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2005年04月04日

日記: 鹿児島〜宮崎

温泉ツアーの日。ぴかぴかの上天気、気温25度。
朝10時、バンを借りて10名一行で指宿に向かう。
薩摩半島の突端、北緯31度(東京は36度)に位置する温泉郷で、鹿児島市街地より車で2時間弱。
レイアウト上あそこに座れと命令されて、最後部座席の真ん中、キョンさんと藤井さんの間に座らされる。二人とも180cm以上ある大男なので居心地が悪いうえに、車酔いして吐いたらどうしようと気が気ではなかったが、馬鹿話をしているうちに目的地に到着したので一安心だった。田んぼと畑をすり抜けて、開聞岳を横目で眺めれば、もうそこは指宿。
いざ、砂風呂!
受付で手渡された浴衣に着替え(下はすっぽんぽん)砂浜に行き、人型のくぼみに寝そべると、おばちゃんが砂をわっさわっさかけてくれる。砂から顔だけ出して、目を閉じること20分。波の押し寄せる音が実に心地よい。砂の重みで全身に圧力がかかり、身体全部が心臓になった気分だ。じわじわと背中とお尻が熱くなり、額から汗が垂れる。そのうちにちょっと我慢できないくらい熱くなってくれば、終わりの合図。
起きあがってみると、全身汗だくだった。湯につかっていないのに、湯上がり気分。とくした感じだった。
しかし、あの図はけっこう笑えた。土左衛門が横一列にずらっと並んでいるのだから。しかもみんな幸せそう。
湯上がりはやはりビール、ということで『地熱の里』というハードなネーミングの店に行く。生ビール2杯とかつおのたたき定食、たたきにはすでに甘い汁がかかっていた。郷に入りては、をモットーに完食する。麺狂いの人たちはちゃんぽんを食べて、麺や汁を詳らかに検査し、結果をもとに白熱した議論をしていた。検査をしているときの顔がおかしくて、笑いが止まらなかった。
窓の外に広がる芝生には暖かい日射しが降りそそぎ、何とも幸福な光景。こっそりビールを追加したら「しおり〜、こらっ」と下戸のマネジャーに渋い顔をされる。そんな殺生な。
そして向かうは露天風呂。
この人生で一番素晴らしい露天風呂だった。湯上がりにガッツポーズして握手したほどだ。真っ青な空、180度広がる大平洋、空と海の境目がわからない。ときおり船が行き交い、鳥が弧を描き飛んでいく。振り返ると雄々しい開聞岳。極楽だった。
100人は裕に入れそうな風呂は貸しきり状態で、それもまた功を奏した。「お〜」「はあ〜」と口々に溜息をつく、感動し通しの湯浴み。
ふと住所を見ると「鹿児島県揖宿郡山川町福元字伏目」と書いてあり、ここまで来ないとこの風呂は味わえないのだ、と妙に納得した。
薩摩はパワーがあるね。まじで。
帰路に着くが、風呂、ビール、風呂、とくれば次はお昼寝。ゆらゆらすうすうしながら鹿児島に戻る。大男たちの寝顔をこっそりのぞくと、48年間生きてきた顔をしていた。30年ではない、60年でもない、48年分の顔。けっこうぐっときた。
こちらは6時をまわってもまだ日が高い。私と藤井さんは鹿児島中央駅でおろしてもらう。彼はこれから種子島でライブらしい。他の人は最終便で東京に戻る。なんだか感傷的になった。
何かの縁で集い、そして別れる、一期一会の感じ。淋しくもあり、胸を張るふうもあり。人生は手抜きをしてはいけないとぼんやり思った。
厳密にいえば、また会うんですけれどね。
暮れなずむ鹿児島をあとに、私は6時の汽車で宮崎に向かう。

鹿児島から宮崎までは日豊本線で2時間。
時間が遅いとこともあったが、車窓からの景色は信じられないくらい
真っ暗で始終トンネルのようだった。
いくら目を凝らしても、自分の顔しか見えない。
乗客も少なく、退屈しているうちに居眠りをしていたようで
あっという間に宮崎に到着した。
この4月に父が宮崎に転勤になったので、引越しの手伝いをする
というのが宮崎入りの目的なのだが、私一人では埒があかないので
助っ人として東京から友人のミック(仮名)に来てもらった。
父と私とミック(仮名)は市内のホテルで落ち合う。
この街の第一印象は
「こんな田舎は見たことがない」
そして、最後までそれが覆されることはなかった。
あそこは「陸の孤島」と言われるように、本当にホントウに何もないんだから
と宮崎に来たことのある人は口をそろえて言っていたが
それは本当だった。
まず目ぬき通りと言われる一番街アーケードはどうひいきめに見ても
日吉の方が賑わっている。ミスタードーナツと無印良品がものすごくえらそうに見える。宮崎市民の娯楽はパチンコ、と相場が決まっているのか、
いたるところにパチンコ屋があり、いつ覗いてもそこそこ混んでいる。
そして、いわゆる銀座4丁目に相当する交差点は「デパート前」と呼ばれている。つまりこの街にはデパートはひとつしかないのだった。
それも山形屋(YAMAKATAYA)という4階建ての侘びしいデパート。
聞くところによると、宮崎は日本一物価が安い県ということだから、
平均所得もぐんと低いのだろう、高級品を陳列したところで売れないに違いない。
そんなシンボリックな交差点を通過して、宮崎にしては都会的な居酒屋に夕食を食べに向かった。
確かに安かった。そして美味しかった。
関さばの刺し身、一皿600円できらきらと輝いた稀少品が8切れものっている。宮崎牛のステーキしかり、サーモン刺し身しかり。焼酎を頼んでも、なみなみと注がれた黒霧島が400円。どんなにたらふく食って飲んでも、3000円を超えることはなさそうだった。ええっちゃが、宮崎。
しかし、この街にはフランス料理屋もイタリア料理屋もタイ料理屋にインド料理屋は、一軒もない。あるのは居酒屋と郷土料理屋ばかり。
残念だが、この街には住めないと確信した。
その晩は、明日以降の打ち合わせなどをして、早めに解散。
鹿児島での日々を想いながら、12時には就寝。

投稿者 shiori : 15:16

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