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2005年04月06日

日記: 宮崎2

引き続き上天気。
父は出勤せねばならないとのことで、大量多岐にわたる買い出し及び設置を依頼される。
「このあたりで何でも揃うといえば、どこの店ですかね?」
とタクシーの運転手に聞くと
「そりゃ、ナフコやね、あそこやったらピンからキリまで何でも揃う」
力強い言葉が返ってきた。
ナフコ、という気の抜けたネーミングを一瞬怪んだが、結果は上々だった。
それにしても濁音のない店名はやはり心許ない。ジャスコでもダイエーでもドンキーホーテでも成城石井でも、発語したときにしっくりするのだが、
「ナフコ」てのはどうも発音しづらいし、格好よくも可愛くもない。
と宮崎にまつわるすべてに批判的な私なのだった。
二口コンロ、ガス湯沸かし器、物干竿、風呂&洗濯グッズ、調理器具
メモされたものを次々と車に積み込み、買い物は一段落。
昼食に向かったのは、釜揚げうどんの店。
宮崎といえば忘れてならないのが、巨人軍のキャンプ地。
もし彼らがこの地に陣営していなければ、と考えただけでも恐ろしいのだが、この街は巨人軍、いや長嶋(と清原)さまさまなのだ。
彼らの訪れた店は誇らしげにサインを飾り、そうすることで売り上げをのばしているようだった。重乃井といううどん屋が有名なのだが、ここは芸能人御用達になっていてあぐらをかいているので「戸隠そば」という店の方が地元の人の信頼も厚く、確かにうまいぜあれは、とDr.Kが耳打ちしたので、そこに行くことにした。
確かに美味しかったが、こちらも十分芸能人御用達だった。中村雅俊が3回もサインしていたのが興味深かった。1回でいいですよ?
もちろん清原のもあった。
帰宅後、ミック(仮名)がオーディオの配線やBSチューナーの取り付けなど私には不可能なことを猛然とやってくれる間、私は台所の片付けなどをゆるい感じで終わらせる。
そして仕事あがりの父と一緒に、宮崎高級郷土料理店に向かう。
地魚の刺し身や天ぷら、最後には名物冷や汁も頂く。美味しかった。
清原がまたいた。
「清原の飲んだ焼酎はどれですか?」
と父がアホ丸出しの質問をすると、女将は「清原さんはビールしか召し上がりません」と答えた。彼女はとても愉快な人で「もう必要以上に大きくて、黒光りしていて、首の後ろのヒダがすごくて、牛みたいなんです」と教えてくれた。あたしも会いたいよう。
宮崎の人は基本的に明るく陽気で、親切だ。車で道を走っていてもそう感じる。強引な割り込みでも十中八九入れてくれる。
それでも、たいていの田舎の人がそうであるように、よそものに対する好奇心と警戒心が強い。ゴミ捨てのルールがやたら細かかったり、主婦の井戸端会議がありえないほど盛んだったり、「五人組」的な雰囲気が十分に残っていた。開票0.5%で自民党勝利が確定するような地域だ。
でも、子どもがのびのびして元気がよくて、いい感じだった。野菜は新鮮で美味しいし、犯罪もかなり少ないらしいし、幼少を過ごすにはいいところだ。でも青年期には、溢れるエネルギーを受容するカルチャーがないから、みんな福岡や大阪に出ていって、遠くにありて故郷を思うのだろう。
切ない感じのイモっぽさが印象に残った。
引越しもおおかた片付いたので、そろそろ宮崎を離れて
高千穂渓谷に行き、そのまま阿蘇山でも見に行こうと話し合う。
帰宅後、再び失神するように就寝。

投稿者 shiori : 15:13

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