2005年09月15日
日記: 9/15
「大倉山にスターバックスがオープンします!」という知らせを元大倉山住人の友人に伝えると「ようやく近代化ですね」と返答されたのだが、スターバックスが近代化の象徴なのか?という根本的な疑問は胸に秘めるとして、あの古ぼけた写真屋さんのあった場所に美容室や焼鳥屋が開店するよりはずいぶんよかった、というのは大倉山には現在少なめに見積もっても30軒の美容室と10軒の焼鳥屋があり、潰れた店は必ずそのいずれかに生まれ変わるという想像力の枯渇した状況が長らく続いていたわけで、スターバックスですよあなたほらあのマーク、と町民たちが少々はしゃいでしまうのも無理のない話、オープンしたてのコーヒー屋にはずらりと人が行列していて「どこで飲んでも味は一緒ですよ」とささやいて回るほど暇ではないので一瞥して通りすぎた私は、本屋へ向かい『VOGUE NIPPON』と『季節の記憶』と『東京奇譚集』を購入して思うに、村上春樹の本を買うのにつきまとうこの恥じらいは何なのでしょうか、ベストセラーに迎合した感から生ずるうんぬんと分析したところで発売日に読了という彼への愛情は色褪せることなく年ふること17年、ますます冴えて洗練されたこの本を2ヶ月で書き上げたとは信じられんとです、博多の辛子明太子の乗った白米を一膳ばかりと叙々園サラダとはんぺんのバター醤油焼きと鶏の唐揚げとなすの肉味噌はさみ煮という支離滅裂な夕餉を用意したのは私で、肺癌で亡くなった牧師さん(69)の告別式に参列して疲れていた母にカベルネソービニオンを差し出すと美味しそうに2杯ほど、スティーブ・マックィーンはアスベストが死因だったと聞きながら酩酊(レベル3)、やはり句点より読点の方が好みではあるもののここまで排除するには理由があったとしても、そんなもの酔狂に決まってるじゃないですか。
投稿者 shiori : 11:41