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2006年05月30日

日記: スランプ

 年頭にブログを開始して5ヶ月あまり、以前の広告まみれのページに比べると格段に快適になり喜ばしい限りである。こちらもおおよそ勝手にも慣れて、というほど難儀な操作もないのだけれど、自由自在に過去の日記を投稿できるようになった。例えば今日は5/30だけれど、昨日の日記を投稿したあとに5/20の日記をアップすることもできる。1975年の日記を書き込むことだってできるのだ。
 しかしネット上の日記というのは常に最新であることに意味がある。というのも、人は普通、興味のある人間の近況(より具体的であればなおよい)を知りたいと思ってブログにアクセスするのであって、むろん人がどういう動機で私のものを読んでいるのかは知らないけれど、少なくとも時系列の混乱した抽象めいたものは読みたくないはずである。
 こちらにしたところで、そういうものを書きたいなら小説でも書けばよいのだし、たかが数人しか読んでいないような日記、昨日の出来事をささっとまとめてぽんと投稿すればよい。しかしどうにもそれができないのである。例えば昨日は岡崎京子『ヘルタースケルター』を読んでずしんときたり、ウチダヒャッケンの素晴らしさを知ったり、祖母の話(ケチなイトコについて)に笑ったり、と普段ならば喜び勇んで筆を執るものを、困ったことにそういう気分にならないのである。
 この一ヶ月ほどそういった症状に陥っていて、それでも書かないで済ますというのは嫌なのであれこれ都合してお茶を濁しているのはご覧の通りなのだが、とはいえそういう頭打ち感は何かを続けていれば定期的にやってくるものであり、そして足を止めなければ必ず払拭されることを知っているし、ましてや仕事ではないのだから、どうってことはないのだけれどね。どうも具合が悪くってね。なんともね。
 しかし考えてみれば、更新の滞っているのを気に病みながらも何も書けずにいる感じというのは日常生活にはよくあること、むしろそんなのばかりで、いい加減そういうのにも飽きました、しかし倦怠に慣れ親しんで平然と構えるには私はまだ若すぎて、ゆえにこういった調子。

投稿者 shiori : 14:26

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