は本当に貴重だ。年齢があがるにつれて、具体的な話ばかりしたがる人が増えたからだ。投げっぱなしでその先には何もない。永遠のごとき退屈があるだけだ。
 元来抽象と具体はセットなのであって、抽象的な会話を補足するために具体例を挙げ、あるいは具体的な会話から何かを抽象することで、理解を深めることになっている。それが会話なのだ。こんなふうにいやらしく言語化しなくても、多くの人はそれを感覚で知っている。それなのになぜ、どうしてそんなにとりとめのない話ばかり……と嫌になることもあるのだけれど、きっと彼ないし彼女は想像力を使うのが面倒なのだと思い当たると、少ししんみりする。きっと彼らだって子供の頃は、奇想天外なことを口にして周囲を喜ばしていたはずなのだ。大人になることと想像力を失うことは決して同義ではない。

投稿者 shiori : 14:12

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