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2005年04月29日

日記: 祖母には初夏がよく似合う

九州から帰ってきてほっと一息つくも束の間
翌日から祖母の具合が悪くなった。吐き気がとまらない、よろよろして歩行も困難に。季節の変わり目だし、前にも同じようなことがあったし、と様子を見ることにしたが、3日目の朝にも容態は変わらなかった。
救急外来に連れて行く。
医者から言われた言葉は「入院してください、脳内出血していますので絶対安静です」だった。しかも血圧が200以上あったらしい。祖母のつらそうな様子に合点がいった。
救急外来にはひっきりなしに人が駆け込んでくるが、ぐったりした赤ん坊を抱えた若い母親、というのが一番ずしりとくる。青ざめた顔は涙でぐしゃぐしゃ、髪をふり乱して、処置の間中、診察室の前をうろうろしている。彼女の姿を見ているだけで、こちらまで気が滅入ってくる。命がうっとうしいぐらい重い。
それに比べると、90のばあさんにまつわるあれこれは淡々としている。本人は、命が切れないので仕方なく生きている、という認識だし、私たち家族も、できれば生きていてほしいけれど、死んでもしょうがない、と思っている。死んでもいいと思っている。
「死んでほしくない」でもなく「死んでしまえ」でもなく「死んでもいい」なのだ。人に対してそんな感情をもったのははじめてだった。
それでも医者は仕事なので、1才でも90才でも、命を同じ重さで扱って処置をする。それは当たり前だけれど、すごいことだ。
結局、祖母が処置室から出てきたのは5時間後。体中に管をつけて、ベッドごと病棟に運ばれるのを見ていると、思わず溜息が出た。
「まだ生きています」というキャプションがぴったりだった。死んでもいいのに、死ねないのだった。

老人は3日寝つくと歩けなくなり、頭もぼけてしまう可能性があります、と最初に医者から説明された。そしてその言葉は実に正しかった。
数日後には、祖母の筋肉はかちこちにかたまり、思うように動かなくなった。話す内容も支離滅裂で、反応も鈍い。自分の名前を聞かれても、うまく答えられない。母は「ついこの前までひとりでお風呂に入って、にこにこ笑っていたのに」と涙ぐんだ。
そんなことばかりいつまでも言うので、「あれができなくなった、これもできなくなった、と点数をつけるような考え方はやめろ」と私は母をなじった。あんな祖母を見て、私だってものを思わないわけがないのに、耳元でがやがや言われたらうるさくて仕方ない。
そういうひとつひとつがたまらない感じだった。
でも、人は慣れる生き物だ。母も私もすぐに、ベッドにそっと横たわる祖母を見慣れて、そういうものだと思えるようになった。
体の左半分は脳内出血のせいで麻痺していて、退院できても車椅子生活だと言われた。それでも、気休めかもしれないが、頭のぼけは一時的なものに思える。その証拠に辛抱強く2時間くらい話しかけていると、勘が戻ってくるらしく、会話が成立するようになる。とんちんかんぶりはかなりのものだけれど。
先日なんて「おばあちゃん、具合はどう?」と話しかけると、
「今朝なあ、この病院の院長さんのにごうさんが男の子を産んだけん、朝からせわしいのよ」と言っていた。へたな芸人よりおもしろい。
そんなわけで、毎日病院通いの日々なのだった。

数日前からはご飯を食べられるようになったので、夕方に行って夕食を食べさせてあげて、面会時間終了の8時までおしゃべりをして(一方的に)帰って来る。昔話をしたり、時には歌を歌ってあげたりもする。鯉のぼりの歌なんかをだ。
すると祖母は口をへの字に結んで、泣くのをこらえる。そして私の手をぎゅっと握りしめる。
「おばあちゃん、私帰るね」と言うと、
「ああ、お名残り惜しいこと、また、来てね、ありがとう」
ゆっくりとだがはっきりと答える。そして指の先をそろえて小さく手を振る。そんなささやかなやりとりなのに、私はいつもたまらなくなって、病室をあとにしながら少し泣いてしまう。
悲しいわけじゃない、淋しいわけじゃない、やるせなくなって泣いてしまう。不思議とさわやかな涙だ。
週末には叔父やいとこも見舞いに来る。優しいミック(仮名)も来てくれる。祖母は彼のことが好きだ。とはいえ彼を覚えているわけではなく、会うたびにいつもはじめから好きになる。そして私とミック(仮名)を見比べて、嬉しそうに笑う。先日なんて「今度一緒にうどんを食べに行きましょう」とミック(仮名)を誘っていた。しぶいアプローチだ。
そういう光景を見ると、私も幸せになる。
今は時候がいいので、病院通いも苦にならない。穏やかな風が吹いて、新緑が美しい。すべてがきらきらしている。
この先祖母がどれくらい生きるのか知らないけれど、毎年この季節がくると、祖母のことを思い出すような気がする。
おかしな話だけれど、今の祖母には初夏がよく似合う。
それは、祝福されている感じがよく似ているからだと思う。

投稿者 shiori : 15:02

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